3 記憶喪失の少女
解除された結界の、その奥から飛び込んできた何かと共に壁に打ち付けられたカンナ。
その何かとは、小柄な少女。
壁に思い切りぶつかって痛む頭を摩りながら、カンナは立ち上がった。
「だ、大丈夫ですか?」
恐る恐るハダルが声を掛ければ、問題ないとでもいうように頷く。
それよりも、カンナは自身と同じ勢いでぶつかったであろう少女の事が気がかりだった。
「起き上がれるか?」
「う……」
少女はゆっくりと起き上がり、ふらつきながらも自力で立ち上がる。
それに見かねたカンナが支えてやろうと手を差し出すと、彼女はびくっと肩を揺らして咄嗟に距離を取る。
衝突の衝撃で混乱しているのか、はたまた何かに怯えているのか。
カンナ、イリス、ハダルの三人を順番に見てから、先程自分が飛び出してきた広間の方へ後ずさりしていく。
「待て、その先は」
そう呼び止めた時。
後ずさりする少女の背後で、何かが光るのが見えた。
直後、部屋全体ががたがたと揺れ、古くなった天井からは砂や埃がぱらぱらと落ちてくる。
突然の揺れに驚いた少女がバランスを崩して転びかけた刹那、カンナは彼女の腕を引っ張った。
「危ない!」
それと同時に、何かが頭上から落ちてきたかと思えば、大きな音を立てて少女がいた場所の床に穴を開けた。
「カンナ、あれってまさか……」
イリスも気づいたのか、それに向かって指を差す。
彼らの視線の先にいたのは、腕を振り上げて彼らを襲わんとする石造りの魔法人形だった。
「古い物とはいえまだ動いている! イリスはハダルさんを頼む」
「わかった、君もこっちに」
イリスがハダルを庇うように前に出て、カンナの後ろに居た少女に声をかけるものの彼女は驚きのあまり動けないでいた。
何故かカンナではなく少女を狙っているのか、魔法人形は再び腕を振り上げる。
逃げない少女に、カンナは咄嗟に本を取り出し、さらに本から杖を引き抜いた。
「壊すのは勿体無いが──震えよ土星”ロッシュ”!」
叫びながら杖を大きく振ると、鋭く尖った岩がどこからともなく現れ、魔法人形に次々とぶつかっていく。
もともと古くなっていたのか、それはすぐに崩れて動きを止め、ただの岩塊となった。
唖然としたまま動かない少女に向き直って、カンナは手を差し出す。
「立てるか?」
怯えるようにカンナと距離をとっていた先程とは打って変わり、少女は何も言わずにその手をとって立ち上がる。
「ハダルさん、それにイリスも怪我は?」
「驚きましたが……大丈夫です。一先ず、地上へ出ましょう。先程の揺れで崩落の危険があります」
ハダルの判断に、頷いたカンナは少女から手を離そうとするものの、今度は逆にぴったりとくっつかれて離れなくなってしまっていた。
その手を握る力は、少女の小さな手からは想像もできない程に強い。
「お、おい」
「怖かったんじゃない? 君、とりあえず一緒に地上へ行こうか」
少女がこくりと頷くので、観念したカンナは強く手を握られたまま、その広間を後にした。
遺跡の入り口へ戻ったカンナ、イリス、ハダル、そして素性不明の少女。
結界の先から突進してきたかと思えば、今はカンナの手を強く握る傍らの少女についてカンナは考える。
結界の先からやってきた理由。
古代人によって封印されていたのか、もしくは少女自身が結界を張ったのか。
人間なのか、魔物なのか、はたまた魔法人形の一種なのか。
考えうる可能性の全てが、現実的ではなかった。
「君、名前は?」
そんな風にを考えているうちに、イリスが少女に話しかけていた。
ぼんやりと辺りを見渡していた少女は、突然話しかけられて驚いたのかびくっと肩を揺らす。
そして、恐る恐る口を開く。
「わからない」
イリスだけではなく、それを聞いていたカンナも思わず「えっ」と声をあげる。
自分の名前が分からないという少女は、不安げだ。どこか怯えているようにも見える。
イリスはさらに質問を続ける。
「どうして結界の先にいたの?」
「わからない」
「いつからそこにいたのかも分からない?」
「わからない」
「カンナ……この人に突進してきた理由は?」
「わからない」
どうしたものか、と助けを求めるかのようにイリスはカンナに視線を向けた。
しかしカンナにもどうすることも出来ず、さらにハダルに指示を仰ぐように視線を向ける。
とはいえハダルもまた、困っている。
遺物であれば、発掘隊でどうとでもできるが、相手は人間と思われる少女。
しかも、記憶喪失に素性不明のおまけ付き。
「うーむ。こちらでは判断できないので、本部預かりでお願いしてもよろしいですか?」
「まあ、そうなりますよね。分かりました、俺が責任を持って連れて行きます」
カンナは少女に向き直ると、彼女はじっと彼を見つめていた事に気づく。
その瞳は澄んだ紫色。エカルラートではかなり珍しい色だ。
髪は白銀髪。こちらもこの星では染めでもしない限りは、なかなか見かけない色をしている。
出来うる限り怖がらせないようにゆっくりと腰を落として彼女と目線を合わせる。
「ひとまず、俺に着いてきてほしい。いいか?」
目をぱちくりとさせ、少女は少し考えてからこくりと頷いた。
「よし。俺はカンナ。こっちはイリス」
「カンナ」
少女はそう復唱し、立ち上がったカンナの手を再びぎゅっと握った。
カンナは少し驚いたが、不安がっているのだろうと思いその手を握り返す。
再びハダルの方へ向き直り、一礼する。ハダルもそれに合わせて軽く頭を下げる。
「それではハダルさん、この子を連れて行くために、早いですが本部に戻ります」
「ええ。何から何までありがとうございます。遺物の発掘が終わったら、またよろしくお願いします」
「いつでも呼んでください。それが仕事ですから。では」
そして、カンナとイリスは少女を連れ、転送陣からアストルム教団本部へ戻っていった。