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虹灯す  作者: かすり
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第三幕/第二話/④《字》

一話・野戦攻城…野原や平地で戦闘をして、城を攻めること。

二話・真一文字…「一」の字のようにまっすぐなこと。一直線であることや、わき目も振らないこと。

三話・具不退転…後ろを振り返らずに、物事を遣り通すという気持ちをもつこと。

四話・智謀浅短…浅はかな策略のこと。

(引用元・四字熟語辞典 https://yoji.jitenon.jp/)

 吐き気がする。何度も嵐のような眩暈が脳を掻き乱して、眠ろうにも眠れない。

さっきから視界もおかしい。左半分は暗闇、右は朧げ。

ここはどこ?

地面に触れた感触の柔らかさから自分がベッドの上に居ることだけはわかる。だけど虚な視界に映る風景は暗澹としていて何も掴めない。

それから、ねぇ、どうして?

右脚の感覚がどこにも見当たらないの。

まるで力の入れ方を忘れてしまったような、当たり前に動くはずのそれが他人みたいに固まったまま。

身体全体は熱を帯びて燃え盛っている。悪寒と発熱、そして再び襲い掛かる嘔吐感。

「う……ぇ」

喉ギリギリまで出かかって引っ込める。

なにこれ。

最悪の気分だ。

誰か。

声にさえならない声が暗闇に吸い込まれる。

だがいくら待っても 返答はない。闇は闇のまま。

最初は平気だった。誰か来てくれる誰か悟ってくれるって。

でもそうじゃないって気付いてから、私の中の平常心が乱れ始めていく。

「なぁだれ、か」

辛うじて視界に取り込んだ右手側にあるオーバーテーブル、その上に放置される四角い物体を掴もうとする。

あれは多分、私のスマートフォンだ。机を叩くバイブ音が一定を刻んで足音を立てている。

誰かが心配して連絡してくれているのかもしないと思い、少し心を和らげて利き手を伸ばす。

でも、想像以上の重みを肩に感じて、指先に神経を集中させなんとか目的地に辿り着いた第一関節。

少し遠かったので机を引き寄せようとした時。

キュルキュルっと。

木製の大地は私を嘲笑うかのように身を引いて、その代わり重心を失った身体が右腕から奈落の底へ叩き落とされる。カシャンという、何かがひっくり返る音を巻き添えにして。

あ。

真っ逆様にベッドを転がって、同時に頬を打つ鈍痛。気味悪いことに痛むのはその一部のみで、後の部位は悲鳴すら上げずに無反応を貫くばかり。

恐らく床下に転落した。ひんやりとした感触が心臓を徐々に冷やす。

暫くその場から動く事が出来なかった。

寝そべったまま、なんとなく左手で真っ暗な視界を指に重ねてみる。左眼があるはずの位置に、沿わせるように。

だけどそこに肉の感触はなく、代わりに触れたのは布のような柔らかい素材。

そこで私は今、片目を眼帯か何かで覆っているのだということを理解する。

嗚呼、そしてこの前腕に羅列されたパイプ達は点滴ってやつだ。

包帯で覆われた手を今度は頭部へ運ぶ。未だにグルグルしてて脳味噌を掻き混ぜられる感覚、それを辿るように自らの髪を撫でたが、いつまでも指先の神経を拾わない。なんだか、頭全体が厚い壁みたいで触れた感じがしないのだ。

右脚は未だに死んだまま。床から伝わるはずの冷気さえ感じ取ろうとしない。

机に届かない。まるで地獄から見上げある天国のように、それは天高く。

「だれ、か」

一瞬和らいだ心が崩壊を始める。

独りにしないで。怖い、ここはどこ、寂しい。

「だ、れ……かぁ」

いつしか頬は濡れていた。目頭が熱くて、でもそれを邪魔するように左眼がメキメキと鈍痛を滲ませる。

痛覚と恐怖で感情を支配できなくなった。破れたボロ雑巾のように地面へ這いつくばる。

ーーお願い。誰か、この手を、ツユの手を握って。

そう願って、全身の痛みから逃げ惑うように左手を天へ翳した。

ここには誰も居ないと知っていながら。

「ホント、可哀想に」

誰も居ないはずなのに。

「だから『明日は危険』と、教えてやったのに」

その手を握る感覚があった。

暖かくも冷たくもない、無という感触が。

上から降り注ぐその声の主を一眼見ようと、ゆっくり頭を動かそうとしたが。

そうするまでもなく、誰かに肩を蹴られ無理矢理にでも身体を仰向けに晒した。

朧げな視界が映すのは天井と、ベッドに腰掛け無様に転がる私を見下ろす女性と思しきシルエット。

ゆったりとした赤い漢服に身を包み、闇夜に青白く溶ける肌の色。艶やかなその声に聞き覚えがある。

「アナタはね、馬から落ちて脚がダメになっちゃったのよ。それから頭と……片眼はもうダメねぇ」

緊張感の篭っていない間伸びした声だった。さも平然と言わんばかりの調子で私の容態を申告される。

ちょっと待って。馬から落ちた? 脚と眼が、なんだって?

空耳だと思いたかった。嘘だと信じたい。だから聞こえないフリか、もしくは理解できないフリを装ってもう一度、問いただしてみる。

しかし。

「恨めしくは思わない?」

ズイっと、突如眼前まで迫った女の顔がそう囁く。私の質問などさらさら答える素振りも見せず、代わりに長く伸びた女の黒い髪が頬をさらりと撫でる。鈍る五感を貫通して鼻腔をくすぐるのは古風で、奥ゆかしく上品な香り。温泉での出来事が脳裏に過ぎる。

大浴場で出会った時は湯気で顔をはっきり拝むことは出来なかったが、真紅の唇に無駄のない輪郭と、それから切長の目尻に宿る金色の瞳。優美と言わざるを得ない女性の面影が、息のかかる距離で静止している。

私は思わず息を呑んでその表情を見つめた。不敵な笑みに吸い込まれるように、身体を硬くして。

ーー恨めしいって、何が?

彼女が吐いた不可思議な言葉を重たい脳に反芻させる。

「そうでしょう? アナタはこうして暗くて寒くて淋しい場所に独り、取り残されて。でも誰も迎えに来てくれない」

それは。

「辛い時に、助けてと手を伸ばした時に駆けつけてくれる“誰か”がアナタにはいるの?」

そう言われて私は考えるまでもなく、記憶を辿るまでもなくその娘の名を口にした。

口にしようとした。

「ニコ」

「居ないじゃないの」

親友の名前を口ずさむより早く、それは遮られてしまった。

ニコラはここには居ないと。

でも仕方ないことだ、あの娘は今なぎなたの試合で沖縄に出向いてて……

「それが? 親友の怪我は二の次ってこと?」

まだ知らないだけかもしれない。

それに一人抜け出すなんてしたら、他の部員たちにも迷惑が掛かるだろうし…

「あら、じゃあアナタとの関係はソイツら“以下”と。そういうことなのかしら?」

そんなはずは。

だって、中学からの付き合いだし、お互い人見知り同士で仲良くなって、登下校も遊びもいつ何をするにも一緒で唯一無二の親友だって。引っ込み思案だったあの娘のことをずっと面倒見てあげてて。

そこまで思考を巡らせてから追い付いてきた現実が私に声をかける。

果たして本当にそうなのか?と。

 高校に入ってから共に過ごす時間は減って、毎日遊びに足を運んだあの娘の部屋のレイアウトなどもはや想像もつかなくなって。今は何を食べて、何を好きになって、何を考えて生きているのかさえ知らなくて。

脳裏に浮かぶのはどれも過去の記憶達。埃被ることなく棚に剥き出しのままとなった思い出達だ。それを無我夢中で捲って指を差して懐かしんでいるのが今の私ではないのか? そうしている間に、なぎなたを再開した彼女は新たな友人ができて、新たな出会いがあって、新たな経験を積んで。

その間に私はずっと、その後ろ姿に縋って。

もはや私なんて。

そこまで考えると、目の前の女性が口走る戯言を否定しなければと躍起になっていた自分が異常に思えてくる。

そんなはずはない、あり得ないと発言を覆そうとしていた己への信用度が。

「友情なんてそんなものなのよ。所詮“愛情”の前ではおままごと同然、情趣もない」

吐き捨てるように彼女は言った。

「今のアナタは不必要。なんなら目障りだって、そう思われてるわ」

それだけは聞きたくなかった。

その一言が私の心臓を抉った。

気づいていたけど答えにせず頭の片隅に投げやったもの。

それがはっきりと、実態を伴って私を切り刻む。

言い返せなかった。

代わりに止まっていた涙が、嗚咽が溢れてきた。

こんな羞恥を晒したくはないと思わず誰も居ない壁側へ顔を傾ける。

暫く放っておいてほしい。少しの間、何も考えずに居たいから。

「呼んだのはアナタでござんしょ? まだ終わっちゃないわよ」

ハァ、という溜息と共にシーツの擦れる音がする。続いてその後にガラガラ……と扉の開く音。

振り返って様子を確認する気持ちにもなれずにただ蹲ろうとするが。

「ほら、見なさんな」

突然胸倉を掴まれたかと思うとそのまま軽々と持ち上げられてベッドの上に投げ捨てられた。四肢が言うことを聞かずに成されるがままである。勿論それを実行したのは先程まで会話相手を務めていた優美な女性で、女子高生一人を軽々と拾い上げる筋力に驚くばかりだった。

見なさんな、と呟いて指を突き付けたのは扉の方角。

薄暗い世界にもう一つの人影が姿を現す。

その人物はなんの躊躇いもなく部屋へと踏み入って私の枕元に立った。

そして。

「大丈夫? ツユヒちゃん」

男の声を耳にした瞬間、心臓の鼓動が脈を打つ感覚を捉える。

直ぐに分かった、その声の主の正体が。

私は呻くように返事をした。

ーーコサメ先輩。

「怪我をしたって聞いて駆けつけたんだ、ツユヒちゃんのために」

暗闇の中、青年は表情を変えることなくそう口にした。

すると自分の泣きっ面が一気に恥ずかしさを増したので、急いで涙を止めようとする。

まさか、この人が心配して来てくれるなんて。

ただただ嬉しかった。

なんと答えれば良いのか、返答に困ってしまう。

こう言う時の自分が憎い。いつも傍らに居てくれる誰かを探すくせに、いざ会うと言葉に詰まる。

だから上手く思いを伝えられずに人と親密になることが苦手なのだ。

まだ脚の感覚は無くて、頭も痛いし視界も晴れないし全身も鈍るけど、でも私を気にかけて会ってくれたことだけ

でも幸せだ。彼の記憶の中に僅かでも居場所があるなら私は。

「コサメ先輩、ありが」


「でももうさよなら。オレには他に想い人がいるんだ」


 その一言が。

直ぐには飲み込めなかった。

「……え?」

そして、状況を整理するとかしないとか関係なく。

青年は足早に扉の向こうへと姿を消していく。

私がなにか言う前に、なんの後腐れもなく。

暫く空いた口が塞がらなかった。

え、だってわざわざ私を心配してここに足を運んでくれたんでしょ。

そんな、あっさりと居なくなってしまうの?

「、って」

そんなの、いくらなんでも酷すぎる。

期待なんかしたわけじゃない。本気で、来てくれただけで嬉しいって。

そう思ってたはずなのに。

「まって……ッ」

心臓が燃えるように熱い。

だって、心配してくれたのに。

初めて「ツユヒ」と、私の名前を呼んでくれたのに。

「いかんといてよ……ッ」

届くはずもない言葉を、無慈悲に背を向けた青年へと吐き散らかす。

満足に動かない身体を無理に引き摺る形で、両の手を伸ばして掴もうとする。虚空を撫でるように。

その先に視えてしまった。

「ぁ」

憧れの人の、その隣で手を繋ぐ親友の姿が。

肩を寄り添って、顔を見つめあって、ニコやかに。

それが幻かどうかは判断がつかない、だけどそんなことはどうでもよかった。

どんどん遠ざかる二つの影が、やがて闇の中へと溶けて沈む。

ただ閉め切った扉を眺めることしかできない。

「アナタの負けよ。残念」

ふふ、と不敵な笑みを浮かべる優美な女はその一部始終を愉しげに眺めていた。

悔しさなんてどこにもない。感情などもはやどこにもない。

全てが終わったかのような絶望感に苛まれる。

こんな人生ならいっそのこと。

いっそのこと、無くなってしまえば。

そう思いかけた時。

「もう諦めるの?」

女は呟いた。

気味の悪い笑みを残したまま。

「言ったでしょ、『恋は奪い合い』だって」

露天風呂で会った時と同じ台詞。

ーー奪うなんて無理だ。あの二人は何よりも固い絆で結ばれている。その縁を切ることなんて誰にも。

「だから力づくで“奪う”のよ……憎いでしょ? 腹が立つでしょ? 悔しいでしょ?」

ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

しかし、私は拒むことができなかった。

「アチキが力を貸してやろう。そうすればアナタの大事な愛を取り返せるわ」

その声で、脳内を踏み荒らしていた嵐のような頭痛が緩やかに鎮まっていく。

まるで鎮痛剤でも取り込んだかのように。

奪い合い。欲しいものは強欲なままに奪い取る。

何かが音を立てて崩れていく。今まで心の中で抑え込んでいた何かが勢力を増して。

あの娘の中にもう、私はいない。私は捨てられて、忘れられていく。

ーーだったら自分も、欲しいものを手に入れるために前へ進む。

すると先程までぼやけていた視界が少しずつ輪郭を取り戻し始める。

「良い眼になったね、復讐に満ち溢れてる」

女は口角を上げて更に笑みを大きくする。その時覗いた鋭い犬歯をギラギラと輝かせながら言った。

「明日、我々と共に“屋島”へ来い。そこでオマエは」

金色の瞳から視線を外すことなく、溢れ出る負の感情を全身に滾らせる。


「獅舞 虹心羅。我らに対抗し得る最後の希望を殺せ」


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