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2章

2―1

翌日の学校は、ひどくつまらない気持ちで臨むことになった。

園山が教室を飛び出した後、俺は園山の家に電話したが結局本人と話すことはできず、放課後に家まで様子を見に行くことも断られた。

今、教室の中に園山の姿はない。

「ねえ、芽衣ちゃんは大丈夫なの?中原くん、何か知らない?」

午前の授業が終わり昼休みに入ると、クラスの女子が一斉の俺のところに寄ってきて同じ質問を浴びせかける。

みんな一様に心配そうな顔をしている。園山は人当たりもよくて、それなりにクラス内からの人望は厚かった。

「悪い、俺も何も知らないんだ」

そう俺が答えると、クラスの女子はガックリしたように肩を落とし各々の席に戻っていく。あんなに人だかりができていたのに、一瞬にして俺の周りには隣の席の拓也だけになってしまった。

「大変だな、おまえも」

本当にそんなことを、あの拓也が思っているのはわからない。

「まったくだよ、本当」

「おまえさ、マジで何も知らないの?」

拓也からの思わぬ質問に、ドキリとする。俺が知っていることなんて、ほんの少ししかないし、なぜ園山が眠り続けているのかもわからない。

あるのは、ただ一つの仮説だけ。

いつになく真剣な目で見つめる拓也の目を見つめ返す。拓也になら、俺の知っていることや考えていることを全部、話してもいいかもしれない。

そう思った瞬間。

「だから、知らないって言ってんだろ!?」

突然、教室内に怒号が響いた。昼休みで活気のあったクラスは、一気に静まり返った。

どうやらクラスメイトの男子二人がもめあっているらしい。大声を上げたほうは、普段から気性の荒いやつで、もう一人はクラス内で少し浮いた存在になっている、山中卓だ。

「やれやれ、またあいつらか」

呆れたように拓哉はつぶやく。あの二人がもめ事を起こすのは、別に珍しいことじゃない。山中はいつもクラスで問題を起こしてはクラスの連中から疎まれている。

「おい、山中。今度はどうしたんだよ」

見かねたクラスメイトが山中まで事情を聴きに行く。

「どうしたもこうしたもねえよ!僕の古文の教科書がないんだ。またおまえらがどこかに隠したんじゃないのか!」

「そ、そんなことするわけないじゃないか!濡れ衣だ!」

一度だけ、クラスの中心角の女子が、山中の素行に嫌気がさし、懲らしめるためと言ってものを隠したことがあった。

けど、そんなことで山中が懲りるはずもなくて、それをきっかけにますますクラスと山中の対立関係は悪化していった。

「今回はどうなんだろね。クラスの様子見てる限り、マジで誰も隠してなさそうだけど」

「山中のやつがどこかに失くしただけだろ。どうせ」

「ったく。こんな態度じゃ、ますますクラスで孤立するだけだろ。もう同情できねえよ」

拓也はひややかに言い放つ。冷たい言い方に見えるが、山中の日頃の態度を見ていればしょうがないように思える。

「てめえも、いい加減しつこいんだよ!」

最初に怒号を上げた男が山中を突き飛ばす。よろけて倒れた山中に、誰一人として

手を貸そうとした人はいなかった。

後でわかったことだが、山中の教科書は先生が回収したノートの中に一緒に混ざっていただけのようだった。


2―2

「おっしゃあ!フルコンボ!」

放課後のゲームセンターに一人のチャラついた男の声が響く。

「ずいぶん楽しそうだな」

「そりゃあ、フルコンボ決められたら爽快だよ!慎哉もやるか?」

「遠慮しとくよ。音ゲーとか、気付いたら金がなくなりそうだし、よっぽどゲームソフト買ったほうが安上がりな気がする」

「お金とか、そういう問題じゃないんだよ。わかってないなあ、慎哉は」

別に分かりたくもないけど、と思っても怒られそうだから言葉にはしないでおく。

俺が高校に入って拓也と出会って、最初にゲーセンに連れられて行ったときは、ここまで拓也のゲームの腕は高くなかったはずだ。いつの間に練習をしているのか、気が付いたらこんな高難度でフルコンボを決められるまで上達していた。

「なあ、拓也。どこかカラオケでも行こうぜ。もうそろそろゲーセンはいいだろ」

本当ならそろそろお開きにしてもいい時間なのだが、今日はまだ帰る気分にならなかった。なんとなく園山のことがモヤモヤして、カラオケで発散したいような、そんな気分だ。

「珍しいじゃん、慎哉のほうから誘ってくれるなんて。何時間でも付き合うぜ?」

こういう時に、気を遣わない友達がいてくれるのは心強い。

「ありがとよ。店はどこでもいいだろ?」

「ああ、もちろん」

ゲームセンターを出ようとしたとき、賑わう人ごみの中明らかに浮いている人物が目に入った。俺たちより一回り幼そうで、めかしこんだような可愛らしい服を着た少女が一人立っている。

その少女はゲームセンターにいながら、なにかゲームをするわけでもなく何もせずに立っている。ただ、その目は真剣でこのゲームセンター全体を観察するように見つめ続けている。全体、というよりはここでゲームをプレイしている人たちを真剣に見つめている。

「おい、行くならさっさと行こうぜ」

拓也が俺を急かそうと声を出した瞬間、その少女の瞳が拓也のほうを向いた。

そして確かに、少女はニヤリと不気味な笑みを見せた。


2―3

「さて、なんでもいれていいぜ」

いつもなら真っ先に曲を入れるはずの拓也が、珍しく曲を入れる機械を譲ってきた。

「園山のことで、ずっとモヤモヤしてるんだろ?」

「そういえば昼間の話、途中で終わってたんだったな」

昼休みに山中が起こした騒動のせいで、園山についての話が途中で遮られたのを思い出す。昼間の話の続きをするのにいい機会だと思い、曲を入力する手を止めた。

「俺はさ、この前の土曜日に久しぶりに園山と二人で遊ぶ約束をしたんだよ。向こうから誘ってくれるなんて久しぶりだったから、すごく嬉しかった」

拓也は空気を察したのか、何も言わずに黙って聞いてくれている。普段のちゃらんぽらんな態度はどこに行ったのか、いつになく真面目な顔をして見つめている。

「けどさ、土曜日の約束の時間になっても園山は来てくれなかった。理由は単純で、単なる寝坊だった。でも、あの園山が何時間も寝過ごして約束をポカすなんてありえないだろ?」

「確かに、らしくないな」

拓也は多分、今のこの話がどう昨日の園山の奇行につながるのか分かっていない。

「俺はさ、園山が土曜に眠り続けていたのも、昨日のおかしな言動も全部原因は同じだと思ってる」

回りくどい言い方はせずに、一気に話は核心に迫る。

「ドリームマシンを、園山は使ったんだ」

「どうしてそう思うんだ?」

至極当然の質問。それに対する答えは、すべて想像でしかない。けれど、俺はその根拠を示すため、話し出した。父親にボーナスが入ってドリームマシンを買ってもらうことになったこと、そして金曜の夕方にはそれが届いたということ。

タイミングを考えれば、ドリームマシンが関係していないなんて、まずあり得ないはずだ。

寝るときにドリームマシンを使い、その日の夜に面白い夢を見たせいで、朝起きるのが嫌になりあんな時間まで眠り続けた。そう考えれば筋は通る。

「けど、一つわからないんだ。なんでドリームマシンを使ったからって、あんなふうになるのか……たぶん、副作用的なものだと思うんだけど」

一見筋の通った理論のように思えるけど、翌日の奇行の理由までは説明がつかない。自分が見たい夢を好きなだけ見られるなんて、確かに恐ろしい機械だと思う。けど、だからと言って、あそこまで人をおかしくしてしまうものなのか、腑に落ちない。

夢とは、そこまで人をおかしくさせるものなのだろうか。

「そういえば、慎哉って確か夢を見たことがないんだったよな?」

「ああ、そうだけど?」

「人が寝ている間に見る夢っていうのはさ、まるで麻薬なんだ。夢の中で見たものはすべて美化されて、目覚めた時までその人の胸を締め付けるんだよ」

普段のお茶らけた態度からは想像できないほど、拓也は真面目に語っている。拓也にも、胸を締め付けられるような夢を見た経験がきっと何度もあるんだろう。

「だから、園山はあんなにおかしくなっちゃったのか?夢の内容が頭から離れなくなって……」

「とういうより、夢で見た内容と現実の乖離じゃねの?現実がつまらなければつまらないほど、夢の中が幸せなほど、目が覚めた時の絶望は大きい。どんな夢を見たのかは知らないけど、あの子は向上心は高かったし女の子は夢見がちだし、きっと後戻りできないほどの夢を見たんじゃねえの?」

現実が霞むほどの夢を、園山は手に入れてしまったんだろうか。

「一度夢におぼれた人間は、もう二度と引き上げられることはない。夢の中の体験は時に現実のリアル感をも超えることもある。たぶん、今の園山はどっちが現実でどっちが夢かもわからなくなってるんじゃないって、俺は思うけどな」

拓也の語る言葉はどれも俺には分からないことばかりだ。自分が夢を見られないことを劣等感に感じたことないし、今でもやっぱり見たいとは思えない。

「じゃあ、園山が元に戻ることはないのか?夢に溺れていくだけで、もう二度と現実に生きることはないのか?」

「そんなことまで俺が知るかよ。でも、メーカーだって、放っておかないんじゃねえの?被害者が園山だけなんてことはないだろうし」

けれど、どれだけテレビを見てもドリームマシンが原因で事故が起こったなんてニュースは放映されなくて、ついに何万台突破とか好評の声続々とかそんな宣伝ばかりが飛び交っている。メーカーのホームページに行っても、お詫びの欄の一つも見当たらない。こんな状態に陥っているのが、園山だけなんじゃないかと不安になる。

「夢なんて、誰も見なくて済めばいいのにな」

人は眠るたびに夢を見る。人が睡眠をとる限りは離れられないものなのに、そう考えずにはいられない。

「まあまあ、とりあえず吐き出そうぜ」

そう言えって拓也はマイクを差し出した。いつの間に入れたのか、カラオケのスピーカーからは流行りのアップテンポなメロディーの曲が流れだす。

怒りとか悔しさとか不安とか、胸の中に渦巻くドロドロした感情をすべて吐き出すように、歌に込めてただ叫んだ。



2―4

「ホント、むかつく」

授業中のこと、後ろの席の方から不機嫌そうな女子生徒の声が聞こえる。授業では今ちょうど、山中卓が教師からの質問に答えたところだった。わざわざ後ろ振り返って顔を確認するまでもなく、今の声の主は以前に山中のノートを隠した犯人の一人である森だった。

「もういっぺん、しめてやろうかしら」

事もなげに、恐ろしいことをつぶやく声が聞こえる。

森が行動に移したのは、この授業が終わった後の昼休みで、あまりの動きの速さに驚かされた。

「ねえ。あんたさあ、そろそろいい加減にしてくれないかな。ずっと大目に見てきたけどそろそろウザい」

あまり大きな声ではなかったが、確かに教室中のクラスメイトの耳まで届き、誰もがその事態を察した。

「僕が何かした?悪いけど、あんたに恨まれるようなことをした覚えはないんだけど」

森の高圧的な態度にも怯むことはなく、むしろ挑発するような態度を見せる。こういう、どこか斜に構えた態度もクラスの中で浮いていく原因の一つだろう。

「やっぱむかつく。あんまり調子に乗るなよ」

そう言って、森は山中の机の上にあった水筒を逆さにして、中身を机の上にぶちまけた。置いてあったお弁当と教科書、そして制服のズボンにまで水がかかる。

満足したのか自分の席に帰っていく森を、山中はただ睨みつづけている。

「ねえ、山中が先生にチクったらヤバくない?推薦くれないかも……」

森といつもつるんでいる女の声。

「心配しすぎ。山中ってポンコツのくせに無駄にプライドだけは高いから、誰かに助けを求めるようなまねはしないよ」

山中には聞こえないように、森は嘲笑う。馬鹿にしているようにも聞こえるが、案外言い当てているようにも思える。少なくとも、先生にチクったり誰かに助けを求めたりはしないだろう。

山中は表情を変えることもなく、淡々と自分の机に溜まった水を拭き始める。そんな山中の様子を見ても、誰ひとり手伝おうとする人はいない。

明らかに今回の一件を期に、クラスメイトの山中に対する対応が変わっていった。今までだっていい扱いを受けてこなかったが、今回で明らかに一線を超えてしまった。

午後の体育の授業、今までの比じゃないくらい、あからさまにはぶられた。誰も山中にボールを渡そうとしない。けれど、それだけで終わることはなく、体育の授業が終わって帰ってくると、山中の制服がなくなっているという事件まで起こった。

いったいいつ隠したのか、犯人が誰なのかは知らなかったが、反応を見ていればすぐに分かる。この前ノートがなくなった時に口論していた男、そいつが口元を緩め愉快そうに笑っている。

制服は休み時間の間にすぐ見つかった。教室の、ごみ箱の中から……



2―5

「ねえ中原くん、どうしよう。私たちのクラス、おかしくなっちゃうのかな……?」

放課後の帰り道、珍しく寄り道をしないで帰ることにした俺は、クラスメイトの飯河栞と一緒に下校することになった。

飯河は園山の親友で、時々3人で下校したこともあった。飯河とは中学校からの付き合いで、家も俺や園山の家からそれなりに近いところにある。中学校の時は、3人で遊んだことも何度かあった。園山に似て優等生で成績はいつも上位だが、少し気弱なところがあるような気がする。

こんな風に飯河と二人で下校するのは、高校に入ってから初めてかもしれない。俺が飯河といるときは、必ず間に園山がいたような気がする。

「そんなの、俺だってわかんないよ。けど、今回の主犯格は森とかと一部の男子だけじゃないのか?みんなが山中のことを快く思ってないのは確かだけど」

「こんなのほとんどいじめだよ。私はなんとなく、このままじゃいじめが悪化しちゃいそうな気がする……こんな時、芽衣ちゃんがいてくれたらな」

「別にあいつがいたって変わらないだろ。やめようぜ、そういうこと言うの」

「……ごめん」

しばらくの間、気まずい沈黙が流れる。別に園山の話題が禁句になっているわけじゃないが、それでもこのタイミングで名前を出さないでほしかった。

「それより、女子の方はどうなんだよ。森が率先してやってるけど、なんか無視するようにとか言われてんの?」

「私が聞いてないだけかもだけど、そういうのはないかな。でも、暗黙の了解みたいなのはやっぱり……」

暗黙の了解とは、これ以上ないほどに今のクラスの状態を表した言葉だろう。誰かに直接言われた訳じゃない、けどクラス中が山中に関わっちゃいけないと察している。

「女子も、おんなじようなもんか」

「もうやだよ。私の好きだったクラスがこんな風におかしくなっちゃうのは……」

飯河にとっては、親友が突然不登校になって連絡も取れず、さらに落ち着ける場所だったはずのクラスが、急にいじめのある殺伐とした空気に変わったんだ。今まで通り楽しく過ごせっていう方が無理な話だ。

そして、立場的には俺も同じ。

「やっぱり、クラス内でいじめが起こるなんて、嫌だよな」

とはいえ、見て見ぬ振りをしてしまっている俺は、そんなことを言える立場じゃないかもしれない。

それでも、やっぱり自分のクラスがこんな風になるのは許せない。

「きっとみんなも心の中では同じにように思ってくれてるよね?」

「ああ。うちのクラスはいいやつばっかりだし、きっと大丈夫だろ」

「うん、きっとそうだね。今日は、中原くんと一緒に帰れて良かったな」

飯河はようやく、今日始めての笑顔を見せた。

明日、山中に話しかけてみよう。園山がまた学校に顔を出してくれるのはいつになるか分からないけど、少しでも俺や飯河の不安を減らすために、このクラスと向き合うんだ。

だんだんとお互いの家が近づいて、道が別れる場所に差し掛かる。

飯河の顔は、気づけばまた不安そうな表情に変わっていた。

大丈夫。そう言おうと思った時、一人の少女の姿が目に入った。この前、ゲームセンターで見かけたおかしな恰好の少女は、分かれ道の先、飯河の帰る方角の道の先に立っている。

この前と同じ姿で、同じように何もせずにただ立っている。

「中原くんは、向こうだったよね?」

「ああ。また、明日だな」

「そうだね。久しぶりにいろいろと話せて良かったよ。話聞いてくれて、ありがとね」

「気にすんなよ。俺だって一人で帰るのは嫌だったし」

「ありがと。じゃあね」

「おう、じゃあな」

俺たちは別れ、それぞれの道を行く。お互いここまでくれば家はすぐそこで、分かれてしまえばすぐに自分の家に着く。不思議な少女の待つ道に向かって、飯河は歩き出す。俺はその背中を少しの間見送ったあと、踵を返して自分の道へ歩き出す。


どこかで、少女が笑った気がした。



2―5

「おっはよー」

始業を告げるチャイムが鳴る5分前、クラスの中心核である森が朝の挨拶とともに教室に入ってきた。堂々とした足取りで自分の席に向かう。

「邪魔」

その時、道の途中にいた山中を突き飛ばした。思わずよろけた山中を、虫けらでも見るかのような冷たい目で見降ろした。

それだけで、クラスの空気が一気に冷え込んでいくのが分かる。ふと気なって飯河のいる席のほうを見てみると、顔を下げてうつむいるのが分かった。早くこのクラスを元に戻さないといけない。飯河のためにも、自分のためにも。

そんな冷えた空気の中、午前の授業が行われた。昼休みが来るまでの授業中は、いじめのこととか、全部忘れていられた。

けど、授業が終わると嫌でも今のクラスの状況を思い出す。いつものように一人で昼ご飯を食べている山中を横目に見ながら、俺と拓也はご飯を食べるために席を合わせた。

「なあ、拓也。山中のことだけど、俺たちでどうにかできないかな」

「どうにかってなんだよ。俺らでいじめを止めさせようっていうのか?」

「ああ。きっとみんな乗り気じゃないし、誰か一人が止めれば他のみんなもやめてくれると思うんだ」

昼休みの時間を利用して、思っていることすべてを拓也に伝える。拓也ならきっと、俺の考えを分かってくれる。その確信があった。

「そんなにうまくいくかな。なにより、あいつが助けてほしくなさそうにしてるけど?」

「それは、そうだけど……」

確かに山中のようなプライドの高い人は助けられても、それを感謝しないかもしれない。けど、だからと言ってそんな理由で、いじめられている人間に手を貸すことをしなくていいのか?

「やっぱり俺は手を差し伸べたい。恩着せがましいかな?」

俺の言葉を聞いて、拓也が少し微笑んだ。

「いいんじゃねえの?それでこそ俺の親友だ。手伝ってやるよ」

俺と拓也の二人なら、きっとうまくやれる。ほんの少し前の、みんなが仲良く楽しく過ごしていたクラスに戻せるはずだ。

「そうだ。飯河にも協力してもらなわないと」

飯河は同じ考えを持つ者同士だし、なにより女子に対して働きかけられる仲間が欲しい。気の弱い飯河がどこまでできるかは、はたして謎だが。

お昼ご飯を食べ終えて、飯河の席に向かう。一番端の窓際の席、光が差し込んでまぶしいくらいの場所に、本来あるはずの飯河の姿はなかった。

「あれ、あいつ学食だったっけ?」

「飯河さんならもう帰ったよ。お昼前くらいに、具合が悪いのか早退してたから、もうそろそろ家じゃないかな」

飯河の隣の席の女子が、俺のつぶやきを聞いていたのか親切に教えてくれる。けど、教えてくれた内容は、そう簡単に受け入れられるものじゃなかった。

「具合悪そうだったのか?」

「うーん、わかんない。でも、朝からなんだか様子はおかしかったかな。独り言とか多かった気もする」

同じような状況を、俺たちは知っている。今飯河のことを教えてくれたクラスメイトも、不安そうに眉を下げている。きっと彼女も俺と同じことを思っているはずだ。

「そっか。教えてくれてありがとな」

それでも俺はこれ以上何も言わずに、自分の席に向かう。園山の時と同じで、俺にはもうどうすることもできない。

だったらせめて、今できることをやるだけだ。

「拓也、行こうぜ」

自分の席で待っていた拓也に告げる。今の一言だけでどこまで分かったのか、拓也は静かに立ち上がった。

ちょうどその時、廊下から“ドカッ”と鈍い大きな音が響いてきた。

次に聞こえてきたのは、女子生徒の短い悲鳴。クラス中が音の聞こえた廊下のほうを振り向いた。

様子が気になったやじ馬たちがぞくぞくと廊下へ飛び出していく。気になった俺たちもやじ馬にまぎれて教室の外へと様子を見に行った。

廊下で繰り広げられていたのは、よくある普通の喧嘩。男子生徒が、もう一人の男子生徒を殴ったらしい。一瞬、ただの喧嘩ならどうでもいいと思って、教室に帰ろうとした。

けど、殴られた側の男を見て足を止める。殴られて廊下の壁に倒れ掛かっているのは、まぎれもない山中だった。

やじ馬からの同情するような目と、それ以上の蔑むような目を向けられながら、殴ったほうの相手をにらんでいる。

よく見ると山中を殴った男の方も、顔にあざを作っている。

「ちっ!」

山中を殴った男は、あたりを見回すと一度舌打ちをし、見物人が増えたことに怖気づいたのか、どこかに去って行った。取り残されたのは、やじ馬と山中だけ。

男がいなくなると、そこかしこで噂話が始まった。事実は知らないが、その噂の内容はどれも山中が最初に殴りかかったというものだった。

男の顔にもあざがあったから、それが真実なのかもしれない。けれど、山中がなぜ男を殴ったのか、その理由まではわからない。

大きな騒ぎになる前に済んだからか、教師はいっこうにやって来ない。しだいに野次馬は興味を失って、徐々にあたりの人だかりは減っていった。

しばらくすると、廊下からは誰もいなくなり山中だけが取り残された。結局、倒れている山中に声を掛ける人は誰もいなかった。

「おい。いつまで見てんだよ。見せもんじゃねえぞ」

「別に見てない。ほら、立てよ」

いつまでも立ち上がらない山中に、手を差し出す。けれど、その手はすぐにはたかれ拒絶された。

「頼むから、ほっといてくれないか?もう授業始まるぞ?さっさと消えろよ」

時計はもう、授業開始の3分前を指している。廊下から人がいなくなったのはそのせいみたいだ。

「ちっ」

山中は何かに気づいたようなそぶりを見せた後、舌打ちをして慌てて廊下の隅へ走って行った。山中が走って行った方向と逆のほうを見てみると、遠くから次の授業の準備を持った先生が歩いてきているのが見えた。俺と拓也も教師に気づかれる前に、山中の後を追った。

一瞬山中の姿を見失ったが、すぐに廊下からは死角になっている階段の隅に立っているのを見つけた。

「で?なんでおまえらはついてくるんだよ。あそこで一緒に教室に戻っとけばよかったのによ」

「いやあ、どうせ俺らは遅刻常習犯だし怒られ慣れてるから」

「いや、一緒にするな。お前ほどは遅刻してないから」

今はそんなことを気にしている場合じゃないが、やっぱり拓也と一緒にされるのは腹が立つ。まあ、五十歩百歩だろうけど。

「それで?おまえらが僕を追いかけてくる理由がわからないんだけど?僕のみじめな姿を見て笑いたいのか?」

「そんなわけないだろ。ただ、心配だったから……」

俺は素直に自分の思いを告げる。山中のプライドを傷つけてしまう可能性もあったけど、それでも今は嘘をつく場面じゃない。

同情されたと思って、山中は絶対に怒るだろう。けれど、返ってきた反応は意外にも平静だった。

「そっかよ。そんなやつが、いるとは思わなかったな」

気のせいかもしれないが、顔も少しだけ穏やかになって警戒心のようなものが和らいでいる気がした。

「そんなことないと思うぜ。言い出せないだけで、みんな卓のことは心配してるって!」

こういう時、拓也の明るさは頼りになる。根拠のない励ましだけど、山中が少しでもクラスに心を開いてくれたらいい。

「それは嘘だろ?クラスの連中はみんな僕のことを疎ましく思ってる。誰一人、僕のことを助けてくれやしないじゃないか」

「それはお前が助けを求めようとしないからだろ?さっきだって、あそこで先生から隠れないで相談すればよかったのに」

「できるかよ、そんなこと。おまえだって、噂は聞こえてただろ?」

「……噂?」

一瞬なんのことか考えた後、すぐに一つの考えが浮かんだ。

「まさか、本当にお前の方から殴ったのか?」

山中は小さくうなずいた。予想はしていたが、まさか本当に最初に手を出しているとは思わなかった。隣では拓也が頭を抱えている。

「自分から殴っておいて、相談するのはないだろ?仮に向こうが最初に手を出してきたのだとしても、絶対に教師に言ったりはしないけどさ」

山中は絶対に誰かに対して弱みを見せない。けど、結果的にそれがいじめのターゲットにしやすくしてしまっている。

「俺や拓也、それに先生でも誰でもいいからさ。もう少し周りを頼ることをしろよ」

「一人で乗り切る強さも大事だけど、頼るところは頼らねえと」

強がりだけでもやめてもらおうと必死に訴えかけるが、俺と拓也の言葉も聞いているのかさえ分からない。

「悪いけど、お前らなんかに心配されなくても僕は平気だから。本当に、余計なお世話なんだよ」

また見え透いた強がりを言う。けれど、そんな頑なな心をほどく方法を俺たちは知らない。

「じゃあな。そろそろ鬱陶しいから、おまえら早く授業行きな」

「おい、卓はどうするんだよ。どうせなら3人一緒の方が教室入りやすいぞ?」

「いいよ別に、僕は5時間目の間は適当に時間つぶすから。顔のあざだってまだ治ってないし」

「おい!」

去っていこうとする山中の手を、拓也が慌ててつかむ。山中は一瞬手首を睨んだ後、無理矢理拓也の手を振りほどいた。

「それと、もう二度と僕に関わるのはやめてくれ。たぶんきっと、お互いのためにならないと思うから」

そう言って去っていく山中に、俺も拓也もこれ以上声をかけることはできなかった。俺たちの最初の説得は、見事に失敗した。

どうすることもできなくなった俺たちは、おとなしく教室に戻って途中から授業を受ける。運のいいことに、遅刻して教室に入っても冷ややかな視線を受けるだけで、特にお咎めは無しだった。

あっという間に5時間目は終わり6時間目の時間がきたが、結局山中がクラスに戻ってくることはなかった。


2―6

「それ、楽しいか?」

放課後のゲームセンターで、ノリノリになりながらリズムに合わせてボタンをたたく拓也に問いかける。

「楽しいぜー。って、前も言わなかったか?」

「……言ったかも」

いちいち拓也と交わした会話なんて覚えていないが、この前も似たようなことを聞いた記憶がある。今まではゲームセンターで遊ぶ拓也の姿を見て、楽しそうだなんて思ったことはなかったが、なんだか今日はいつもと違う気分になった。

「それ、俺でもできるかな」

「うーん、これは上級者向けだから別のにしよう。光った場所を叩くだけの簡単なのもあるんだぜ?」

「じゃあ、それやる」

ちょうど空いているうちに、さっそく二人で百円玉を投入する。自分でもガラじゃないことをしているのは分かっていたけど、それでもやめる気はない。

ジャラーンと機械音が鳴り、ゲームが起動する。適当に流行りのJ‐POP選択すると、音とともにボタンが光り始めた。

俺たちは必死に光るボタンを目で追って、もぐらたたきのようにボタンを叩く。最初は集中してプレイしたが、次第に慣れてくると無心でプレイするようになってきた。

後ろで待っている人もいないから、2回目3回目とプレイしていると、なぜだかいろいろなものが見えてくる。

拓也が普段どんなことを考えながらゲームをしているのか。どんな人が思考を放棄するのか。バカバカしいけど、なんとなく分かる。今の自分がそうだから。

「すごいな、最初よりめちゃくちゃスコア上がってるじゃん!意外に才能あるのかもしれないぜ?」

「そんなどうでもいい才能あっても、嬉しくないんだけどな」

五百円くらいは使っただろうか。今更ながらに、少しだけ後悔をする。数回プレイをしただけだけど、癖になりそうな自分がいて怖くなった。

「拓也はさ、初めて会った時よりだいぶ上手くなってるけど、中学時代はやってなかったのか?」

「やってないよ。俺がゲーセンに通い始めたのは、高校に入学してお前と仲良くなるほんの少し前からだから」

「ふうん」

高校に入っていきなりゲーセンに通い始めるなんて、いわゆる高校デビューだろうか。けど、もっと別のデビュー方法があっただろうと言いたくなる。

「慎哉もゲーセンの魅力に気付いたか?」

「そんなわけあるかよ。ただ、暇つぶし程度にやるならいいかもな」

楽しくなかったと言えば嘘になるけど、あんまりやり過ぎないようにしよう。きっとはまったら抜け出せなくなる。

「ま、それが賢明だな。慎哉には、俺みたいになってほしくないしな……とか言いつつ、こうして俺に付き合わせてるわけだけど」

「別にいいよ。見てるだけだって暇つぶしにはなるし」

時刻は午後の7時を回った。特に決めたわけでもないが、7時を過ぎるとお開きになる。今日もいつもと同じように、お互い帰りの支度を始めた。

夕方のゲームセンターは不満や不安を抱える若者たちであふれている。機械の音と笑い声で騒がしい場所に、また“彼女”はいた。

本当に、よく姿を現すやつだ。目立つような服装をしているというのもあるだろうけど、ここまでくると少し不気味だ。

いつも彼女は何をするわけでもなく、ただじっと立っている。だというのに、待ち人を待っていると言うには、あまりにも冷たい顔をして。

「なあ、卓のことどうする?当然、諦めたりしないよな?」

何の脈絡もなしに突然、拓也はそんなことを言う。

「諦めるわけないだろ。ここでやめたらうちのクラスはなにも変わらないじゃないか」

今日山中と話して、ますますこのままにしたくないという気持ちが強まった。山中は俺たちに、もう二度と関わるなといったけれど、そんな命令をおとなしく聞いてやるつもりはない。

「めげずに、明日も頑張ろうぜ」

「だな」

彼女は姿勢も変えずに、こっちの方を見つめ続けている。俺たちはそんな彼女に見送られるようにして、ゲームセンターを後にした。

外に出ると、あたりはもう真っ暗だ。夜の駅前はせわしなく生きる人たちであふれていて、そこにはまるで少しの希望も見つからない。だれもが退屈な現実にあくびをしながら生きていた。



2―7

「ちっ、また来たのかよ」

来るなと言われても話しかけてきた俺たちに、山中は不快感を隠そうとしなかった。昼休みの教室に、一瞬にして緊張が広がった。

「別に良いだろ。誰に話しかけるのだって、俺の自由だ」

「こっちは嫌だって言ってるんだから、その意思を尊重して欲しいもんだな」

クラス中の視線が一気に向けられる。俺たちに同情的なものもあれば、面倒事を起こすなと言いたげな冷ややかな目もある。けど、そんなものを気にするつもりはない。

「別に話をするくらいいいじゃんかよ。なあ、それより一緒に飯食おうぜ」

「はあ?本当迷惑だから、早く自分の席に戻れよ」

「まあまあ、そう言うなって!」

拓也は鬱陶しげにあしらう山中にものともせずに立ち向かう。そんな様子を、いじめの主犯格の一人である森は、愉快そうな顔で見つめている。

「ほっときなよ。嫌がってるんだし、本人の意思をそんちょーしてあげるのが、優しさってもんだと思うけど?」

「なんだと?おまえにだけは言われたくないんだけど?」

今度は拓也と森がにらみ合って、また教室に緊張が走る。

「ふん、馬鹿みたい。こんなくだらない男のためにムキになっちゃってさ。いじめられっ子を助けて、自己満にでも浸りたいの?」

「別にそんな理由じゃねえよ。人を貶めることしかできない、おまえにはわからないだろうけどさ」

二人の好戦的な姿勢を見て、森の周りに数人の仲間が集まってくる。中には山中を嫌う男子も混ざっている。

「拓也、今はやめておこう。こんなことなんの意味もないよ」

「……だな。悪かったな、騒がせて」

鋭くとがらせていた目を元に戻して、自分たちの席に帰る。クラスは荒れるばかりで少しもいい方向に向かわない。山中はなにも言わずに、うつむいたまま座っている。その姿を、俺はどこかで見たことがあった。

「あんたらもさ、この男の味方をするんなら同罪だからね?」

森は、こちらを睨んで一言つぶやいた。

現実は、こうも簡単に嫌な方向に転がっていく。



2―8

放課後のホームルームが終わると、部活のないものは一斉に教室を出て自宅に向かう。誰もが一日の授業が終わった解放感で、楽しそうに会話を弾ませる。

けど、俺と拓也はそんな解放感に浸っている場合じゃない。荷物を詰め込み、帰りの支度を済ませると、昼間の話の続きをしようと真っ先に山中のもとに向かう。だが、すぐにその足を止めることになった。

山中はもう、自分の席にはいなかった。

確かに、授業後のホームルームの時までは自分の席に座っていたのは確認した。それなのに、今はいなくなっているということは、可能性は一つだけだ。

「ホームルームが終わってすぐに、急いで帰った?」

俺たちに声をかけられるのが嫌で逃げるようにして帰ったのか?

「俺たち、余計なことしてるかな?嫌がってるそぶりは見せながらも、本当はどこかで安心できてるんじゃないかって思ってたけど、違ったかな」

拓也にしては珍しく、自信がなさそうに弱音を吐く。確かに、俺たちのしていることは自己満足のおせっかいかもしれない。こんなやり方じゃ、山中のことを助けてあげられないかもしれない。

けど、今日の昼休みに見せた山中のうつむいた仕草が、誰に似ていたのかようやく思い出せた。

あの日、帰り道、不安を抱えて歩いた飯河とすごく似ていたんだ。

「追いかけよう」

「正気かよ。行っても嫌な思いさせるだけかもだぞ?」

「それでも、行かなきゃ後悔する」

「わかったよ。それで、道は分かるのか?」

「途中までなら」

「十分だな」

「ああ!」

俺のその声を合図に、二人一斉に教室を飛び出した。授業終わりの生徒でにぎわう廊下を、まるで障害物競走をするように俺たちはするすると駆け抜けていく。

肺の中の空気が足りなくなって、口の中が唾でドロドロになってもそれでも無言で走り続けた。

時々、ふと自分がなんで走っているのか分からなくなった。けど、そんなことを考えたら終わりだ。無理やり思考を切って、無心で走る。

そして、ついに学校を出てしばらくしたところに山中の背中を見つけた。

「山中ああ!!」

肺の中の、もうほとんどない空気を絞り出して叫ぶ。振り返った山中の顔は驚きの色に染まっていた。

「こんなところまで追いかけてくるなんて、むかつくのも通り越して感心するな」

「そりゃどうも」

一歩、前に向かって歩き出したとき、山中の陰に隠れていた一人の人物が目に入ってきた。

その人物の顔を俺は知っている。知っているのはあくまで、顔だけだが。

何度か街で見かけた、おかしな恰好をした少女。

山中と向かい合っていたみたいだが、二人は話をしていたのか?

「なあ、山中。そいつは知り合いなのか?」

「違うよ。今ここで声をかけられたんだ。そういうわけで、俺は今こいつと話をするので忙しいから、もう帰ってくれないか」

「……いえ」

――声が、聞こえた。

その声が目の前にいる少女のものだと気付くのに、少し時間がかかった。

「あなたちも、一緒にお話ししませんか?」

少女の声は、透き通るようでいて、しっかりと芯の通った凛とした響きも含んでいる。

「おい、俺たちはそいつに用があるんだけど、邪魔しないでくれるか?」

拓也は不思議な少女を相手にしても臆することはない。

「最初にこの人と話していたのは私の方なのですが……それに私の話、あなたにとっても悪い話ではないと思いますよ?」

「なに……?」

すると、少女は突然一人でどこかへ向かって歩き始めた。放っておいてもいいはずなのに、なぜか俺たちは慌てて少女を追いかけてしまう。

数分間の間、もくもくと歩き続ける少女に俺たちはついていった。どこに案内されているのかも知らずに、ただ黙って歩き続ける。

いい加減我慢の限界になって、声をかけようとしたとき、ようやく彼女は立ち止まり後ろにいる俺たちの方を振り向いた。ほんの少し、笑っているように見える。

「こんなところまで連れてきて、なにがしたいんだよ」

拓也は警戒心を崩さない。山中は俺たちが来るまでにどんな話をしたのかは知らないが、今の状況に身をゆだねているように見える。

「夢を……見せてあげようと思って」

「夢……?」

“夢”と聞いた瞬間、背筋を冷たいものが這いずり回った。

「好きな夢、なんでもあなたに見せてあげる。あなたが望むものならなんだって」

「それって……」

ドリームマシンと、全く同じだ。拓也にもそれが分かったようで、一瞬目の色が変わったのを俺は見逃さなかった。

「うん。ドリームマシンですよ?あなたたちに貸してあげるって言ってるんです」

「なにが目的だ?なんでわざわざ赤の他人に、安くもない自分の機械を貸そうだなんてするんだよ」

「単なるボランティア、ですよ」

ゲームセンターや通学路で、なぜ彼女はなにもせずに立っていたのか分からなかった。ひょっとしたら、ドリームマシンを貸し与える相手を見定めていたんじゃないかなんて、そんな考えが頭を巡る。

「もういいよ。使いたくない相手に無理に貸す必要もないじゃないか。いいから、早く俺に夢を見させてくれよ。

もう、この現実にはいたくない」

「山中……」

山中の心からの言葉が零れ落ちる。今まで俺たちに見せてきた毅然として憮然とした態度が全部嘘みたいに弱弱しく言葉を発する。

「私としては、そこの二人も救ってあげたいのだけど、まずは助けを求めている人から救ってあげるのが礼儀よね」

「ちょっと待てよ!そんなふざけた機械を使って、救うも何もないだろ!」

「救いですよ。その人の心は確かに楽になるのだから」

「そんなの、まがい物の幸せだろ!?麻薬みたいなもんじゃないか……!」

拓也は必死に少女に食らいつく。けど、どうしてだかその言葉は、全部自分に言い聞かせるように放たれているようにしか聞こえない。

「人の見る夢がニセモノだって、誰が決めたんですか?時に夢は現実以上のリアルを伴っているんです。夢の中にいるときは、確かにそっちが現実なんですよ」

俺は、そんな拓也の様子を見ながらあの日のことを思い出す。あの時も今と同じだった。

「なあ、飯河栞っていう女の子を知ってるか?ほんの2,3日前に、おまえはその子にも夢を見せなかったか?」

「うん、見せてあげましたよ。それがなにか?」

あっけらかんと彼女は答える。大したこともないように、いや、きっと彼女にとっては大したことはないのだろう。

あの日、あの分かれ道でこの女の待つ道に一緒についていかなかったことを、今更になって心から後悔する。

「だったら、悪いけど山中をおまえに渡すわけにはいかない。もっと別のやり方で、助けてみせる」

これ以上、クラスメイトが減るのは嫌だった。こんな訳の分からない機械のせいで、ただの実態のない幻想のせいで現実が壊されるなんて許されない。

「どけよ」

けど、そんな覚悟を打ち壊すかのように、後ろから山中は俺のことを突き飛ばした。

「行きましょう。今からあなたは夢を見に行くんじゃなくて、夢と現実をひっくり返しに行くの」

「待てよ卓!!戻ってこれなくなるぞ!!」

それでも、山中は止まらない。

「別にいいよ、帰れなくったって。帰りたくもないし」

逃げ出したくなるほど現実に追い詰められたことも、夢を見たことも一度もない俺に、今の山中を止める権利はありはしない。

「もう、この現実に生きるのは疲れた。夢は確かに残酷だけど、それでいてどこまでも優しいんだ。現実という世界から零れ落ちた心を受け止めてくれる。こんなに残酷な現実よりも、どこまでも優しい夢に逃げてなにがいけないっていうんだ?」

止めることはできない。俺も拓也も、どこかへ消えてく少女と山中を黙って見つめることしかできない。

「あなたたちも、救いが欲しくなったらいつでも来てくださいね?」

さっきまで威勢の良かった拓也は、その言葉になにも言い返すことはしなかった。

目覚めることのない永遠の夢は、夢の中の人間にとって、それは確かな現実に変わってしまう。眠りについたら最後、現実の世界に戻ってきたいと思うことはない。

「だけど、本当は俺だってクラスのみんなと仲良く学校生活を送りたかったよ」

そんな言葉が風に流されて聞こえてきた。

クラスメイトと笑って高校生活を送る、そんな楽しいばかりの日々をきっと山中は夢見てきたんだろう。

そして今から、そんな日々を本当に夢に見るのだ。


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