告白
ギリアンとレティーシャとの婚約は密かに結ばれた。王にはギリアンから報告したという。信じられない話が出てきていたことがあったので、大丈夫だろうかと漠然と不安になっていたレティーシャに対し、彼は「俺の婚約者だと嘘でなければということだったから、もう嘘ではない」と言った。
「お姉さま、とても素敵」
特別なドレスを身に纏い、髪を飾り、首飾りをつけ、全ての身支度を終えたレティーシャを目にしたシャルロットは瞳を輝かせて称賛の声をあげた。
レティーシャは妹の感嘆に「ありがとう、シャルロット」と少し頬を染めてお礼を言った。
細かい箇所を調整している侍女により鏡の方に向き直ると、自らの姿が映る。こうして着飾った姿を目にすると、そわそわと落ち着かなさが体と心に満ちてくる。
本日、緊張のときが迫っていた。生まれてはじめてのパーティーに行くことになっているのだ。
「私、大丈夫かしら……」
「大丈夫って何が? ――ギリアンさまはお姉さまに似合うものがお分かりなのね。本当に似合っているわ、お姉さま」
不安を感じざるを得ないレティーシャに首を傾げ、シャルロットは再びの感嘆の言葉を洩らした。
侍女が離れた代わりに、シャルロットが近づきレティーシャを少し見上げる。
「お姉さまとこうして同じ家で準備して、こうして語らうのも最初で最後なのね……」
「シャルロット、気が早いわ」
婚約したばかりなのだから。
装いに似合わない寂しそうな目をする妹に、レティーシャは笑いかける。
「でも遠い話でもないもの……誤解しないでお姉さま。わたし、嬉しいの」
知っている。ギリアンとの婚約、いずれの結婚の旨を伝えたとき、妹は大きな瞳をさらに大きく見開いて驚いていたものの、次の瞬間には自分のことのように喜んで満開の花が咲いたような笑顔で祝福の言葉をくれた。
今も、目の前の彼女は寂しそうな色を残しながらも微笑んだ。
「ギリアンさまは良い方ね、お姉さま」
「ええ」
「婚約は聞いて、急で驚いたけれど嬉しい。わたしは少し会っただけなのに、きっとお姉さまのことを幸せにしてくれる方だと感じる方だもの」
地位を抜きにしても、ギリアンの人柄は誠実で好感を持つには時間はいらない。レティーシャの問題がとりあえずは収束した後も、婚約によりギリアンと家族との付き合いは続いた。その接しようは変わらず身分の壁による気の引けるものを感じさせず、好感を抱かないはずはないのだ。
「本当に、お姉さまと出会ってくれたのがあんな方で嬉しい」
妹は言葉の通り、嬉しそうな声とともに笑ったので、レティーシャももっと微笑んだ。嬉しかった。
そこでレティーシャは、両親にも妹にも結局言っていないことをふと思い出して、妹にだけ話そうと思った。秘密ではないけれど、レティーシャとギリアンの大きな声では言えない密かな出会い。
「そういえばね、シャルロット」
レティーシャは二年前に、妹の振りをして城にいった際にギリアンと出会っていたことを語った。
するとにこにこ自分のことのように嬉しそうに微笑んでいた妹がみるみる内に表情を曇らせたから、軽い気持ちで話していたレティーシャは瞠目する。
「シャルロット?」
何か、いけないことを言っただろうか。とたんに心配になる。
「……わたし、お姉さまに謝らなければならないことがあるの」
「私に、謝らなければならないこと?」
俯いてしまった妹が頷いたことが、頭の動きで微かに分かる。
さっきまでの和やかで柔らかな空気は、空気をより明るくする微笑みを浮かべていたシャルロットの様子が急変すると共に変化していた。
謝らなければならないことがあると、唐突な話に心当たりはない。だから、それよりも暗く沈んだ声を出す妹が心配になって覗き込むと、彼女が唇をぎゅっと引き結んでいたから驚く。
「シャルロット……?」
肩に手を添えて「どうしたの?」と問いかけると、妹は曇ったままの顔を上げて、決心したように息を吸った。「お姉さま」と小さく呼びかけられる。
妹は、俯かないように懸命に顔を上げているように見えた。
「二年前、代わりにお姉さまにお城に行ってもらうことを最初に言い出したのは、わたしなの」
「……え……?」
「わたしが、言い出したの」
二年前、一定以上の貴族の令嬢が全員城に行かなければならなかったとき、酷い熱を出した妹はそれどころではなかった。妹が苦しそうに寝込んでいたことを覚えている。その一大事に駆けつけたのは伯父もだったようで、一旦離れに移動していたレティーシャは凄い形相で引っ張り出された。曰く、身代わりとなり城に行けと。
「けれど、確か、伯父様が……」
「あの伯父さまは、きっかけでもない限りお姉さまを身代わりにとは言い出さないわ……だって、万が一明らかになってしまえば大変なことだもの……」
言われてみると、その通りだ。
あの伯父が、そのような形であってもレティーシャを「頼り」にするはずはない。それに、レティーシャを身代わりにすることはとても危険なことだったはずだ。単に事情があって他人のそら似を身代わりにしたと誤魔化せたとしても、魔力の無い娘、魔法が使えない娘が貴族の家にいると知られてしまう場合は十分に考えられるのだから。
「きっと伯父さまは陛下のご機嫌を損ねてしまうかもしれないということで頭がいっぱいで、通常の様子ではなかったのよ」
頭に過るのは、国の頂点の機嫌を損ねる事態。伯父にとっては最悪の事態だったのだろう。
二年前、伯父がわざわざ離れに来てまた何を言われるかと思いきや、予想外のことを命じられたときのことはあまり覚えていない。けれど記憶にある限りでは……伯父はかなり鬼気迫る様子で、レティーシャの肩を掴んで命じる様子はいつもとは異なる意味で恐ろしいものだっただろうか。
血迷っていたのかもしれない。
「そうだったのね……。驚いて緊張もしたけれど、結局気がつかれることはなかったからいいのよ。シャルロットもとても苦しそうだったから、私もシャルロットをあの状態で行かせたくなかったわ」
伯父に命じられ、両親が止めようとしていた。しかし、当時、戸惑い先に起ころうとしていることを理解しかねながらも、レティーシャは覚悟を決めたのだ。
部屋で寝込む妹。あのまま行かせては、大事に至る可能性もあったほど酷い体調だった。レティーシャが役に立つと言うのなら。
そのときは自分を絶対に外に出すことを避けるはずの伯父が命じたことで、保証があるのかもしれないと、妙な信頼めいたものが生まれていた。城に実際に行った際のことを思い返すに、おそらく自分を勇気つけるためのものだったのだろうが。
「違うの、わたしが言い出したって言ったでしょう? それは、わたしがあのとき苦しかったこともあるけれど、――わたし、ずっとおかしいって思っていたの」
妹は首を振り、レティーシャの納得を否定する。まだ言わなければならないことがあるのだと、レティーシャより水色の強い瞳が訴える。
「このままでいいのかしらって思っていたわ」
「何を……?」
「お姉さまの置かれていた状況よ」
最近まで置かれていた状況だと彼女は言う。
「わたし、小さな頃はなぜお姉さまは外に出てはいけないのか分からなかったから、単純におかしいと思っていたの」
不必要に、気楽に外に出てはいけなかった。幼い頃、シャルロットが出かけるときに「どうしておねえさまは行けないの?」と言っていたことが何度かあった。
他にも魔法を学びはじめた頃にも「おねえさまは?」と尋ねていた。
レティーシャとシャルロットには、あらゆる違いがあった。今思い出しても仕方なかったと思う違いに、幼子は気がついたのだ。
しかし自分に当たり前にすること、あるものが姉にはないとは理解が及ばなかったのだろう。
「成長するにつれて世の中の仕組みが分かってきて、今度はお姉さまはこのまま隠され続けて、幸せになるのかしらって考え始めたわ」
「私が……?」
「世の中の形は理解出来て、お姉さまが簡単に外に出られない理由も分かった。でも、分かると、このままお姉さまは家族以外には会わなくて、もしかするとこれからずっと窮屈になっていくかもしれないって考えはじめたわ。……もしかすると、家から出た方が幸せじゃないの? って考えたこともあった」
魔力が無いと思われていながら、レティーシャのことを「お姉さま」と呼んでくれていた妹。微笑み、こちらまで明るくさせてくれる妹が、こんなことを考えていたとは思わなかった。
今や妹は泣きそうで、でも泣かないようにしていることが見てとれた。華奢な彼女がもっと小さく見えて、手を伸ばす。
握りしめられている手に触れて包むと、シャルロットがレティーシャの手を握った。
「そう考えても、わたしは言えなかった。わたし、お姉さまと会えなくなることが嫌だと思って、お姉さまが何も言わずに笑ってくれるから今だって不幸せだとは限らないって言い聞かせたの」
「不幸せじゃなかったわ。今はもっと幸せだけれど、それまでだって不幸せではなかった」
本心だった。レティーシャだって、伯父からの言葉で世の中のことを知りながら、家に相応しくないと自覚していながら出て行けなかった。
「シャルロット、あなたが私をお城に代わりに行ってもらうことを言った理由を教えて?」
全部、言ってほしかった。すがるように手を握る妹を楽にしてあげたかった。
レティーシャは何を聞いても、大丈夫だから。
自分より少し小さな手を包み込んで、瞳を見て微笑んで促すと、小さな子どもに戻ったような妹は最後の覚悟を決めた。
「誰か、見つけてくれるのではないかと思って。誰かに、お姉さまを見つけてほしくて――」
この上なく重い罪を告白するがごとき声だった。
熱に浮かされていた彼女の頭に過っていたのは、姉のことだった。疑問を抱き続け、封じ込めていた考えは溢れ出てきた。――なぜ、どうして。姉は隠れたままではいけない。けれど、側にいてほしくて。じゃあ、誰か、いっそ誰か見つけて、姉を外に連れ出してしまってほしい――
平素であれば、決して出なかった思いだろう。
そして、その案を拾い上げる者がいなければ何も起こらなかっただろう。だがそのとき、駆けつけシャルロットの様子を見て喚き、狂いかけていた伯父が飛びついた。
シャルロットの意識が朦朧としている内に事は進められ、熱の峠を越え意識がはっきりとして目覚めたときに全てを知った。
「……でも、熱が下がると血の気が引いたわ。わたしがしたことは、お姉さまにさせていることはもし誰かに別人だと気がつかれるか、お姉さまに魔力がないと分かってしまったら、お姉さまは家からいなくなってしまうことだと気がついたの。早く、お姉さまに家に帰ってもらわなければならないって」
まだ万全ではないと後から聞いた妹は、家からの使いの者に紛れて来るや、鬼気迫ると言ってもいいほど慌てた様子で身代わりをしていたレティーシャに早く帰るようにと言った。
「ごめんなさい、お姉さま。わたしのせいで危険なことをさせて、緊張なんていうものじゃなかったでしょうに……!」
まるで昨日あったことのように、シャルロットは謝った。ごめんなさいと、もう過ぎて何も大変なことは起きずに済んだことにも関わらず、堰が切れたみたいに謝り続ける。
「シャルロット、いいの。謝らないで。私は大丈夫だったでしょう?」
レティーシャは妹を柔らかく抱き締めた。
ギリアンには気がつかれていたようだったけれど、何事もなかった事実を思い出させるために言う。
「シャルロットが体調が悪いまま行かなくて良かったし、何事もなかったわ。そうでしょう?」
「だけど……っ」
「シャルロット、せっかく可愛い格好をしているのにそんな顔をしないで」
いつにも増して可愛いらしい妹に、泣きそうな顔が似合うはずもなかった。
「私、シャルロットの笑った顔が大好きなの。あなたの笑顔を見ると嬉しくなるから、いつも元気付けられていたことを知ってる?」
「……知らない……」
伯父に何か言われた後だって、ふと自分の状況に自問自答したときだって、自然と笑顔になれた。
「ありがとう、シャルロット」
「……どうして、お礼なんて言うの……?」
「私のことを考えていてくれて、悩んでくれてありがとう」
知らなかった。聞いて、胸が苦しくなると同時に感謝も生まれてきた。
ありがとうともう一度言って妹を見て、レティーシャは微笑む。
「だって、お姉さまだもの」
「それが私にはとても嬉しいの」
以前のレティーシャのことを考えて世間から見ると、おそらく当たり前のことではなかった。
「だからもう責めないで。私はシャルロットの姉で、シャルロットが妹で良かった」
レティーシャは、自分がいかに幸せ者だったのか知った。鋭い言葉を向けられ、悩んだことは数知れない。
もしかすると生まれていたときに平民となっていれば平穏な日々が最初からあったのかもしれない。けれど、今ある現実は一つで、この現実はとても幸せなものだ。過去を振り返ってもこの家族の元にいられて良かったと思う。
言うと、妹がとうとう涙を溢しそうになったからレティーシャは慌てた。
結局のところ、シャルロットは少し泣いてしまって急いで侍女を呼んだ。
「お姉さまとこれから外にも出て、色んなことを一緒にできると思っていたから、少しだけ寂しいと思ってしまうの」
「それはこれからでも出来るわ」
「本当?」
「あまり人の多いところは、行けないけれど……」
「いいの、外に一緒に出かけられるだけで嬉しいから。――でもお姉さま、これからその人の多いところだけれど、大丈夫?」
「え、あ、そうだわ」
すっかり忘れていた。自らを見下ろすと、現実に引き戻されたようになる。そうだった。
「ドレス、皺になっていない……?」
シャルロットが気がかりそうにレティーシャのドレスを見つめる。
「大丈夫よ。それより、シャルロットは――」
ノックの音がして、顔を出したのは父であった。
「おや、我が家のお姫様は二人とも可愛いね」
「お父様」
「お父さま、もしかして」
父は頷く。
「レティー、いらっしゃったよ」
ギリアンが迎えに来てくれたことを示す言葉だった。
「シャルロット、私、大丈夫かしら」
「それ、二度目よお姉さま」
でも、と妹は「きっと大丈夫」とさっきとは反対に不安が戻ったレティーシャの手を包む。
「お姉さま、お城で会いましょう」
周りまでも微笑ませる、可憐な笑顔で妹は言った。
シャルロットが部屋を出た後、待たせることは出来ないが侍女が最後の確認をしてちょっとだけ髪を直して、部屋を出た。
慣れた家なのに、いつもと異なる格好で歩いていることが少し不思議で、自然と背筋が伸びる。
そして、迎えに来てくれたギリアンの姿を見つけて、足取りが鈍った。いつにも増して優美な人がそこにはおり、レティーシャの家の一角を彼の空間に変えてしまっているように見えた。
「レティー、とても綺麗だ」
柔らかく目を細めたギリアンは、レティーシャに手をとり、軽く唇を触れさせる。
「ありがとうございます」
頬を色づかせるレティーシャがお礼を言うと、彼は微笑み「行こうか」と外へ行く方へレティーシャを導く。
さあ、今からだ。
家の扉が開かれると、外は夜へ染まっていく世界。
「そういえば、先ほど君の妹が挨拶に来てくれたのだが」
「はい」
「君を見つけてくれたのが俺で良かったと言われた」
それを聞いたレティーシャは、微笑んだ。




