真実
見たこともないにこやかな顔で、受け入れられたことのない伯父に「養女に」と言われた。
未だ戸惑いが残り続けながらも問い、答えをもらったレティーシャは――警戒していた分、存外冷静に言葉を受け止められた。
と言うより「養女になりなさい」と言われたことは予想には入っていなかったため驚いたが、その言葉に持っている答えは一つしかなかった。
「いいえ、伯父様」
しっかりと否定を述べ、同時に首も横に振って意思を表す。
「私は伯父様の養女にはなれません」
「――どうしてそんなことを言うのだ、レティーシャ。私の姪」
「どうして」はレティーシャの言うことだ。姪とはたった今までには一度も言われたこともなく、思ってもいないだろうに。
伯父が断られるとは思っても見なかったとの表情をしているので、レティーシャこそ少し戸惑う。どうして養女になれると思うのだろう。
「私を青の森に連れて行かせ、殺せと命じたのは伯父様でしょう。それなのにどうして、私を養女にしようと仰るのですか?」
あの日、レティーシャを殺すように命じたのはおそらくこの伯父だ。
先日城で再会して、この人だと思った。
妹がレティーシャを邸から出す直前、どんな様子をしていたのか細かなものは今でも思い出せない。けれど彼女はいつもらしからぬ表情で、レティーシャを部屋から引っ張り出した。その辺りのことはやはり知りようがないので、分からないまま。
でも、両親も妹の態度もずっと嘘ではなかった。伯父から庇い、家にいてもいいのだと言ってくれていた言葉と態度は紛れもなく本物に違いなかった。
客観的な面から考えてみても、演技でレティーシャに優しくする利点などない。
反対に伯父には元々レティーシャを排除する理由があり、そうしてもおかしくはなかった態度だった。そして先日伯父がレティーシャを見た目は、城にいるとは思わなかったレティーシャがいたというよりは――この世にいるはずのない者がいたという目つきだった。
だからレティーシャは伯父と一度話をしようとは考えていた。真実を確かめるために。
「お父様やお母様、シャルロットのせいにしようとしたようですが、伯父様ですよね」
青の森へレティーシャを連れていった男性は妹が頼み、レティーシャを邸から連れ出させたと言っていた。両親にレティーシャのことを消すように言われたとも。
けれどそれは言葉だけ。確固たる証拠は無い。
だとすればレティーシャが信じるのは家族で、自分をあのように消そうとするほど邪魔に思っているのは、と考えると伯父だ。城で会って、ああこの人だと直感した。
そのため、今伯父がこうして「養女」にと言うなんて信じられなかった。邪魔で、自分を殺させようとしていた人だ。速やかに消えろとでも言われると思っていたら、こうだ。
意味が分からない。
真意を図りかねて、笑顔が張りつく伯父の答えをじっと待つと、やがて伯父は一言。
「そうだ」
笑顔は仮面。剥がれ落ちた。
これこそ伯父だ。レティーシャの身には強い緊張が戻り、手を握りしめる。
「お前を殺すようにと命じたのは、私だ」
自らの命令だと、呆気ないほどすぐに口にした伯父は理由を語る。
「それはそうだろう。お前は生まれたときから魔力が無いにも関わらず貴族である家に居続けた。我が家、我が血筋の汚点そのものだった。いつまで愚かな弟はそんな者を置き続けるつもりか。生まれたことにされなかったために成人を迎えようとも公的に強制的に平民にも下げられない。だが邸に置き、この先もずっと外に知られないなどということはあり得ない。私がどれほど気を張ってきたと思う? 魔力が無い者ごときに脅かされ、――もう十分だった」
呪いのようにずっとずっと聞かされていたことだから、別に耳に新しくはないこと。
それがいつか爆発するかもしれないと予感させていたのは、年々鋭さを増す視線。レティーシャが出ていかなければと思ったのは、伯父ゆえでもある。貴族の家に相応しくないと実感し、また、両親は伯父にずっと責められ続けていたから、迷惑をかけ続けていると思ったから。
「いてはいけない者を、貴族の家から追い出すことの何が悪い。私はあの日お前を追い出し、その後始末するつもりだった。だが私の愚かな弟は、私が読んでいた可能性の一つとして、また愚かな行いを重ねた。お前を逃がそうとしたのだ。私の手の者が邸の使用人の中に多数いるとは知らずに、帰る場所も無いと身の程を理解させるため、お前を殺すように命じた者とされているとも思わずに。
それでも計画外だったことは、あの日陛下が青の森を焼き尽くす予定だとは知らなかったことだ。炎に逃げ帰り、お前をそのまま置いてきたと報告があったが陛下の魔法が青の森全域を焼き尽くした以上焼き死んだだろうと判断した。計画外のこともあったが、結局は私の目的は達成された。骨も、何もかもなくなり、生まれなかったことにされたことであるはずのなかった存在はこの世から無くなり、つじつまが合った。我が血族の汚点もなくなり、私の長年の悩みも消え去った」
めでたいと言わんばかりの語り口だった。
一方でレティーシャはようやく真実を知った。親が自分を伯父から逃がすための、妹のあの行動だった。森で男性が言ったこととはまさに反対。家族は伯父に嵌められた。
レティーシャは言葉に揺れて、疑ってしまったことを恥じた。何ということだろう。
どうやらこの伯父は心底自分を忌み嫌っていたようだ。言い切って、自然に浮かべられた笑顔に悪寒が走る。
「……それは、驚かれたことでしょう。私と、ここで会って」
どうにか平静を装って言うと、伯父は大きく大きく頷く。
「驚いたとも。同時にヴァネッサ様にばれるやもしれんと焦らされた。どうにかして、消さなければならない。理由は知らないがお前が城にいるのでは一刻の猶予もない。……だが、レティーシャ」
例の声が戻ってきた。撫で付けたような、気持ち悪く鼓膜を擦ってくる声だ。
「お前には魔力があると言うではないか。聞いたぞ。魔法を無効にする魔法。陛下に気に入られたとか」
ここで全てが腑に落ちた。
一刻も早くレティーシャを消したがっているはずの伯父が、笑みを浮かべて養女になれと繋がりを持とうとする疑問。
レティーシャに魔力があり、魔法を無効にする魔法を持ち……おそらくその場で起きたことを耳に挟んだ。それゆえの手のひら返しの話。
「私の娘として、陛下の妃となる準備をしてやろう」
伯父が近づいてくる。
「いいえ伯父様。私の返事は変わりません。伯父様の養女にはなりません」
真実を聞き確信し、決めた。自分は、家に帰る。家に相応しい者になるため、魔力と魔法の制御を身につけていく。
近づいて来る伯父に後退りそうになる足をどうにかその場に留め、伯父を見据えて決して受けられるはずのない言葉をはね除けた――直後乾いた音がして、頬に熱が走った。
顔が衝撃で軽く正面から逸らされた。何が起きたのか。
「誰に向かって口答えをしている! お前が未熟な者には変わりはないのだ、それを教育してやろうとも言っている! 黙って私の養女になると頷けばいいのだ!」
叩かれた。聞き覚えのある声の調子に、頬の痛みを感じながらレティーシャは唇を引き結び、伯父を見た。
これまでレティーシャに対して接してきたやり方と心境が本当に変わるはずがないのだ。この人はレティーシャを見下し、疎み、繋がりのために繋がりを得ようとしている。今度はレティーシャは道具だとでも見えているに違いない。
――「何かあれば名前を呼んでくれ。俺に聞こえる」
負けてはならないと強く思う隙を縫い昔からの恐れを覚えた瞬間に、ギリアンの言葉を思い出した。こんなときに思い出したからか、今の状況を指している気がしてならなかった。
(ギリアン様、あなたを頼ってもいいのでしょうか)
俯き、握った首飾り――胸元の魔法石の奥が明るくなっていることに気がついた。気のせい、いや、気のせいではない。光が強く。
これは、一体。
魔法石から一際大きな光が発された刹那、体に響くほどに空気が震え、前方から大きな音が生じた。同時に圧迫感がなくなり、大きな音に反射的に目を閉じていたレティーシャが見たのは、壁に叩きつけられている伯父。派手な音のわりには無事そうで、壁からよろよろと離れ、膝をついた。
「い、今のは」
驚愕に満ちた呟きを溢し、伯父が同じく驚いているレティーシャを見上げる。
その目がレティーシャとは微妙に離れたところを見て見開かれた後に、レティーシャは部屋に現れていた人に気がついた。
「レティー、無事か?」
「ギリアン様……」
ギリアンがおり、見上げたレティーシャの様子を窺った。いつの間に。なぜ。レティーシャは呆然と、彼を見上げる。
「何をされた? この様子では魔法か暴力かどちらかだろう。ああ頬が赤くなっている」
彼が頬に当てた手から流れる魔法は、レティーシャの頬を優しく癒した。
「ギリアン様……どうして、分かったのですか……?」
「何かあれば名前を呼んでくれと言っただろう?」
言われて、けれど呼ぶ前に彼は出てきた。
「その魔法道具はレティーが俺を呼んだ場合は俺の名前が鍵となり声が届く仕組みにしていた」
魔法道具だと言われた首飾りを見下ろした。光は完全に失せて、沈黙している。
「声で緊急性は分かる。俺が聞けば、魔法石のある場所、レティーのいる場所へ魔法で来られる。魔法道具は同時は道標でもあり、魔法石には――万が一危害が加えられた場合加えられた力を倍として返す魔法を込めておいた。手荒にされず誘拐された場合は戻った後にレティーの姿が無ければすぐに魔法石の場所に行くことになっていただろう」
「誘拐……?」
「城にレティーと来ることになったのは偶然だったけれど、君が伯父と会ったと言ったときいずれその男がレティーのことを聞き、接触してくるとは考えていた。まさかレティーの魔法やその他の情報を止めずに流していたから手荒な真似はしないとは、思っていたのだが……魔法を用意していて正解だったな」
ギリアンの手が痛みのなくなった頬を優しく撫でる。
「何か言われたか?」
「養女にと……断りましたが」
「嗚呼――なるほど。俺に会った記憶はないにしても一先ずは、このように会うのは初めてだろうか、ダミアン・フレール」
ギリアンの視線が離れ、伯父に向けられる。伯父は立ち上がり、驚きに満ちた目でギリアンを見ていた。
「これは、一の公爵――いえ、ウィントラス公爵閣下。失礼ながら、なぜ、」
「その情報は止めていただろうか。俺は、レティーを保護している立場にある」
「レティーシャを、保護……?」
「彼女が何者かに襲われたそうなので。何者かと言っても、今目の前に仕向けた者はいるようだ」
伯父が息を飲んだ。
「言い逃れはさせない」
「何か、誤解があるようです」
「誤解だろうか? レティーを青の森に連れて行かせ、殺させようとしていたことが?」
「どこから、話を――」
「その様子ではここで話していた一部に入っていたようだが、残念ながら今日聞いた話ではない。可能性の高い予測として当に挙がっていた話であり、外で聞いている者もいる。そしてこの状況で、その話をするつもりはない」
レティーシャから離れたギリアンが、一歩伯父に近づく。
「お前のような者に、レティーを引き取る資格はない」
彼の顔は見えない。声だけが、聞こえていつもの声から感情を全て取り去ってしまったかのようだ。
「殺そうとしていたのに魔力があり王に妃にと望まれている情報を聞き、今までのことを一方的に無かったことにしようとしているとは陛下の言葉を借りるに、『笑わせる』」
王は本当に笑っていたが、ギリアンは欠片も笑った気配はなかった。また一歩伯父の目の前に迫ると、突如部屋の中に強い白い光が浮かび、各々の影を濃く表した。
「こ、公爵閣下……」
意味が分からない異様な光景で、中位侯爵である伯父が酷く怯えた声を出した。
一方のギリアンは手のひらを揺らし、何かを掴みとる仕草をした。すると次の瞬間には彼は妙な黒い塊を手にしていた。
(あれは、何……?)
「これはお前の影だ。ダミアン・フレール」
影、と言われて伯父と同じタイミングではっとする。光によって濃く、明確に表れていた影が……伯父にあるはずの影がない。不思議で、これもまた異様な光景。
ギリアンの手の中の小さな黒い塊が、影だと言うのか。魔法。けれど、何の魔法なのか。
「俺が今手に持っているこの影を特別な瓶に入れたとする。お前はどうなるか分かるだろうか?」
「――――」
「影は分身――俺の祖国では《魂刈り》と呼ばれる魔法で、本来はこの影に魔法をかければその持ち主にも魔法がかかるというとてもシンプルな魔法だ。しかし特別な入れ物に入れると、お前は手も足もない――言うならば精神のみの状態で入れ物の中にいることになる。魔法のみと異なる点はそこだ。体の方は空っぽになり、お前は自分の体が死にゆくまで飢餓や、もしも体が傷を受けた場合その痛みを抱え、瓶の中でその時を待つことになる」
これがその瓶だとギリアンが服の中から取り出した綺麗な石が多くついた小瓶に「ひっ」と伯父は引きつる。
「こ、公爵閣下、本気でしょうか」
「本気だ。ここで冗談を言う理由がない。――しかし考慮の余地があるとすれば、レティーに二度と手を出そうとしないことと近づかないことを誓うのであれば、これを使わないという選択肢が出てくるだろう」
どうする、と尋ねる形はとられていた。けれど自分より力ある者が振る瓶を目の前に、返答に複数の選択肢があろうはずなかった。
*
伯父は何度も頷き、ギリアンが差し出した紙に署名していた。署名は震え、読むには苦労しそうな代物だったが、ギリアンは一目確認すると紙をポケットの中に仕舞った。
レティーシャは伯父と言葉は交わさず、ギリアンの魔法で彼の部屋に移っていた。
「これはその辺りから借りたそれらしく見えそうな偽物だ。冷静でない者が見るなら、一見すると宝石が魔法石に見えないこともないだろう。本物は作るには多大な労力が要されるため、作ろうと思えば作れるが、実物は今俺の手元には無い」
伯父に見せた瓶は、机の隅に置かれた。美しい瓶はどうもただの瓶らしい。
「座って」
瓶の置かれたテーブルを挟んで、レティーシャは椅子に座る。それにしてもギリアンと向き合うのはとても久しぶりのように思えた。
「ギリアン様、来てくださってありがとうございます」
「いいや。本来ならば未然に防ぐことが理想だった。怖い目に合わせた」
レティーシャの伯父のことなのに、彼は謝る。レティーシャの代わりに伯父に対してくれたのに。
「謝らなければいけないことがもう一つある。家族の様子をすぐに教えずに、すまなかった。実はレティーの家族とは、君を保護した翌日には様子を見て、その翌日には連絡を取っていた」
「そうだったのですか」
伯父がレティーシャを殺そうとしていた犯人だとすでに知っていたことと、関係あるのだろうか。
「真実は、聞いただろうか」
「はい。伯父から」
「そうか。……君の両親は図られたようだと嘆いていた」
伯父の手の者だった男性により、レティーシャを殺そうと命じたことにされていた両親。
「……私は、言葉だけを聞いて、信じられないと思いながらももしかしてと思ってしまっていました……」
「無理もない。そう思わせようとされていた」
ギリアンはレティーシャの家族と話し、得ていた情報を話してくれた。
「君の伯父は君を家から追い出すと言って突然訪ねて来たらしく、レティーを逃がそうとしたところが……逃がすことを読み、あらかじめ使用人に自分の手の者を紛れこませていたのではないかということだった。逃がそうとすることを利用された。レティー、君の家族は君に安全な場所に住みかを準備して、また呼び戻すつもりだったんだ」
伯父による企みが、狂わせた。もっと言えば、貴族の家に生まれながらも魔力が無いと思われていたレティーシャの存在が全てを引き起こした。
「君の両親には驚いた。魔力が無ければ、成人すると貴族の地位はまず与えられない。平民になる。通常では生まれたときに家から出すところを、子どもを他人にしたくなかったそうだ。共に暮らすためにした選択が、先を見て正しかったのかどうかは誰にも分からない。現に君は、出ていこうとしていたのだから」
正しかったのかなんて、誰にも分からないだろう。けれどレティーシャは全てを聞いて溢れ出そうになる感情を抱えていた。そのように思ってくれていた家族に、感謝しないはずがなかった。
レティー、と名前を呼んだギリアンは優しく微笑んでいた。
「これから生まれなかったことにされた事実をどうにかすることなど他にまだ問題が残っているが……一先ずこれで君は家族の元へ帰ることができる」
レティーシャとギリアンが出会うきっかけとなった全ては、終わったのだ。




