72 水色髪の天才博士
目立つ水色の髪に、無精髭を生やした男。
彼はへらへらと笑いながら、遠慮もなしに椅子に座る。
誰かと問うべくカンナはスバルを見るが、彼は何故か青い顔をしてファーミアナを見ていた。
そのファーミアナはというと──。
「カンナくんも、考古錬金学に興味があるのなら嬉しいわ。人手が足りなくて困っていたのよ」
無視をしていた。
まるで、始めからその男が存在していないかのように。
しかしそれで引く男ではないらしい。
「よっ、久しぶりだなファーミアナ!」
彼もまた何事もないかのように、明るく彼女の名を呼んだ。
それと同時に、カンナは背筋が凍るような感覚に襲われる。
溜息が一つ聞こえたかと思うと、これまでのファーミアナからは考えられないくらい、低く冷たく声で、彼女が言うとも思えない言葉を発した。
「あらルミナス博士。まだ生きていたのですね」
その表情もまた、凍りついていた。
スバルは席を立って、誤魔化すように辺りの本棚を整理し始める。
異様な空気に包まれた部屋で、口を挟む事もできずにカンナも立ち上がる。
「おい、スバル……」
カンナは離れていくスバルの腕を掴む。
「暗黙の了解だ。いいか、あの二人には触れるな」
スバルは、小声で言う。
訳が分からないが、触れるなというのにはカンナも同感だった。
不用意に割り込んで、巻き込まれてはたまったものではない。
ファーミアナの酷く冷たい視線に対して、無精髭の男は未だへらへらと笑っている。
「ルミナス博士、か。昔を思い出すな」
「その思い出を今すぐ消し去ってほしいですね」
「しかし一段と美しくなったなあ。今夜、飲みにいかないか?」
「いつになったら、消えていただけるのですか?」
話がまるで噛み合っていないというのに、会話が続いている。
これだけ言われても男は笑っていた。
ファーミアナは深い溜息をつき、背を向ける。
「不快だわ。スバル、カンナくん、私は他の用事を済ませてきます」
それだけ言い残して、ファーミアナは研究室を出ていった。
扉を閉める時の音は、少しだけ大きかった。
残されたスバルとカンナは顔を見合わせ、ほっとしたように溜息をつく。
同じくその場に残された男はなおも笑いながら頬杖をついている。
「ファーミアナは照れ屋だよねえ」
「博士、こんなことばかりしてたらいつか刺されますよ」
「彼女に刺されるなら本望だ。っと、そうだスバル」
男はわざとらしくぽん、と手を叩く。
「ナナミが探してたぞ。約束があるとかって言ってたけど」
それを聞いたスバルは、何かを思い出したかのように声をあげる。
「あー! やっべえ、忘れてた! 悪いカンナ、ちょっと行ってくる!」
そう言って、彼もばたばたと急ぎ足で、その場から立ち去ってしまった。
残されたカンナは、困惑した。
勝手の分からぬ研究室に、見知らぬおかしな男が目の前にいる状況だ。
教団で様々な人と関わってきたカンナであっても、どうすべきか分からない時はある。
逃げるべきか、無視をするべきかと思案していると、彼はへらりと笑った。
「自己紹介をしよう。俺は天才博士ナイクラッド・ルミナス、よろしく」
「……カンナだ」
ナイクラッドはカンナに向かって手を差し出すので、握手を返そうと手を伸ばす。
その腕が引っ張られる。
「ファーミアナに免じて今は見逃してやっているが……」
先程までの明るい声色とは違って、彼の声はひどく冷たかった。
「怪しい動き一つでもしてみろ。その喉元掻っ切るからな」
それと同時に、いつの間にか刃物のようなものが首元にあてられていた。
「……肝に、命じておく」
「それでいい」
カンナは冷や汗をかきながらも、なんとか返事をする。
返事を聞いて、刃が喉元から離れるので一先ず安堵した。
「環境変異の事もあってこっちも気が立っている。悪く思うなよ」
彼はそれだけ言って、部屋を出ていった。
「……さっきは急に、ごめんなさいね」
暫くして戻ってきたファーミアナは、部屋に入るなり謝った。
「あの人、ちょっと苦手で」
申し訳なさそうに言うファーアミアナ。
あの態度はちょっと苦手どころではないとカンナは思ったが、それは言わないでおく。
「まあ、苦手なものは誰にでもあるから」
苦し紛れにフォローするが、実際のところカンナにとって苦手な人間というものは居なかった。
強いて言えばブラオルイーネの研究者達だが、あれは人間というよりその雰囲気が苦手なだけなのだ。
ファーミアナは気持ちを切り替えるかのように、深呼吸をする。
「さて、カンナくん。あなたに頼みたいことがあるの」
そう言ってファーミアナは机の上に地図を広げる。
彼女の家にあった地図とはまた違う、少し古びたものだ。
地図上には、いくつか点が印されている。
「この印は、未だ手つかずの遺跡の場所を示しているの」
それは北に一つ、南に二つ印されている。
ファーミアナはその中から、北にある遺跡にトンと指をおく。
「あなたには、ここから更に北にある遺跡を調査してもらいたい」
その遺跡の名は──。
「……北極遺跡ポラリス」
それは、エカルラート最北端にある第七遺跡ポラリスと同じ名を冠していた。