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まるで幻




 青の国に行っているはずであったギリアンは、話すべきことを話すと一度青の国に戻った。

 王の命で城に滞在していたレティーシャは、その日中にギリアンが話を通してくれたことで城を辞すことを許された。次に彼が連れて来てくれたのは久しぶりの家だった。


「レティー」


 玄関の扉を開けて、すぐ。何もかも準備の良いギリアンが知らせていたのか、家族がその場で待っていた。


「お姉さま……無事で良かった……!」


 ぶつかるように抱きついてきたのは妹で、また栗色の髪が少し乱れてしまっている。押しつけられる顔が上に向くと、子どものようにくしゃくしゃの泣き顔になっていて、目尻から涙が零れ落ちる。


「ごめんなさいお姉さま。わたしが、もっとしっかりしていれば。伯父さまの手の者だと見抜けていれば、お姉さまが危ない目に会うことはなかったのに……!」


 ああそうか。一番責任を感じているのは、きっとこの妹だったのだ。逃がすはずだったレティーシャ。予定したようにいかなかったと知ったのはいつだったのか。それほど日が経たずにギリアンが連絡をとったとしても、その前に知っていたとすればどれだけ彼女は自分を責めただろう。


「違うわ、シャルロット。あなたが謝る必要なんてないでしょう? シャルロットは私を伯父様から逃がそうとしてくれたのに……ありがとう」


 それからごめんなさい。少しでも心が揺らいでしまって、ごめんなさい。

 妹の背を撫でながら両親を見ると、父も母もほっとした表情で涙を浮かべ、父は大きく腕を広げて妹ごとレティーシャを抱き締めた。


「守ることが出来なくてすまなかったね、レティーシャ。無事で良かった……お帰り」


 レティーシャは「いいえ」と「ありがとうございますお父様」と言う。これまで両親が自分を隠しながらだとしても、家族として共にいられるように育ててきてくれたことに対してへも含めた、お礼だった。

 そうして会えた家族に抱き締められて、ふと後ろを振り向いた。ギリアンにお礼を言わなければ、それに時間はあるだろうか――


「……ギリアン様…………?」


 後ろにいたはずのギリアンはいなくなっていた。周囲を見渡しても、誰の姿もない。


「もうお行きになってしまわれたのか。お礼を言い損ねてしまった」


 父も気がついたようで呟くように言う傍ら、レティーシャは改めてお礼も言い損ねて、もっと言えなかったことがあったのに酷く呆気ない別れで、言葉を失った。

 これからも言えなかったことが言える日は来ないのだろう。レティーシャは生家に帰り、変わったこともあるけれどあるべき日常に回帰した。あるべき日常が意味する部分には、本来あるべきだった距離が生まれることも含まれているのだ。



 *






 それから、半月。


 存在が公になっていなかったレティーシャが公的にも存在する目処が立っていた。ギリアンが前から進めてくれていたようだ。彼の協力があるからこそ誰にも気がつかれないように事実は挟み込まれ、今まで家には娘一人だったではないかと誰かに聞かれたならば、長く病で臥せっていたのだとありもしなかったが信じられる偽りが付け加わった。


「今日、その関係で使者が来る。ウィントラス公爵閣下が手回ししてくださっているから、何も心配はない。最終的な確認だよ」


 魔法石へ魔力を込めることはまだ満足に出来そうにないが、そうやって証明する必要を無くしてくれたのはギリアンであったようだ。

 魔法を無効にする魔法と、それしか使えない性質を注記することで全ての手間を省けるようにされたのだと、父が教えてくれた。


 「分かりました」と頷いたレティーシャは、ウィントラス公爵と名前を聞いて、「ギリアン様」と彼を呼んだ日々を思い出した。

 とても懐かしく感じ、懐かしく感じるのはそれらの日々を遠く感じているからだと思い、一抹の寂しさが心に過る。

 これからレティーシャは改めて侯爵家の一員として生きていく。隠れず、家から出ていかなくても堂々と生きていけることは喜ぶべきことだろう。

 間違っても『一の公爵』と呼ばれる彼とあれほどに近くいることはなくなり、元から交わることが稀な確率である決定的な差が当たり前に存在していた。

 青の森で炎の中出会い、彼の邸に行き過ごした月日と城で過ごした時間は、今では現実味のない幻のようだった。

 ただ、懐かしさと共に表に出てくる胸の苦しさが、現実に感じるものとして残っていた。あの日々で、生まれたもの。


 胸元では首飾りが揺れた。


 ――あなたのことが好きになっていたのだと言って、あなたは信じてくれるでしょうか。決して長かったとは言えない日々の中で、近くにいたあなたにいつの間にか惹かれていました


 会えなくなったこの距離では、どんな想いも無意味になる。



「お姉さま」

「――なに? シャルロット」


 鈴の音のような可愛らしい声に呼ばれてゆっくりと顔を上げると、部屋で共にお茶をしながら刺繍に興じる妹が向かいにいる。

 昼下がりの今、のんびりと刺繍などをしているが、毎日魔法と魔力の制御の試みも続けている。

 簡単なものはもちろん、魔法を学び習得している妹は、レティーシャの魔法制御に付き合ってくれ、また魔力を魔法石に込める試みは共にしていた。妹の方が先に込められるようになるだろう。


「次の社交界の時期には間に合いそうね」

「……社交界……?」

「そうよ。お姉さまと行ける日が来て、嬉しい」


 弾んだ声音をした妹は可憐な花を思わせる微笑みを浮かべた。

 レティーシャもつられて微笑みそうになるが、妹の言ったことに戸惑ってもいた。そんなことに、なるのか。

 社交界。

 確かに年齢的には、ちょうどと言ったところ。しかし一生縁がないと思っており、家に帰ってきてからも穏やかな時間に、もう変化することもないだろうと落ち着いていた。変わったこととして、家の一員として魔力と魔法の制御を一刻も早く身につけなければと、それは頭にあったけれど……。

 自分がそのような場にいることが上手く想像できなくて、レティーシャは眉を寄せる。


「……私は、いいわ」

「えっ」


 ぽつんと言うと、妹は大層驚いた声と表情をした。


「どうして?」

「どうしてって……私は行っても、どこにいればいいのか分からなくなるだけだと思うから」


 その想像は簡単にできたから、そうに違いない。納得がいって手元の刺繍に戻ると、向かいで妹は納得できない声をあげていた。


「レティー、いるかい」

「お父さま!」

「おや、どうしたんだい?」


 入ってきた父がシャルロットにびっくりした様子で、目を丸くした。


「お姉さまが、社交界に出ないって言うの」

「それは……」


 父に目を向けられて、レティーシャは曖昧な微笑みを向けた。それだけで思うところを図ったのか、父は少し表情を曇らせた。

 以前からレティーシャを隠している境遇に時折そんな表情を見せることがあった父だ。その境遇が働いていると思ったのだろう。


「無理にとは言わないが……レティー、まだ時間はあるからじっくり考えておいてはくれないか」

「はい。――それよりお父様、私に何かご用でしょうか?」


 名前を呼んで、入ってきたような。


「ああそうだ。レティー、少し来てくれるかい」

「……? はい、分かりました」


 何だろう、と思いつつもやりかけの刺繍を置いて父について部屋を出た。

 父がどこにとは言わないので、レティーシャも書斎かなくらいに考えて特には聞く必要性も感じず、後ろをついていっていた。しかし歩いていくにつれて行く先を悟った。こちらにあるのは応接間だ。


「お父様、お客様が……?」

「そうだよ」


 使者が来ると言っていたから、レティーシャ本人に確認される事項でもあったのだろうか。だから探していたのか。

 窓の外は、よく晴れていた。屋内から青空がちらと見え、その青さに思わず見上げた。


「レティー」

「――はい」


 無意識について行き、その間中窓の外を見てきたら、目的の部屋に着いていた。よくもぶつからなかったものだ、と前を見ると応接間の扉の前。

 父はなぜか、横に退く。


「中にお入り」

「お父様は」

「私は話をした後だ。あとはレティーに任せるよ」


 任せる?

 レティーシャのための密かな手続きに関することとしても、任せるとは何か。何か、決めることがあるのだろうか。それにしても父がいてくれた方が助かるのだが……。


「お礼を言えなかったと気にしていただろう」


 お礼と言われて、思い浮かぶ人がいた。はっとして父を凝視すると父は頷き、来た廊下を戻っていった。

 父親の後ろ姿がなくなるまで見送って、レティーシャは扉に向き直った。応接間に繋がる焦げ茶の扉。

 まさかこの向こうに、いるのだろうか。本当に。

 心臓が波打ち、落ち着かなくなった。この気持ちは期待なのだろうか、分からない。ただ、これから遠くから見る機会はあるとしても、もう会えるとは思っていなかったから緊張していることは明らかだった。


 手を胸元に当てて、深く静かに呼吸して、そうやってようやく扉に手を伸ばせる。微かな指先の震えを抑えるように扉を開くと――彼がいた。

 彼の邸と比べるとささやかな作りの室内でソファーに腰かけるギリアンの姿を目にして、扉を開いたまま勝手に体の動きは止まった。瞬きをしても目の前の光景が変わることはなくて、彼はいなくならないのに、どうしても現実とは信じられず半ば呆然として見ていた。

 立ち上がったギリアンが近づいてくるところもただ見ていて、


「レティー」


 優しい声が名前を呼んだ。


「元気そうで良かった」


 柔らかな微笑みが胸を温かくして、レティーシャはまだ夢見心地の中、唇をあける。


「ギリアン様……どうして、ここに……?」

「レティーの事が全て手続きも終わったことで、少し」


 ギリアンが今日来ると言っていた使者? 彼がすることではないだろうに。


「それと、君にこれを渡したままだったと思い出して」


 ギリアンの指が掬ったのは、レティーシャの胸元にある首飾りだった。彼が、伯父の件で用意してくれていた魔法道具だ。これを回収しに来たのかと思うと、少しの寂しさが戻ってくる。でもレティーシャはギリアンにまた会えただけで嬉しかった。


「今、外しますね」

「ああ、俺が外す。後ろではやり難いだろう?」


 そう言って、ギリアンが前から手を回して鎖を摘まむ。

 いつかのような距離。向き合って気配を強く感じる状況に、レティーシャは息を潜めた。息を潜めると自分の鼓動をもっと感じてしまうようで、とても緊張した。

 長くも思えた時間をかけて、ギリアンが離れると彼の手には首飾りがある。レティーシャの元からあれは離れていってしまった。ギリアンの指に絡む細い鎖を見つめていると、


「レティー」


 まだ近いままの距離で、声は耳により鮮明に入ってくる。「はい」と視線を上げて、合ったのは優しげな光を宿す黒紫の瞳。


「俺がこの首飾りを君につける前、君に何と言ったか覚えているだろうか?」


 その日がどんな日だったかは覚えている。

 伯父との件を話したときを除くと、ギリアンと最後にまともに向き合って話した日とも言える日。ずっと心に刺が刺さっている要因の日だ。

 あの日、ギリアンが言ったことは――。


「俺がここに来た一番の目的は、さっき言ったことではない」


 彼はもう切なそうに微笑まなかった。その代わり、囁くように、けれど芯の通った声でレティーシャに伝えた。


「幻のようにつかの間だった嘘を本当に出来ないかと、君に乞いに来た」










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