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虹灯す  作者: かすり
5/40

第二幕/第一話・①《夜》

Next EP:2/4

BGM: https://on.soundcloud.com/CsJZJc99Dqo1JcQx8


一話・鬼出電入(きしゅつでんにゅう)…目にも止まらない速さで現れたり、消えたりすること。

二話・夜郎自大(やろうじだい) …自分の力量も知らずに、偉そうに振舞うこと。

三話・雨笠煙蓑(うりゅうえんさ)…雨の中で働いている漁師の容姿を言い表す言葉。

四話・斗南一人(となんのいちにん)…この世で最もすぐれている人のこと。

(引用元・四字熟語辞典 https://yoji.jitenon.jp/)


ゆっくりと意識が世界を取り戻す。久しぶりだ、こんなにゆったりと目醒めたのは。

一週間前に始まったばかりの高校生活はまだおぼつかなくて、ここ最近の朝は妙に忙しかった。

アラームに叩き起こされてばかりだったから、今日はなんだか気分が良い。

そんな土曜日だ。

天気は快晴とまではいかないが、所々に大きな雲がモクモクしてて、芳しくはない。

重い瞼を擦りながら寝惚けた脳味噌を少しだけ働かせる。なんだか変な夢を見た気がする。

どんな夢かというと、夜の神社で子供と遊んでたら急に化け物が襲ってくるっていう。そしたら小さい女の子が助けてくれるという。その少女は手に持った武器でその化け物を……あれ? そこから思い出せない。

まあ夢ってそんなもんか。

「う〜〜ん」

天に両手を翳し大きく伸びをしたが。

「いでッ!」

ビキッとした痛みが身体の関節あちこちを走り抜ける。思わず叫んでしまった。普段体育の時間以外は運動してないから、体が硬くなってる。昨日の体力テストのせいだろうか。でもそんなに頑張ったっけ。変だなあ。身に覚えのないダメージを蓄積しながら、私は自室を出て一階へと降りていく。

てか、学校から家まで帰った記憶もない。どうやって家に帰ったっけ。

寝惚けた頭のまま、いつも通り「おはよ〜」と母へ起床の挨拶をする。台所から揚げ物の良い匂いがする。

弁当のおかずを作っているのだろう。でも今日は休日だから弁当は無い筈だけど、間違えて作ってるのかな。

そんな事を思いながらリビングに入った時。

「えッ!?」

失われた記憶が全て繋がった。そこにいる人物の顔を見て。

「あらニコちゃんおはよう」

「よっ」

 いつもと同じ母の声ともう一つは耳に馴染みのない、けれど昨日の出来事を思い返すには十分印象的な少女の声。

プラチナに輝く亜麻色の髪、幼い顔つきを見て思い出した。あれは夢ではなかったのだ。

「な、なんでアンタここにおんのや……?」

「この唐揚げという馳走、実に美味じゃ」

食卓に飾られた鶏の唐揚げを箸で摘んで口に放り込む。それから大きな瞳だけをクルンと揺らして感想を述べた。

「ママァっ、この子なんでおんのや!?」

訳がわからなかった。昨日会ったばかりの、しかも名も知らぬ小娘が家に上がり込んで、しかもむしゃむしゃと唐揚げを頬張っているのだから。

「なんでって、この子ニコちゃんの友達やろ? 遊びに来てくれてんからご馳走してあげんとなあ」

「いや友達っていうか」

「恩人じゃ。ワシは此奴(こやつ)の」

「恩人ならもっとご馳走せんとなあ」

だからってこんな朝早よから来やんでも、と言いかけてテレビの右上に11:20の表示が目に入ったから口を

噤んだ。もう昼じゃん。

「あ、ニコちゃんも昼食べるやろ? 突っ立ってんとはよ座りいや」

確かにお腹減った。朝ごはんも食べてないから尚更だ。色々聞きたいことはあるが、取り敢えずは腹拵え。

腹が減ってはなんちゃらかんちゃらだ。

「あ、それとな」

いつの間にか三つに増えた椅子に腰掛け、箸を握って頂きますの挨拶。目の前の料理に手をつけようとした時、母がポツリと言った。

「後でばあちゃんの部屋案内したって。この子、今日から暫くウチで寝泊まりするから」

「は……?」

掴んだ大きめの鶏肉が、ポロリと転げ落ちた。


「というわけで」

 一通り食事を済ませた後。徐に少女は椅子の上に直立した。

昨日と同じ、色褪せた赤っぽい着物の袖がふわりとはためく。

「我が名は繭姫マユヒメと、そう呼ぶが良い」

「おぉ〜ええ名前やなあ」

「唐揚げ食べ過ぎて唇テカテカなってるやん」

昨日出会った人形みたいな少女の名前は繭姫……姫って自分で名乗るか普通?

言葉遣いや態度もどこか古臭い。よっぽど時代劇が好きなのだろう。懐から取り出した布で口元をキュッと拭き取ると、着物少女は二つに結んだ髪を靡かせて言った。

「ニコラよ。御主(おぬし)に話すことがある」

 それから。

私の部屋へ無理やり案内させられた。どうしてこんな目に。寝室へ入るや否や、さっきまで私が寝ていたベッドの上に許可なく座り込むマユヒメ。ふかふかの感触を両手で確かめたあと悪くない、と声を漏らす。

布団ちゃんと干してるのか? と聞かれたので余計なお世話ですと返しておいた。

「さて、本題に入ろうか」

そう言って少女は物語の序章を説くように語り始めた。

声色は低く、色褪せた古い書物の文字を辿るように、ゆったりと。

ーー大和国(やまとのくに)に、災厄が訪れようとしている。

今より数百年の昔。武士が朝廷より権力を持ち、時に争い合う時代があった。そんな動乱の世を生きた一人の女。

名は、そうじゃな……“翅姫ハネヒメ”とでも呼んでおこうか。ハネヒメは夫である武士を生涯愛して生きたが、その最期は決して恵まれたものではなかった。愛する人を失い現世に深い憎悪を抱いたまま世を去った彼女の怒りは未だに静まることなく、そして哀しみの涙は地獄の業火を沈めるほど溢れた。

始めに申した災厄についてじゃが。

古くから大和国では、悪霊なるものから身を守るため、仏様の御加護を授かるために神事や祭りを執り行ってきた。

しかしこの数年間、人間はそのような“祈り”を怠ってしまった。先代から受け継がれてきた“祈り”は断ち切られ、次第に綻びを生み始めた。オヌシが昨日出会った狐の化け物。あれは怪狐と呼ばれる悪霊じゃ。これまであの世とこの世の道を閉ざしていた結界が次第に弱まり、あのような霊が現世に姿を現した。こうしている今にも、何処(どこ)かで同じような事が起きているじゃろう。被害は少しづつ拡大しておる。止めるには、各地で行われていた祭事を復活させ結界を修復する必要がある。祭事が復活して、人々が集い改めて“祈り”を込めれば良いのだが、そう一筋縄にはいかぬ。

ハネヒメじゃ。この機を狙って奴は現世を乗っ取ろうと企てておる。あの世で蓄えた勢力と共に、この世を地獄に変えるつもりじゃ。ワシの目的はハネヒメの野望を阻止すること。そのためには“兵力”が必要じゃ。

「……で、ウチに来たんやな」

 椅子に座って勉強机に肘をつく私は、パタンと古文書を閉じるように言った。

つまり、長い間お祭りが無かった所為で悪い奴らが悪さしようとしてるって事だ。にしても俄には信じ難い話。

地獄だの悪霊だの、復讐だの怒りだの。怪しい話だとも思った。なんか変な数珠でも売られるんじゃないかと。

完全に否定できないのはやはり、昨日の出来事があったからだろう。確かにこの目で見た異形のモノ。常識では

説明できない現象。この少女の言っていることはきっと本当だ。

でもホントだとして?

「私に戦えと?」

 うむ、と間髪入れず亜麻色髪の少女は頷いた。やはり表情はひとつも変わらない。

「無理やでそんなん」

だって見たやろ、ウチが薙刀握ったところ。

背筋を伸ばすこともできずに震えていた私。挙句の果てには涙まで流して。

すごく不恰好だった。

「倒したのはオヌシじゃろう」

確かにとどめを刺したのは私だ……ってアンタが無理矢理戦わせたんやろ。

あの場に居合わせたからそうだったけど、別に私じゃなくても。

もっとすごい人に頼めばいいじゃないか。ほら、自衛隊とか警察とか。

頼る相手を間違えている、そう言おうとした時だった。

「なぜじゃ? 何故オヌシはそうやってすぐ逃げようとする? 本当は出来るのに、本当は知っているのに『出来ない』『分からない』と嘯く(うそぶく)。隠れる口実を探そうとする。どうしてじゃ?」

別に声を荒げたわけじゃない。あくまで口調は平坦だ。言葉を羅列しただけなのに、それは一本の槍となって私の心をグサリと突き刺す。初対面でこんなこと言われて黙ってられるはずもなく。

「なッ、知ったような口聞かんといてぇな! 友達でもあれへんのに!」

私の声はいつもより乱暴だった。長い付き合いでもないのに偉そうにと思った。

はぁ、と溜息を吐くマユヒメ。その態度も気に入らない。

「勘違いするなよ。ワシはお願いしに来たんじゃない。ただ事実を伝えに来ただけじゃ。これから起こるであろう

悪夢の内容を。貴様の感情なんぞ尋ねてはおらぬ。生い立ちや心情なんて(もっ)ての外、微塵も興味無いわ」

なんなんこのチビ。ぶぶ漬け顔面にぶっかけたろか。

「逃げて救える命があるなら逃げ続ければ良い。ワシは心細くて仲間が欲しい訳じゃない。やる気がないなら帰るぞワシは」

「帰れやアホッ!!」

耐えかねて私は部屋を飛び出した。こんな意味わからん話いちいち付き合ってられんわ。

  

「はぁあぁぁ……グズッ」

 真っ暗な部屋。締め切ったカーテンの所為で光は届かない。誰も使っていないこの部屋に音はない。

あるのは吐息と、鼻を(すす)る音のみ。それ全部私のだ。あー情けない。

あんなちっちゃいクソガキに言い負かされた。ウチ高校生やぞ。馬鹿にしやって。

膝を抱えて体育座りする私。半袖短パンだと少し肌寒い。

言われたこと、全部頭では分かってる。

逃げようとするのは、怖いからだ。何かに挑戦して間違えれば傷を負う。挑まなければ無傷でいられる。

でもそれはただの強がりで、本当は大切なものを失って背を向けるんだ。知らない、出来ないと言っておけば

誰かがやってくれる。私じゃない誰かが。でもそれだと他の誰かが嫌な思いをするかもしれない。

あの時もそうだった。怖くなって、嫌になって逃げ出した。二度と祖母に会えなくなったあの日のこと。

どうしてずっと忘れていたんだろう。

………。


「さぁごらんあれぇ! 日本最強とよびごえのたかいこのニコラさまがおとおりだぞぉ!?」

 その日の試合会場は、これまでとは比べ物にならない程の観客で埋め尽くされていた。

と言っても別に、東京ドームばりの広さでやっているわけではないから大した人数ではないのだが。

私が十二歳になって初の、そして小学生として最後の大会だった。

京都なぎなた連盟主催・ジュニア選抜府大会。中学生・団体戦の部。

正確にはまだ中学生ではなかったのだが、実力や体格を考慮して上級生の仲間入りを果たしたのだ。

しかもこれまでの試合、先鋒でも次鋒でも中堅でも副将でもなく大将として戦ってきた。

最強(さいつよ)である私にふさわしい役割だと思い込んでいた。

「あ、あれ見てよあれ。噂の……」

「“鬼若”だよね。小学生でキャプテンやってる子でしょ」

「かいりきクソガキたいしょう! がんばれ!」

きこえる。ウチをほめたたえるこえが!

かつてない声援を受けて私の気分は高揚していた。まるで最強の女になった気分だ。

「それにあのニコラって子、有名な獅舞さんの孫なんだって」

「日本一の薙刀範士だっけ。そりゃ強いわけだ」

「バカニコラ! オマエのライバルはこのコサメさまだ! まけんじゃねえぞ!」

あちこちから私の名を呼ぶ声がする。……後でコサメはシめるとして。

観客達の声援に応えるため、私は両手を挙げて声援に応えた。プロレスラーの入場シーンのように。

てっきり、黄色い声援が場内を埋め尽くすかと思ったがそうはならなかった。

なぜなら。

会場の視線は、そのとき姿を現した別の人物に奪われてしまったからだ。

ざわめきは私への興味を一瞬で掻き消した。

「でた、日本最強のなぎなた少女!」

「“武蔵坊”のおでましね」

薙刀を背負った五人の少女達。背は自分より少し高く、こちら側の中学生達に比べると迫力が段違いだ。

それに彼女達の表情。まるで戦に向かう侍のような険しさと厳つさを漂わせていた。

羽織ったジャージの背中には文字が刻まれている。

河原北(カワラキタ)”中学校略してカラ北中。

前年度全国ジュニア大会優勝校である。故に我々“河原南(カワラミナミ)”女子中にとって次の一戦は決勝と言っても過言ではない

のだ。その中でも一際群衆の目を奪ったのは、先頭を切って歩くその少女。

ずば抜けて身長が高い。170センチ近くはあるんじゃないか、中学生とは思えない背の高さだ。

黒い髪は肩につかないくらいの長さに切り揃えれていて、左の顳顬(こめかみ)あたりに三つ編みを作って耳にかけているから凛とした横顔が一層映えた。切れ長で涼しげな両目は、決して観客の騒めきに臆することなく真っ直ぐとその進路を捉えている。本当に大人の女性みたいだ。あれがお姉さんの余裕ってやつか。

控え室に向かうのだろう、私たちとすれ違う形で会場を抜けていく。

どの選手もいい面構えだ。おもしろそうやないか。ワクワクしてる。私は自分の力を試すのが好きだったから、

強敵と戦うのを楽しみにしていた。心臓のドキドキが抑えられなかった。

右横を通り抜ける相手の主将を、じっと睨む。睨んで、ニヤリと笑う。

どんな相手だろうと今の私は最強。誰にも負けない。

そんな満ち溢れた自信に一瞬の翳りが生じたのは、例のデカ少女が私の“威嚇”に応じた時だった。

ギロリと、こちらを睨み返すその目は憎しみというべきか、とにかく冷たくて真っ黒な感情を剥き出しにした獣のようだった。歳上だからってわけじゃなく、自分より背が高いからでもない。殺意のようなものを直に感じ、少し鳥肌が立った。それから指先の震え。

ニコちゃん、こわがるひつようはないわ。あなたはイチバンつよいから。

自らにそう言い聞かせることで、体の悪寒や震えは綺麗さっぱり消し飛んだ。

頬を両手の平で弾き、気合を入れ直す。

(こわいかおしやって。まけへんで!)

両手の親指を鼻に詰め、舌を突き出してその少女の背を見送る私であった。

 試合が近づくにつれ、会場の空気が厚くなる。声援は膨らむ。

もうすぐ始まる。テッペンを決める戦いが。

「な、なあニコラちゃん。ワタシが大将でほんまにええん?」

後ろから、チームメイトの囁く声が聞こえた。

「だいじょうぶやてバラちゃん、ウチが先鋒やる。……あのデカおんなはいちばんさいしょにくるって、ウチの

ほんのうがいうてはる!」

分かる。理由なんて全く無いが、あの目つき悪い女は先鋒で来る。そんな気がした。

「そ、そうか。ニコラちゃんがいうならだいじょーぶやな!」

どこか歯切れの悪い回答だったが、私は気にせずに前を向く。

不思議な感じだ。あのデカ少女、以前どこかで会ったような気がする。それも随分昔に、だ。勿論顔を合わせたのは今日が初めてなはずだが。アイツが大将ではなく先陣を切って現れると言ったのもその所為だ。なにか感じる。

ならば迎え撃つまでだ、ちょうど好敵手がいなくてウズウズしてたところである。

大丈夫、今の私に敵なんていない。

表情に笑みすら浮かべて私は言った。

「みんな、えんじんくもか!」

  

「シマ ニコラ!」

「ぁい!」

 決勝の舞台で名を呼ばれる。静かな会場に響き渡る。高揚感に満たされて相手の名前を聞きそびれてしまった。

まぁ、勝つから問題はないけど。優勝すればきっと婆ちゃんも吃驚(びっくり)するはずだ。いつもいつもヘタレだのお調子者だのと罵ってくるが今度ばかりはそうは言えまい。そうだなあ、優勝のご褒美に来年のお年玉五倍にしてもらおっと。その時はもう婆ちゃん退院してるかな。数日前から体調が悪くて家に居ないけど、きっと良くなるってママァが言ってた。私が日本一になったら、残るはウチの婆ちゃんぶっ倒して世界最強だ。

だから、元気になってもらわないと困る。

「シマさん、宜しいですか」

「あいすんません!」

 意識を目の前に戻す。  

真正面に相対するカラ北中の選手。思った通りあのデカ少女だ。予感が的中した。鋭く照った目ん玉の炎が一層激しく燃えて見えるのは気のせいだろうか。アイツと私の思考回路は同じみたいだ、ならばきっと心の中でワクワクして

いるに違いない。

コートの中、開始線へと歩を進め薙刀を中段に構えると切先が触れ合う。その瞬間は時が止まったようで、ピタリと風が止み自分の呼吸音だけが耳に届く。あれ。なんだろうこの感覚。

「始め!」

審判の開始を合図する声が鳴ると同時に。

ーーお前と私が同じ?

その人は体を捻って薙刀を自分の身体に引き寄せ。

ーー(たわ)けが。    

(しめた、メンもスネもドウも、ぜーんぶガラあきやで!)

右半身を無防備に曝け出す相手、そのせいで疎かになった防御、隙ありと面の中でニヤけたが。

ーー私がここに居るのは。

(ちょ!? 待って、これ守らなヤバッ)

甘かった。  

ーーお前を殺すためだ。

 それは風を嵐に、炎を焔に、光を雷に変えるような一撃だった。横一閃に薙ぎ払われた全心全力の斬撃が私の右(ドウ)に飛来する。相手はノーガードだ、攻撃に出れば一本取れるかもしれないがそれよりも、この一撃を喰らうのはマズイと本能が訴えている。防御に全神経を集中させ、薙刀を胴の脇腹部分に構え対抗する。

ギリギリだった。あと0.1秒遅れていたら間に合わなかった。この一撃を防ぎ、構え直して相手の右(スネ)

この勢いで打ってきたなら逆にチャンスだ。守りに入るまで時間を要するはずだから。

そしてぶつかる、薙刀と薙刀。

その瞬間、思い描いていた勝利への一歩が呆気なく閉ざされた。  

(あ)

  

視界が、飛んだ。


 衝撃は一瞬で記憶も曖昧。気付けば重力が無くなっていた。一秒が一秒じゃないみたいだ。スローモーションの

ように、すごく長く感じる。音もない。ツーッと言う無防備な単音だけが頭を通り抜ける。

私は宙を舞っていた。例えでもなんでもなく。あの一撃をマトモに受け止めた私の体は勢いに耐えきれず、脱げた

片方の長靴のようにあっさりと。

観客席と目が合った。皆も多分、自分と同じ顔をしている。口をポカーンと開けて目の前の光景を眺めている表情。

そして、暗転。

次に目を開けた時、私はコートではないどこかで横たわっていた。

見たことのある場所。ここ、今朝来たばかりのエントランスだ。会場の入り口。

何でこんなところに? ていうか身体が動かない。辺りをぐるりと見渡してみると、周辺には木の板やアスファルトの残骸みたいなのがバラバラに散らばっていた。

なにこれ。

今度は霞む視線をまっすぐ前に向けてみる。

白い壁に大きく空いた穴。その向こうに広がるのは、私がさっきまで見ていたはずの景色。

あんな遠くに。

一秒、一秒と過ぎる時間と共に停止していた思考が回り始める。全身の痛覚も呼びこされる。背中と右腹部に激しい痛み。それから呼吸のリズムが乱れていることに気がついた。上手く酸素を供給できなくて苦しい。

手元には真っ二つに折れた情けない姿の薙刀。指で触れるとカラン……と虚しい音を立てて転がる。

耳鳴りに混じって群衆の声が聞こえる。先ほどまで耳にしていた声援とは違う、叫び声のようなもの。

幾重(いくえ)にも重なる足音の数々。あちこちに散らばった音達の中、一つだけ。

凛とした音色を保って、獲物を狩る(したた)かさを残してそれは近づいてくる。

「安心しろ、今すぐ地獄に送ってやる」

 アイツの声だ。初めて聞いたはずの声が、鮮明に脳を駆け巡る。本気で殺されると思った。明確な殺意を感じた。

なんで? 今まで会ったこともないのに? ウチなんかした? 考えても動機は見つからない。

その行動が理解できない。イヤだ死にたくない。怖い。

「う」

少しずつ大きくなる人影。

助けて。

その時、私は無我夢中だった。

身体中の痛みを押し込めてゆらり立ち上がると、会場の外へと一直線に走り出した。

相手に背を向け。何の躊躇いもなく逃げた。

「うわぁぁああああぁああん!!!」

絶叫、涙。呼吸も整わぬまま、とにかく真っ直ぐ走りぬける。振り返る余裕などなくがむしゃらに。

あんなのおかしい。なんでちゅうがくせいあんなつよいねん。いみわからん。

試合? コサメ? ばあちゃん? 仲間? そんなものは知らない。知ったこっちゃない。

全てをかなぐり捨てて、十二歳の私は会場から姿を消した。

 それからどれだけ時間が経っただろうか。

意識が戻った時、自分は暗い闇の中に居た。狭くて身動きの取れない場所。匍匐前進(ほふくぜんしん)で外に出ると、見知った場所に辿り着いた。いつもの神社だ。星マークがいっぱいついた神社。どうやら私は無意識のうちに拝殿の床下に忍んでいたらしい。身体に付着した泥と虫を払って空を見上げる。

すっかり夜になってしまった。深い青の(とばり)が頭上を覆っている。

取り敢えず追っては来ていないらしい、何とか難を逃れたか。

そう思うと張り詰めていた緊張が一気に解けて、身体の痛みや疲労感に襲われる。

「ゲホッゲホッ」

痛みを伴いながらも深呼吸をして息を整える。それからすぐ側にある石の階段にへたり込む。

六月ごろになるとこの辺りに綺麗な桔梗が咲くのだが、まだ少し早い。

あれこれ分からないことが多すぎて、頭の中がグルグルする。あんなに恐怖を感じたことなんて今まであっただろうか、あるわけない。小学生なのに殺害予告されるとか聞いたことがない。どれだけ思い返しても、因縁を付けられる憶えがない。訳がわからなくてただ怖い。

それに、私は逃げることに必死で何もかも置いてけぼりにしてしまった。

チームのみんなは? 試合はどうなった? きっと怒っているだろう。

キャプテンなのに試合を投げ出して、自分可愛さに走って逃げてしまったのだから。

ごめん。

すぐに、私の双眸(そうぼう)は涙で溢れた。ポロポロと雨粒のように流れる。頭の中がぐちゃぐちゃでどうしようもない。

情けない、怖い、痛い、分からない。こんなとき、ばあちゃんやったらどうする?

あんなつよいあいてでも『にげるな』っていうかな?

「ニコラ!」

 突然誰かの呼ぶ声がした。女の人の声が静かな境内に響き渡る。

全身の神経が強張った。また隠れようかと思ったが。

「ママァ!」

やがて目に映る、見慣れたその人の姿に緊張は解け(もつ)れた脚も気にせず駆け寄った。

「ニコちゃん!」

懐へと飛び込んだ私の顔は涙と鼻水で滅茶苦茶だった。悲しみの止め方なんて知らなかった。とにかく泣いた。

見上げると、母も泣いていた。私の肩を抱きしめると少しだけ、その表情が安堵に包まれた。

「こないに怪我して……ママ、心配したんやで? ニコちゃん急におらんなるから。看護師さんが病院で見かけた

言いはるから探してもおらんし……」

指で目尻を拭う母はそう言った。

「病院……?」

私は怪訝に思い尋ねた。どうして急に病院の話なんて。その問いかけに、母の表情がまた暗くなる。ゆっくりと

屈んで、目線の高さを平行に合わせた。

両手で私の肘を掴んで。

どうしたのだろう、そんな険しい顔をして。

「……ニコラよう聞いてな」

私は、イヤな予感がした。痛む脊椎を伝ってじんわりと。

「試合の後、ばあちゃんとこの病院から電話あってな……『急いで病院来て欲しい』言うて、そんで」

  

「ばあちゃんが……」

  

 今度こそ、私の精神は崩壊した。

とっくに限界を迎えていたそれは壊れて消えた。ウソや、ありえへん、ばあちゃんが死ぬわけないやろ。

その言葉すら出てこない。指先に力が入らず直立不動のまま母の顔を眺めた。目から光が失せていく感覚。

涙も枯れてなくなった。まるでデクの棒。考える気力も果てて意識が遠退く。

一瞬で、何もかも失ってしまったのだ。絶望が人生を彩るのを肌で感じた。

それから私の人生は暗闇に閉ざされ。

中学生になっても、薙刀に触れることは一切なくなった。

  

 そうして私はまた涙を流している。

四年という月日が流れて、背丈は伸びて別嬪さんになって。

知らないことも沢山知って、大人に近付いた。

はずなのに。

これでは同じではないか。

怖くて逃げ出して、隠れたあの日の私と。心はずっと置いてけぼりだ。

いつしか皆は私を“弱虫ニコラ”と呼ぶようになった。

あの試合でチームメイトだった人たちが付けた渾名(あだな)だ。

私は目を合わせないように俯いて、陰でまた泣いた。

『あかんで、辛くても、逃げたらあきまへん』

ばあちゃんと交わした最期の言葉。(おぼろ)げな記憶の中に漂っている。

果たしてそれが本当に最期だったのかどうか。今となっては知る由もない。

「逃げたら、あかん……」

ポツリと呟いた。

それから、マユヒメの言葉を思い出す。  

『なぜじゃ。なぜ出来ない分からないと嘘をつく』

『逃げ続けて救える命があるなら逃げ続ければいい』

 なあ神様。なんでこないにウチばっか辛い思いしなあかんの? ほんまに堪忍しておくれやす。

「はぁぁあ〜ッ」

私はひとつ大きな溜息を吐く。

不条理だ、こんな可愛らしい女の子を虐めるなんて。また目尻が熱くなる。

でも。

「逃げてばっかじゃあかんよなぁ」

歯を食いしばって立ち上がる。負けっぱなしはイヤだ。

ふと見上げた先には、祖母含め家族の遺影が並ぶ仏壇があった。

ここが祖父母の部屋であることを忘れていたらしい。

なんだか恥ずかしくなって、シャツの端で両目をグッと抑えて拭う。

「なぁばあちゃん」

語りかけるように。

「なんかよう分からんけど、化け物が悪さしようとしてるんやって」

もう泣かない、もう逃げない。

「ウチが全部倒したる。そしたらばあちゃん、来年のお年玉は五倍やで」

だから見守っていてほしい。

 言い終えると同時に、障子からぼんやりとした斜陽(しゃよう)が射し込み私の頬を優しく撫でた。

【構成】

全四幕ー各四話ずつ



【基準】

A


【ジャンル】

バトル・恋愛・スポーツ


【注意点】

・『』は過去の台詞や引用、通話など通常時会話と区別する際に使用する。

・“”は作中の重要なキーワードや特定の単語に使用する。

・ふりがなについて→カタカナで記したふりがなは登場人物や特別な読みに使用する。

・本作のほとんどはWikipediaを基に筋書きを作成しています。そのため情報の正確性が曖昧です。

あくまで今作はフィクションとしてお楽しみ下さい。

・一話を投稿した日から一年間を改訂期間とします。誤字脱字、誤情報など、皆様から寄せられた情報を基に修正していきますので、お気づきの方はお知らせしていただけると幸いです。

・⭐︎マーク→視点変更

・二次創作等うぇるかむーーーよー


【年齢基準】

 以下の区分を参考にして下さい。

・A(全年齢向け)

・B(青年向け=R15以上)

・C(成人向け=R18以上)

・J(幼年向け)


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