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[次の土日、どちらかで本屋に行きませんか?国家資格の参考書を教えて欲しいんです。十時頃、隣駅の改札で待ち合わせでどうでしょうか]


今までとは少し違う、やや強引さを感じる文章だったが、今の舞にとっては、それがかえって嬉しかった。ドキドキと、また心臓が早鐘を打つ。舞は一人、ベッドでごろごろと転がりながら、そのときめきを堪能した。


慎はSE志望だと言っていた。慎の言うこの資格は、だいたいは働き出してからとるもので、大学生でもこの資格自体を知らない人も多い。専門学校の学生や、資格に対して意識の高い者、ごくたまに非常に優秀な者が取得していたりする。


だから本当は高校生の慎が勉強するのは早すぎるのだが、そんなことにはいくらでも言い訳をつけられた。

どうせ資格をとるなら、早いにこしたことはないし、興味を持って勉強するなら、いつ学んだっていいじゃないか。

舞はそんなふうに考え、多少の違和感からは目を背ける。

それよりも、休日にも慎に会えるという喜びが、舞の体を駆け巡った。


ただ一つ問題があった。

舞はまだこの資格を持っていない。そんな舞に良い参考書が選べるとはとても思えない。

だが、一応IT企業に勤める舞としては、「わかりません」とは絶対に言いたくなかった。そこにはもちろん、慎に対する見栄もある。


たかが参考書選びとはいえ、慎の将来の仕事に関わることだと思えば、最大限の協力をしてあげたい。

幸いにも、舞には伝手があった。ちょうど身近に、この国家資格を持っている人がいるのだ。


──よし、思い切って安川さんに相談しよう


そうと決まれば、とりあえず慎に返信だ。


[わかりました。いい参考書を調査しておきます。あと、待ち合わせは午後一時にしましょう]


十時だと、その日一日、長い時間一緒にいられるのは確かに嬉しかった。今は週に一度、退勤から十分間のみだ。

だが、その時間から会ってしまうと、そのまま流れで昼食を一緒にとることになるかもしれない。今の舞は、慎を目の前にして、ご飯が食べられるとは思えなかった。


──初めて好きになった人の前で、大きな口を開けて、もぐもぐと間抜けな顔を見せなければならないなんて……


しかも、パスタだったらソースがはねるかもしれないし、和食だったら、魚の骨が綺麗にとれるか心配だ。胸がいっぱいでご飯が入らなくて、半分以上残すことになったら、一緒に食べている相手に悪いし、逆に食べる前からお腹がグーグー鳴ったりしたら、恥ずかしくてもう生きていられない。


舞は想像だけで、とてもじゃないがご飯は無理、と判断した。

慎の予想とは全く逆の理由で、舞は約束を午後からにした。



翌朝、エレベーターを降りたところで、安川が休憩室にいるのが目に入った。舞は、今のうちに訊いてしまおうと思い、バッグもそのままに休憩室に入る。


いつも誰かしらに話しかけられて忙しそうな安川だが、幸運なことに今朝は一人で、奥の椅子に座ってのんびりとコーヒーを飲んでいるところだった。


「安川さん、おはようございます」

「おはよう、藤野さん」


安川はいつも通り穏やかな笑顔で、舞に挨拶を返す。


「あの、ちょっと訊きたいことがあるんですけど……」


舞は安川が座る椅子の側まで行くと、手帳を取り出しながら安川に声をかけた。安川は、さり気なく隣の椅子をひいて舞に勧め、


「お、なんか相談?いいよ、なに?」


と、気軽に応じてくれた。

舞は、椅子を少しだけ安川から離すと、おずおずと腰かけて、それから本題を切り出した。


「安川さん、国家資格持ってましたよね?お薦めの参考書とかありますか?」

「藤野さん、資格とるの?」

「あ、いえ、私じゃないんですが……」

「違うのか、な~んだ。挑戦してもいいのになぁ。んー、そうだなぁ、僕が使ってたのは──」


安川は自分が使っていたものと、評価の高かったものを二冊、舞に教えてくれた。

舞は聞きながら、手帳にさらさらとメモをとっていく。


文系出身だからなのか、舞は文字を見るのも書くのも好きだった。今はスマホやパソコンで管理する人も多いが、舞の場合、特にプライベートなことは、必ず文字で書き残す。

画面上のメモよりも、紙に書いた自分の字の方が読みやすいと思うのは、ITの仕事をしている身としてはどうなのだろうか。そう思いながらも、やっぱり舞は手帳とペンを手放せないでいた。


「でももう僕の情報は古いかもなぁ。今はもっといいの出てるかもしれない。自分で見て使いやすいのが一番だから、本屋で見比べてみるといいよ」

「なるほど、参考になります」


熱心にメモをとる舞を見ながら、安川は持っていたコーヒーを一口飲み、そしてさり気なく尋ねてきた。


「知り合いが受験するの?」

「知り合い、……えーっと、そうですね」

「どこで働いてる人?」

「あー、えっと、いえ……まだ働いてないです」

「そうなんだ、じゃあ大学生?」

「いえ、えーと……」


高校生です、と言っていいものか、舞は迷った。

友達が社会人だろうが高校生だろうが、何も問題はないはずなのに、その高校生に恋愛感情を抱いている舞としては、大人として後ろめたいような気がして、言いよどんでしまった。

だが、自分から安川に相談しておいて、こちらの情報を誤魔化すのは、フェアじゃないというか、なんとなく卑怯のような気がして、舞はためらいながらも口を開いた。


「実は、あの、高校生なんです」

「え!高校生?!」


案の定、安川は珍しく大きな声をあげた。それほどびっくりしたようだったが、舞はなぜか、その声にビクリと体が震える。どっどっ、と心臓が急に暴れ始めた。


──あれ?どうしたんだろう……


舞はペンを止め、静かにゆっくりと息を吸った。まだどくどくと鼓動が波打っている。


──最近ちょっと寝不足だったからかな?


慎のことを考えると、どきどきしてなかなか眠りにつけないことがある。そのせいかもしれない、と舞は思った。

そう考えているうちに、体の異変は少しずつ治まっていった。


そんな舞の反応には気付かずに、安川は信じられないというように、「勉強するの早すぎない?」と呟いていた。

やっと動悸が落ち着いた舞は、慌てて安川の方を向くと、


「そうですよね。でも、すごく優秀な子なんですよ。だから、早くから勉強する分にはいいのかな~、って思ってます」


自分にもした言い訳を、もっともらしく安川に説明する。

もちろん、舞だって安川と同じことを思った。だが、それ以上に、その疑問に対する言い訳を繰り返している。


「ふーん……ま、先に勉強しといて悪いことはないけどね……」

「そうなんです、私もそう思ってて」


舞の言葉に、安川は何やら考えこんでいたようだったが、ふと、思いついたように顔を上げた。


「じゃあさ、早く教えてあげればいいよ。知り合いなんだから、連絡先くらい知ってるでしょ?」


安川はにっこり笑って、穏やかにそう言った。


確かに、本のタイトルがわかってしまえば、何もわざわざ休日に、一緒に本屋まで行くことはない。

慎にこれを教えて、一人で行かせた方が、気兼ねなくじっくり良いものが選べるのではないだろうか。

「あ、それも、そうですね……」

慎のために万全を尽くそうと思ってしたことが、かえって出掛ける約束を反故にする結果になってしまった。


──やだ……どうしよう……


その時はっきり感じたのは、慎に会えなくなるのが嫌だということ。

せっかく休日に会えるのに、それを自分から無かったことにする勇気はないということ。


そうだ、黙っていればいい。土曜日に会ったとき、私がこのメモの本を探して、「これ、いいらしいよ」と直接アドバイスすればいい。それなら、一緒に本屋に行く正当な意味がある。

たった一週間くらい、何も影響はないはずだ。だってそもそも、勉強するには早すぎるんだし。


舞の中に、初めての感情が浮かぶ。そのどろどろとした感情の意味は、無意識下に放り込んで考えないようにした。


「高校生のうちから勉強したいと思ってるくらいだから、早く知りたいんじゃない?」


安川の善意のアドバイスが、舞の後ろめたさをさらに煽ったが、舞はそれすらも無視した。


「そう、ですね……はい、そうします。あの、いろいろとありがとうございました」


舞はなんとか笑顔を取り繕うと、立ち上がって安川に頭を下げた。


「いえいえ、どういたしまして」


安川はにっこり笑うと、最後にこう付け加えた。


「藤野さんが試験受けるときは、僕がいいのを探してあげるよ。最新のお薦めを本屋で選んであげる」


舞は、安川の矛盾には気付かないまま、その言葉を素直に受け止めた。

そして逃げるように自分のデスクに戻って行った。



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