旋律の足跡
商店街へ行った時でした。
寂れた商店街には似つかぬ程の爆音で外国語の歌が流れていました。
気になって、音の出所であるレコード屋を覗いてみると
爆音の中レコードを抱きながらすやすやと眠っている女性がいました。
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僕は流れる歌と彼女に導かれる様に レコード屋の扉を開いた。
レコード店に来るのは初めてと言うわけではないけれど、普段あまり音楽を聴かない者としては
少し肩身の狭い思いで 少し居心地の悪さを感じながらも
その場所に留まり、気付けば僕は歌が終わるまで 彼女の寝顔を眺めていた。
最後の音が鳴り終えるのと同時に 彼女の目が覚めまし 不思議そうな顔で僕を見た。
現われた彼女の瞳は黒髪に栄えるとても美しい琥珀色で 僕の中で一瞬だけ時が止ったようだった。
「おっ、おはようございます。」
僕の気が動転した挨拶に
彼女は少し驚いたように目を丸くして少し頭を下げた。
「あの、今流れていた歌は?そのレコードが欲しいのだけど。」
僕の問いに、彼女はレコードをしまいながら首を横に振った。
「駄目です。これは売り物じゃないの。私のレコードなの。」
「でも、ここはレコード屋なのだから売り物で同じものがあるのでしょう?」
彼女はコーヒーを入れながら、また首を横に振った。
「いいえ、これは私だけの この世に1枚しかないレコードなの。だから、同じものは二つとないし。幾ら出されたって売るつもりは無いわ。」
彼女のあからさまにツンケンした態度に、僕は肩を落とした。
「そうですか、じゃぁ また来ます。」
普段の習慣が口に出た 僕にとってはただそれだけだった。
僕が出口に向かい歩き始めた時、いきなり腕を引っ張られた。
「ちょっと待って!今、何て言った?」
「え?」
彼女の言っている意味が僕には分からなかった。
「ほら、もう一回。今言ったことを言ってみて?」
彼女に言われた通り僕はさっき言った言葉を繰り返した。
「そうですか、じゃぁ また来ます。」
すると彼女は何故だか笑顔になった。
「じゃぁ、貸してあげる。また来るんでしょ?」
彼女からの意外な言葉に僕は純粋に驚いた。
「えっと。。。でも、君の大事なものなのでしょう?この世に1枚しかないのだし。さっきだって、幾ら出されても売らないと言っていたじゃないか。それを、こんな見ず知らずの僕に貸したりなんかして、返って来る保証も無いでしょう?」
彼女はまるで対話するかのように机の上に置いてあるレコードをじっと見つめ、僕の方に振り返った。
「あなたなら大丈夫。もし心配なら。。。そうだっ!その本 その本を私に貸して?
それって画集でしょう?文字を読むのは得意じゃないけれど、絵だったら私にも分かるもの。
これで、あなたは此処に戻ってこなければいけなくなる!それにね、、、それに、、、」
彼女は何かを言おうか言うまいか考えている様だった。
「それに、、何?」
「それに、、、また来る って言われたの初めてだったの。ただそれだけよっ!」
少し強がったように満面の笑みでそう言うと、僕の鞄の中から画集を取り出し
冷めてしまったはずのコーヒーを美味しそうに一気飲みしてから
開いたままの僕の鞄にレコードを突っ込んだ。
「期限は。。。3日後の14時にお店に来て?絶対に約束よ?」
「うん、分かったよ。じゃぁ、3日後に また。有難う。」
「じゃぁね。」
そう彼女に見送られ 僕はお店を出た。
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期限が来るまでの間、僕は何度も 何度も 繰り返し曲を聴いた。
レコードのジャケットには歌詞カードも歌手/演奏者の詳細も記載はなく。
歌詞の意味など分からなかったし、色々な音がしてどんな楽器で演奏されているのか
男と女どちらが歌っているのかすら分からなかった。
なのに惹かれるのは何故だろうと 考えるたびに抜け出せなくなり
靄のかかったような青いジャケットと彼女の顔だけが音と共に頭の中を支配した。
そしてあっという間に約束の3日後が訪れた。
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僕は同じ商店街に来たつもりだった。実際に僕は、同じ商店街に来たのだ。
しかし、アーケードを通った時から少し雰囲気が違う気がしていた。
文房具屋のタイルの白や、本屋に貼ってあるキャラクターポスター。
全てが以前来た時と 何か違っていた。同じだけれど違うのだ。
妙な違和感を感じたまま、僕は足早にレコード屋へ向かった。
レコード屋だけは、僕が前に来た時と同じで なんだか安心した。
着いたのは丁度14時で、一呼吸してから扉を開いた。
「こんにちは。」
お店のカウンターには彼女ではなく、初老の男性が腰掛けていた。
「何か用かな?生憎、買取はしていないんだが。」
僕の鞄からはみ出たレコードを見て、売りに来たのだと勘違いしたのだろう。
「いぇ、あの、、、お嬢さんはいらっしゃいますか?このレコードは彼女から借りたものなんです。」
僕がそう言うと、不思議そうな顔で眼鏡を直した。
「うちには、息子しかおらんが。そうだなぁ、あえて娘と言うのならこの子ぐらいかな」
そう言うと、嬉しそうにカウンターに飾ってあった写真を僕に差し出した。
その写真には、彼女と同じ琥珀色の眼を持った黒猫が男性と一緒に写っていた。
「可愛いでしょう。少し前にね居なくなっちゃったんだけどね。わたしがレコードをかけると寄ってきてね。
気に入ってんだか何だか、レコードジャケットを抱きしめるように前足で挟んで寝ちゃうんだよ。」
その言葉に、初めて彼女を見たときの姿が浮かんだ。
「あの、このレコードかけてもらえませんか?」
「あぁ、いいよ。わたしも気になっていたんだ。この商売長くやってるけど、見たこと無いジャケットだったからね。」
男性が針を落とすとあの時と同じ歌が流れてきた。
「あんたにピッタリな不思議な曲だ。あの子が居たら絶対にジャケットに足跡付けられてただろうな。全く、どこでなにやってんだかね。やっぱり猫は気紛れだね。」
男性が少し寂しそうに言ったのが印象的だった。
「また珍しいレコードがあったら遊びにきてよ。あの子が居なくなって、私も退屈なんだ。じゃぁ。」
そう見送られ店を後にした。
家に着くまで 彼女と過ごした短い時間の事を思い出していた。
彼女は僕を見送った時「じゃぁね。」と言ったのだ。
僕には「また」と2度も言わせたくせに。
これも猫の気紛れか 女心と秋の空か
考えても答えが出ない事は分かっていた。
無駄なことと分かりながらもそんな事を考えながら家に帰ると
閉めたはずの窓が開いていて、机の上に彼女に貸したはずの画集が置かれていた。
右下の足跡を見て 僕は静かに笑った。