2話 薄氷の上の日常
ゆっくり瞼を開けると、灰色の天蓋が視界に飛び込んできた。
ほんのり薄暗いけど、さっきまで見せられていた真っ白で無機物な天井よりはよっぽど刺激的だ。
昨日ログアウトした時と全く同じテントの中だからこそ出た感想とも言えるがな。
「我が主。お加減は」
「問題ないから、そのままでいいぞオルクス。警護ご苦労」
俺は布団から身体を起こし声の元へと振り向くと、膝を折るかどうか迷う巨大なオークがいた。
オルクスはオーク種の中でも戦闘に特化した固体で、ビルの1階に届くくらい高い身長と大きく盛り上がった筋肉を持っており、ボディービルダーよりも素晴らしい筋肉美だ。
だがその肉体美は余すところなく光り輝く銀色の鎧で隠されており、彼の持つ緑色の肌が垣間見えることもない。
ここまで防具を固める必要は正直無いのだが、これは俺のとあるしくじりが原因だ。
それはある時、俺がログインして目を開けて最初に飛び込んできた光景が警備中で緊張したオルクスの真顔だった。
朝寝ぼけ眼でログインしたこともあって、あの時はホラーゲームのジャンプスケアを食らったみたいな悲鳴を上げて腰を抜かしてしまったのだ。
決して醜いとは思わないのだが強面だと自覚したオルクスは、それ以来フルフェイスとフルアーマーを身にまとっている。
そんな気遣いをさせたこともあったが、オルクスは俺がゲームを始めたばかりの頃仲間にしたNPCの1人で、今ではパーティーに欠かせない最強タンクだ。
オーク種特有の知能の低さと喋り方を気にする人もいるが、それでも誠実と実直を体現したように尽くしてくれる腹心と言えるだろう。
「オルクス、他の奴らは?」
「はっ、我が主。我が主、いない時、代理リーダー……」
「オウキ様、私はこちらに」
オルクスの声が背後からの声に遮られると、テントの出入り口から入り込んできた黒い影が俺を通り越しオルクスの隣に集まった。
そして黒い影は徐々に、闇よりも暗い漆黒のマントを形作っていく。
「後ろにいたのかエフィー。それで俺がいない時に何か問題はあったか?」
俺がそう呼びかけると、黒いマントの中から長身の女ダークエルフが姿を現した。
ダークエルフの彼女はエフィー、我がパーティーのサブリーダーを務めている。
身長は俺と同じくらいだが、長い脚と引き締まった腹筋、シルクのように美しくサラリとした銀髪、切れ長の瞳はクールなスレンダー美人を簡単に連想させる。
服装は後方で味方のバフと弓での支援を主とするジョブだからか、エルフ種の伝統的な装束に胸当てという軽装だ。
このエルフの伝統装束は、1枚の緑布を腰に巻き付けスカートにして、両端を前から持ち上げて胸を隠しつつ、首で留める簡単な作りをしている。
だからなのか、背中はゲームと同じく完全なオープンワールド、しかもミニスカで見えそうな絶対領域、前面の中央には覗いてくださいと言わんばかりの深いスリット。
おい、エルフじゃなくてエロフじゃねーかよ!!
サービス開始初期、俺と同じことを叫んだプレイヤーはそこかしこに見られたが、そいつらは誇りを大切にするエルフ総出で説得(物理)されていたので俺は何も言わない。
それにエルフの衣装なんてまだ布がある方だと思うようになった。
だって、ちょっと前のアップデートで新規追加されたサキュバス族なんてほぼ裸やぞ!?
あんなもん全年齢向け(R15指定)ゲームのNRGに出していいのかよ!?
いいぞもっとやれ!!おっと失礼、取り乱した。
「はっ、オウキ様。問題はございませんでした」
「いつも通りか。よし、それじゃあ会議を開く。メンバーを集めてくれ」
「はっ!」
俺の一声で金属音も無く出て行く2人に一瞥すると、俺は「インベントリ」と唱えてウィンドウ画面を出現させた。
このウィンドウ画面は眼前に浮かぶホログラムで、必要な情報をプレイヤーに表示する便利機能だ。
いつものように視線と指で知りたい情報を集めていたのだが、とある項目でどちらも静止した。
「ふむ……やっぱりゴールドが足りないな。課金……はなるべく新しい装備に使いたいから無し。ってことは……はぁ、またこのダンジョン周回かよぉ」
ダンジョンの目の前まで来てグチグチ言いたくないが、今から挑む高難易度ダンジョンは既に20回以上クリアしている。
このダンジョンは高難易度と言われるだけあって、出現する敵は最強装備で固めたパーティーでも面倒なモンスターばかり。
それなのにクリア報酬が何もないっていう鬼のような仕様だから、誰も近寄らない不人気ダンジョンなのだ。
だが俺たちは意外とモンスターのドロップ品が高く売れること、不人気ゆえに挑戦パーティーがいないから自由に作り替えられることを知ったから、このダンジョンで金策している。
金策の理由が次回入手予定の装備品強化のためだから、今焦って金策をする必要もないのも理由だろう。
「お待たせしました、我が主」
「ご苦労。皆よく集まってくれた」
俺は仰々しく返事すると、いつの間にか周囲で首を垂れていた者たちを見る。
オルクスとエフィーは先ほど報告を聞いたため、まずは彼らの隣で膝を折っている角付き女性に質問した。
「ヘレン、周囲の状況は?」
「はいっ、主!周囲に敵影は見当たりませんでした!」
元気よく答えてくれた彼女はドラゴン族のヘレン・クナウストと言う。
こめかみ付近から伸びる蜷局を巻いた双角と顎下や手の甲に浮かび上がっているワイン色の鱗は、嫌でも彼女がドラゴン族であることを示している。
そしてクナウストという家名が、彼女が貴族であったことを物語っていた。
貴族と言っても設定上強すぎるドラゴン族は全員貴族で、見た目を似ているリザードマン種に貴族はいないし角も生えていないから絶対に間違えてはいけない。
彼女は種族アビリティで背中からいつでも翼を取り出して高速移動できること、知覚機能が敏感であることを理由に、我がパーティーの索敵をするシーフ役を担っている。
つまり彼女が異常を発見できないのなら、この周囲は間違いなく安全だということだ。
そして彼女の服装は全身真っ黒なフード付きの服で、まさに暗殺者と呼べる恰好をしている。
ただいつでも翼は出せるよう背に大きな穴が2つ開いているが、翼が無いときは折り重なって穴は見えない親切設計だ。
「よし、分かったヘレン。それでは次、ランド!」
我がパーティーの中で、頭1つ2つどころか半分以上背の低い男の名を呼んだ。
「へい旦那。あっしは何もやってやいやせんよ」
「何?お前の役目はダンジョンまでの道を作ることだ。疎かにすること許さんぞ」
不快感を露わに叱責するが、ランドという柿色の作業着を着たドワーフはどこ吹く風と笑い出した。
「旦那ぁ、あっしはサボっているわけじゃあない。作る必要がねぇから作ってねぇんだ。しっかり見てくれよ、ちゃんと道はあるだろ?」
ランドがそう言って指さす地面に目を凝らすと、確かに腰丈まで伸びた草蔦の中に敷き詰められたレンガが見える。
このレンガ道は初めて探索に来た時、ランドが移動用に敷設したものだ。
「それは済まなかった。しかし聞かないわけにはいかないんだ。整備は怠るなよ」
そう言っているが、俺もパーティーメンバーも整備など必要ないことを知っている。
なぜならランドは物作りのプロフェッショナルが集う種族ドワーフ出身の職人で、今まで作った道路や壁は不壊と言われるほど丈夫だからだ。
そしてランドがいるからこそ、俺たちパーティーはダンジョンを改築するというゲームの破壊が行えている。
誰も来ない不人気ダンジョンで、俺たちが黙ってれば運営にもバレないって理由もあるけどな。
「へいへい旦那。それで他に用件は?」
「ん?もうランドには無いが……はぁ、分かった分かった。行っていいぞ」
俺の声を聞いてからか聞かずかは分からないが、ランドは一礼もせずにテントを飛び出していった。
ランドの役割はビルダーで、戦闘場所を自由自在に作り替え敵にデバフを与えることがメインのジョブなのだが、開発したとんでも兵器で特殊アタッカーもこなす。
そのおかげで戦闘では非常に助かっているのだが、研究に入り浸る悪癖はいつまで経っても直らない。
「最後、シーラ、ドーシュ。問題は?」
「はい、オウキ様。皆さん体調はバッチリですよ」
「うむ、食料も問題ないぞオウキ殿」
パーティーの命綱を担うシーラは笑顔で、そして大きな帽子で半分以上顔を隠しながら鷹揚に頷くドーシュが答えてくれた。
シーラは楽器のハーブを持って戦うヒーラーで、種族はマーメイドだ。
彼女の回復によってパーティー全滅の危機を何度も回避し、水没したダンジョンの探索では彼女の種族アビリティである『水中呼吸』は欠かせない。
そしてシーラ服装は……まぁそのあれだ。
元々人間の男を魅了することに特化した種族だけあって、男の視線を独占するほどのプロポーションを持っている。
しかも服装は水の中での生活を前提にしたビキニ。
このままだと町も歩けないず生活もままならないということで、灰色のカーディガンとパレオを装備させた。
その結果、布の膨らみで余計にそのスタイルの良さが際立ってしまったのだが、どう足掻いてもこれ以上マシな装備はない。
ちなみに本来の足は人魚らしくヒレなのだが、魔法で人間の脚にして一緒に行動している。
ドーシュは大きくて黒いトンガリ帽子とマントを纏っていることからも分かる通り、範囲攻撃役のウェザードだ。
その反対に見た目から分かりにくいのが、木で体を構成している種族ドリアードだという事実。
ドリアードの種族アビリティがあるおかげで、大森林でも迷子にならないし木や作物をいつでも作れて食料にも困らない。
そして意外なことに我がパーティーで唯一料理できるから、そういう意味でもかなり重宝している。
木で体を構成しているが見た目は人間と見紛うほどで、パっと見はダンディなおっさんだ。
最初からこんなおっさんの見た目をしていたから、貫禄だけの魔法使いなんて悪口を言われたこともあった。
それも仕方ない、だって攻撃魔法『ファイアーボール』を唱えたら、種族弱点と魔法抵抗不足で自分が燃えていたんだから。
今はその貫禄に見合った能力を身に着けているから問題ないがね。
おっと話を戻して。
NRGは完全没入型のゲームだからキャラの満腹度があり、0になるとHPが削られていく。
もちろん満腹度が最大近くになると、食欲は無くなり何も喉を通らなくなる。
だから回復をご飯に依存することが多い初心者パーティーは、大きな腹を抱えて帰ってきて、翌日は腹痛に悶え苦しむっていうのがNRGの日常でもあった。
幸いなことに俺たちのパーティーには最強ヒーラーがいるから、そんな心配はいらない。
「よし、問題ないならダンジョンに潜ろうか。ヘレンはランドを連れてから来てくれ。お前の脚なら追いつくだろ」
準備が整ったことを確認した俺は、ヘレンとランド以外のパーティーメンバーを引き連れ、岩壁に大きな口を開けた洞窟へ向かった。
見慣れた仲間、見慣れた景色、見慣れたダンジョン入口に到着して、俺はいつもの指示を飛ばす。
「よし、これからダンジョンに入る。皆……?」
何の異変も無い日常なのだが、どうしたことか今日はダンジョンから得も言われぬ気持ち悪さを感じた。
何かしら罠があるかもしれないとダンジョンの中を見ても、ランドによって舗装され洞窟というより地下の秘密通路のような道があるばかりで、何の異変も無い。
もしかしてもう金策は嫌だと深層心理が訴えかけて来たから、気持ち悪く感じてしまったのかもしれないな。
だからきっと気のせいだ、今回クリアしたら当分金策は休めばいいじゃないか。
俺はそう自分を鼓舞しつつ、新たな指示を出した。
「皆、ダンジョン攻略開始だ」
一抹の不安を胸に、俺たちはいつものようにダンジョンの奥へと足を踏み入れるのだった。
5話くらいまでは毎日更新予定です。
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