第1話『墜ちてきた白羽』
白馬の王子様は女の子だけの夢だろうか。
老若男女関係なく、誰もが――自分が何もしなくても――退屈な日常から無利子無担保でどこかにある理想郷へ救い出してくれる高貴で美しく優しい誰か、あるいは何かを求めているのではないだろうか。それを神や仏と言い換えてもいいかもしれない。
桜芝草四郎にとってそれは、全長20メートルはあろうかという白磁の巨大人型ロボットのカタチをとって現れた。
巨大人型ロボット。
そう呼ぶしかない形状の巨大物体が突然、立体駐車場の上に落ちてきたのだ。当然、被害はその隣にあった3階建てのレンタルムービーショップ――草四郎がアルバイトとして働いている――の上にまで及んだ。
彼のいる三階洋画コーナーのごっそり削り取られた床の向こうにはロボットの上半身が見えている。草四郎はおぼつかない足取りで鉄の巨人に近づいていった。床に散乱したBlu-rayディスクのケースが蹴り飛ばされ、崖っぷちから落ちていったが、彼の脳髄には自分自身も落下する可能性というものはまったく想起されなかった。
思考に靄がかかっている。まるで夢を見ているかのように現実感が希薄だった。大きな事故に遭ったことで脳がショックを受けたからか、あるいは眼前の巨大物体に心を奪われているからなのか。
あと1歩前に踏み出せば大地へ真っ逆さま、というところまで接近してようやく、草四郎はロボットの全体像を見渡すことが出来た。
白銀と翡翠色を基調にしたカラーリング。戦闘機の機首のように前方に突き出した胸部。大きく横に広がった肩。刃の切っ先のような爪先。翼のようにも見える紡錘状の何か――。
全体的に鋭角的なシルエットだった。手足は自重に耐えられるのかと思うほど細く、負荷ばかりかかりそうな複雑な関節構造をしている。腹にあたる部分はなく、胸と腰は1本の太い背骨のようなパーツで繋がっていた。機能性より美意識を優先した設計者の強いエゴ、そしてそれを実現してしまえる高度な科学力を感じさせる。
肘から先はそれ自体が長大なライフル銃のようになっていた。その先端、銃口の下に人間と同じ形状をした手が申し訳のようについている。機体各部から突き出す砲塔のようなパーツからして、これは戦闘用だと草四郎は思った。だとすれば、どんな理由で、何と戦うために、いったい誰が、こんなものを、造り上げたのか。
心臓が高鳴るのを彼は感じた。恐怖ではない。これはときめきという感情だ。
一目惚れ。桜芝草四郎にとって、その出会いは、初恋だった――。
「危ないよ、桜芝君!」
草四郎とロボット、2人(?)だけの空間を引き裂くように、アルバイト仲間の苔森菜茉莉の声がした。それでようやく、草四郎は我に返る。一歩後退。高揚感は嘘のように消え失せ、そこでようやく、草四郎は周囲の風景を正しく認識した。
店の中は惨憺たる有様だった。フロアの半分はロボットの左肩にゴッソリ削られてしまっている。陳列棚のほとんどは落下時の衝撃でなぎ倒され、そこに収められていたケースを血反吐のように床にぶちまけていた。粉塵がその上から雪のように舞い降り、世界を鼠色に染める。割れた換気窓から覗く空の色も暗灰色に染まっているが、これはカナンジュから流れてきたアクティビティ・エナジィがスモッグと反応してのことでいつものことだ。
街はいやに静かだった。草四郎が気絶していた間に生きている者はとっくにみんな避難してしまったのだろう。こういう時に野次馬が我先に群がって、撮った写真をSNSにアップロードするなんてのはもはや過去の話だ。危険なものからは脇目も振らず遠ざかるのが1番だ、と今の御時世誰でも知っている。
草四郎は苛々と髪をかきむしった。幼児じゃあるまいし、あんなワケのわからないものに近づこうなんて我ながらどうかしている。
――巨大人型ロボットだって? ふざけてる!
西暦2121年現在においてなお、人型ロボットは研究されこそすれ、まだまだ社会に普及していない。介護用とか作業用ならまだしも、兵器だなんて――ありえない。ましてや頭に『巨大』がつくなら尚更だ。
兵器として見た場合、巨大人型ロボットというものは優秀ではない。むしろ欠陥品と言えるだろう。大きければ大きいほど、ミサイルや銃弾の的でしかない。相手の姿さえ見えないところから撃ち合うのが当たり前になった現代において殴り合う手足なんて無用の長物だ。
殴り合いに耐える手足だの、銃弾やミサイルを跳ね返す装甲だの、空中を自在に飛び回れるような推進器だのが造れるならロボットよりも従来の兵器に使った方が効率がいい。人型ロボットが戦車や戦闘機、戦闘ヘリをばったばったと蹴散らしていくというのは所詮アニメや漫画の中の話でしかない――というのは少し考えれば誰でもわかる話だ。
物語に出てくるロボットは彼等が活躍しうる状況――ある意味巨大ロボット以上にとんでもない技術によってお膳立てされていたりする――を用意されることで作品世界上のリアリティを保っている。だが草四郎の世界にそんなものがなかったはずだ。
ならばこれは、地球とは違うどこか別の世界で造られたものなのかもしれない。
――別の世界。
――虫酸が走る。
草四郎は尻ポケットを押さえた。財布がそこにちゃんとあるのに安心する。それから、身体に大きな傷がないかどうかを確認した。ところどころにアザやかすり傷が出来ている程度だった。十年近い付き合いのナップザックはロッカールームごとロボットの下敷きになってしまったが、たいしたものは入れてなかったのが唯一の救いだ。
「あ、ああ、あの、その……えっと、だい、大丈夫、お……桜芝君?」
おどおどと吃音混じりに声をかけてくる菜茉莉に対し、大丈夫って何がだようるせえな、と睨みつける。草四郎と同じ青いエプロン――アルバイトの制服――を身につけた、黒縁眼鏡の女が怯えたように肩をすくめる。そこで草四郎は、サダコだかマツコだか、大昔のホラー映画に出てくる幽霊を連想させるこの同僚が命の恩人であることに思い至った。彼女が後ろから引っ張ってくれていなければ、意識を取り戻した拍子に落下していたかもしれなかったのだ。睨みつけたのは流石に悪かった。
「あ――すみません、大丈夫です。ありがとうございます苔森さん」
たまには役に立つんですね、と続けそうになったのを必死で呑み込む。中学一年生以来十年近く引きこもってきたという社会復帰3ヶ月目の使えない同僚は、言われ慣れない感謝の言葉に顔を真っ赤に染め、卑屈そうな笑みを返した。
「俺、どれくらい気を失ってたんだろう?」
「わ、わ、わたしも、今、気がついた、ところ、だから……」
「客は?」
「あ、お、お、お客、さん、は……」
菜茉莉はロボットのある方向を見た。見る見るうちにその顔から血の気が失せ、そして次の瞬間、彼女は胃の内容物を吐き出していた。
汚えな、と心の中で草四郎は舌打ちする。
数少ない客達は皆、店の東側――ロボットに潰された方にいたのだった。西側にいたのは、自分と菜茉莉だけだ。6人くらいいただろうか。みんな死んでしまった。自分達の目の前で、一瞬にして、呆気なく。
――ラッキー。
負傷者がいたら面倒くさい。救命の心得なんか知らないし、客だというだけで店員を奴隷のように扱ってくる人種がいた日には慰謝料までむしりとられる羽目になっていたかもしれない。綺麗に死んでくれてて助かった。
そんなことをナチュラルに思い浮かべてしまう自分に、草四郎は軽い自己嫌悪に陥った。
8年前、次兄が失踪する直前に残した言葉が脳裏に甦る。
――こんなところで生きていると、皆おかしくなる。
うるさい、と草四郎は頭を振って芋づる式に甦ろうとする兄の記憶達を追い出した。うるさいうるさい、うちをおかしくしたのはあんただ、蒼次。あんたにそんなこと言う資格なんてない。
「……桜芝君? 大丈夫?」
菜茉莉が心配そうにこちらを見上げていた。さっきまで吐きながら泣いていたくせに、もう他人を気遣う余裕があるらしい。彼女の精神は強いのか弱いのかわからない。
何でもない、と言おうとしたその時だった。
ふ、と辺りが暗くなる。太陽が雲に隠れたか、と空を見上げた草四郎は、自分を見返す存在に気付いて全身を凍り付かせる。
天井の穴を塞ぐように、巨大な生き物が張り付いていた。
全体的にはプテラノドンに似ている。ただしその皮膚は甲虫のような外骨格になっていて、翼は皮膜というより鮫のヒレのようだった。最大の差異は6本ある手足だろう。そんな生き物が、鋸歯の並んだ口を大きく開け、形容しがたい鳴き声を上げる。ちなみにプテラノドンに歯はないとされている。
「怪竜……!」
足元のケースを踏みつけて足を滑らせた菜茉莉が、気の抜けるような悲鳴をあげて尻餅をつく。長年の引きこもり生活で贅肉を蓄えた尻の下で、ケースの断末魔が響いた。
そして次に断末魔の叫びをあげるのは自分達だ、と草四郎は目を閉じる。怪竜と呼ばれる頭上の生物にとって人間を一瞬で屠ることなど容易いことだ。ここまで接近を許した以上、草四郎達には為す術が無い。
菜茉莉が腕を掴んでくるのがひどく不快だった。心の中で嘆息する。労多くして功の少ない人生だったから死ぬのは仕方ないしそれはかまわないにしても、何が悲しくてこのブスとセットで天に召されなくてはならないんだ。
ロボットのこめかみから、前触れもなく炎と轟音が吐き出されたのは次の瞬間だった。
驚きに目を開いた草四郎は、蜂の巣になった怪竜が壁の向こうに落下していくのを見た。
草四郎達は振り返る。頭部のバルカン砲から硝煙を漂わせるロボットの胴体から背もたれのついたバイクのシートのようなものが競り出てくるところだった。
座席の上には当然、人が乗っていた。あちこちにプロテクターのような部品のついたドライスーツを身にまとっている。よくロボットアニメでそのパイロットが着ているような戦闘服、そのままだ。
頭部全体をすっぽりと覆うヘルメットによってその表情は窺い知れないが、服の上からでもわかる身体のラインから、相手は女性だと見てとれた。
彼女がロボットの長い腕を橋のようにして優雅にフロアに降り立つのを、草四郎達は阿呆のように口を開けて見守った。
おもむろに彼女はヘルメットを脱いだ。アップにまとめられた水色の髪が現れる。それが太陽の光を反射して煌めく様は幻想的で、その美しさに菜茉莉はほう、とため息をつく。
そして、女は――。
「おげえええええ……!」
嘔吐した。
階下に向かって2度、3度とパイロットが胃の内容物を吐瀉する。見るに耐えかねたのか、よせばいいのに菜茉莉がその背をさすりにいくのを草四郎はぼんやりと眺めた。
手持ち無沙汰になって泳ぐ視線が、ロボットのコクピットで止まる。
今ならあれを手に入れられるんじゃないだろうか、という発想が湧いた。即座に打ち消す。何を馬鹿なことを言ってるんだ、アニメじゃあるまいし、いきなり乗って動かせるわけがない。技能的にはもちろん、兵器なのだから特定のパイロットにしか動かせないようにロックされていてもおかしくない。
だが――試すくらい、いいんじゃないだろうか?
「ひえっ!?」
菜茉莉の悲鳴で草四郎は我に返る。視線を戻すと、立ち上がって口を拭うパイロットの前で尻餅をついて震える菜茉莉の姿があった。
なんとなしに駆け寄った草四郎は絶句した。
パイロットはやはり若い女性だった。菜茉莉とそう違わないように見える。美しい顔だ。生活の余裕と教養のある家庭で育ったのだろう、ふっくらとした気品のある顔立ちをしている。
では、菜茉莉は何に驚いたのか。
それは、女のこめかみから頬骨にかけて肌を覆っている爬虫類の鱗めいたもの、そして白目の部分が極端に少ない金色の瞳を見たからに他ならない。
「あ、ああ、あ、あ、あな、た……い、異世界人、なの……?」
怯えたように菜茉莉は呟いた。髪の色で気付よバカ、と心の中で草四郎はつっこむ。
異世界人。ロボットのパイロットを菜茉莉がそう呼んだのは、彼女がライトノベルやアニメに造詣が深かったから、ではない。
異世界――比喩表現ではなく実際にこの世界と時空を隔てて存在する別の世界というものの存在は、今の地球において決して荒唐無稽なものではなかった。今から8年前、実際にそこへ旅立った者達がいたからだ。
彼等の名はフラクシヌス。
拝金主義と人命軽視が蔓延し、複雑に絡み合った利権により経済の格差が不動のものとなった社会に嫌気がさした彼等は、革命を起こすわけでもなく、かといって世をはかなんで集団自殺をするわけでもなく、異世界への脱出という方法によって世界との決別を実行した。
北極海から宇宙に向かって伸びる巨大植物カナンジュが時空エレベーターとして利用出来るものと看破した彼等は、白昼堂々新天地に飛び立った。
それだけならよかった。
問題は、彼等がカナンジュの入り口を開いたことで、入れ替わるようにして向こうの世界からやってきたものがあったことだ。
それこそが『怪竜』――先程草四郎と菜茉莉を補食しようとした巨大生物である。
怪竜はその能力全てが地球生物と一線を画す生き物だった。小さいものなら小型バスほど、大きいものなら小山ほど。外骨格を持つ以外、その形状はバラエティに富んでいる。地球上に存在する炭素生物とは根本から異なるケイ素生物、あるいは金属生命体なのではないかと囁かれているが真偽はハッキリしない。その動体視力はマッハで飛行する戦闘機さえ難なく捉え、全力で飛べばミサイルさえ追いつけない。火を吐き、吹雪を起こし、雷を放つ。皮膚は徹甲弾の直撃ですらさしたるダメージを受け付けず、背骨に至っては破壊する術を人類はまだ持たない。
そんな滅茶苦茶な生き物が、大挙して地球に押し寄せてきてしまった。
怪竜に知性は――少なくとも意思疎通が出来る程度には――ない。犬猫のように人に懐いたりもしない。人類は怪竜と生存圏を賭けて戦わねばならなかった。
戦闘によって多くの犠牲が出た。運良く怪竜を倒せても、その糞や死体に含まれる未知の病原菌から発生した伝染病によってまた多くの死者が続出し、一時期、人類は真剣に種の存続を危ぶむまでに追い込まれた。
群れの中心を担う大型怪竜が赤道付近に巣を構えたことで、今では怪竜達との戦いは小康状態にある。北半球と南半球が交通面において断絶状態にあるがそれ以外の被害はたまに食いはぐれた小型怪竜がやってくるくらいで、藪をつついて蛇を出すくらいなら、人類は赤道周辺を怪竜に明け渡す方を選んだ。
カナンジュに関しては国連軍によって入り口がコンクリートで閉ざされ、もう2度と何者かがこちらの世界にやってくることもなければ、こちらが向こうの世界に行くこともない。
表向き、社会は復旧した。しかし人々の心に刻まれた恐怖の爪痕はまだ生々しく、それはいつしか異世界という概念全体に対する強い嫌悪へと成長した。かつては猟奇事件が起きる度にホラーやスプラッタがバッシングを受けたものだが、昨今では、ここではない世界を舞台にしたファンタジー、ひどい時には大昔からある童話までもが糾弾の槍玉に挙げられるようになっていた。
異世界から来たのであろう女を見る菜茉莉の顔に、嫌悪の表情がありありと浮かんでいるのはそういうわけだった。
だが、草四郎が言葉を失ったのは別の理由だった。
水色の髪を見たときから嫌な予感はしていたが、間近でその顔を見て不安は現実のものとなった。 彼はその女を知っていた。
「レネット・チェリモーヤ……?」
1ヶ月前、突然現れた年上の姪の名を、彼は呆然と呟いた――――。