第11話『迫る暗雲』
桜芝草四郎について聞かせて欲しい、と店に入ってくるなりその客は言った。
ラーメン屋『天衣無縫』新梛原店店長はその問いに、はあ? と返した。彼は注文を聞きに来たのであって、急病で休んだ自己管理のなっていない忌々しいアルバイトの名前を聞きに来たのではないのだが。
小学生くらいの男の子――それも外人だ――を連れたその女は片手で眼鏡の位置をずらし、再度問う。
「桜芝草四郎君。ここで働いているはずですが」
「今日は休みですよ。風邪ひいたって、学校の保険医から電話があってね」
「どんな子ですか? 店長さんから見て」
「まだまだですよ」
何がどう具体的に「まだまだ」なのかは言っている本人にもわからない。だが自分はこの店の店長なのだから、それ以外の従業員は自分から見れば無条件でまだまだであるはずで、そう言っていれば間違いはないのだ。
女は少し待ったが、それ以上のコメントは得られなかったので回れ右した。
「おいおい、何しに来たんだよオメーはよ。冷やかしかよ」
舌打ちする。草四郎の代わりが見つからず、今日店で働いているのは店長1人だ。それもあって、彼の機嫌は悪い。
「シノ、餃子食べたい」
子供が言った。
「そうですか坊ちゃま。では店長さん、餃子S1つ、テイクアウトで」
「なんだよ、食べ盛りの子供がそれで足りるもんかい。もっと食わせてやれよ、お袋さんよ」
その瞬間、空気が凍った。
「……誰が誰の母親だ殺すぞ」
「ぎ……、餃子Sサイズ1つ、お持ち帰りでございますね!」
本部から配送される冷凍餃子を解凍するため、そして一瞬で羅刹の顔に変貌した客から逃げるために店長は厨房へと引っ込む。
5分ほどで先程より随分大人しくなった店長から品物を受け取り、その客――カメリア・東雲とスオウ・バウクスイートは公園に移動した。
「――こちらバウクスイート班、目標は職場には来ていませんでした。……はい、欠勤です。我々は周辺の捜索にあたります。以上」
通信機のスイッチを切ると、カメリアはベンチの上にハンカチを広げる。その上に座ったスオウは期待に目を輝かせる子供の表情で餃子の包みを広げた。
「先に言っておきます、坊ちゃま」
「なんだ?」
「クソ不味いので御注意下さい」
舌に餃子が触れた途端、生理的拒絶感に襲われてスオウは口の中の物を吐き出した。呑み込まずに済んだのはカメリアの忠告の甲斐あってのことだった。うっかり呑み込んでいたら胃の中身ごと吐き出す羽目になっていたかもしれない。
「大丈夫ですか?」
カメリアは落ち着き払った態度で水筒からコップに水を注ぐ。それを受け取りながら、スオウは恨みがましい視線を部下に向けた。
「食べたいと言ったのは坊ちゃまですよ。それに、あなたをここに連れてきたのは社会勉強のためです。どうですか、いい勉強になりましたか?」
「……ああ、おかげさまでね」
「それは重畳」
カメリアは残りの餃子が入った箱をくずかごに投げ込んだ。
「ソドムの連中は、あんなものをよく平気で食えるな」
念入りに口をゆすぎ、スオウが言う。
「あれが本当に人間の食い物か」
「そうです。あれがソドム――バスラルワールドのピープルの食べ物です。ただ近視眼的にコスト面だけを重視し、人間らしい文化を捨てた者の末裔に相応しい食事だったでしょう。そして、それは食品面のみではありません」
「生命維持の根本たる食物さえあんなもので満足してしまえる奴等が、他の部分を大切に出来るわけがないものな……」
「そんな彼等が我々の使う兵器や科学を持てば、どういう結果になるかは自ずとわかるはずですよ、坊ちゃま。ですから我々は隠密行動を……」
「持つことが出来れば、だろう?」
ようやく口内の不快感が消えたスオウは立ち上がった。
「百年以上前の科学水準で生きている奴等に、僕達のマシンが扱えるものかよ」
「彼等が自らを焼く火に、我々が巻き込まれないという保証もないんですよ。少なくとも今はまだ」
カメリアは尻の下に敷いていたハンカチをつまみ上げ、くずかごに落とす。
「それに、坊ちゃまがやられそうになったあのパイロットは、おそらくはそのバスラルピープルですよ?」
「『やられそうになった』じゃないよ、シノ。やられたんだ、僕達は」
カメリアはため息をついた。
「その殊勝さ、もっと他のところでも見せていただけませんか」
「早く会いたいな、そいつに。機体性能のせいじゃないことを祈るよ。ねえ、番犬として役に立ちそうだったら、飼っていいだろう?」
「旦那様がよいと仰れば」
「やった!」
スオウが飛び跳ねる。その姿だけ見れば、年相応、いやそれ以上に幼く見える。だがこの天使のような少年がゲオルギウスでもトップクラスの戦士だと誰がわかるだろう。
「さあ行きましょうか坊ちゃま。しかし家にもいない、仕事先にもいないとなれば、何処に行けばいいのでしょうね?」
草四郎がミントを探しに行ってからも、菜茉莉は少し離れた場所に移動して、彼が帰ってくるのをひたすら待っていた。
彼がいつ戻ってくるかはわからない。きっと彼は自分の姿を探しもせずに帰ってしまうだろう。だからそう遠くへは離れられない。菜茉莉は道路を挟んだ向こう側の街路樹の影に隠れた。隠れたとはいっても菜茉莉の半分以下の太さしかない幹では彼女の姿を隠せはしない。校門を出る生徒達からは菜茉莉の姿は丸見えで、奇異なものを見る視線は肉に食い込むような痛みとして菜茉莉の脳髄を焼いた。
――わたしを見るな。
菜茉莉は歯を食いしばる。
甦って欲しくない記憶が甦る。あれは中学の時だ。菜茉莉はいじめに遭った。誰からも口を利いてもらえず、机に落書きをされ、教科書を捨てられ、給食を配ってもらえず、重要な連絡は彼女の上を素通りし、歩いているといきなり後ろから蹴り飛ばされた。
いじめられるにはいじめられる側にも理由がある、と誰かが言った。だが自分にどんな落ち度があったのか菜茉莉には見当もつかない。周囲から酷い仕打ちをされねばならないほどの理由とはいったい何だったのだろう。最後まで黙っていじめられていれば謎は解けたのか。それを裁こうとする彼等は他人のことをとやかく言えるほど洗練潔白だというのか。
誰か大人に相談するという発想はなかった。自分のために仕事や家事を休まなければならなくなったら、両親はきっと彼女を怒るだろうと思ったからだ。
だが、そう長くは耐えられなかった。いじめが始まってから菜茉莉が学校に行かなくなるまで、2ヶ月と少ししかかからなかった。
他のいじめられっ子はもっと長い間耐えるのだろうな、と菜茉莉は思った。こんな根性なしだからいじめられたのだろうか? 根性がないということが寄ってたかっていじめてもいい罪だとは知らなかった。
一旦、引きこもりになってしまえば後はむしろ楽だった。有り難いことに、両親は自分達の仕事を邪魔されるのが嫌で娘を放置してくれた。
愛の反対は憎しみではなく無関心、嫌われたり疎まれるより無視される方がずっと辛いと誰かが言っていた。バカなんじゃないかと思う。本気で言っている奴がいるとすれば、そいつは自分がマイノリティのマゾだということを自覚していないのだろう。周囲からいつ攻撃されるかと絶えず怯えて暮らすよりも、狭い部屋の中で世間から見捨てられ、誰とも関わらないでいる方がずっとずっとマシだ。生死が関わらない限り、孤独が辛いなんてまったく理解出来ない。
引きこもっている間に外ではいろんなことが起きていた。社会に貢献しない者は悪だという世間の風潮も、世間からの承認を必要としない彼女にとっては何の痛痒ももたらさなかった。
怪竜の被害も不思議と彼女の上を素通りしていった。逆にいじめの主犯格はだいたいが食い殺されたらしい。特に女子のリーダーだった女は我が子を目の前で食われて発狂したらしい。
それを聞いても可哀想とは1ミリも感じなかった。むしろ、なんだたったそれだけかよ怪竜もっとしっかりしろよ、と思ったくらいだ。
それが彼女に力を与えた。
しばらく顔を合わせないうちにめっきり老いた両親と久々に顔を合わせた。明日からアルバイト探すよ、と言うと、母はそうなのと言ったきり黙った。
愛してもくれないが説教もしない。無関心で、しかし養育義務はちゃんと果たしてくれる。いい両親に恵まれたと思う。両親もいい伴侶に恵まれたと思う。これでどちらかが家庭に夢や理想を持っていたり、相手に対して同居人以上の感情を持っていたら、こんな住み良い家庭は築けなかった。
――わたしも、そんな相手と結婚したい。
そして、ようやく見つけたアルバイト先で、菜茉莉は草四郎に出会ったのだ。
――桜芝君。
彼のことを考えると、菜茉莉は気持ちが落ち着くのを感じた。
長い引きこもり生活で以前よりノロくなっていたわたしをみんなは笑いものにするけど、彼は違う。彼はわたしのことなんか何とも思っていない。心底興味がないのだ。
それはわたしだってそう。桜芝君なんかどうでもいい。興味を惹かれない。
だからこそ――わたし達、ベストカップルになれると思わない?
草四郎が出てくるのが見えた。
桜芝君、と声をかけようとした菜茉莉は、だが彼の隣にいる女子生徒に気付いて立ち止まった。
茶髪をポニーテールにまとめた少女が草四郎と並んで歩いている。実際にはそうでもないのだが、ひどく親密であるように菜茉莉には見えた。
「あ」草四郎が菜茉莉に気付く。「まだいたんですか」
まだいたんですか。
どことなく迷惑だというニュアンスの感じられるその言葉に胸が痛むのを菜茉莉は必死に否定する。菜茉莉は草四郎から好意を持たれたいわけではない。無関心でいて欲しいのだから、追い払われない以上は彼の応対で一喜一憂するのはおかしいのだ。
「う、う、うん、し、しんぱ……」
「誰だい、桜芝クン?」
女子生徒――桐枝が割って入る。
「話したでしょう、部長」
「ああ、一緒にブランシュ・ペロネーに乗ったアルバイトの同僚さんね」
「ぶ、ブラ……!」
菜茉莉は目を丸くする。日曜のことを喋ったのか、この女に?
「ミントが捕まったので、仕方なかったんです」
「ごめんなー」鞄の中からミントが謝罪する。
「私、棒村桐枝といいます。お姉さんのお名前は?」
「あー、わ、わた、わ……」
棒村桐枝というこの女に本名を話していいものだろうか、と菜茉莉は躊躇する。何を目的に桜芝草四郎に近づいたのか? 興味本位? それとも他の目的が? もしかしたらあの得体の知れない敵の一員で、自分達の姿を見た者を始末しようとしているのかもしれない。ところでお腹が空いた。ミントと草四郎はどこまで話したのか。私の名前を話していたなら、いや話していたなら今更聞いてくることはない。仮に偽名を教えたとしてメリットは何だろう。逆に本名を教えることで生じるデメリットは?
……うう、とか、ああ、とか呻き声を上げて間を持たせ――本人的には――つつ、そういうことをたっぷり1分近く考えて、ようやく菜茉莉は「苔森菜茉莉です」と名乗った。
「苔森さん、ですね。よろしく」
桐枝が片手を差し出す。欧米人か、と菜茉莉は眉をひそめる。
フレンドリーな奴は嫌いだ。友好的に見えて実際は狭量で排他的だからだ。無言のうちに相手にも同等以上のフレンドリーさを要求し、それに従わなければすぐに集団の和を乱す悪として攻撃にかかる。奴らが言っているのはこういうことだ。『今日会ったばかりの私を長年の友人のように扱え。でなければ敵と見なして攻撃する』。ロクなものじゃない。
だがとりあえずは応じておくべきか、と菜茉莉が迷っているうちに、桐枝は手を引っ込めた。
髪なんか染めてお洒落で、清潔感がある。フレンドリーな上にせっかち。菜茉莉の嫌いなタイプだった。もっとも、彼女に好きなタイプなどないのだが。
それで棒村さん、あなたは桜芝君とどういう関係なんですか――菜茉莉はそれを訊きたかったのだが、誤解されない質問文を考えているうちに草四郎が割って入った。
そうだ、と言いつつ、草四郎は鞄を持ち上げる。
「苔森さんでも部長でもいいです、ミントを引き取――」
だが、草四郎が言い切る前に横合いから声がかかった。
「ちょっと君、いいかな?」
草四郎と桐枝が振り返る。一台のパトカーが停まっており、それに乗ってきたのであろう警察官が2人、背後に立っていた。
その目を見て、ぞくり、と草四郎の背筋は震える。何故そう感じるのかはわからないが、敵、という単語が脳裏をよぎった。
「桜芝草四郎君だね?」
「なんで俺の名前を……」
「そこの君、ちょっと失礼するよ」
警官の1人が、菜茉莉の髪の毛を1本引き抜いた。菜茉莉が小さく悲鳴をあげてうずくまるのに目もくれず、警官はガラケーのような機械を開いてその中に髪の毛を挟んだ。数秒でその機械が電子音と共に緑色のランプを点灯させる。
「どうだ?」
もう1人の警官の問いに機械を操作していた警官は頷きを返す。
「桜芝君、それからそこのあなたも、我々と一緒に来てもらいたい」
「ちょっと、彼等に何の用ですかね?」
2人を守るように立ちはだかったのは桐枝だ。
「いつから日本は社会主義国家になったんですかね? 理由も話さず有無も言わせずに連れて行くなんて、横暴すぎやしませんか?」
「関係者以外の方にはお話し出来ません」
警察官はにべもない。
「私は関係者です。桜芝君とは結婚を前提に交際している仲ですから」
「はあ?」
「結婚されてから首を突っ込んでください」
警察官はしっしっと桐枝を追い払い、払われた桐枝は何か考えを巡らせるように視線を左右に動かす。
婚約者だなんてバレバレの嘘をついてまで首を突っ込みたがる桐枝の気持ちは、草四郎にはわからないでもない。
――私はさ、怪竜が来なかった世界に、幸福を思い描くことが出来ないんだよ。
桐枝の言葉が甦る。そしてきっと、怪竜が来た後の世界にも彼女は幸福の糸口を見つけられないでいるのだ。だから部活動なんて無駄なことに血道を上げて、世界を否定したがっている。
そういう人間にとって、ウーイキトやペロネーといった超現実的存在は最後の希望だ。
「わかっているんだ」
桐枝は警官に指を突きつける。
「あなた方は警官じゃないな。あの、謎のロボット軍団の仲間なんだろう」
菜茉莉は今気付いたのか、ふえ、と気の抜けた驚きの声を上げる。
「何を根拠に」警官は鼻で笑った。
「根拠? 根拠と言ったかい? 失言でしたね、偽警官さん。無関係であればそこは『ロボットとは何ですか』とでも言うべきだろう」
「…………」
「それにこういうのもあるんだ」
桐枝はスマホを突きつけた。画面には廃墟となった街で撮った、敵ロボットの残骸の写真が表示されている。
「これをネットに流したらどうかな」
「どうぞ」
警察官の服装をした男達は冷静だ。
「仮に、そう仮に、我々がお嬢さんの考えていたとおりの相手だとして」男は言った。「画像加工技術も進んだ今、そんな写真の1枚や2枚に我々を揺るがすような力があると思うかな?」
「さあ、それはどうかな?」
桐枝は不敵に笑ってみせたが、強がりなのは明白だ。
「あの」
草四郎は手を挙げる。
「関係者にしか事情は話せないってんなら、当事者の俺と、そこの人――」草四郎は顎で菜茉莉を指し示す。「――には理由を話してもらえるんでしょうね?」
フン、と警察官は鼻を鳴らした。もう1人の警官がその肩を掴む。先程、見慣れぬ機械を操作していた方だった。
「こちらとしては君に気を使ったつもりなんだが」
割って入ってきた方の警官が言った。
「気を使う……?」
「お友達に君の不名誉な情報が広がらないようにとの配慮だが、必要なかったようだな。桜芝草四郎君、そしてあっちの彼女には、器物損壊容疑がかかっている」
「器物損壊……?」
「2日前の日曜、怪竜が飛来したにもかかわらず、警報は鳴らなかった。誰かがシステムを破壊したからだ。君達にはその容疑がかかっている」
「そ、そそん、な……!」
警官はタブレットを取り出した。表示されているPDF文書には逮捕状の文字が大きく表示されている。それが偽物かどうかなど、草四郎には判断がつかない。
「俺達にそんなこと、出来るわけが……!」
「それをこれから調べるんだ。……協力してくれるね?」
草四郎は1歩前に進む。その肩を桐枝が掴んだ。
「待て、あいつ等は警察じゃない、あの軍隊だ。逮捕状なんてさっき作った偽物に決まってる」
「……偽物じゃなかったら、代わりに部長が石を投げられてくれますか」
「…………」
「すみません部長。俺の家に行って家族に『遅くなる、しばらく帰れないかも』って言っておいてくれませんか。うち、電話がないので。住所は――」
ここで逃げれば、本当に犯人にされてしまう。そうなれば、フラクシヌスメンバーの家族だったことで受けた嫌がらせなんて比べものにならない攻撃が姉や妹に降りかかるだろう。それがどんなに恐ろしいことか身に染みてわかっているからこそ、促されるままパトカーに乗る以外、草四郎に選択肢はなかった。




