三角関係で修羅場中のカップルがいたので、我こそはと四人目に名乗りを上げてみた
ここは国一番の名門であるセリア王立学園。
うららかな昼下がり、現在最高学年であり、あとひと月で卒業を迎えるローランド伯爵令嬢、スカーレット・ローランドはとても困っていた。
理想の恋人が見つからないのだ。
正義感の強い彼女は幼い頃から女性騎士になって王都を守るという夢があった。
ところがだ。女が騎士などとんでもないと両親からは大反対された。ローランド伯爵家は国内有数の有能な魔術師家系なので、両親はスカーレットにも魔術師になってほしいのだ。
そしてついに、卒業までに親が認めるような恋人ができなければ、強制的に実家に戻って親の決めた相手と結婚してもらうとまで言われてしまった。
困ったことに、卒業は来月だ。
つまり、今月中に親が認める恋人を作らなければ実家に強制送還の上、親の決めた見合い相手──釣書を見たが、スカーレットが最も苦手とするインテリ眼鏡系魔術師の優男だった──の妻になることになる。
(どうしようかしら)
誠に遺憾ながら、スカーレットに今現在恋人はいない。
現在というか、過去にもいなかったのだがその話は今は置いておこう。
(せめて本当の姿を見せれば……。いいえ、ダメね)
スカーレットもここセリア王立学園での学園生活で、たった一度だけだが男子学生に告白されたことがあった。
しかし、『恋人にするなら自分より強い男』と決めていたスカーレットは、交際を申し込んできた男子学生に剣の勝負を申し込んだ。『私に勝ったら付き合うわ』という言葉と共に。
その結果、恋人いない歴イコール年齢になって今に至る。
(背に腹は代えられないわ。かくなる上は、誰かに一時的な恋人役をお願いするしかないわね)
しかし、困ったことにスカーレットにそんなことを頼めるような親しい男友達はいない。
スカーレットに告白してきた男子学生は、なぜか女子学生から人気のある男だった。
振られた腹いせなのか、その男子学生はスカーレットのことを『とんでもない暴力女』『勘違い女で高圧的』とあることないこと吹聴して回った。そのため、スカーレットは悪女として印象付けられてしまい、男子学生からは嫌厭されているのだ。
それに、『親が認める恋人』というのもなかなかのハードルだ。
少なくともスカーレットと同じ伯爵以上の名門貴族でなければ彼らを納得させるのは難しいだろう。
さてどうしたものかと途方に暮れかけたそのとき、幸運が舞い降りた。
それは校舎裏の一角、噴水広場の前で起きていた。
「お止めになって!」
甲高い叫び声が聞こえてそちらを見ると、ひとりの女子学生を間に挟むようにふたりの男子学生が立っているのが見えた。
さも大変だと言いたげな様子でおろおろしているのは、リリー・トムソン。ふわふわしたピンク色の髪とぱっちりとした大きなはちみつ色の瞳が印象的な子爵令嬢だ。
よく男子学生が、『かわいい』とか『守ってあげたい』などと言っているのを聞く気がする。
彼女はひとりの男子生徒ロバート・ウィーンをウルウルした目で見上げている。彼はウィーン侯爵家の長男で、確か彼女の婚約者だ。
そして、彼女をさりげなく抱き寄せながら勝ち誇ったような目でロバートを見ているのはカルロ・エルダ。エルダ侯爵家の次男で、青い瞳に金髪、さらに彫刻のように整った見目は人々の目を引くようで、女子生徒から人気のある学生だ。
ちなみに、線が細いのでスカーレットは好みじゃないし、過去の諸々からはっきり言って嫌いである。
「何があったのかしら?」
ちょうど近くにいて騒ぎに気付いた女子学生三人組のひとりが、訝しげに声を上げる。
「なんでも、カルロ様がリリー様と親しくしていることに対して、ロバート様がやんわりと注意したようなの。そうしたら、カルロ様がロバート様を挑発したらしくって」
「『嫉妬は醜いぞ。お前は負け犬だ』って言っていたわよ」
「まあ、そんなことを⁉」
スカーレットは耳をダンボにして彼女たちの会話を盗み聞きする。
今の会話から判断するに、リリーはロバートという婚約者がありながらカルロとただならぬ関係になったということのようだ。
「なんて勿体ない……」
スカーレットは思わずつぶやく。
ウィーン侯爵家といえば言わずと知れた、由緒正しい魔法騎士家系だ。ロバート自身も類まれなる魔法と剣の使い手で、卒業後は王都魔法騎士団に入団することが決まっていたはず。
スカーレットからすれば、理想的な家柄と言える。それこそ、両親も納得するほどに──。
「──というわけで、リリーは俺のものだ。卒業記念パーティーも俺と参加する」
カルロが勝ち誇ったように、ロバートに告げる。
(俺のものって何⁉)
女性をもの扱いするとは許しがたき暴挙である。
やっぱりこの男、嫌いだ。
「リリー嬢。これがきみの気持ちなのかい?」
ロバートは怒りを押し殺すように数秒目を閉じてから、静かにリリーに問いかけた。
「ロバート様、落ち着いてください! 私のためにふたりが争うなんて、耐えられません!」
さも被害者さながらの泣きそうな顔でリリーは訴える。
(んん?)
リリーの返事を聞き、スカーレットははて?と思う。質問と返事が全くかみ合っていないような。
そもそも、落ち着いてくださいも何も、この三人の中でロバートが一番落ち着いているように見えるが。
(意味がよくわからないけど、今の返しは、リリー様はロバート様よりカルロ様を取るってことよね?)
非常に難解な会話だが、少なくともスカーレットには、そう言っているように聞こえた。
そのとき、スカーレットはハッとした。
(もしかして、絶好のチャンスだわ!!)
──勝つとは、一瞬の勝機を逃さぬことである。
そんな言葉を残したのは、確か先の戦争で活躍して一躍英雄となった人物だった。
両親から勝利を勝ち取るための獲物は今目の前にいる!
「そうか──」
ため息交じりにロバートが口を開きかけた瞬間、スカーレットは大きな声をあげる。
「ちょっと待ったー!」
突然の乱入者に、三人だけでなくその場にいた学生たちも驚いた。スカーレットはそんな周囲の様子など意に介さず、真っ直ぐに彼らの元に歩み寄る。
「リリー様。あなたはカルロ様とロバート様があなたを巡って対立するのは耐えられないと」
「もちろんよ。私のためにこんな──」
ぐすんと言いながらリリーは頷く。
「そして、リリー様は卒業記念パーティーにカルロ様とペアを組むと?」
「ああ、そうだ。わかったら消えろよ、地味女」
カルロはふんっと鼻で笑いながら答える。
いちいち鼻につく男だ。人を見た目で判断すると痛い目に遭うぞ。
「なるほどなるほど。では心置きなく提案できます」
スカーレットはふたりの返事に満足し、くるりと向きを変えるとロバートを見上げる。濃紺の瞳と視線が絡み合った。
「ロバート様。私の恋人になってくださいませ!」
「……は?」
ロバートは大きく目を見開く。
「実はわたくし、早急に『理想の恋人』を作る必要があるのです。両親が頑固頭で──」
スカーレットはつらつらと自身の事情を説明する。
騎士になりたいこと。
親からは卒業後すぐに結婚しろと言われていること。
相手の男性があまり好みではないのでなんとか断りたいが、それなら親が認める好条件の男を連れて来るようにと言われていること──。
「つまりです。ロバート様はわたくしの理想そのものです。よって、わたくしの恋人になっていただきたいのです!」
スカーレットは胸に手を当てて大きな声で宣言する。
言い終わったところで肝心なことを伝え忘れたことに気付き、「仮初の……」と付け加える。
目をぱちくりとさせてスカーレットを見下ろしていたロバートは、数秒して「あははっ」と笑い出した。
「女性からこんな熱烈なアプローチをされるなんて光栄だな。その話、乗ろう」
「ああ、そうすると良い。負け犬と地味女、お似合いだ」
カルロが被せるように言い放つ。
小バカにするような言い方が、本当にいちいち癪に障る。
あんまり調子に乗ると、腹回りに脂肪のわっかができてどんなにダイエットしても落ちなくなる呪いをかけるわよ!
さて話は終わったことだし、めでたしめでたし…と思ったそのとき、「ちょっとーおおお!」と令嬢らしからぬ図太い声が広場に響き渡った。
「あんた何勝手なこと言ってるのよ! その男、私の婚約者なんだけど⁉」
振り返ると、リリーが怒りで顔を真っ赤にしていた。
「え? だってさっき、カルロ様のほうがいいみたいなこと言ってたじゃないですか?」
なぜお怒りモードなのかと、スカーレットは首を傾げる。ほんの五分、いや、三分ほど前に、カルロの腕に自分の腕を絡めていたのに。
「そんなの、一時的な戦術に決まってるでしょ! 男は、自分の女が他の男に取られそうになっていると嫉妬してより強く執着してくるものなのよ!」
「……そんな戦術が?」
なんと言うことだろう。初耳だ。
戦術系の本は図書館に足しげく通って全部読破したはずなのだが、まだスカーレットの知らない戦術があるとは。
「そこ、詳しく教えてください!」
「はあ⁉ なんなの、あんた」
「さっき、カルロ様のことが好き!みたいな態度取ってたじゃないですか」
「好きなわけないでしょ、こんな顔だけ男! 爵位も継げないし冗談じゃないわ。遊び相手にちょうどいいと思っただけよ! 昔から、遊び相手は一緒にいて楽しい人、結婚相手は地に足ついた人って言うでしょ!」
「へえ。リリー様は物知りなのですね!」
これまたスカーレットの知らない情報だ。
その理論で言うと、ロバートはスカーレットの恋人にぴったりだ。だって、彼と一緒にいればいつでも剣の訓練ができる。まあ、彼は地に足ついているので結婚相手としても理想的なのだが。
「え? まあね。私にかかればこれくらい……って、そうじゃないのよ! ふたりを手玉に取って上手くやるつもりが、あんたのせいで台無しじゃない!」
リリーは一気に怒鳴り散らすと、はあはあと息を切らして肩を揺らす。
「手玉に取って……」
ぼそりと呟いたのは、先ほどまでリリーに甘い微笑みを浮かべていたカルロだ。
リリーはそこでハッとする。
「まあ、やだわ。私ったら!」
ウフフッと可愛らしく笑うけれど、周囲の視線は冷たいものだ。
「カルロ様、誤解なきようお願いします。今わたくし、魔術を使って何者かに憑依されていたのです!」
「そ、そうか。そうだな。そうでなければ可憐なリリーがあんな口を──」
カルロは顔を引きつらせながら、こくこくと頷く。それをぶった切ったのはロバートだった。
「憑依だと? ありえない。ここの学園は魔術科もある故、学生が間違ってそういった黒魔術系を使わないよう、すべての場所に魔法陣が敷かれている」
「え⁉」
ぎょっとした顔をしたのはリリーだ。
「それに、きみと僕はもう婚約者じゃない。実は、先日父上に話して解消を決めた。そろそろきみの両親に届いた頃だろう」
「嘘!」
「嘘じゃない。火遊びはほどほどにしろとあれほど言っただろう」
「だって、ロバート様が銀髪の美女といちゃいちゃするから!」
「銀髪の美女といちゃいちゃ? きみの目には剣の鍛錬がいちゃいちゃしているように見えるのか。恋愛観が合わな過ぎて、話にならないな」
「でも、じゃあ今日はなんで──」
「なんで? 人前で告げるのも酷だからとわざわざ裏手に呼んだのに、きみがその男を連れてきたんだろう? ふたりで話したいからどこかに行っていろと言っても訳が分からないことばかり言って話が通じないし……とにかく、きみにはうんざりだ」
冷たく言い放ったロバートを見つめたまま、リリーは固まる。
「それで──」
ロバートはくるりと振り返り、スカーレットの元に歩み寄る。
「俺に仮初の恋人になってほしいんだっけ?」
「え?」
「改めてよろしく。スカーレット・ローランド嬢」
(あら?)
フルネームを呼ばれ、スカーレットは意外に思う。
彼が自分の名前を認識していると思っていなかったから。
「驚いた顔をしているね」
ロバートはくすりと笑う。
彼の手がスカーレットの顔に近づき、眼鏡をひょいっと取り上げた。
「ああっ!」
スカーレットは思わず声を上げる。
この眼鏡は特別なものなのだ。外すと──。
魔法が解けたスカーレットは、艶やかな銀色の髪と空色の瞳という本来の美しい少女に変わる。
周囲からどっとざわめきが起きた。「お前は!」とカルロが、「あなたは!」とリリーが叫ぶのが聞こえた。
(まずいわ)
スカーレットは慌ててロバートから眼鏡を取り返そうとするが、彼のほうが一回り背が高く、腕を上に上げられると手が届かない。
「俺が気付かないとでも思った? 銀の姫君」
にこっと口の端を上げるロバートを見上げ、スカーレットは目を見開き、口をあわあわとさせる。
銀の姫君とは、そこにいるいけ好かない男──カルロがスカーレットに告白してきたときに告げた呼び名だ。
──銀の姫君よ。俺はきみを一目見たときから心奪われてしまった。どうか俺と恋人になってほしい。
自信満々にそう告げてきたカルロに『私と勝負して~』と告げたあとの話は割愛する。
「わたくしだと気付いていたのですか? いつから⁉」
「もうずっと前から。颯爽と現れた銀髪の女子学生がカルロを打ち負かして、去っていったんだ。皆、あれはどこの誰なのかって調べるに決まっているだろう?」
「でも──」
でも、特別な魔道具──地味になる伊達眼鏡で完璧に変装していたはずなのに。
スカーレットは親の目を盗んで剣の鍛錬をしていたので、練習はいつも学園の裏手でこっそりと行っていた。
入学時にそれが自分だとばれることがないように変装することを決めたスカーレットは、敢えて日常生活を変装した姿で過ごし、鍛錬のときだけ本当の姿になっていた。だって、伊達眼鏡をかけたままだと練習の邪魔だから。
「きみみたいな綺麗な子、クラスにいたら絶対に目立つから誰も知らないなんてありえない。だから、誰かが変装していることはすぐにわかった。こんな完璧な変装をできるということは、かなり高度な魔道具を使っているはずだ。それなのに、そんな魔道具の話はさっぱり聞かない。では、そんなものを作れるのはどこの誰だろうね?」
「さあ、誰でございましょう……」
スカーレットはすいーっと視線を彷徨わせる。
自分では卒業するまで誰にもバレない完璧なる変装だと信じていたのに、なんたることだ。
「スカーレット、きみに結婚を前提に交際を申し込む。きみに勝ったら、俺の申し込みを受け入れてくれるよね?」
ロバートはスカーレットに自身の剣を手渡し、自分は呆気に取られているカルロの腰から剣を引き抜く。
「いくよ」
ハッとした次の瞬間には、ロバートの剣が目の前に迫っていた。
◇ ◇ ◇
ここは王都から二時間ほど離れた、ローランド伯爵領。中心街にほど近いローランド伯爵邸では、楽し気な笑い声が聞こえてきた。
「いやー、スカーレットもこんなに素敵なお相手がいるなら早く言ってくれればいいのに」
「本当よ。ちっとも知らなかったわ。まさかウィーン侯爵家のご子息だなんて」
満面の笑みを浮かべてロバートに話しかけるのは、スカーレットの両親だ。ふたりの表情から判断するに、彼は両親のお眼鏡に適う相手だったようだ。
「それで、ふたりはどうやって付き合い始めたの?」
母は目をキラキラさせながら、ふたりを見つめる。
──剣を喉元に突きつけられて、脅されました。
という台詞を言う前に、「彼女から交際してほしいと言われまして」とロバートが言う。それを聞いた母は「まあ!」と言ってニマニマしながらスカーレットに視線を送ってきた。
いや、それ違う。
違わないんだけど、なんか違う!
帰り道、スカーレットは馬車の向かいの席に座るロバートをじとっとした目で見つめた。視線に気付いた彼は、器用に片眉を上げる。
「どうした?」
「本日、虚偽申告がありました。剣を喉元に突きつけられて、結婚しろと脅されましたわ」
「俺を先に口説いてきたのはスカーレットのほうだろう?」
「まあ、それはそうなのですが……最後は脅されました」
「ひどい言いようだな。この先俺より好条件な男、なかなか現れないと思うよ? きみの望みは全部叶えてあげるんだから」
にこりとロバートは笑う。
(まあ、それは確かに……)
ロバートはスカーレットの希望を尊重し、騎士試験を受けることに反対しなかった。それどころか、彼の両親であるウィーン侯爵夫妻は理想的な花嫁が来ると大喜びしている。
「あのとき俺に声を掛けたことを、後悔させないと誓うよ」
ロバートはスカーレットの片手を取ると、指先にキスをした。
〈了〉