第3話『選択の余地のない選択』
そうしてやってきた姪が、まったく予想外のかたちで目の前にいる。
陰気で無表情な女、というのがレネットに対する草四郎の評価だった。だが今、ロボットを操縦するために髪をアップにまとめ、鱗と金色の瞳を堂々と見せる彼女は陰気そうには見えなかった。寡黙な戦士といった風で、普段の面影はそこにはない。まるで知らない相手だ。
ひと月も同じ屋根の下で暮らしておいて、彼女のことを何も知らないのに草四郎は気付いた。どうせすぐにいなくなると思っていたから、日々の忙しさにかまけて深く関わろうとしてこなかった。異世界に巨大ロボットがあって、そのパイロットをしていたなんて聞いていない。
「ひどい反応だな。一応私は君達を助けたつもりなのだがな」
怯える菜茉莉を見て、レネットは肩をすくめた。あ、と菜茉莉は声を上げ、いつものたどたどしい喋り方で礼を言った。
「自分はレネット・チェリモーヤ、AST一等騎翼匠。君達の名は?」
「は?」
レネットはまるで初対面の相手に接するように草四郎に話しかけてきた。相手の意図を図りかねて、草四郎はむっとする。今まで他人様の家を間借りしておいて、おまえの存在なんて今まで気付かなかった、とでもいうつもりか? それとも、コイツは姪の別人格か何かか?
「こ、こけ、苔森菜茉莉です。に、に、に、日本語、お、おお、お上手、ですね」
「……ええ、まあ」
何故か彼女は嫌そうな顔をした。地球人に上から目線で褒められるのが嫌なのだろうと草四郎は予想をつける。
「ほ、ほら、お、桜芝君も」
菜茉莉が草四郎の背中をつつく。何が? と聞き返して、気付く。そうだ、自己紹介だった。相手に合わせて初対面のように振舞うか、それともちゃんと顔見知りだと言ってやるか。
いや待て。草四郎は躊躇する。異世界人と顔見知りと知れたらどうなる? 菜茉莉が自分の敵に回った場合、格好の攻撃材料になる。初対面ということにしておいた方がこっちとしても都合がいい。
もしかしてレネットはそれを踏まえて、知らない者同士であるように振舞ってくれたのか?
癪に障る。
その時、レネットの手首部分についた機械が警告音を放った。
「伏せて! ――バルカン、オートリアクション!」
ロボットのこめかみが再び火を噴いた。
やや遅れて、外で爆発音。ビルが大きく揺れ、草四郎は床を転がった。ガラスのほとんど割れた窓から爆風が飛び込んで埃を巻き上げる。
「何だ!?」
「こちらに接近するミサイルがあったので、迎撃しました」
手櫛で髪を整えながらレネットが答える。
『……まったく、地球人の考えることはわからんなあ』
ノイズ混じりの関西弁がレネットの手首から響いた。
『ドラジルドグを放置して一般人が食われるのを黙って見とったと思たら、今更のこのこやってきて、今度は警告もなしにミサイル攻撃やもんな』
「黙って見ていた……?」
そう言われてみれば、警報を聞いた覚えがないのに草四郎は気付く。
サイズの小ささから小型怪竜の幼体が防衛レーダーに引っかからずに上陸することは稀にあるが、草四郎が目撃したような大きさの怪竜にそれは当てはまらない。日本領空に入った時点で自衛隊の戦闘機に攻撃されているはずだし、それを潜り抜けたのなら避難警報が鳴ったはずなのに。
「苔森さん、怪竜警報、聞きました?」
「うえ? あ、ああ、ううん、聞か、聞かなかった、と思うんだ、けど、わたしは……ああ、わた、わたしのこと……だから、き、聞きの、が……」
「わかりました、もういいです」
警報は鳴らなかったらしい。自衛隊は動かなかったという。やられたのか、それともレネットが言うように、最初から何もしなかったのか。
「苔森さん、スマホ、持ってます?」
「ろ、ロッカーに。き、勤務中は、禁止、ほら、携帯禁止。規則だから……。桜芝君は?」
「……スマホなんて贅沢品、持ってません」
ガラケーさえ持っていない。店の固定電話も苔森のスマホも、全てはロボットの尻の下だ。つまり外部情報を得るのはもちろん、連絡を取る手段もない。
「時間がない、こっちの話を聞いてほしい」
レネットの声が草四郎の思考を遮る。
「確認するが、君達は2人とも民間人か?」
「……そうだけど」
最初に知らない者同士ということにしたからといって、よくもぬけぬけと言えるものだ、と草四郎は思う。
「非戦闘員の被害は可能な限り避けるのが我々のルールだ。だからこちらには君達を救助する意志がある」
「ど、ど、どう、いう、こと……?」
「『ブランシュ・ペロネー』、つまりこの機体を包囲するように移動する熱源体がある。おそらく地球の戦闘兵器だ。さっき警告もなくミサイル攻撃が来たように、間もなくここは戦場になる可能性が高い」
「戦場……」
「選択肢は2つ、いつ倒壊するかもわからないここに隠れて流れ弾に怯えながら運を天に任せるか、自分と共にペロネーに乗り込んでこの場から逃げるかだ」
草四郎はもう一度周囲を見回した。階下に降りる唯一のルートである階段はロボットの尻の下で瓦礫になっている。自力で脱出するのは不可能に近い。
ロボットが立ち上がっても建物は崩れないでいてくれるだろうか? 流れ弾が飛んでくる前にロボットは飛び去ってくれるだろうか? その後で、自分達に救助の手は差し伸べられるだろうか? それはいつのことだ? もしその間に怪竜がまたやってきたら?
ここにあるものは、食えもしなければ鑑賞も出来ない大量のBlu-rayディスクと、いくつかの陳列棚と八畳半ほどの空間、それが全てだ。
ここに残って、仮に戦闘をやり過ごせたとしても、何も出来ない。
だからといってレネットと一緒に逃げるのが正解とも言い難い。相手が追いかけているものと一緒に逃げるのだ。安全な場所で降ろしてもらうとしても、そこへ辿り着くのはいつのことだ? 地球の兵器に対して、このロボットはどれだけ対抗出来る?
「ど、ど、ど……どうしよう、桜芝君……?」
菜茉莉がすがるようにこちらを見上げる。鬱陶しい。
「2人で同じ道を行くことはないです。自分がいいと思う方を選べばいいんですよ、苔森さん」
自分の選択に便乗しようとする菜茉莉を草四郎は拒絶する。自己責任でそうするならかまわないが、上手くいかなかった時に恨み言を吐かれるのはまっぴらだ。
「時間がないのだが。ここが敵の攻撃可能範囲に入るまで、推定5分といったところだ」
レネットが腕の機械を見ながらやや苛ついたように言った。
「苔森さん、どうしますか。年長者として先にバシッと決めちゃってくださいよ」
「じゃ、じゃじゃあ、わたしは……残ろう、かな……?」
「そうですか、俺はロボットに乗せてもらいます」
「えっ……」
信じられないというように菜茉莉が目を見開く。この場に残る方を選ぶものと思っていたらしい。
彼女が残留を選ぶことは草四郎には想像がついていた。だからこそ彼はロボットに乗せてもらう方を選んだのだ。どちらかが駄目だったとしても、もう一方は助かるかもしれない。別にロボットに興味津々というわけじゃない、決して――断じて。
「わかった。ついてこい」
レネットが手招きする。地球人でなくてもそういうジェスチャーは大差ないんだなと思うと、草四郎はなんだかおかしな気分になった。
遠ざかっていく草四郎の背に、菜茉莉は手を伸ばし、だが引っ込める。おかしいよそんなの、と呟くが、小さな声は誰の耳にも届かない。
草四郎はロボット――ブランシュ・ペロネーの腕を伝って、コクピットの前に移動する。さっき以上の至近距離から見上げるロボットの姿は圧倒的だった。
草四郎はコクピットを覗き込める位置に立った。レバーとペダルが2つずつ。コンソールからは様々なデータがホログラムで投影されている。
「すごい」草四郎は思わず呟いた。「本当に動くんだよな、これ」
「そうですよ」
何を言っているんですか、とレネットが苦笑する。ふたりきりになって、彼女の表情は少し和らいだようだ。口調もいつもの調子に戻っている。
「草四郎がそんな嬉しそうな顔をするの、初めて見ました。ネコマルといい、好きなんですか、ロボット?」
「4歳の時かな、1回だけ、親が自分達の旅行に俺達も連れて行ってくれたことがあってさ。そこでアニメに出てくるロボットの実物大モデルが展示されてたんだ。実際に人が乗れて、動く奴。流石にアニメみたいにギュンギュン飛び回ったりはしなくて、もっさりしてたけど」
草四郎は遠い目をした。
もう少し大きくなってからなら、なんでこんな無駄なものに金使ってるんだバカじゃねえのかと思っていたに違いない。だが、その頃の草四郎にとっては、ただただ、感動だったのだ。
「これ、やっぱギュンギュン動く?」
「はい」レネットは微笑む。「マッハも出ますよ」
レネットは後部座席に草四郎を案内する。後部座席に操作機器の類はほとんどない。基本的には1人乗りで、後ろの座席は緊急時用でしかないのだろう。
「あれ……? じゃあ、さっき喋ってた奴は何処にいるんだ?」
「喋ってた奴?」
「ほら、関西弁っぽい話し方の……」
ふと、草四郎の目にコンソールから吊り下げられた人形が止まった。人間の女性を模した大きさ15センチ程の人形。俗に美少女フィギュアと呼ばれるものだ。緑色の髪は現実離れした、草四郎には表現出来ない複雑なかたちに編まれている。服装もまた独特で、巫女服を扇情的にアレンジした上でメタリック・コーティングしたようなものだった。首にはベルトが巻かれ、そこから伸びたチェーンでコンソールからぶら下がっている様は首吊り死体を連想させた。誰の趣味やら、片手の親指と人差し指で輪を作り目を伏せてアルカイック・スマイルを浮かべた、仏像のようなポーズをとっている。
どこか懐かしい顔だ、と草四郎は思う。同時にある発想が浮かんだ。誰もいないコクピット。レネット以外の声。まさか――。
草四郎は美少女フィギュアの緋袴に指をかける。
「――触んなやァァァ!」
予想通り、美少女フィギュアがカッと目を見開いて草四郎を威嚇してきた。抗議するように手足を振り回す。
「何、これ?」
「驚かないんですね、草四郎」
「いや、異世界だし、そういうのもありなんだろうなって」
怪竜、鱗のあるアニメ髪女、逆浦島太郎、巨大ロボットとくれば、もう何が来ても「異世界じゃあしょうがないな」で順応出来る気がした。
「一ツ橋のおじさまが私のために作ってくださったドールです」
「……作ってくれた、か」
こいつは大切にされてるんだな、と草四郎は思った。自分が誰かから物を贈られるのはいつが最後だったかは、努めて考えないようにした。
「女の子って、こういうの気持ち悪がりそうなんだけど」
「そうなんですか? そう感じたことはないです。可愛いじゃないですか。ネコマルと同じくらい」
うちのネコマルをこんなオタク臭い人形と一緒にしないでくれ、と草四郎は思ったが口には出さなかった。
「ミント。メリア・ミントというのが正式名称です。設定体重はリンゴ3分の1個分。好きな食べ物は青椒肉絲と枝豆」
「物を食べるのか、コイツ?」
「設定上は」
「設定!?」
「……なんでもええから、早よココを離れた方がええんちゃうか?」
「そうですね」
ハーネスがしっかりと接続されたのを確認し、レネットが前方座席に移動する。発進を待つ間、草四郎はあちこちに触れてみたが、指の先から伝わる感触は特に未知のものではなかった。
「あなたが私のいうことを聞いてくれるとは思いませんでした」
「別に。助かりそうな方を選んだだけだよ」
「……私を信じてくれたわけではないんですね」
その時のレネットの表情を、後部座席に座る草四郎は見ることが出来なかった。
「……だとしても、草四郎は賢いです」
「どういう意味だよ?」
「私が草四郎の立場だったとしても、同じ選択をしたということです」
「ここに残った方が危険だってことか?」
「せやな」ミントが割り込む。「こんな場所、いつ倒壊してもおかしーないからな」
「だったら苔森さんを無理矢理にでも連れてくればいいじゃないか」
「一応、これは軍事兵器ですよ。困ってそうな人がいたので本人の意志を聞かずに乗せました、というわけにはいかないんです。あなた達は敵国民ですからね。拉致したと言いがかりをつけられる可能性もある」
「敵国民……? 異世界人は、地球に戦争を仕掛けに来たのかよ!」
「逆ですよ」
レネットが草四郎を振り返る。背もたれの縁から彼女の顔が突き出し、その金色の瞳の中心にある縦長の瞳孔が草四郎をしっかりと見据えた。
「地球人が、私達の世界を侵略しているんです」