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4章

4―1

その日は目覚まし時計が鳴る15分も前に目が覚めた。なにかの騒音で起こされたわけでもなく、悪夢を見たわけでもない。それなのに、まるで悪夢を見た後のように胸騒ぎが止まらなかった。

この嫌な気持ちを抑えるためにもう一度寝ようと布団をかぶりなおしても、一向に眠気は訪れない。

ただ、得体のしれない不安だけが俺の心をむしばみ続ける。じっとしているのも嫌になって、鳴る前のアラームのスイッチを切って、支度を始める。

こんなに朝早く起きるのは、園山と一緒に学校校へ行こうと約束した、あの日以来かもしれない。あの時のことを思い出すと、無性にやるせない気持ちになってくる。

けど、拓也の「昔に戻りたと思ったことはあるか」という質問に、そんなものは無いと答えた気持ちは嘘じゃない。

園山とこうして会えないのは確かに寂しい。けど、失ってしまったものは一瞬で彩りを失っていく。

懐かしいとは思う。覚えていられるのなら、忘れたいとは願わない。けど、本当にそれだけ。それ以上の感情は決してわかない。

「おはよう」

過去のことなんてどうだっていい。ただ、今をなんとなく生きる。

こんなに早い時間に起きてくるのがそんなに珍しいのか、口を開けて驚いている母さんに挨拶をして朝食の席に着く。

朝食のトーストにかぶりついて無心で口を動かしても、胸の不安は一向にとれない。朝食を食べきって、顔も洗ってすべての準備が整うと、普段よりも20分以上も早く家を出た。

こうして、たまに早く家を出てみても、一緒に登校してくれる奴はもういない。

少し歩くと、いつか飯河を見送った分かれ道にさしかかる。あの時、あそこで飯河を家まで送っていれば運命は変わっていたんだろうか?

飯河は山中ほど、今に失望していたわけじゃないし、あの少女が夢を使って誘惑してきても、山中と違ってひょっとしたら誘惑に勝てたかもしれない。どうしてか、今になってそんなことを思う。

またそこから10分ほど歩くと今度は、山中を引き留めようとしたあの場所が近づいてくる。別にそこは学校に行く通り道ではないが、なぜだか無性に気になった。

腕に付けた時計を見て、時間を確認する。

朝礼の時間まで、あと30分以上も余裕がある。それに今さら遅刻していったってなんの問題もない。

あの鬼教師も今のこのクラスの状況に困り果てたのか、最近じゃあずいぶんとおとなしくなっている。

俺は通学路のルートを外れて、あの日山中を引き留められなかった、あの場所へと向かった。

あの時、山中が少女に連れていかれた先、きっとそこになにかがある。

一歩一歩、山中とあの少女が歩いた道を辿って歩いていく。しばらく直線の道を歩いていたが、やがて曲がり角にさしかかる。

記憶では確か、二人は左に曲がっていた。そこで視界から消えたから、その先のことは分からない。だから、この先になにかあってほしいと信じながら、角を曲がる。

こんなただの住宅街になにがあるのか。そんな考えは一瞬にして打ち砕かれる。

最初に目に飛び込んできたのは、まるでなにか企業の工場のようなコンクリートで覆われた大きな建物。

こんななにもない住宅街に、これほど大きな建物があることを初めて知った。普段通る道ではないし、知らなかったことはなにも不思議じゃないが、なぜだか少し引っかかる。

――が、そんなことはどうだっていい。

次に目に入ってきた光景に戦慄する。

そこにいるはずのない人物――拓也が、その建物の前に立っている。それも、あの少女と一緒に……

「なんで……?」

思わず声がこぼれる。

拓也もこちらに気づいたのか、ばつが悪そうにうつむいた。

「悪い」

拓也とあの少女がこんな場所でなぜ一緒にいるのか、まったく状況が把握できない。もしこの場所が山中を連れて行った場所ならば、きっとここは夢を見させるための場所。きっと飯河もここに連れてこられたはずだ。

そんな場所になぜ拓也がいるのか。

申し訳なさそうにうつむく姿が、少女に異議を唱えるために来たわけじゃないことを物語っている。

「なんでおまえがこんなところにいるんだよ……この道、通学路じゃなかったよな?」

それでも拓也は黙ったままで、一向に顔を上げようとしない。そのはっきりしない態度に、少しずつフラストレーションが溜まっていく。

「なんでこんなところにいるのか、答えろって言ってんだよ!!」

しばらく沈黙が続くと、ついに耐え切れなくなって思わず声を荒げてしまった。

なぜ拓也がこんなところにいるのか、本当はなんとなく分かっている。ただ、そんな俺の推測を今すぐにでも否定してほしい。

だけど、そんな俺の願いを裏切るかのように、拓也は嗚咽を漏らし始めた。

「夢を……夢を見たんだ。

ほんの数年前の、すごく幸せだったころの夢を」

まるで頭を殴られたような衝撃が走る。なんだって今、そんな夢を見てしまったのか。過去のことは捨てると決意したその日の夜に見るなんて、あまりにも間が悪すぎる。あれほどの決意をあっさりと打ち砕くほどの魅力が、今朝拓也の見た夢にはあったのか。

「なんで、今日なんだよ……!」

今までずっと黙ったままだったあの少女が、冷たい瞳でこちらを一瞥し、そして不敵な笑みを作って見せた。

「その日見る夢の内容は、その時の考えていることや精神状態に影響される。こんなことは常識ですが。まあ、つまりはそういうことですよ」

心の奥底では、やっぱりまだあのころへの未練が残っていたということなのか。そして夢に見たことによって、その想いに気づいてしまった。

昨日、あれだけ必死に過去を振り切ろうとした拓也には、あまりにもひどい仕打ちだ。昨日のままで、いられるわけがない。

「ごめんな。せっかく昨日メールするのに付き合ってもらったのに」

「なんで謝るんだ」とか、「謝る必要なんてないよ」とか、言ってやりたいの唇が動かない。

なんでこんなところに拓也がいるのか、そんなことはもう分かってる。

「さあ、早く行きましょう。夢の続きを見るんでしょう?」

拓也は少しためらったような素振りを見せたが、すぐに少女のもとに歩み寄って行った。

ここで引き留めなければ、拓也は絶対に山中と同じ道をたどることになる。もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない、そう思った瞬間さっきまで硬直していた身体は自然に動き出していた。

「行くな、拓也ああ!!」

とっさに腕をつかんで、動きを止める。確かに俺は夢を見たこともないし、今に絶望したこともない。そんな人間には、今の拓也を止める権利はないかもしれない。

けど、それでも俺は止まらない。権利なんて必要ない。引き留めたいから引き留める。腕をつかんでいる手にさらに力を加えて、絶対に離さないという意思を伝えた。

――が、その意思は一瞬にして砕かれる。

「離せよ」

掴んだ腕は強引に振りほどかれ、鋭い視線で射抜かれた。それだけでもう、はっきりと拒絶されたのが分かった。

「俺はもう夢の中に逃げるんだ!あんな夢を見せつけられて、夢の続きを望まずにいられるわけないだろう!!あんまり夢の中が心地よすぎて、胸の中がめちゃくちゃなんだよ……」

きっと、目が覚めてこれが夢だと分かった時、拓也はどこまでも絶望したのだろう

夢と現実のギャップに耐えられなくなった拓也は、ここにある今よりも夢の中の過去を選んだのだ。ありもしない幻に、俺は負けたのだと、悔しさがこみ上げる。

「ごめんな、慎哉。けど、俺にはこれしかないんだ……」

謝るくらいなら、今を捨てるようなこんなバカな真似をしないで欲しい。本当は無理やりにでも引き留めて、夢の続きを見るのを止めさせたい。

なのに、そんな意思に反して身体が動かない。今の拓也はなにをしても止まらないと分かっているから。これ以上かける言葉も浮かんでこない。

「本当にごめんな。俺だって、慎哉と過ごす高校生活も、今思えば嫌いじゃなかったよ。だけど、あんなに幸せに満ち溢れた世界を見せつけられて、それでも今がいいなんて言えるほど大人じゃないよ」

それでも、なんとか引き留めようと腕を伸ばす。すると今度は、あの少女が俺たちの間に割って入って邪魔をする。

「人の願いを邪魔するのはよくないですよ?

夢は、時に現実以上に心を動かすのです。夢を見たこともないあなたには、分からないでしょうけど」

少女の口ぶりに少し違和感を覚える。

「なんで、俺が夢を見たことがないって知ってるんだよ。そんなこと、おまえに話した覚えはないんだけど?」

「それはそんなに大事なことですか?」

「なに?」

「私は今まで多くの人に夢を見せてきましたから、その人がどんな夢を見たいのか、相手の目を見れば全部わかります。けど、あなたからはなにも見て取れませんから」

俺は、こんな少女に見抜かれるほど、空っぽな目をしているのだろうか。

「なあ、もういいだろ。早く俺に夢の続きを見せてくれよ。もう我慢の限界だ。こちとら、もう耐えられなくておかしくなりそうなんだよ」

「そうですね。彼は放っておいて行きましょうか」

拓也は少女に連れられて建物の中へと入っていく。今度こそ本当に、俺は引き留めるのを諦めた。ただ、二人の背中を見送りながら、呆然と立ちつくす。

今度もまた、止められなかった。後悔とか諦めとか、無力感とか、そういうもので頭の中がぐちゃぐちゃになって気持ち悪い。

眠りに向かう友人の背中に向かって最後に、「いい夢を見ろよ」と言ってやるのが優しさなのか、それともそれは残酷な言葉なのか、俺にはもう分からない。

少しずつ二人の背中は小さくなっていき、建物の中に入ると完全にその姿は見えなくなった。その瞬間、どうしてか身体から一気に力が抜けて思わず地面にへたり込んでしまった。

――失敗した。

全身を無力感が支配して、この場から動くことも立ち上がることもできなくなってしまった。追いかけることも、諦めて学校に戻ることもできずに、俺はただ一人地面の上で座り込む。膝を抱え、体を丸め、ついにはうずくまるような態勢になった。

仮に、拓也がもう二度と夢から醒めなかったとしても構わない。過去のことと切り捨ててしまえば、止められなかったことを後悔したりしない。いつだって俺は、そうやって無くしたものを切り捨てて、心に傷を負わないように賢く生きてきた。今回だってそうやって拓也のことを諦めてしまえば楽になれる。

そのはずなのに……俺はいつまでたってもここから動き出せずにいた。

巨大な建物の入り口は閉ざされていて中に入ることはできないが、ここでこうして待っていれば、いつか目を覚ました拓也がひょっこりとやってくるかもしれない。そんな甘い期待を抱きながら俺は待ち続ける。

ドリームマシンを使った人間は、永遠に目を覚まさないわけじゃないことは最初に園山が証明してくれている。

もう何分座り続けたのか、時間の感覚が麻痺してしまって分からないが、もうとっくに学校は始まってしまっているだろう。別に無遅刻無欠席を目指す優等生でもないし、授業に遅れようと今更どうだっていい。それに、朝の教室に俺がいなくて誰も気にする人はいないだろう。

そして、さらにそこから時間が過ぎていく。

いつの間にか俺は、座ったままの態勢で浅い眠りに落ちていた。静かな住宅街の細道、人通りはまるでなく、眠りを邪魔するものはなにもない。秋の日差しは少しまぶしいが、暖かくて気持ちいいくらいだ。

そんな心地のいい眠りは、唐突にさえぎられた。

「こんなところで、何をしているんですか?」

重い瞼を開くと、まぶしい光が視界いっぱいから入ってくる。しばらくして目が慣れてくると、ようやく今の状況が把握できた。

見上げると、あの少女が俺の顔を覗き込むように見下ろしている。拓也の夢を見せて、もう彼女は役割は終わったのだろうか。

「別になんだっていいだろ。あんたには関係ない」

「さっきの彼が出てくるのを待っているんですよね?」

彼女は俺が拒絶しているのも意に介さず、この場から離れようとしない。少女からの問いかけにすぐ答えられなかったのは、完全に図星だった。

「彼はもう起きてこないですよ。起きてきたころには、もうあなたの知っている彼ではないですから」

「知ってるよ、そんなこと」

知りながら、こんなところで待ち続けているんだ。こんなバカなことをするなんて、自分でもどうかしていると思う。

少女は相変わらず、観察するような目でこちらを眺めている。その目がどうにも不快でしょうがない。

「こんなところで油を売ってていいのか?俺なんてほっといて、早く新しいターゲットを探しに行った方がいいんじゃないのか」

早くどこかに行ってくれと、そんな願いを込めながら言い放つ。だが意外にも彼女は、俺の願いとは裏腹にこの場所にとどまり続けた。

「うん。そのつもりですよ。ただ、あなたにも少し興味がわいてきました」

「夢を見ない人間なんてどうでもよかったんじゃないか?急に気でも変わったのかよ」

「ここまで夢に興味を持たない人間というのも初めて見ましたから。どうして夢を見られないのか、少し知りたくなりましたよ」

どうして俺が夢を見ないのか、それは確かに俺も知りたい。ただ、その答えはいまだに見つけることが出来てないくらい簡単な問いじゃない。

「ねえ、あなたは夢が嫌いなの?」

「嫌いだよ。というより、嫌いになった」

友人を何人も惑わして虜にしたものを、今まで通り受け入れられるわけがない。特に、夢がどんなものかわからない俺にとっては、未知の恐怖以外の何物でもない。その恐怖は、夢が身の回りの現実を侵食していくとともに増大していく。

ただ、それと同時に夢に対する興味も増していった。夢さえ見られれば、俺も人並みに何かに希望をもって生きられるのだろうか。

今が楽しくなったり、未来に希望を持てたり、過去の輝きに憧れたり、そんな生き方ができるのだろうか……

「そう。あなたが夢を嫌いになる理由は分からなくはないけれど、どうして夢が見られないんでしょうね。ひょっとしたら、あなたが欲望も後悔もなく生きているから、夢を見られないのかもしれませんね」

そう言う少女は不敵に笑った。どうして彼女の笑みはこんなにも、不気味に映るのだろうか。

明らかに俺よりも一回り年齢が下の、フリルの服を身にまとった少女の憶測は、あながち間違いではないかもしれない。

確証はないし、確かめる方法もないけれど、そんな理由で夢が見られないのなら不思議と納得できる。

道理で夢なんて見られないわけだと、笑い飛ばしてやりたくなる。

「なかなか、面白い妄想だな。もしそれが本当なら、俺は一生夢なんて見られないな。今から欲望とか未練とかを覚えるような人間になるなんて想像もつかないし」

「そう。あなたはどうあっても夢を見ることはないのですね」

興味を持ったと言った時の顔はどこに行ったのか、少女の表情は呆れたような失望に変わっていく。そして、一度だけ小さくため息をつくと、くるりと半回転し背を向けた。

「あなたのこと、個人的には少し気になりますけど、夢を見ることもできない人間に構っていられませんから」

少女は去っていこうとする。きっとこれからまたどこかで、夢を求める少年か少女に甘い言葉をささやきに行くのだろう。目的は分からないが、そうやってずっと夢に溺れる人を増やし続けていくのだ。

別になにか特別な理由があったわけじゃない。それでもなぜ俺の身体は反射的に動いていた。

「待てよ」

去っていく少女の腕を、俺はとっさにつかんでいた。

「まだ、何か用ですか?」

不快感を隠さない冷たい瞳で、少女は見下ろす。その年齢に見合わない威圧感に、思わず怯みそうになるが、その腕は離さずつかみ続けた。

「ドリームマシン。俺にも使わせてくれないか?」

「ふうん。夢を見られないあなたが?見たい夢なんてないと思ってましたけど……」

「まあな。確かに見たい夢はないけど、夢を見てみたいとは思ってるよ」

しばらくの間、少女は何も言わずに俺の顔を見つめ続けた。本当に夢を見たいと思っているのか見定めるかのように、表情を変えずに見つめ続ける。

やがて、もう見定めるのは満足したのか、一つ大きく息をついて目をそらした。

「構いませんよ。あなたにも効果があるのかは分かりませんが、特別に使わせてあげます」

「ありがとう」

「もし夢が見たいって言うのが建前で、本当の目的がこの建物の中に入ってお友達を助け出すのためだって言うなら、許しませんからね?それに、無理矢理夢を中断させた場合の使用者の安全は保障できませんから」

「そんなことするわけないだろ。それに、俺はよくわからないけど、夢の途中で無理矢理起こされるのって、すごく気分悪いんだろ?」

「そうですね。それが幸せな夢なら、なおさら」

少女は再び建物の方へと向かっていく。そして、扉に手をかけると閉ざされていたはずの入り口が開け放たれた。その先に何が待っているのか、建物の中は暗くてここからでは分からない。

何時間かぶりに立ち上がり、ガチガチになっている身体をほぐしていく。

「さあ、どうぞ。この先にあなたの求めるものが待ってますよ」

ついに、建物の中に足を踏み入れる。中の方は暗くてあまり様子が分からなかったが、しだいに目が慣れてくると少しずつ見えるようになってきた。

外から見て思った以上に建物の中は広く、大きな広間のような空間があるだけの簡素な造りになっていた。

そして、嫌でも目に入ってくるのは目当てのものでもある大量のドリームマシン。この大きな広間にびっしりと、等間隔にきっちり並べられている。ドリームマシンの中には人が入っているものもあれば、未使用のものもあった。この中のどこかに拓也や山中たちがいるのだろうけど、暗くてどこにいるのかまでは分からない。

「さあ、空いているものならどれでもいいですよ」

彼女に導かれるままに、一番近くにあったドリームマシンのそばに立つ。

そういえば、ドリームマシンの実物を見るのはこれが初めてかもしれない。まるで巨大なマッサージチェアのような見た目で、頭を置く部分には巨大なドーム状の機械が取り付けられている。きっとこれが脳に何かしらの作用を起こす機械なのだと容易に想像できた。

「起動すれば、あとはこの機械が使い方を説明しますから安心してください」

本当にこの俺が夢を見られるのかは分からない。けどほんの少し、初めて見ることになる夢というものを楽しみにしている自分がいた。

夢を見れば、俺も何か少しは変われるのだろうか?

そんな期待を隠しながら、ドリーマシンのチェアの部分に乗っかった。リクライニング機能付きで、なかなか座り心地は悪くない。

そして、俺は迷うことなく手元にある起動スイッチを押した。

冷却ファンの回る音、どんな処理が行われているのかは知らないが、頭の部分の機械からは、小さな音が聞こえてくる。

あれほど恐怖を覚えたドリームマシンを、今受け入れようとしているなんて、どんな因果だろう。

「せめて、いい夢をご覧になってください」

彼女はそう言うと、この建物から去って行った。

いよいよ静かになった空間に、機械の合成音声が鳴り響く。

『ドリームマシンを起動します

しばらくお待ちください……』

目の前に迫る頭上の機械には小さなスクリーンがあり、そこには“起動中”の文字と、進行度合いを示すメーター。すぐにそのメーターはいっぱいになり、画面が変わる。

『…………ようこそ。

起動完了しました。

夢の内容を作ります。登場人物のデータを入力してください』

見たい夢なんて何もない。ここに来て、頭を抱えたくなる。しばらく悩んだ末に、結局入力したのは一人の人物の名前だけ。

――中原慎哉。と自分の名前を入れていた。

『確認しました。続いてあなたの願いを抽出します。

脳波振動装置を装着してください』

言われたとおりに機械に備え付けられている電極パッドのようなものを頭に取り付ける。

これだけで、人の考えが読み取れるのだろうか。

『確認しました。

夢の内容が確定しました。

30秒後から夢の世界へ移ります。

そのままでお待ちください』

たったの30秒が、まるで永遠のように感じられる。この30秒という短い時間の中で、いろいろな考えが頭の中を駆け巡った。

園山と久しぶりに二人で遊びに行こうとしたこととか、このドリームマシンの誘惑からみんなを救えなかったこと。そして、欲望も後悔もなしに生きてきた今までの人生。

まるで30秒の限界に挑んだかのような膨大な思考も、機械の合成音声によって打ち切られた。

『準備が完了いたしました。

それでは、良い夢をご覧ください……』

どういうわけか、案内の音声が消えた瞬間強い眠気が襲ってきた。

なす術もなく眠りに堕ちてゆく……

自分の意識がどんどんと薄くなっていくのが分かる。見たい夢の内容を紙に書いて、それを枕の下に入れておけば本当に見られるなんて言うけれど、その時の気持ちはこんな感じなのだろうか?

それが最後の思考。俺の意識はそこで途切れる。


――そして、夢が始まった。



4―2

男が一人立っていた。

そこが夢の世界だと理解するのに、しばらくの時間が必要だった。いわゆる明晰夢というやつだろうか、夢の中だというのに自分の思い通りに身体が動く。そこでの感覚はあまりにもリアルすぎて、本当に夢の中なのか分からないほどだ。

ここが夢の中だと判断できた唯一の理由は、この世界に来る前の記憶があったからだ。間違いなく、起きていた時の俺はあそこでドリームマシンを使って、夢を見ようと試みた。

だが、今俺が立っている場所は前後を見ても左右を見ても、はたまた上を見上げても、何もありはしないつまらない空間で、夢と呼ぶにはあまりにも簡素過ぎた。

けれど、そんな何もない空間に一つだけ異質とも呼べるものがあった。

「やあ、よく来たね」

そいつはこんな大きな空間に、ただ一人立っていた。来訪者であるこの俺を歓迎するかのように、うっすらと目を細めて微笑んだ。

最初は男と形容したが、少年と呼ぶ方が近いか。そいつの顔を俺はよく知っている。まだ小学生くらいのそいつの顔は見ているだけで吐き気がしそうになる。

瓜二つなんてものじゃない。そいつは間違いなく、子供のころの俺と全く同じ姿かたちをしていた。

「誰だよ、おまえ」

俺と同じ顔をした何かに、吐き捨てるように問いかける。

確かにドリームマシンの最初の設定の時に、自分の名前を入力したが、こんなつもりで入れたわけじゃない。

しかも、なんで今の自分じゃなくて小学生の時の自分なんだろう。考えても当然、答えは分からない。

「誰って、僕の顔を分からないわけないでしょ?僕はあんただよ」

「こんなのが、ドリームマシンが作り上げた俺の見たい夢だっていうのか?こんなもの見せつけられても、胸糞悪いだけだよ」

早くも現実に戻りたい。やっぱり俺は、みんなみたいに普通の夢は見られないのだろうか。

「あんたが望んだんだろう?中原慎哉に会いたいと。夢の中に生きる、もう一人の中原慎哉に会いたいと……」

あまりの突拍子もない言葉に、何の反応もできなかった。こいつが何を言っているのか、理解するのに少しの時間がかかる。

ドリームマシンだなんて、まるでSFの世界だと思っていたけれど、本当にそんな訳の分からないことに巻き込まれたのだろうか。

さっぱり事情が理解できないでいると、目の前の俺は呆れたような顔で肩をすくめて見せた。

「僕はあんたが子供のころに夢の中に置き去りにしてきた、もう一人の自分だよ」

目の前にいる俺と同じ顔をした少年が言っている言葉は、完全に理解の範疇を超えていた。さっきのセリフを分かりやすい言葉で言い換えたのだろうけど、少しも分かりやすくなっていない。

「なんであんたは夢を見られないのか、これがその答えだよ。欲望や後悔であふれていた自分を、自身の夢の中に抑え込んだ。本来だったら、夢を見る自分と現実を生きる自分が同居していなきゃいけないのに、おまえは無意識のうちにそれを分離させたんだ」

ずっと知りたかった答え。なぜ俺は夢を見ることが出来ないのか。それをまさか夢の中で知ることになるとは、思わず笑ってしまう。

にわかには信じられない話だけれども、なぜか自然と納得できた。相手が俺と同じ顔をしているというのも信じた理由の一つだが、夢を見る自分のを夢の中に閉じ込めるなんて、いかにも俺の考えそうなことだと思ったからだ。

「夢を見るなんて百害あって一利なし。害悪でしかないとずっと昔から俺は悟ってたんだろ?昔のことなんて覚えてないけど、自分のことだしそれくらいは分かるよ」

“正解だ”と言いたげに目の前の少年は微笑んだ。なんで子供のころから夢を見ることは無意味だと悟ったのかは分からないが、思い返してみれば子供のころの努力が実ったことなんて一度もなかったかもしれない。

夢を見ることでいいことなんて一つもない。ありもしない幻に一喜一憂して、目が覚めたとき現実を突きつけられて嘆くのだ。

現実の世界では絶対に手に入れることのできない幸せの虜になって、帰ってこられなくなったやつを俺はもう何人も見てきた。

夢は麻薬に似ていると、誰かが言っていた。何気ない出来事でも美化されて、目覚めた後もその心をむしばみ続ける。

夢を見ることに意味なんてなくて、ただ心を傷つけるだけだ。

「今でもあんたは、夢を単なる害悪で片付けるのかい?」

少年は問いかける。

それは紛れもない自問自答。

悩むことなんてない、俺はずっと昔から夢を見ることに価値を見出してこなかったし、そしてこれからも変わらない。

そのはずなのに、目の前の少年はすべてを見透かしたような目で薄ら笑う。

「ドリームマシンを媒介にした夢は全部つながっている。案内してあげるよ。みんなの夢を見に行こう」

何一つ言っている言葉の意味は分からなかったが、思わず少年の差し出した手をつかんでしまった。

その瞬間、世界が反転した。

それは一回にとどまらず、ぐるぐると視界が回転を繰り返す。気持ち悪くなって思わず目を閉じると、すぐにその浮遊感は治まった。

さっきまでの回転は終わったのか、確かめるために恐る恐る目を開ける。瞳を半分も開けたころ、目の前の世界の異変に気付く。

世界がまるで変っている。目の前に俺と同じ顔をした少年がいるのは変わらないが、それ以外はさっきまでの世界の面影を少しも残さないほどに変わっている。

――ワラッテル

見たこともない人たちが集まって、男子も女子も関係なくただ楽しそうに笑っている。みんな年齢は俺よりも一回り下くらいだろうか、中学生くらいに見える。

そんな知らない顔の中に、一つだけよく知っている顔を見つけた。そいつは輪の中心にいて、一番楽しそうに笑ってる。

だけど、その男だけ年齢が一回り上で、はたから見ると少し浮いているように見える。

みんなどこまでも楽しそうで、そこには幸せだけがあった。

「次も見てみるかい?」

目の前の少年は問いかける。俺は少しも迷うことなく、首を縦に振った。

すると、再び世界は反転する。

思わず目を閉じると、再び浮遊感が襲ってくる。しかし、それも数秒のうちに治まると、景色はまた変貌を遂げる。

さっきまでの楽しそうな男女のグループは消え去って、代わりに今度はたった二人の男女が現れた。

その二人の男女のことを、俺は知っている。男の方にいたっては、知っているなんてものじゃない。間違いなく、俺そのものだった。

そいつは、目の前にいる小学生の姿をした自分とは違って、今の時間の俺だった。こんな狭い空間の中に自分が3人もいるなんて吐き気がしそうだ。

さっきの中学生くらいのグループもそうだったが、目の前にいる二人の人物は俺たちに気づいているそぶりを見せない。こちらからは見えていても、向こうからは見えていないのだ。

二人は俺の視線にも気づかずに、楽しそうに並んで歩いている。二人が歩いている場所も俺のよく知っている場所だ。駅前のアーケード商店街、その大通りを手をつないで歩いている。なんとなく、いつもの街並みさえ美化されているように思える。

並んで歩く二人を見ているとなぜだか、すごく気持ち悪い違和感を覚える。

別に、自分と同じ顔が目の前にあるからじゃない。むしろその逆で、目の前の俺が本当は俺じゃないようにさえ思えてしまう。

姿や形、声だってこの俺と変わらない。だけど、一つだけ違う。

俺は、こんな風に笑わない。

「もういいだろう?おまえが何をしたいのかは分からないけど、他人の夢を覗き見るなんてもう十分だよ」

「まあ、そう言うなよ。他人の夢を覗き見るなんて、あんたくらいしかできないんだし、せっかくだからもう少しみていこうよ」

そう言うや否や、視界が反転し目の前の世界が変わる。

今度の舞台は学校の教室。それも、今のクラスの教室でクラスメイト達が楽しそうに笑う。これが誰の夢かはすぐに分かった。

みんなが笑っている。

作り物の笑いを浮かべて、一人の男子生徒に語りかける。そんな光景が延々と続く。

その夢はあまりにも稚拙だった。

今度は何の前触れもなく世界が変わった。

登場人物は3人で、その中にはまた俺がいた。たぶんここは園山の家の中。中学校に進学して以来行ってなかったけど、なんとなくこんな部屋だった気がする。

部屋の中で3人は和やかに思い思いの時間を過ごしている。夢なんだからもう少しありえないような設定にすればいいのにと思うが、そういう控えめなところもこいつらしい。

しばらくの間その夢を眺めていると、唐突に目の前の世界が崩れ落ちた。部屋の家具もそこでくつろぐ3人も一緒に。後に残ったは、一番最初の何もない空間と俺と同じ顔をした少年だけだった。

「楽しんでもらえたかい?」

「人の夢をのぞき見しておいて、楽しいもくそもないだろ。ただ悪趣味なだけだ」

「今さら良い人ぶるなよ。他人のものとはいえ、初めて夢っていうものに触れてガラにもなく興奮してるんだろ?」

「別に興奮はしてないよ。ただ感心しているだけ。夢ってもっと突拍子もないものかと思ってたけど、案外みんな普通のものを見てるんだな。現実みたいな夢なのに、それなのにみんな起きたくないと願うのかよ」

「ドリームマシンは、本人の望んだ夢を見せるものだから、普通の夢と違って自分の想像できる範囲の夢しか見られない。けど、それでも間違いなく本物の夢だから、現実以上に心をつかむのさ」

いつから夢を見なくなったのかは覚えていない。ただ、目の前にいる自分が小学生の姿をしているということは、きっとそれくらいの時期に夢を捨てたんだろう。

まだ俺が夢を見られたころに見た夢なんて、これっぽっちも覚えていない。だから、間違いなく今触れてきた夢が初めて触れる夢だった。

「で?これだけいろいろ見せてあげたんだ、少しは夢っていうものが理解できたか?」

「それなりには、な……」

みんながどんなことを考えているのか、まるで心の中をのぞいたような気分になった。ちょっとした罪悪感と、みんなの考えていることが分かった喜びとが入り混じる。戻りたい過去とか、目指した未来、手に入れたいもの。

人間の感情は、思った以上に単純だった。

「これだけの夢に触れて、あんたはまだ夢なんて無意味だと切り捨てるのか?人が夢を見ることにはなんの価値もない、ただの害悪だと……」

ずっと昔に捨てた、夢を見るという行為の意味を、再び自分自身に問う。みんな夢を見たせいでおかしくなっていったというのに、俺は今夢を否定しきれずにいる。

「夢っていうのは歪なものだよ。理想だけを描いた世界なんて、嘘っぱちみたいなもので、だからどうしても、ひずみみたいなものができてしまう」

さっき覗き見た夢にあった、偽物みたいな笑顔を思い出す。あれは間違いなく現実にはありえないような、嘘っぱちの幻だった。

けど、幻のようにさえ思える人の夢は、偽物や幻影なんかじゃない。俺が目にしたみんなの夢は、確かな形をもって目の前に存在した。

夢は幻なんかじゃなく、一つの世界としてこうしてここに存在している。

だからこそ、時に現実以上に人は心を揺さぶられてしまうのだろう。

そして、あまりにも強い感情を揺さぶる力を持っているゆえに、悪夢から目覚めた後の抜けきらない恐怖心や、幸せな夢から覚めてしまった後の絶望を受け止めなければならないという代償も待っている。

それを十分に理解したうえで、自分自身に問いかける。“夢をただの害悪として切り捨てていいのか”と……

「僕を受け入れてくれよ。あんたがずっと昔に切り捨てた夢を見る自分を、もう一度受け入れてみろよ」

欲望とか後悔とか、当たり前の感情を持つものだけに与えられた特権。目を閉じて眠りにつけば現れる、当たり前の現象。

それを、俺は……

「夢が見たい。俺の夢を、いつまでもこんなところに取り残したままには、したくない。

俺はお前を、受け入れるよ」

手を伸ばす。これは、前に進むための決断。夢を見ることの苦しみは十分に理解できたつもりだが、それ以上に夢を見ることの意味を知ってしまった。

俺たちが手を触れ合わせると、一瞬だけまばゆい光があたりを包み込んだ。そしてその後、少しずつ世界が崩れ始める。

――目覚めの時が来る。

次に目を覚ました時、眠りにつくまでの俺はもういない。より良い未来を夢見るし、失ってしまった過去を追い求めてしまうこともあるだろう。

「なあ、あんたはこれから目を覚ました後のこと考えてあるか?」

消えゆく姿の、少年の姿をした俺が問いかける。

「詳しいことまでは分かってないけどさ、夢の中に置き去りにしてきたお前を受け入れるってことは、また昔のころのように夢を見られるようになるんだろ?」

「そうだよ。夢を見るってことは欲望とか後悔の当たり前の感情の副作用さ。目を覚ましたらそれも取り戻すことになるんだよ」

もう世界は完全に崩れ去って、さっきまでの大きな空間のなんの跡形もない。俺たちの身体も、もうほとんど消えかかっている。

目が覚めた後の自分がどうなるのか、希望とか不安とかでいっぱいになる。今までの空っぽだった自分との別れ。

「けどさ、あんたは目が覚めた時の喪失感に耐えられるのか?」

少年から警告が告げられたその瞬間、世界は完全に崩れ去った。

いつだって目覚めは唐突にやってくる。目が覚めた、その時が始まり。目を覚ました人間は夢の終わりを受け入れて、現実に立ち向かわなくてはいけない。その時が、いよいよやってくる。


目を開くと、光が差し込んできた。


4―3

何時間くらい寝ていただろう。建物の入り口の扉が開かれていて、眠る前は真っ暗だった部屋にわずかだが光が差し込んでいた。建物の中は相変わらず、巨大な機械とそこで眠る人々であふれていた。

機械を使って無理やり眠りに落ちたせいか、頭がズキズキしてうまく思考が回らない。さっきまで見ていたはずの夢の内容もいまいち思い出せない。

ただ、なぜだろう。心の中に大きな喪失感が引っかかっている。

「まあ、いいや。学校に行かなきゃ」

今が何時なのかもわからないが、とりあえず学校を目指して歩き始める。学校に行けば、みんな俺のことを待ってくれているだろうか?

建物の外に出ると、日差しがまぶしくて思わず目を閉じて立ち止まった。

昨日までの、未来も過去も興味のなかった自分はもういない。理想の世界を追い求めるし、取り戻したい過去があればそれにすがって生きていく。そんな生き方を俺は選んだ。

2020年の秋、人は望んだ夢を見られる技術を手に入れた。恋をした人も、安らぎを求めた人も、現実から逃げ出した人も、過去にとらわれた人も、誰もがずっと理想の海に溺れつづけた。

理想郷はすぐそばにある。

どこかから、少女の声が聞こえた。

「ぜひまた戻ってきてくださいね。次はちゃんと幸せな夢を見せてあげますから。いつだって私はドリームマシンと共に、あなたに“夢”を見せるためにここで待ってますから」

それは甘い香りのように俺の心をくすぐった。


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