1章
ドリームマシン本編
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『ドリームマシンを起動します。
しばらくお待ちください…
…………ようこそ。
起動完了しました。
夢の内容を作ります。登場人物のデータを入力してください。
確認しました。続いて……
夢の内容が確定しました。
脳波振動装置を装着してください。
30秒後から夢の世界へ移ります。
そのままでお待ちください。
…………
それでは、良い夢をご覧ください……』
『「なあ、ジェニファー、今日はどんな商品を紹介してくれるんだい?」
「今日紹介するのは、これ!ドリームマシン!これさえ使えば眠る時に、自分の見たい夢を見られて、その夢の中で好きなように動けるの!」
「それはまさに夢のようなマシーンだね!!!夢だけに、HAHAHA!!」
「もう、ボブったら!」
「で、ジェニファー。この商品の肝心のお値段はいくらなんだい?これだけの高性能なら、きっと相当高いんじゃないのかい?」
「ふふふ、実はね、特別な流通経路で商品を仕入れているからとってもお得なの!!
なんと、お値段30万ぽっきりよ!」
「な、なんだってえええ!!??
これはもう買うしかないね!数量限定の商品だから、みんな急いでお電話してね
「このドリームマシンで素敵な睡眠を送りたい人は下記のフリーダイアルまで電話してね!」
「お電話、待ってるよー!!」
ブチっと音を立てて、そこでテレビが切れる。
2020年、10月の深夜、俺はやることもなくからテレビを見ていた。
何気なく見ていたテレビから流れる宣伝に、ついにこんな商品まで人間はつくったのかと感心する。
名前も知らないメーカーだったけど、こんなもの本当に効果があるのか疑問を持たずにはいられない。けど、もし本当に自分の見たい夢が見られるなら、ちょっと欲しいかもしれない。
俺は産まれてから一度も夢を見たことがない。自分では勝手に、夢を見られない体質なんだと納得している。けど、この機械はこんな俺にも効果があるんだろうか?普通の人が当たり前に見ている夢というものに、憧れたことがないわけじゃないし、見られるものなら見てみたい。
まあいいや。明日も学校だしそろそろ寝ないと。
俺は重い体を持ち上げて、這うようにベットに向かい布団に潜り込んだ。
1-1
「おっはよー」
いつも通り、教室の扉を開けて中に入る。
「あ、慎哉くんおはよー!」
「おう、おはよ」
教室に入ると一番に、幼馴染でもありクラスメイトでもある園山芽衣の顔が入ってきた。いつも真っ先に挨拶してくる仲ではあるが、今日はやけに勢いが良い。
「って、おはようじゃないよ!今日私たち日直なんだよ!?こんなにギリギリに来て……」
「やべっ、忘れてた!」
どうせ家も近いんだから、せっかくだし呼びに来てくれても良かったのに、と言いそうになったが、すんでで止めた。どうせ自己責任だと怒鳴られるのオチだ。
「もう。机の整理と花の水やりはやったから、一緒に黒板拭きだけはやろ?」
「悪いな。分かったよ」
黒板を掃除するのに、わざわざ二人も要らないだろうと思いながらも、おとなしく雑巾2枚を濡らして持ってくる。
昨日の授業の後から誰も使っていないのか、黒板は掃除しなきゃいけないほど汚いようには見えなかった。
「ほら、ぼうっとしてないで、早く手を動かすー!」
それでも、園山が奥の方から黒板を吹き始めるから、俺もおとなしく手前から拭き始めた。
しばらくは黙々と黒板を掃除したが、もしかしたら日直なのにギリギリに登校したことを怒っているんじゃないかと気になってきた。おそるおそる園山の方を向くと、意外にも怒っているそぶりはなくて、むしろ上機嫌なように見えた。そのまま見ていると、鼻歌まで歌い始めた。
喜んでいるときも怒っているときも、いつだって園山の機嫌は分かりやすい。
「なんか良いことでもあったのか?」
「え?わかる?」
「背中に書いてある」
「えへへ。実はね、お父さんが今度ボーナスが入るんだって張り切ってるの。だから、なにか新しいもの買ってくれるみたいなんだ」
小さいころから一緒に過ごして、今でも毎日普通にしゃべる仲だから忘れそうになるが、園山の家は結構なお金持ちだったりする。家は向かいなのだが、俺の家が昔ながらのぼろぼろな家なのに対して、こいつの家は新築のおしゃれな大豪邸で不釣り合い極まりない。
「ふーん、よかったじゃん。それで、何を買ってもらうの?」
「うーん、わかんない。なにか家電を新調するかもって言ってたし、本当に買ってくれるかも謎だよね」
そんなことを言っておいて、どうせこいつはなにか高級なブランド品でも買ってもらうんだろう。
「まずい、先生来たっ」
先生の足音を聞いた園山が小声で告げる。うちの担任は堅物で、こんなギリギリの時間まで日直の仕事をしていると知ったら、何を言われるかわかったものじゃない。投げるように教室のベランダの手すりに雑巾をひっかけて、急いで席に向かった。
「よっ!日直なのにギリギリ登校とは相変わらずだな」
席に着くと、隣の席の男が話しかけてきた。こいつがこの時間にちゃんと自分の席に座っているとは珍しい。
「うるさいぞ、拓也。それに、遅刻魔のおまえにだけは言われたくない」
「なんだと?慎哉だって、そうとう遅刻してるくせに」
「うっせ。2年になってからはそれなりにちゃんと行ってるだろ?」
確かに、1年の時はこいつと一緒に授業をさぼって遊びまくったが、担任が今の鬼教師になってからは、俺は少し大人しくなったと思う。
「だめだなー、慎哉は。あんな中年メタボ教師にビビってるようじゃ」
拓也だけは鬼教師にビビることなく、2年生になってからも遊び倒している。髪も明るい茶色に染めて、長く伸ばしている。うちみたいな規則に緩い高校じゃなかったら、絶対に停学になっているレベルだ。
いかにも絵に書いたようなチャラついた男だが、実は結構成績が良かったりする。いつも遊んでばかりで、勉強をしている素振りなんて一切見せないが。
素の頭がいいのか、見えないところでこっそり勉強しているのか、まあ間違いなく前者だろう。
「なあなあ、それより今日も学校終わったらゲーセン行こうぜ」
「ああ、わかったわかった」
それでも、拓也のこういう気さくな性格が好きで、入学してからずっと遊び仲間としてつるんできた。高校2年生の秋になって、周りはだんだん大学入試を意識し始めている。そんな中で、いまだに遊んで過ごしているのもこいつくらいだろう。
周りは進路のことを考え始めてるっていうのに、俺たちはそれから目をそむけるように遊び倒している。
「おい、そこ!なにを話している、ホームルーム始めるぞ!」
どうやらいつの間にか担任が教室に来ていたみたいで、突然野太い怒声が教室にこだました。大人しく話すのをやめると、担任は小さく鼻を鳴らして出席を取り始めた。ホームルームが担任の怒号から始まるのも別に珍しいことじゃない。特に誰も気にすることなく、いつも通りの学校が始まった。
授業が始まれば、クラスの緊張感は高まり、ほとんどのクラスメイトがそれなりに真剣に勉強している。授業が終われば一斉に緊張感から解放されて、みんな楽しそうにおしゃべりを始める。ここはそういう場所だ。
けど、俺にとってそんな空間はなぜだが息苦しい。そんな一抹の居心地の悪さを感じながら毎日を過ごしていた。
1-2
「いやあ、豊作豊作!」
拓也はゲームセンターで獲った景品をパンパンに袋の中に詰めて、嬉しそうに駅前の歩道橋を歩く。毎回毎回、こんなにたくさん獲ってどこに保管しているのか気になってしょうがない。
「それだけ獲れればさぞ楽しいだろうな」
俺も何回かクレーンゲームに挑戦したが、結果は惨敗。羨ましくて、少しひがみっぽく言ってみた。別に欲しい景品があるわけでもないが、拓也に負けたみたいで、なんとなく悔しい。
「そりゃ、こればっかりずっとやってればな。これくらい獲れて当然よ」
拓也は得意げに景品をひけらかしながら人並みに逆行するように歩く。放課後に遊んだ後の駅前は、家路を急ぐサラリーマンや俺たちみたいな学生であふれかえっている。駅前の往来を行く人々の足取りは、いつだってせわしない。
駅前のビルに取り付けられた大きなスクリーンは、駅前の騒々しさに合わせるように流行りの最新音楽のランキングを流している。
「なあ、今度コツでも教えてやろうか?獲れるようになれば慎哉もきっと楽しめると思うんだけど」
「結構だ。そんなドでかいぬいぐるみとか、置くスペースもないし、そもそもいらないし」
「そりゃ残念」
拓也は落ち込んだ表情を一瞬だけ見せた後、すぐにいつもの明るい顔に戻した。
「どうする?もう一件くらいゲーセンはしごしとくか?それともボーリングでも行くか?」
「はあ?さすがにもう金ねえよ。それに、もうそろそろ7時だし、さすがに帰ろうぜ」
「あり、残念」
あれだけゲーセンに金をつぎ込んで、よくまあまだ遊ぶ気になれるものだ。園山しかり、俺の知り合いには意外と金持ちが多いのかもしれない。土地柄的にも、一般的に見れば都会と呼ばれるところに住んでいるわけだから、当然かもしれないが。
「なあ、拓也。次は……って」
ふと隣を見ると、拓也がいなくなっていた。慌てて振り返ると、すぐ後ろで駅前のビルのスクリーンを見つめながら立ち止まっている拓也が目に入った。家路を急ぐ人々の中で立ち止まっている拓也は、周りから浮いていた。
拓也の視線を追って駅前のスクリーンを見てみると、いつの間にか音楽のランキングを流すのをやめたみたいで、何か商品の宣伝を映しているようだった。
「おい、あれ……」
拓也が見つめる先のスクリーンが映す映像、それは見覚えのあるもの。昨日の夜、テレビから流れてきた怪しげな機械の宣伝だった。
「ドリームマシン」
拓也がぽつりとつぶやいた。それは、自分の望んだ夢が見られる何でも見られる魔法のような機械の名。
「あれがどうかしたのか?」
「あれって、本当に効果あるんかな?」
拓也はスクリーンを見つめたまま、つぶやくように聞いてきた。
「知らねえよ。どうせパチモンだろ?たぶんだけど。いかにも胡散臭いじゃん」
スクリーンからはまだ例の宣伝が続いている。なんでも、人気爆発中で売り上げ20万台突破だなんて、大きく見出しを出している。つい昨日知った商品だったけど、どうやらしばらく前から発売されていたみたいだ。
「でもさ、本当だとしたらちょっと欲しくねえ?」
口調はいつもみたいにひょうひょうとして喋り方だけど、今拓也は本気で言っているだと分かった。
「そう、かな……俺はいいや、見たい夢なんて何もないし」
自分が見たいと思った夢が見られるなんて、たしかにそれは夢のような話だと思う。だけどそれは、見たい夢がある人に限った話で、夢を見たこともない俺には関係のない話だ。
夢を見てみたいとは思うが、肝心の見たいと思う夢の内容が思いつかないなんて、笑い話にもならない。
「相変わらず現実思考だな、慎哉は」
「そんなんじゃねえよ、ただ俺には分からないだけだ」
夢を見るということも、人々が夢を見たいとして願うことも、何一つわからない。
けれど、なぜかこの機械の宣伝を見ると、胸の中がドロドロした何かで覆われて行くのを感じる。
夢を見られない俺の悔しさかもしれないけど、このモヤモヤした気持ちはどうしても収まらない。
ドリームマシンと呼ばれるこの機械を、俺はただ単純に怖れた。
「こんなものを作るなんて、人間はいったいどこに向かいたいんだろうな」
吐き捨てるように、俺はつぶやく。俺の声は人のざわめきに飲み込まれ、かき消されていった。それでも、俺の中にある不安だけはどうしても消えてはくれないみたいだ
1-3
「おっはよ」
翌朝、普段よりも少し早く学校に着いた。教室のドアを開けて中に入ると、いつものように園山が出迎えてくれた。
「おはよ」
「あれ、どうしたんだよ慎哉。今日はやけに早いじゃん」
「昨日はガラにもなく早寝しちゃってさ、朝二度寝できなかったんだよ」
席に向かう途中、何人かのクラスメイトとあいさつを交わしていく。普段よりも10分くらい早く登校するだけで、教室の空気も変わるものだ。30人近くいる生徒の半分くらいしか、教室にいない。
「この時間に来ても、もう教室にいるんだから園山はさすがだな」
園山は、自分の席で律義に今日の授業の準備をしている。
「さすがって、このくらいの時間普通だよ。と言っても、私も今来たばっかりだったんだけどね。どうせこの時間に来るんだったら、もうちょっと待って一緒に行けばよかったな」
中学の途中までは毎日一緒に通っていたけど、俺が遅刻魔になってからは一緒に登校する機会はめっきり減っていった。俺たちが別々に登校するようになった最大の理由はクラスメイトからの冷やかしの声が一番の理由だが。当時はクラスメイトからからかわれるのがすごく恥ずかしくて、俺の方から恥ずかしいから止めようと言った気がする。
「そうだな、たまには一緒に行くのもよかったかもしれないな」
今となっては周りの視線とかはどうでもよくなってきて、少しあの頃のことを反省したりもしている。
「え?本当にそう思ってる?いつもみたいに適当言ってるんじゃないよね?」
「お、おう。いつだって俺は大まじめだぞ?」
園山があまりの剣幕で食らいついてきたら、少し面食らう。
「だ、だったらさ、明日は一緒に行かない?久しぶりに、どうかな?」
「それはつまり、明日も俺に早起きしろってことか……?冗談きついぞ」
「ええ!?そんな!ほんの15分くらい早起きするだけだよ?」
「おまえ、15分の価値を分かってるのか?1時間の4分の一だぞ?それほどの時間、朝眠っていられるんだ」
「うう、なんだか私が酷いことを言ってるんじゃないかって気がしてきた……絶対騙されてるってわかってるのに」
ちょっとからかうだけだったつもりだったが、本気で困っていそうで少し可哀そうなことをしたかもしれない。
「悪い悪い、冗談だ。久しぶりに一緒に行くか」
そう言うと、園山はほっと大きく息を吐いて、みるみる安心したような表情に変わっていった。勇気を出して誘ってくれたのかもしれない。
「まったく、いつだって大真面目じゃなかったの?とにかく、明日はちゃんと起きてよ?起きてなかったら起こしに行くからね!」
「ああ、わかったわかった」
どうやら今日も早寝をしなきゃいけないみたいだと、こっそり覚悟を決める。お互いにもういい歳だし、わざわざ家まで起こしに来られるのはなかなかに恥ずかしい。
教室には続々とクラスメイトが入ってくる。気が付けば、ホームルームの開始まであと少しだ。
「じゃあ、また後でな」
園山と別れて自分席に向かう。今から長い一日が始まるわけだが、朝から少し嬉しい気持ちになった。
「朝から二人でこそこそ何話してたんだ?熱いね~」
隣からは拓也の冷やかす声が聞こえてくるが、適当に無視をする。明日はどんなことを話そうかとか、そんなことを考えながら朝のホームルームを迎えた。結局そのまま今日の授業は上の空だった。
1-4
朝、けたたましい目覚ましの音が聞こえてくる。ベッドの上で止まってくれと念じても、目覚まし時計のアラームは止まってくれない。薄目を開けて時計を見る。なんで今日に限ってこんな早い時間にアラームが鳴ってるんだ?
「あ……」
今日は園山と一緒に登校するんだったと思い出す。こんな目覚まし時計を止めて、もう一度布団に入りなおしたい気持ちもあったが、寝坊するわけにはいかないという危機感が勝った。ベッドを降りて、朝食に向かう。今朝の朝食は卵とモーニングブレッド。柄にもなくゆとりのある朝の優雅さを堪能してみたりする。たまには、これくらい早起きをするのもいいかもしれない。
朝食を済ませて、制服に着替える。最後に、カバンの中身を最終確認して準備完了。玄関に行くと、珍しく母さんが見送りに来ていた。どこかいつもよりニコニコしているのは気になったが、無視して「いってきます」とだけ告げて家を出た。
そして、家を出るとすぐ目の前に彼女は立っていた。
「よう、園山。おはよ」
「うん、おはよ。
よかった、ちゃんと来てくれて。また寝坊するんじゃないかって心配してたんだよ?」
それだけ普通の挨拶。ドアを開けて目の前に園山が立っているっていうのは、久々の感覚で自然と胸が高鳴る。
「ったく、少しは俺のことを信じろよ。嘘はつかない主義なんだ」
本当は嬉しいはずなのに、なぜかちょっと気恥ずかしくて返事が少しぶっきらぼうになってしまった。
「昨日ついたくせに……」
俺たちは二人で歩きだした。最初は少し緊張したけれど、二人で登校するなんてものすごく久しぶりのはずなのに、すぐにお互い自然体になれた。なにを話そうかなんて考えていたのがバカみたいに、考えていた内容が全部吹き飛んだ。
「そういえば、慎哉くん。この間、学校帰りにまたゲームセンター行ってたでしょ。友達の聡子ちゃんが見たって」
どうやら、一昨日あたりに拓也と遊んでいたのを目撃されていたみたいだ。ゲーセンに行ってるのなんて、今に始まったわけじゃないし、放っておいてほしい。ただ、園山はこういうところには厳しいから、少し長い話になるかもしれない。
「高校生なんだから、ゲーセンくらいいいだろ?こんな朝っぱらから説教はやめてくれよ」
「あんな遅い時間まで遊んでて、補導されても知らないよ?まあ、今日は機嫌がいいから許してあげますが」
長丁場を覚悟していたら、意外にもあっさりお許しを頂けた。確かに、満面の笑みを浮かべて、いかにも幸せそうな顔をしている。そんなに嬉しいことでもあったんだろうか?
「ねえねえ、それより聞いてくれる?私の機嫌がいい理由」
こんなに機嫌のいい園山を見るのは久しぶりだっていうレベルで喜んでいる。
「えっとね、この前のお父さんのボーナスの話なんだけど」
園山はとにかく話したくて仕方ないのか、俺の返事も待たずに勝手に喋り出した。
「あ、もちろん慎哉くんと一緒に学校まで行けるのが一番の嬉しい理由なんだけどね!それ以外!」
「そ、そうか……」
ここまで堂々と一緒に登校できて嬉しいといわれると、少し照れくさい気分になる
それにしても、こんなにテンションの高いのは珍しいし、どんないいことがあったのか気になってきた。
「それでね、私の機嫌のいい理由だけど、実はこの間少し話してるの」
その内容をすぐには話そうとはせずに、もったいぶるように間を空けた。いいから早く話せと思わなくもない。
「この間、お父さんにボーナス入るって話したでしょ?それで買うものが決まったんだ!」
そういえば、そんなことを言っていた気もする。きっとこいつの親のことだから、相当いいものを買うんだろう。かなり嬉しそうな様子だし、きっと園山にも関係のあるものに違いない。
「へえ、何買ってもらうんだ?」
「買ってもらうっていうよりは、家族共有かな?何だと思う?当ててごらん!」
「いや、さすがにわかんねえよ」
「じゃあ、ヒント!最近テレビで宣伝してるやつ!」
「いやいや……」
テレビで宣伝している商品がいくつあると思っているんだ。ヒントを出されても、まったく予想もつかない。
「しょうがないなあ、もう諦める?」
「降参降参、わかんないから教えてくれ」
あっさりあきらめたのが不満だったのか、園山は少しつまらなさそうに眉をひそめた。それでも、やっぱり早く話したいのか表情をすぐに戻して正解発表に移った。
「正解は、なんとね……!」
ここでまたためを作る。
そして。
「あのドリームマシン!!」
その瞬間、背筋に悪寒が走った。まさかこのタイミングで園山の口からその名前が出てくるとは思っていなかった分、余計に驚いた。
心臓の鼓動が早まり、首筋から嫌な汗が噴き出してくるのが分かる。
なんでまた、それの名前を耳にするんだろう。
「へえ、いいじゃん」
そんな返事をするのが精いっぱいで、ちゃんと感情がこもって伝わったか少し心配になった。
たしかに、最近ドリームマシンはブームらしいし、金持ちである園山の家がそういう高級品に手を出すことはおかしいことじゃない。この間から俺はいったいなにをそんなに恐れているんだろう?別に怖がることなんてないと自分に言い聞かせても、胸の鼓動が早まるのはおさまってくれない。
「うちのお父さん、結構新しいもの好きなんだよね。それで、私がCM見ながらこれいいなって言ったら、すぐ乗り気になっちゃって」
園山はますます嬉しそうに語り続ける。まさかこんな身近にドリームマシンを手にする人が現れるとは思わなかった。
「実は前からずっと欲しかったんだよね。でも、ちょっと高いからどうしようかなって……これ、今日の夕方には届く予定なんだけど、今度慎哉くんにも貸してあげるね!」
「ああ、ありがと」
そこから先は、しばらく上の空だった。園山の話は耳を素通りして行って、ちっとも頭の中に入ってこない。俺はひたすら、ただ適当に相槌を打ち続ける。
だんだん学校も近くなってきたころ、どうやらもう話はドリームマシンから変わっていたみたいだ。
ようやくまともな思考ができるようになってきて、園山の方を見るとなぜかいつもよりずっと真剣な顔をしていた。真剣というよりは、なにか覚悟を決めるような表情だ。
「どうした?」
思わず俺は声をかける。けれど、すぐに反応は帰ってこない。
しばらく園山は黙っていたが、突然うつむいていた顔をあげて決意の表情で見つめてきた。
「あ、あのさ。明日って土曜日で学校も休みでしょ?だ、だからさ……」
園山は、ほんの少し頬を赤らめている。俺もそれにつられて恥ずかしくなって、思わず目をそらした。
「ちょっと、駅の方まで一緒に買い物付き合ってくれない?」
その言葉には園山の精いっぱいの勇気が込められていた。なんてことのない誘いなのに、どうしようもなく照れくさい。
「しょ、しょうがねえな。まあ、別にどうせすることもなくて暇だったし付き合ってやるよ」
照れているのがばれないように、必死に声の抑揚を抑えてぶっきらぼうに返事をした。
「ほんと!?」
園山はさっきまでよりもずっと嬉しそうに喜んだ。
「ああ。俺の方もいくつか駅で用事足したいし、いろいろぶらつくか」
「うん!!!!」
嬉しそうな園山の姿を見ていると、なんだかこっちまで楽しみになってきた。そのあとは学校に着くまで、どこに行きたいだとか何時に集合だとか、なにを食べたいとか、二人でいろいろ計画を立てながら歩いた。
園山と二人で出掛けるなんて、いつ以来だろうか。少なくとも、高校に入ってからは一度もない気がする。二人で出掛けるっていうことがこんなにドキドキするものだとは思わなかった。つまらない授業なんて早く終わって、さっさと明日がやってくればいいのに。そんな風に思わずにいられなかった。
それでも俺は、つまらない授業にちゃんと出席をして、なんとか一日をやり過ごす。休み時間に、拓也から放課後遊ばないかと誘われたが一瞬で断った。
そして授業も終わり、長く感じられた一日も、気が付けば終わりを迎えようとしていた。俺は明日のことを考えながら、一人家路についく。
けれど、そんな俺の浮かれた心はあっさりと打ち砕かれた。
約束の日、約束の時間、約束の場所で俺は一人園山を待っていた。二人で待ち合わせをした時に、園山の方が遅れてくることなんてまずありえなかった。それに、今はもう予定時間を10分も過ぎている。
――こんなことはあり得ない。
頭の中を不安が埋め尽くす。別に10分、15分の遅刻くらい、誰だってやってしまうことはある。それなのに、なにを俺はこんなに不安に感じているんだ?
けれど、俺の不安を裏付けるかのように、それから10分たっても、20分たっても、園山が待ち合わせ場所に来ることはなかった。
待ちきれなくなって、スマートフォンをポケットから取り出し、不安な気持ちに任せてひたすら画面を操作し続けた。
『おい、時間過ぎてるぞ。寝てんのか?』『具合でも悪いのか?もしそうなら、気にしなくていいから元気になったら返事くれよ』。そんなメールを何通か送って、間に何度か電話をかけた。当然、留守電も残す。
けれど、何分たっても、何十分たっても返事は来ない。俺がどうしても待ちきれなくなったのは、約束の時間の2時間後だった。
なぜ園山はやって来ないのか、なぜ連絡の一つもくれないのか。俺はその答えを知るために、携帯の電話帳から園山の家の電話番号を呼び出した。
家の方の電話にかけるなんて、小学生以来かもしれない。家に電話するのが恥ずかしいとか、今はそんなことを言っていられる場合じゃない。俺は迷わず園山の家に電話をかける。
無機質なコール音が何度か続く。その電子音は、なぜか俺の心をさらにあせらせる。2,3回ひとまとまりの音が鳴った後、ガチャリと向こうの人が受話器を取った音が聞こえた。
「もしもし!?」
『もしもし?こちら園山ですけど』
声を聞く限り、受話器を取ったのは園山のお母さんみたいだ。育ちのよさそうな奥さんで、昔は家に遊びに行くたびにいろいろと良くしてもらった記憶がある。
「えっと、突然すいません。向かいの中原です。覚えてますか?」
『あら、慎哉君!?もちろん覚えてるわよ。どうしたの?』
覚えているのなら話は早い。俺は単刀直入に聞くことにした。
「あの、園山……じゃない、芽衣さんは今どうしてるかわかりますか?今日二人で遊ぶ予定だったんですけど、全然連絡が取れなくて……」
俺が園山の名前を出した瞬間、受話器の向こうから息をのむ音が聞こえてきた。受話器越しに、向こうの緊張が伝わる。それだけで、園山に何かあったんだと直感する。
『そう、今日一緒に遊ぶ相手っていうのは慎哉君だったのね』
園山のお母さんは、不気味なほど穏やかな声で語りかける。
『芽衣は、芽衣ならまだ寝てるわ。昨日の夜からずっと』
なにかが、俺の心臓を掴んだ気がした。
「まだ寝てるって、もう14時ですよ……?」
ありえない。園山に限って、そんな時間まで寝て約束をすっぽかすわけがない。
『ええ。私も何度も起こしているんだけど、ちっとも目を覚ましてくれないの。でも、あまりにも幸せそうな顔をして寝ているものだから、私もあまり強く起こせなくて……』
頭の中で、何かが繋がり始める。
園山は昨日「今日の夕方には届く」と言っていた。
園山は昨日の夜から眠り続けている。
園山は幸せそうな顔をして眠っている。
俺は受話器の先にいる園山のお母さんまで届くか届かないかの、わずかな声でただ一言呟いた。
「ドリームマシン」
そして、俺は一方的に通話を切った。
1-5
園山が来ないのなら、いつまでも駅前で立ち尽くしている意味はない。スマートフォンを無造作にポケットの中に突っ込んだら、家に向かって歩きだす。一歩足を踏み出すたびに、心臓が握りつぶされるほどの痛みが走る。
形を伴わなかった胸の不安感が、確かな形を持って襲いかかる。家に着くまでの道のりはまるで拷問のようで、俺はひたすらその痛みに耐えるしかなかった。ようやく家にたどり着くと、心配する母さんの声も無視してベッドに飛び込んだ。緊張の糸が緩んだのか、ベッドに入るとすぐに意識途切れた。
――浅い眠り。
それでも、俺が夢を見ることはない。
目覚めると窓の外は真っ暗に変わっていて、慌てて時計を確認するともう時計の針は19時を指していた。少し寝すぎてしまったかもしれないと思いながら、寝ぼけた頭のまま枕元に転がるスマートフォンに手を伸ばす。ボタンを押して画面を点けると、いくつかの通知が浮かび上がった。その文字を見た瞬間、さっきまでの眠気は嘘みたいに吹き飛んだ。
『今日はごめん』
そう一言だけの簡素なメールが一通、園山から届いていた。
ただの一言だけのメールに、ずいぶんと安堵した。このまま園山が目覚めなかったらどうしようとか、今思えばバカみたいな想像までしたものだ。
『あさってはちゃんと学校来いよ』と、それだけ返事をして画面を消した。ただ、メールの文面があまりにも簡素だったのが、少しだけ気がかりだった。あまりにもらしくない。
それでも、わざわざ家まで会いにいくのは気が引けた。ドリームマシンを不安に感じているのはたぶん俺だけで、家まで行くには圧倒的に理由が足りない。
「慎哉?起きてる?ご飯できたよ?」
ドアの向こうから聞こえる母さんの声。「今いくよ」とだけ返事をしてベッドから立ち上がる。
ダイニングに行くと両親と一人の妹、家族全員揃ってテーブルを囲んで俺を待っていた。何気ない、いつもの夕食の時間。感動すら覚えるほど穏やかな日常の風景の中に、異質なものが一つ。ゴールデンタイムのテレビ番組のあいだに流れるテレビCM、宣伝されているのはあのマシン。
「ああ、またか」と、家族のみんなには聞こえないようにつぶやいて、自分の席に向かった。
1-6
月曜の朝、悪くない目覚めを迎えて定刻通りに家を出る。ここで言う定刻とは、学校に余裕を持って着ける、本来学生が守るべき時間のことだ。そんな健康的な時間に俺は、園山の家の前に来ていた。
土曜の夜には園山からメールが来たけれど、それでも今日はちゃんと起きれているか少し心配だった。
もしも、まだ園山が眠っていたら……
不安を抱きながら、チャイムを押す。
ピンポーンと軽快な音が家の中で鳴り響くと、すぐにスピーカーから園山のお母さんらしき人の声が聞こえた。
「あの、すいません。中原ですけど、芽衣さんってまだ家にいますか?」
『え?芽衣ならもう5分くらい前に学校に行ったわよ?どうかしたの?』
園山のお母さんの言葉に、思わず肩の力が一気に抜けていく。
「いや、もう行ってるならいいんです!すいません、朝からお騒がせして」
『芽衣と一緒に行きたかったのかしら?』
からかうようにおばさんは笑う。俺は少し照れながらも、うまく受け流して学校に向かった。
早く園山に会いたい、そう思いながら少し小走りで学校まで歩く。いつも以上に通学路を長く感じつつも、15分もすれば学校まで着いた。
「おはよう!」
教室の扉を勢いよく開けると、中はいつも通りの光景が広がっている。当然、その中には園山の姿だってある。
「あ、慎哉くん。おはよう」
園山の声を聞いてようやく心から安心する。
そのあとはいつも通り。二人で何気ない話をしながら、 拓也が来ると俺は自分の席に戻って先生が来るまでの時間をつぶした。園山はいつも通り、元気にしていた。けど、まるで今も夢を見ているかのように、どこかうつろな目をしていたようにも見えた。
確かに園山の声を聞いて安心したはずなのに、それでも俺はまだ信じられないのだろうか?
担任が来て、ホームルーム、そして授業が始まる。
――それは朝一番の、一時間目の授業の時のこと。
一時間目は数学の授業。教師の言葉はまるで呪文のようで、俺の耳をすり抜けていく。それでも最初は頑張って聞いていたが、次第に集中力は切れていき、思い出したくないことまで思い出してしまう。
園山のうつろな顔が脳裏に浮かぶ。聞いても分からない授業は、考え事をするにはうってつけで、なんで園山があんな顔をしていたのか少し考えてみた。
思わず後ろを振り向いてしまった。それでもどれだけ考えてみても原因は分からなくて、考えるのを諦めた。
今、園山はどんな顔をしているのか。ふと気になって、教師から怒られる危険も顧みずに、園山のいる席の方を振り向いた。
そして、目に飛び飛んできた園山の表情を見て絶句する。その顔は明らかに、朝見た時よりも虚ろなものになっていた。
よく見ると、園山は口を小さく動かし続けている。その動きは、同じことの繰り返しでひたすら何かをつぶやいているように見えた。
微かにその声が聞こえたのか、それとも唇の動きから読めたのか、何と言っているのか俺には確かに分かった。
"違う"と。
園山はそう繰り返しつぶやき続けていた。
「園、山……?」
明らかに様子のおかしい園山に、わずかに恐怖を覚える。授業中だということも忘れて、席を立って園山のもとへ駆けつけたくなる。
我慢の限界を迎え、席を立とうとした瞬間、ガタっという椅子を引く音が聞こえた。もちろん、俺が席を立った音じゃない。
立ち上がっていたのは、まぎれもない園山本人だった。
「違います。違うんです。こんなじゃない……」
突然のことに、クラス全体が静まり返る。そこにいる誰もが状況を理解していない。
「どうしたんだ、園山。今は授業中だぞ?先生がなにかおかしなことを言ったか?」
数学の教師も困惑の表情を見せる。自分の書いた数式に間違いがないか、何度も黒板を見て確かめる。
けれど、その数式に間違いなんてあるわけがなく、ますます教師は訳が分からなくなっていく。
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!」
そして今度は、さっきみたいに何度も“違う”と繰り返す。それも、さっきより数倍も強い言葉で。
クラスメイトはここにきて、ただ事じゃないと理解し始めた。
「なあ、園山。おまえどうしたんだよ……」
園山に向かって一歩踏み出した瞬間、目が合った。
その瞬間、園山は驚いたように目を見開いて、絶望に顔をゆがめた。
「あ、ああ……」
一歩、俺から逃げるように後ずさる。
「違う……こんなのが私の現実なわけがない!!」
俺の存在が最後の一押しになったのか、園山は大声で叫んで、そして教室の外へ駆け出していった。
その、あまりの剣幕に誰も園山を止めることはできなかった。後に残ったのは、静まりかえった空気の教室だけで、俺は居心地悪くその中心で立ち尽くしているだけだった。
彼女を追わなければいけないと気付いたのは明らかにもう手遅れな時間で、俺は結局追いかけることもできなかった。