横浜ダンジョン前で
枕元に置いてあったスマホから、涼やかなピアノの音が聞こえて来る。
電話が掛かってきている時に流れる曲だ。
目を擦りながら、スマホを手に取る。
「ふあい」
『ああ、朝早くからすまない。伊達だが、寝ていたか?』
「う、はあ、寝てました」
『そうか。それで話なんだが』
容赦ないな、伊達さん。
目を擦って身体を起しながら、話を聞く。
『今日、午前九時から第三十一ダンジョンを攻略する。クランとして来てほしい。今回は天も来るので、荷物とかも気にしなくていい』
「…分かりました。九時までにダンジョン前で良いですか?」
『ああ、よろしく頼む』
「はい」
電話が切れてから、部屋の時計を見た。
まだ五時半ですが。
もしや昨日のうちにメールでも来ていたかと見てみるが、伊達さんからのメールはなかった。代わりに二条さんからのメールが来ていて、それを読む。
眠いんですけど。
しかしこれで二度寝などしてしまうと、きっと起きられないだろうから、仕方なく起きて服を着る。
下に降りて、冷蔵庫にアイスコーヒーがないか探してみるが、いつも飲まないせいで見当たらない。
台所に静が入って来た。
「…早すぎませんか?有架さま?」
「うん。電話で起こされた。まだ眠いからコーヒー飲みたいんだけど。買ってこようかな」
「作りますので、座って下さい。冷たいので良いですか?」
「作る?うん、冷たいのが良いんだけど」
椅子に座って静を見る。
棚からコーヒー豆とミルを取り出して、ゴリゴリと引き出した。その間に見慣れないポットを出してお湯を沸かしている。
冷蔵庫から大量の氷が出て来て、その上に落としたコーヒーが注がれた。
「はいどうぞ」
「有難う、静」
思っていたよりも本格的な物に驚きながら、グラスの中を眺める。
それから飲んでみた。
「おいしい。こんな豆まであるんだね」
「はい。いつ言われても良いように揃えてあります」
プロですね。
それが僕みたいな小食な奴の為だけに振るわれているのが、少し悲しい。
アイスコーヒーを飲みながら、スマホで二条さんのメールの続きを読む。ダンジョンに関わる話で、今日行く事になった僕には嬉しい情報だ。
大体のダンジョンが、二段階から五段階ほど強くなっているという。初心者用ダンジョンなどというものはこの世からなくなり、中級者用のダンジョンが上級者用に、上級者用は高難度と呼ばれるものになったという事だ。
今日行く第三十一ダンジョンは、中級者用だったはず。
最低でも二段階上がっているという事は、第八みたいな手強さになっているという事か。まさか五段階は上がっていないよな?
試しにメールを送ってみる。
《横浜は何段階上がったか分かりますか?》
こんな朝早くのメールだったのに、一分もかからずに返って来た。
《現在、内部に留まることが出来る探索者がいないため、モンスターで判断をするが、報告されているモノからすると三から五段階と思われる。潜るなら注意されたし》
目を擦って、メールをもう一度見た。うん、別に文章は変わらない。
まじか。え、伊達さんなら平気かもだけど、相庭さんは大丈夫だろうか?あと、管理の人は行けるのか?
こればっかりは現場で判断してもらうしかないなあ。
もう一杯コーヒーを飲んで、テレビをつけた。
朝六時のテレビは、何時もと違うキャスターが映っている。
画面には、ダンジョン新時代!と大きく書かれた文字が映っている。いや、そういう言い方はまたなんというか、製作者の意図が丸見えなのだが。
早目の朝ご飯を静が用意してくれて、僕は食べながら何だか不可解なテレビ画面を眺めている。今から新人になる人はダンジョンで修行をする事が出来なくなってしまったのに、画面の横で、協会の新人募集の文字が流れている。
これは、確かに新時代かもしれない。
新人が来ない世界かも。まだ今まではアイテムを売れば一日で年収分を稼げるという事で、探索者になりたい人が多かったはずだけど。常に命がけというのが本当になってしまうと、なかなかその職業につかないだろう。
探索者を続ける人も少なくなるかも。
僕が不安な気持ちで見ているテレビでは、華やかな探索者の過去の話を当時の画像付きで話している。
まだ支度をしなくてもいいので、ふと思い出した成田さんから貰った本“ダンジョンの秘密”を開いてみた。
ページに表記されていた文字が、ささっと掻き消えてからパッと現れる。
うん?
ダンジョンランクの話や、今のダンジョンが危なくなっている話が載っている。これを貰った時って、まだ今の事態にはなっていない時期だったはずで。
…さっきの文字が変わったのって、そういう事だろうか?
開いた時の最新情報に書き換わるって事でいいのかな?
これっておまけで貰って良いものじゃない。
高性能な魔導具じゃないですか?
…成田さんの僕贔屓が凄すぎる件について。
九時に間に合うように出るとなると通勤通学の時間とかち合うので、早めに支度をしようと部屋に入りカバンを持つ。今日の邪神ちゃんは静かにやる気だ。すっと飛んですっと胸のポケットに入った。
確かに今日は大変になるかもしれない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、有架さま」
送り出してくれる静に肯いて返す。
電車は何時もよりだいぶ混んでいて、立ったまま乗り継いでみなとみらい駅を目指す。大勢の人たちの話題は、大概は学校や会社の話で、あとは好きなゲームとか。でも好きな探索者の話をしていたり、ダンジョンの事を不安に思う人もいて。
騒めく電車の中は、真実一割、噂九割のまま、人を運んで行く。
みなとみらい駅を降りるのは殆んど探索者しかいない。駅からすぐの探索者協会の前を通る。ここの支部には入った事はないけれど、以前はもっと賑わっていた気がする。
ダンジョンの外側のゲート前に着くと、何人もの探索者が地面に座り込んだり転がったりしていた。
伊達さんが見えたので近付くと、片手を上げてきた。
「おはようございます」
「おはよう、九条君。いや、これはすごいな」
「そうですね、でもまあ、こんな感じだと思いますけど」
僕の意見に伊達さんが眉を顰める。
「何か情報があるのか?」
「共有しても良いですが、クランの他の人は?」
「ああ、じゃあ二人の所に行こう」
ゲートから離れて、不思議なオブジェの傍に、相庭さんと小柄な男性が立っていた。
「芽久、天、九条君を連れてきた」
天と呼ばれて、その小柄な男性がこっちを見た。まあ小柄っていっても僕よりは大きいのですが。
目線が少し上の人が僕を見て笑った。
「初めまして、オレが轟 天だよ。よろしくね九条君」
「はい、よろしくお願いします」
「なにかオレに預けたい荷物ある?」
「いえ、僕は大丈夫です」
轟さんが、首を傾げて僕を上から下までじろじろと見てから伊達さんに言った。
「悠斗、この子はソロ勢では?」
「ああ、うちにいるのは仮みたいなものかもな。でもまあ、今はうちのメンバーだから、気にしてやってくれ」
「分かった、オケ」
どういう話ですか。まあ心情的には仮なので、当たっていますけど。
認識の共有が出来てよい事ですが。
「おはよう、九条君」
「おはよう、相庭さん」
今日も、相庭さんは可愛い。
僕よりも小さい身体で、ショートカットの茶髪がふわふわと動いている。癖毛っぽいんだよね。たれ気味の大きな目が、不思議そうに僕を見ている。
お兄さんが物凄い顔で見ているが、気にしない事にする。
「九条君が得た情報を教えて欲しい」
「あ、はい。横浜ダンジョンは進化をして高難易度のダンジョンになりました。極めて危険だと思います。モンスターも“リスト危険”の範囲から出て来ている様です」
「誰からの情報だ?」
ええと、メールの差し出し名を見る。
「リエ・ゼロからですね」
「へえ、リエ・ゼロの情報を買えるとか、凄いね九条君」
轟さんが感心したかのように、呟いた。
伊達さんが肯いてから相庭さんを見る。
「それなら芽久は駄目だな。家に帰りなさい」
「え、でも」
「上級者レベルなら連れて行こうかと思ったが、高難易だと話が別だ。芽久では突破できない。九条君にキャリーして貰うのも違うだろう?」
相庭さんは僕を見て、それから伊達さんと轟さんを見た。弱く首を振る。
「行きたいけど」
小さく言うと伊達さんだけを見る。
超シスコンの伊達さんだけど、ランカーとしては一流の人なので、判断は誤らないようだ。
「帰りなさい。彩を呼ぶから」
「彩さんは行かないもんね」
少し頬が膨れた相庭さんが小さくうなずいた。
話からすると、クランの人っぽいけど、聞いてないかな?
伊達さんを見ても返事はもらえなさそうだけど。僕を見た轟さんが笑って言った。
「悠斗が伝えてないのかな。彩は悠斗の彼女で経理担当のクランのメンバーだよ。探索者の適性がないから、ダンジョンには入らないんだ」
彼女持ち。ここにもリア充がいる。
その彩さんが来るまで、ここで待機らしいからゲートを見ているけど、入っては出てくる感じで、攻略が進んでいるとは思えない。
しかも戻ってきた人は大概怪我をしているし。
僕達が人待ちをしている間にも、まだまだ探索者が入り、ゲートから出て来る。
「俺のホームだからここを選んだが、嫌な雰囲気だな」
伊達さんが言うので、僕は頷くにとどめた。
ランカーの伊達さんは高難易のダンジョンに入った事はあるだろうけれど、それは此処ではないから、やりかたが違うはずで。
暫くして、小柄な女性が小走りで近づいてきた。
「ごめんね悠斗、遅くなって」
「いや、急で済まないな」
「芽久ちゃん、帰るんでしょ?…凄い事態だね」
彩さんが周りを見ながら、相庭さんの傍に立つ。
「九条君、気を付けてね?」
しょんぼりした相庭さんがそう言って、手を握ってくる。
帰るのは本当に不本意なのだろう。
「うん。相庭さんも気を付けて帰ってね」
コクリと頷いた相庭さんと迎えに来た彩さんが駅に向かって歩いていく。伊達さんが見送った後で、ゲートの内側に三人で入った。
中は探索者でごった返していた。
外に出られない人が、地面に倒れて治療を待っていた。それが何人もいる。
轟さんが光景を眺めてから、伊達さんに問いかけた。
「悠斗、本気で行くの?少しヤバい気がするんだけど」
「ヤバいのは知っている。だが、ランカーが行かなければ他に誰が攻略するんだ?」
「君ね、そういうとこは嫌いじゃないけど」
轟さんが僕をチラッと見る。
その視線に気付いた伊達さんが、轟さんに笑いかけた。
「九条君は大丈夫だ。ソロで踏破するとか新人らしくない事を平然とする子だから」
「うわ、それなら安心だね」
知らない内に評価が爆上がりなのは勘弁してほしい。
「それじゃ行こうか」
二人に続いてカードをかざして内部のゲートをくぐる。
前に来た時は石柱が多数並んでいる空間だったけれど、変化はしているのだろうか。




