一週間
ギリアンは朝もしくは昼頃から夕方にかけて仕事で王都にある城に行くので、その間レティーシャは当初は話通りに出来ることをしようとしていた。
していたのだが、予定通りにはいかなかった。
まず一週間前、ギリアンが仕事のために邸を留守にした初日のこと。
ギリアンの邸には驚いたことに、彼以外には初めから現れていた二人しかいないのだと発覚した。
同じ髪色瞳の色をしている二人は、どことなく顔立ちと雰囲気が似ている印象を受けた通り、双子だと明らかになった。男性が「ノア」、女性が「ベス」。どちらが兄か姉か、弟か妹かは不明だそうだ。
城のような大きな邸にも関わらず使用人は実際に彼らしか見ないこともあり、本当に二人だけで全てのことを行っている。
「時間が足りなくならないのですか?」
と、まともに話して一日目に聞くと、並んだ二人はそっくりな顔で微笑み、示し合わせもせずに男性の方、ノアが答えた。
「魔法も使っておりますので、そういった問題はありません」
これにはもっと驚いた。
公爵ともなれば魔法を使える人を使用人にするのだろうか。例えば王の周りにいるのは魔力のある者だとは聞いたことがあるから、公爵もそういうものなのか。それにしても魔法を普段に使えるとすれば、魔力が欠片しかないような魔法族ではない。
レティーシャも侯爵である親をもっているとはいえ、住んでいたのは離れ。使用人の出入りも制限され、彼らは魔力のない人たちで……もしかして魔力のある者も本邸の方にはいたのだろうか。
貴族の家にいたとは名ばかりの環境だったレティーシャには思っていた普通が正しいのか、他の家を知らないがための思い込みなのか判断しかねた。ギリアンの邸が特別なのだろうか、と。
「とはいえ使っているのは要所にのみ。魔力も大事なときに使えなければ仕える者としての恥、消費はそれほどしないようにしております」
考え込むレティーシャに、彼らは付け加えて言った。広い庭の定期的な整備やこまめな掃除など、ちなみに料理は運ぶときは別として調理の際は魔法は使っていないそうだ。
それは要所のみと言えるのか。
主の影響か、上品な雰囲気の二人は見るからに完璧な使用人そのもの。使用人と言うより、黒と白の執事とメイドの服装を変えると貴族だと見えそうだ。こちらに気を許していない種類のそれではなく、ここが駄目だといえる隙が無い。
(……私が役に立てる仕事は、あるのかしら)
自信がなかったが一応聞いてみると、二人は言った。
「それなのですが、私達はレティーシャ様にはゆっくりと過ごして頂きたく思います。邸には図書室や温室もあり、レティーシャ様が心地よくお過ごしになれますよう私達は力を尽くしたいと思います」
「いえ、出来れば何か少しでもお返し出来るようにしたいのですが……もしもお仕事の邪魔になるようでしたら大人しく過ごしているので、どうかいつものようになさってください。私には、お構い無く」
「邪魔などと、そんなことはあり得ません。むしろ反た――」
「ノア」
女性――ベスが男性を制した。男性――ノアは瞬きをして、「すみませんベス。思わず」と謝り、再びレティーシャににっこりと微笑みかけた。
「失礼致しました。話の続きに戻りますと、邪魔というレティーシャ様の懸念は全くの杞憂のこと。私達は主不在の折もギリアン様に仕える者として、保護なされるとお決めになった方に何の問題もなくお過ごし頂きたきたいのでございます」
話の末に、使用人がするべきことだからどうかゆったり過ごしてほしいと押しきられ、一日目は邸内の案内を受けた。言った側から、いつも通りではないのでは……?
ギリアンが仕事で日中は不在の二日目。一日目の夕刻に、魔力制御の試みが改めて始まったが、ギリアンがいない間はしないようにと言われているので、変わらず日中にすることはない。
借りている部屋でじっとしていようと窓の外を見ていると、ノックがされていたのはベス。
「お茶をお持ち致しました」
「え……あの、ありがとうございます。でも、お気遣いなく」
「気遣いではありません。当然のことです。それよりも今日はずっとここにいらっしゃったのですか?」
「はい」
窓の外は見慣れない景色だから、森や鳥が飛んだりする空の雲が動く様を見ているのは飽きない。こんな時間の使い方をするのは、贅沢なようにも思えた。
「それならば、外でお茶に致しましょう。陽に焼けてはいけませんから、四阿で。部屋の中で何もしないことはもったいないことです」
三日目からは図書室を借りることにした。
個人が所有するものにしては大きい印象を受ける図書室には、魔法や魔法道具に関する難しそうな本が多く、あとは歴史書などいずれも教養的な本が占めていた。どうやらギリアンは作られた物語類は読まないらしい。
レティーシャも家では読み書きをはじめとした教養の本を与えられていたが、物語類の本はあまり手にすることはなかった。妹がこっそりと持ってきたものを共有していたくらいか。
並ぶ背の高い本棚を見て歩いた途中で、慎重に本を一冊引き抜いた。難しい魔法書を読んでも上手く理解できないので、この国の歴史が記されているらしい歴史書だった。
図書室の一角に設けられた本を読める場所の椅子に座って本を捲っていると、肩から何かかけられて温かくなった。視線を上げると、淡い色合いのショールが肩から下を覆っている。
「ここは少し寒いです。お使いください」
ベス、と呟くように――ベス、ノアと呼ぶようにとこれも押しきられていた――言うと、現れたことに全く気がつかなかった女性はやはりにこやかな顔で立っていた。
これだけでは終わらない。四日目も五日目も欠かさず「お茶の時間に致しましょう」とお茶と見た目から美しいお菓子をトレイの上にいつの間にか現れた。
お茶もお菓子も絶品で思わず笑顔になってしまう一品で間違いないのだが――これはレティーシャがいるだけで、仕事の邪魔をしているのではないか。
しかしベスは仕事は余裕を持ってしているので大丈夫だと言い……
「私達はレティーシャ様に健やかに過ごして頂き、ずっとこの邸にいたくなるようなおもてなしを致したいのでございます」
言葉の端に見えた気合いの入りようは、何なのか。完璧な使用人ゆえの全ての邸の滞在人に対する目標だとしたら、歓迎と言っても良い対応の良さに気が引けるけれど、通常と捉えるべきなのか迷う。
公爵邸の普通は、どうもレティーシャにとっては異次元だ。
そして一週間。
もはやベスやノアの対応をありがたく受け入れてしまうことにしたレティーシャは夕暮れ時、そろそろかなと思って図書室から出た。覚えた道順で廊下を歩いていく。
そろそろとはギリアンの帰りだ。
王都から遥か遠くの地に住むギリアンは、毎日城へ行くのに魔法を使っている。扉から出ていくのではなく、一度部屋に戻ってから出かけているようだ。
「ギリアン様、お帰りなさいませ」
「ただいま、レティー」
夕暮れの橙に染まる景色が見える廊下の先に、ギリアンと会った。仕事から帰って来ても彼の笑顔は変わらず穏やかだ。
一度書斎に引っ込み、しばらくして出てきたギリアンに手招きされ、約一週間魔力制御の試みをしている部屋入る。ギリアンは、これまで魔力を制御することも魔法について教師について正式に学ぶことのなかったレティーシャに一から魔力や魔法について教えてくれた。どのように魔力の扱いを身につけていくのか、魔力を魔法にするのか等。
今日も、ギリアンが魔法で浮かせた本が床に落ちることはなかったし、魔法石に魔力が込めることはできなかった。ギリアンはゆっくり落ち着いてやっていけば、出来る日は必ず来るからと言ってくれる。
けれど出来なければ家族は、伯父はレティーシャを認めてくれるだろうか。青の森で聞いたことの真実はどうなのだろう。調べてくれると言ったギリアンの言葉は疑っていない。信じられる人であることは間違いなく、こんなにも良くしてくれていて。真実を知ることを思うと怖くあり、また今まで信じていたことと異なるのであれば受け入れなければならないとも思う。
レティーシャはこれからどうするのか、あまり分かっていなかった。魔力がなく貴族の家に隠れているとはいえ、伯父の言う通り家にいるべきではないと出ていこうとしていた。でも魔力があった。
「レティー、具合でも悪いのか?」
向かいから声が聞こえ、はっとすると視界に手にしたナイフとフォーク、皿に盛り付けられた肉料理が鮮明に映った。
視線と共に僅かに顔も下に傾けていたことを知り、慌てて顔を上げると、向こう側にいるギリアンが心配そうな表情をしていたのでまた慌てる。
「いいえ。すみません、少し、ぼんやりしてしまっていました」
今は、夕食の時間だった。
微笑むと、ギリアンは「それならいいが……」と納得してくれた様子にほっとする。ああ本当に、ぼんやりしていた。
せっかく食事が美味しいのに。ベスが担当している食事は今日もとても美味しいものだった。
それにしても、今日はギリアンの口数が少し少ない気がする。そのわりにレティーシャはよく目が合うけれど、さっきぼんやりしていたときに心配そうにしていたから未だ気にさせてしまっているのだろうか。
他にはこれといって目立つ点もなく、食後のお茶になった。お茶を飲んでいると、ギリアンがカップを静かに受け皿に戻してレティーシャを真っ直ぐに見た。
「レティー」
「はい」
どこか改まった雰囲気に思えて、レティーシャもカップを置く。ギリアンはしばらくはカップに手をつけなさそうに手を組み合わせ体の前にしている。
(何か、改まった話かしら)
とっさの予想は頭に薄く過れども、耳も目も全ての意識がギリアンを待ち、彼の口が開かれたことに無意識に心臓が打つ。
「君の家の――」
突如、壁にかかった鏡から炎が吹き出し壁紙を真っ赤に染めた。レティーシャの見ている世界も一瞬薄く赤く染められ、カップを持っていたら危なかったかもしれない。
一気に視線も意識もそちらに奪われている内に、レティーシャやギリアンから見ると横手にある鏡から出た炎はある形を取る。体、翼、くちばし。
(鳥……?)
火でできた鳥。それにしては生きている、と思えるほど生き物らしかった。
何の鳥なのか、赤い火が揺れ動く鳥は長いくちばしをぱかりと開けた。
『ギリアン、直ちに城に参れ。――お前が匿う者も連れてな』
確かに鳥から発されたのは男性の声。何事かを言い残した鳥は、くちばしを閉じるやいなや音を立てて燃え尽きたように宙に消えた。
炎の色と心なしか温度も消え、ほぼ瞬きせずに見聞きしていたレティーシャは状況が分からずに、ようやく向かいに目を戻す。
「ギリアン様、今のは」
ギリアンも同じ方に向けていた目をレティーシャに定める。表情は真顔。
「陛下の呼び出しだ。……入れ違いに城に戻ったのか」
「陛下?」
陛下とは、王。
魔法に詳しくないレティーシャでも、人並みにさっきの鳥は何らかの魔法であることくらいは分かったが……王の使者であったようだ。
鳥の姿で放たれた言葉が思い出される。
(城に参れ……匿っている、とか……?)
火の鳥の出現自体に驚いていたので、声は聞いていても言葉はそれほど頭に残っていなかった。
「匿っている、とは」
ギリアンが。聞き覚えのない言葉でも、無意識に身に覚えがある気がした。
「どうやら青の森で俺がレティーを連れて帰ったところを見ていたらしいな」
「私を」
椅子の背もたれにもたれたギリアンは頷く。
「あの場に陛下はいなかったが、離れた場所にいても他の場所を見られる陛下の魔法の目は戦場にいくつもばらまかれている。俺がレティーを連れ帰るところを目撃されていてもおかしくはない。……場所が場所だったから、勘違いをされている可能性がある」
「……青の国の領土だったから、ですね」
レティーシャがギリアンと出会ったのは青の国の森だ。
王が『魔法の目』とやらでその場にいなくても離れたところの地を見られる魔法を使っていて、その光景を見ればどう思うだろう。
青の国の土地にいた者を連れ帰った。
匿っているという言葉と、繋がった。
「ギリアン様に、とても、誤解が生じているのでは……?」
「大した誤解でもない。説明すればすぐに解けることだ。……それにしても先に俺だけを呼んでくれればいいのに」
とんでもない罪を見られているのではと思ったレティーシャに反して、ギリアンが気にしているのはその点ではなかった。
「帰って来たばかりなのだが、こうなると直ぐに行かなければならないな。レティー、君にも来てもらわなければならない」
「お城に、でしょうか?」
「そうだ。陛下に見られていたことを考え、先に説明しておかなかった俺の落ち度だ。すまない」
「いいえ! 私のことで、ギリアン様にあらぬ誤解をかけられているのですからとんでもありません」
レティーシャは原因は自分なのだからと首を振った。
「いや、本当に……」
ギリアンは思案するように目を閉じ、黙りこんだ。大丈夫だろうか。
「レティー」
「はい」
「これから陛下に会って説明するに辺り、君の事情を話さなければならなくなる」
「はい」
「もちろん君が誤解を受け、害を被ることのないようにすることを約束する」
言葉が終わるとほぼ同じタイミングで、部屋を辞していたベスが入ってきた。
「お呼びでしょうか」
「今から城に行く。レティーに支度を」
「承知致しました」