彼のいない時間 〈天原に征く〉
池袋公園にふっと現れた三人は、暗い景色を見回してほっと息を吐いた。
混乱していたダンジョン近くも、落ち着いたのか人通りはなく自衛隊がうろついているだけだった。
「大和はさ、どんな気持ちであの話をしたの?」
藤原鈴菜が傍に立っている津島大和に声を掛ける。公園の中はどこかで断線しているのか、光がほぼなくお互いの顔を見るのがやっとの光量しかない。
「どんな気持ちとは?」
「だって、ポッと出の新人君のクランに入るって言うなんて」
「実力はある」
「そうだけど、あれはあの錬金術師、賢者に操られているようなものじゃないか。大人に良いようにされている子供のクランに入るとか、正気?」
藤原鈴菜の言い方を咎めるでもなく、津島大和は公園のベンチに座った。
「それならそれで構わない。あの魔法力は多分世界でも群を抜いているだろう」
「そうだけどもさ。今までトップに近いランカーだったんだよ?九条君にうちに入れって強引に進めればいいだけじゃないか」
「多分、彼はそれでは動かないだろう」
津島大和の落ち着いた喋り方に、藤原鈴菜は口を閉じる。
「我々に利益があるなら、子供でも頭ぐらい下げる」
「私達だけで、攻略できないとか言わないよね?」
怒っている声音で言い続ける藤原鈴菜を、ベンチに座った津島大和が見上げた。
「藤原は反対だったのか?」
「そうだよ。大和が誰かの下に入るとか、物凄く気に入らないよ」
「いずれ、中を乗っ取れば良い」
津島大和の言葉に、藤原鈴菜が黙った。
「俺達が欲しいのは、有力な魔法使いに情報屋だ。あのクランはその上に優秀な錬金術師もいる。九条君には悪いが、新人にはもったいない場所だ」
津島大和はそう言ってから、ちかちかと光っている自衛隊が設置した境界のランプを見る。それから小さく、ふっと笑った。
「もっと高みの見えるランカーが所持をするにふさわしいクランだと思う」
「…乗っ取るつもりなの?」
「信頼を勝ち取れば出来ない話ではあるまい?」
「まあ、そうだけど」
二人で話を続けている津島大和と藤原鈴菜に、北角陸が声を掛けた。
「あのさ」
その静かな声に、二人が目をやると、北角は無表情で二人を見ていた。
「あれ、陸、何か怒ってる?」
「お前を話しから外していた訳ではないぞ、北角」
二人の答えに北角陸は大きな溜め息を吐いた。
「色々あって忘れているなら、俺がもう一度言っておく。九条君は俺達の命の恩人だ。彼がいなければ俺達は出血多量で意識を失った後で、魔法障壁が切れてモンスターに襲われて、とっくに死んでいる時間だ」
遠くで動いている電車の音が聞こえる。そろそろ終電の時間だろう。
三人がいる公園の空気もゆっくりと温度が下がり始めていた。
「いま生きているのは、九条君が来てくれたおかげだ。その恩人を恥知らずに見下して、自分勝手な妄想を話しているのが、本当にランカー二位のクランの人達かい?」
北角陸の言葉に、藤原鈴菜がぱちぱちと瞬きをする。
「うん、そうだけどさ、でも」
「喉元を過ぎれば、死の恐怖は忘れるのかい?俺は忘れないよ。あんな風に落下して、誰も入って来れないダンジョンに変化していた場所に、来られたのは九条君だけだった。俺達が踏破できないほどの魔物の量をいとも簡単に消しながら進めたのは、彼がいたからだ」
北角陸の言葉を、津島大和は黙って聞いている。
「俺達がミスで落っこちて怪我をしていた事も、協会に報告もしない彼が、俺達の名誉を守ってくれたって、どうして気が付かない?」
北角陸は、未だにベンチに居る二人の傍に寄らずに話し続けている。
「そんな風に恩人を蔑んで話を続けるならば、俺はクランを抜ける。今の〈天原に征く〉に居るのは不愉快だ」
「え、ちょっと待ってよ、陸。うちを抜けてどうするんだよ」
「俺は恩人に恩返しができるならと、津島の提案に反対しなかった。人としての道理を無視して、己の感情と利益を優先させるならば、離れるしかない」
「え、ちょ」
藤原鈴菜が立ち上がって北角陸に近付くが、北角陸は藤原を変わらずに無表情で見ている。
「命の恩人に対して、お前たちは感謝もしないのか」
呟くように言われた言葉に、藤原鈴菜の動きが止まる。津島大和もベンチを立ち上がった。北角陸を見るが、お互い感情の見えない表情をしていた。
「だが、あんなに有利な人材はそうそう集まらない」
「九条君に集まっているんだ。津島に集まったんじゃない。それは津島では集まらないとそういう事だよ」
津島大和は目を見開いたが、北角陸はそのままの表情で立っている。
「勘違いするなよ二人とも。九条君の恩情で俺達は生きているんだ」
「…助けて貰ったことが、そんなに重要なの?生きていたんだからそれでいいじゃない。これから生きていくための話をしては駄目なの?」
「…感謝しない、と」
疲れたように北角陸が溜め息を吐いた。
「前から君達について行けないと思っていた。ダンジョンの中では無敵の探索者様が、ただの強い人間になる現実が見えないで、何者かになった気になっているのが嫌だった。俺は人として生きたい。君達のように常識を無くすほど、ランカーでいる事に興味が無い」
「言い過ぎじゃないか、陸」
「俺達はこの場所で、たった一発の銃弾で死んでいく。その感覚が君達には無いのか?」
言われて、藤原鈴菜は自衛隊がいるであろう境界のランプの向こうを見る。
「そう、だけど」
「俺達は探索者になって、ランカーになって今では名誉も金もある。それの何が悪いんだ?北角」
津島大和の言葉に、もう一度溜め息を吐いてから北角陸は首を横に降った。
「そんな事を言えるのは、命があるからだと分からないなら、もう話すことに意味がないよ津島。…君達が命の恩人を蔑むような人達だと知りたくなかったよ。本当に残念だ」
そう言ってから、北角陸はカバンの中からガチャガチャと道具を地面に落としだした。
「管理がいないクランは活動が出来ない。話し合いで同意は貰っているけど、まだ俺達はクラン〈天原に征く〉のままだ。別の管理を探して活動してくれ」
その数は、彼らが探索をしていた時間の長さの分だけ、地面に溢れた。
「本気でやめるの?嘘だよね、陸」
藤原鈴菜の声に北角陸が顔を向ける。
「ここまでやっているのに、本気を疑うとか」
「だって、今まで十年も一緒にやっていたのに、たかが数日の付き合いの子供に肩入れしてさ」
「…本気で言ってるのかい?」
その視線が氷の様に冷たくて、藤原鈴菜の喉がひくついた。
「もう一度言うよ。九条君は命の恩人だ。それは何としても返さなければならない恩義がある。それが分からないならば、一緒に行動は出来ない。なぜならば俺は恩知らずにはなりたくないからだ」
「…でも、勝手に助けに来たんだから、そんなに感謝しなくても」
その藤原鈴菜の言葉を聞いて、北角陸は眉尻を下げた。
「じゃあ、死ぬかい?」
「え」
「二人とも、今ここで死ぬかい?自分の命なんていらないのだろう?」
「そんな事は言っていない」
津島大和が答えると、北角陸は首を傾げる。
「おかしいなあ。九条君の恩情がいらないなら、そういう事だろう?」
「助かったのだから、もう良いだろうと話している」
「誰に助けられても良かったと?」
「そうは言っていないが」
「…それじゃあね。二人で頑張って」
「陸!」
軽く手を振って歩いていく北角陸を、追いかけようとして藤原鈴菜は足を止める。今自分たちは決定的な決別をしてしまったのだと、分かってしまった。
同じように去りゆく北角陸を眺めている津島大和が、小さく呟く。
「俺達は何か間違った事を言ったのか?」
それには答えずに藤原鈴菜はただ北角陸の去った暗闇をじっと見ていた。
足早に家路に向かう北角陸の肩に、薄く光る幻影の小鳥が肩にとまる。とまられた肩を眺めながら北角陸が苦笑した。
「まあ、気配で分かっていましたけど、見ての通りです。賢者様によろしくお伝えください。俺は個人的に〈漆黒の魔王〉に入りたいと思っています」
小さな鳥は首を傾げた後に暗い空に飛んで行った。
それを見上げながら、北角陸は自分の指で一回だけ目じりを拭った。




