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ぼくはひとり  作者: 河合正人
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 5年2組のはじめての席替えはゴールデンウィークの次の日にあった。しかも最後の6時間目だ。昨日まで休みだったから、一日中みんなのテンションがさがっていた。その分この席替えに期待する気持ちは高かった。仲のいい友達の近くになれるんじゃないかってわくわくしていた。ぼくは中島君と同じ班になれたらいいなって思った。反対に岡本君たちとは離れた席がいい。そして、村上さん。3、4年生の時に一緒のクラスで、5年生のクラスが同じだったってわかった時にはぼくは神様に感謝した。ぼくに起こったほんのひと握りの幸運の一つだった。

 村上さんはおとなしい。いつも古野さんと野田さんと一緒にいる。二人は村上さんと同じようにおとなしかったけど、そのなかでも村上さんはいちばんおとなしかった。

村上さんはこぼれてしまいそうな小さな声でしか話さず、ぼくは夢中でつかみとる。少しでも村上さんのことを知りたかった。三人を観察していると、村上さんは二人のあとをついていってるんだなあとわかる。カモの赤ちゃんがお母さんガモについて回るように。トイレにも二人のあとをついていく。

それが勉強になると話は別だ。村上さんが親がもに変身した。二人に勉強を教えてあげ、その教え方は先生よりも上手だった。悩んでいるとそれが解けるまで、何度でも嫌な顔もせずに付き合った。村上さんとはこれで同じクラスになるのが三回目だけど、あんまり話したことはない。三年生の時は今よりも話していた気がする。まだ、村上さんの前で、緊張しなくてよかったから。

 村上さんはぱっちりした目を開けて先生が持っているくじの入った箱を緊張しながら見ていた。かわいくて、ぼくはドキドキしてしまう。白くて小さな手をさりげなく祈るように組んでいた。長い髪はさらさらで、やわらかそうだった。村上さんにも好きな人がいて、同じ班になりたいのかな。それがぼくだったらいいのにな。ぼくも手を握ってお祈りした。もう一回村上さんと同じ班になれますように。教室中がお祭り騒ぎだった。岡本君が井上君たちに大声で言った。「同じ班になろうぜ」森君は右手を高く上げた。「この右手に不可能はない」。みんな笑った。

 名簿順に先生の箱から、番号が書かれた小さな紙切れをとっていき、その番号と名前を黒板に書いていく。黒板には番号がわりふられた座席表が書いてあって、自分がどこかすぐわかる。天国か地獄か。運命の一瞬だ。

 岡本君の番がきて、席はろうか側の前から二番目に決まった。岡本君は悔しがった。さきに引いていた井上君と近くになれなかったからだ。ぼくは箱の中の紙きれをめいっぱいかきまぜてから引いた。岡本君から離れますように。中島君と村上さんと同じ班になれますように。結果は一五番だった。岡本君とはかなり遠かった。ぼくは引いた番号と自分の名前を黒板にさらさらと書いた。指にチョークの粉がついた。あとは二人を待つだけだ。

 それからどんどん席が決まっていった。二人が引く前にぼくの周りは埋められて、ただひとつぼくの右隣の席だけが生き残った。岡本君の状況も悪くなる一方で、次々と岡本君にやられている子やおとなしい女子に囲まれていった。岡本君はイライラしていた。だけど最悪なのはこの子達で、あまりのショックに紙に書かれた番号を何度も見返していた。そうやってもかわることないんだけど。ぼくは岡本君から離れられたことを喜んでもいいのかわからなくなった。誰かが引き受けなくちゃいけないにしても、自分だけ喜んでもいいのかな。でもどうせぼくは見て見ぬふりをする。正しいことじゃなかったとしても、自分がやられるのは嫌だから。ぼくにはそんな勇気はないから。

 その時はまだぼくが岡本君に立ち向かうなんて思ってもいなかった。

 中島君はさっそうとあらわれて、さっとくじを引いた。背は低いけど、かっこいい。中島君は番号をあまり興味なさげに確認して黒板に書き込んだ。それはぼくの隣りじゃなかった。ぼくは残念で、中島君はそんな感じじゃなかった。中島君はぼくじゃなくてもいいんだ。

 さらに進んでもぼくの隣りは空いたままで、岡本君の隣りも空いたままだった。そして、村上さんの番がきた。ぼくのとこにきてほしかった。それ以上に岡本君の隣にはいってほしくなかった。村上さんは箱の前で緊張した様子で立ち止まった。長い髪はさらさらとして、太陽を吸い尽くしてしまいそうなほど黒かった。村上さんの希望はもう埋まってしまったのかな。それとも、ぼく?ぼくの顔が赤くなる。とにかく岡本君のとなりだけはだめだ。村上さんはかわいいからブスとはいわれないだろうけど。

 じゃあ、他の子だったらいいの?村上さんとお前だけがよかったらそれでいいの?

 声が聞こえて、ぼくはどう答えたらいいかわからなかった。

 村上さんは引いたくじをなかなか開こうとしなかった。ぼくは岡本君の隣りじゃないようにってお願いしてたけどそれが正しいことなのかわからなくて、お願いするのもやめてしまった。ぼくはなにもせず、ただ待った。

 黒板には、22番 村上優子と書かれた。岡本君の隣りでもぼくの隣りでもなかった。ぼくは喜びもしなかったし、落ち込みもしなかった。誰がジョーカーを引くのだろうか。ぼくはその子を思って心が痛んだ。

 その後に森君がくじを引いた。引く前にはまた右手をあげた。岡本君が言った。「森、ここだぜ。ちゃんとやれよ」岡本君のプレッシャーがかかるなか、結果は残念なことになり、森君は泣きそうになって岡本君はキレかかっていた。「お前、使えないな」

 教室が暗くなり、雷の音が聞こえてきそうだった。すごく居心地が悪かった。くじを引く残りの3人のうち二人の顔は青くひきつっていた。機嫌の悪い岡本君の横にいくなんて、檻から放たれたライオンの前でしばりつけられるのとおんなじだ。ぼくは想像しただけで、ぶるっと震えた。その中で吉田君はただひとりいつもどおりかわることがなかった。自分の席で鉛筆を同じ幅で、高さも同じに一本づつ丁寧に並べていた。もう上半分は並べ終えて、下半分に取り掛かっていた。机に緑のしまもようができていく。鉛筆を二十本以上使い、それはなくなることなく引き出しからあらわれた。まるで魔法の宝箱みたいに。

山田君がくじをひろげ大きく息をはいた。ため息じゃなくて、安心して。山本さんが目を閉じる。嬉しさを噛み締めて。

「次は、吉田君」

 先生が呼ぶけどよっぽど鉛筆並べが大事なのか吉田君は前に行かない。先生はとげのある声でもう一度いって、ようやく吉田君はくじに向かった。吉田君は岡本君のことなんかまるで考えてないみたいで、早く鉛筆並びに戻りたいようだった。なんのためらいもなく、一枚のくじを引いて、それを黒板に書き込んだ。手の力が強くてチョークが折れた。8番 吉田友裕。それは岡本君の隣りの席だった。

 その瞬間、さっきまでのピリピリとした空気が抜け、教室がふわっとやわらかくなった。岡本君が舌打ちしたんだけど、関係なかった。みんなほっとして、口元には笑顔が生まれた。友達もいない、かわっていて、普通じゃない吉田君。

吉田君ならいいじゃん。

誰もそうはいわないけど、みんながそう感じていた。吉田君なら見て見ぬふりをしても、心が痛くならない。だってみんなとは違うんだから。

 ぼくたちは新しい引越し先に自分たちの机を運んで、そのまま終わりの会をして、さよならになった。席替えが終わってからも吉田君は鉛筆を並べた。自分の思い通りにならなくて、湯気が出そうなほどにカンカンの岡本君がすぐそばに立っていても気づかない。みんな友達と話したりしながら、さりげなく二人に注目した。ほとんどの子が教室から出ていこうとはしなかった。特に、これまでやられてきた子なんかは、すごいショーを待っているかのように好奇心丸出しだった。これからどうなるんだろう?今だけはみんな安全だった。ぼくたちは守られていた。自分たちにふりかかりさえしなければ、血の雨さえも立派なショーだ。吉田君を生贄に差し出して、みんな楽しみにした。

 いきなり岡本君は吉田君の机の鉛筆を全て払いのけた。床にぶつかる鉛筆がたてるカタカタという音は、みんなにとっては終わりのチャイムで、吉田君にとっては始まりの合図だった。空に向かってピストルは鳴らされた。教室がぐねぐねと歪む。

「ぎゃあ」

 吉田君は動物の鳴き声みたいなのを出して、立ち上がった。岡本君とは目をあわせない。

「なにするんですか。やめてください」

 ロボットが話すようにカクカクで、早口だった。

「うっせえ」

 岡本君は吉田君を蹴った。

「ぎゃあ」

 猿みたいに叫んで、吉田君はすごく大げさに蹴られた場所に手をあてた。

岡本君は笑った。

「なにそれ。変な奴だとは思ってたけど、お前やばいな。井上、森おさえとけ」

 近くで待っていた二人は吉田君の腕を取って動けなくした。吉田君は全力で振り払おうとするけど、がっちり抑えられている。足をじたばたさせて、叫ぶ。幼稚園の子供みたいに。

「ぎゃああああ」

 思いっきり、吉田君の出せる全部を出して。さすがの岡本君もこれには一瞬とまどって、パンチを出さない。井上君と森君は手を離しそうになったけど、もうだめなとこを見せられない森君が踏ん張って、井上君もそれを見習った。叫びは続く。だけど、終わらないし、誰も助けにいかない。意味もなく続く叫び。ぼくはただ聞いていた。余裕を取り戻した岡本君は今度はひとり叫んで暴れている吉田君のことをおもしろがった。たしかにそれはとてもおかしくて、変だった。幼稚園児みたいに暴れているんだ。見ている子が思わず笑った。それは少しずつ広まり、叫び声と笑い声で教室がうまった。もう、吉田君の叫びは人をおもしろがらせる効果しかなくて、岡本君は新しいおもちゃをもらったように目をかがやかせた。ぼくは見ていた。ただ見ていた。

「やばい」

 岡本君が殴る。叫び声は大きくなる。みんなはゴールが決まったみたいに喜ぶ。楽しまなきゃ損だというふうに。みんな今までたまっていたものを吐き出していた。見ているお客さんと吉田君の反応にすっかり気分が良くなった岡本君はさらに殴り、それは吉田君が叫ぶことができなくなるまで続いた。

 ぐったりと倒れこむ吉田君。お祭りのあとはみんなすっきりとしたいい表情で、ゴミとなった吉田君は誰にも拾われることなく捨てられていた。そのそばを通るのは楽しげでスキップしそうな男子、女子。ひとりひとり、教室から出て行った。ぼくも中島君と外に出た。

「さっきのやばかったな」

 帰り道、中島君が興奮するわけでもなく言った。

「うん」

 ぼくはうなずいた。

 中島君が早足になる。

「あっ、ごめん忘れ物しちゃった。教室に戻って取ってくるから」

 ぼくは返事も聞かず、駆けだした。

教室には倒れたままの吉田君がいた。机がなにも言わずに並んで、校庭からわずかに聞こえるはしゃぎ声が吉田君に降りかかる。今さら卑怯だってことはわかるよ。ぼくは吉田君をかきあつめるように鉛筆を拾っていった。鉛筆の芯は折れているのが多くて鉛筆削りで一本づつ削った。

ザッザッザッ。

吉田君は倒れている。

ザッザッザ。

違う、これじゃない。もっとやるべきことがあるんだ。

ぼくは削った鉛筆を全て机に置いた。

「吉田君、大丈夫?」

 初めにこうすべきだった。

 吉田君は目をうつろに開けたまま答えない。

 これでもない。もっとやるべきことがあったんだ。ぼくは止めるべきだった。

「ごめんね」

 ぼくはかがんで、吉田君のそばにいた。静かな教室に時間が流れた。ごめんね、ぼくは正しいことをしなきゃいけないのに。ランドセルが重かった。

その時遠くから誰かの話し声が聞こえてきた。男二人だ。もしかして岡本君?

ぼくは怖くなった。勝手に足が動いて立ち上がった。机の上にはぼくが集めた鉛筆が置いてある。ぐったりした吉田君が集まられるわけなくて、誰かが集めたんだとわかってしまう。ぼくは払い落とそうかと思った。ぼくは殴られたくない。ぼくの手が動く。

「正しい人になってほしいって意味が込められているのよ」

 まだ優しかった頃のお母さんの声がした。そうだね。ぼくは正しい人にならなくちゃ。

 ぼくは教室を飛び出した。吉田くんを残し、鉛筆は机の上に置いたままで。ぼくは誰にも見られることなく、家に帰った。

 吉田くんがおもちゃになったその日からみんな幸せになりました。おとぎ話のように丸く収まったんだ。

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