69 罠
表彰式が終わると、エレナは全剣から残業を言いつけられた。
通常、予選会の後は片付けが終わったら、それで終業だ。
有志で反省会をする者達もいることから、残業はあり得ない。
正直、一人で泣きたい気分だったエレナは、一度は断ったが本選への出場権を貰えると聞いて態度を変えた。
残業する程度で、今まで得られなかった本選への出場権が手に入るのだ。
それがどういう理由であれ、ディエゴを倒して本選に行くことよりも簡単なことであった。
★★★
「本当ですか?」
アーロンは喜んだ。
予選会で優勝した時よりも数倍も。
「嘘を言ってどうなるのよ。寮に入りたいんなら今すぐ手続するけど」
エレナはアーロンを罠にはめることに、一切罪悪感を覚えることはなかった。
業務に関するスペックが異常なほど高いだけではなく、剣術さえも元騎士団のディエゴ以上。
そんなチート級の若者に何をしても許されるだろう。
そんな奴は運だけでも人並み以下であって欲しい。
そんなふうに妬んでいる奴が、普通の団員では得られない待遇をこれから得ることになるのだ。
騙されたといえども文句は言えない。
それどころか、更に妬む奴が出てくるだろう。
それだけ規格外の新人が第十騎士団に入ってきたのだ。
アーロンは、エレナと他の同僚とともに、宿から荷物を引き取って職場に向かっていた。
執務時間が始まるとすぐに。
福利厚生だと言われれば、勤務中でも引っ越しはあり得るのだろうと勝手に思っていたアーロン。
馬車に荷物を載せ、流れに任せて寮に向かっているつもりだったアーロン。
周囲の景色が変わっていく。
わい雑な街並みから、明らかに高級住宅街へと変わって行く風景。
団の寮に住めると思って喜んでいるアーロンは、周囲の風景の変化に気が付かない。
付き添っているエレナは、アーロンの無邪気な様子を見て怒りすら覚えている。
(こんな奴を騙すことで、私は本選に出られるのか?)
全剣との取引だ。
こんな世間知らずを騙すだけで、今まで叶わなかった夢が叶うのだ。
剣の実力なんて何の意味も持たないのだろうか?
いや、そう思いたくない。
多少は剣の実力がないと、本大会で恥を掻くのだ。
全剣推薦で出るのだ。
最低限の実力は認められたと思いたい。
「あなたが少しでも早く寮に住みたいと希望したから頑張ったんだからね」
イライラした気持ちを少しだけ、少しだけアーロンにぶつけるエレナ。
いや、本当はあまり頑張っていない。
全剣が望んだから、それに従っただけだ。
多少の睡眠不足があるのでイラついてはいるが。
「ありがとうございます」
素直に謝意を示しているアーロンを見て、初めて心が少しだけ痛むエレナ。
そこまで喜ばれると少しだけ心が痛む。
アーロンは優勝の対価として、有給休暇と寮への引っ越しを希望したのだった。
アーロンが入団した時、エレナは寮に空き部屋があることは知っていた。
すぐに入れようと思えばアーロンを入れることは出来た。
しかし、寮費の計算が日割になるのが面倒だったので、月始めまで待ってもらっていたのだ。
全剣が言い出すまでは。
今日から普通の寮にあった空き部屋は工事に入っている。
そのため、寮に入居可能な空き部屋はない。
アーロンが向かっているのは、全剣の実家であるミラン家であることを、今現在アーロンは知らない。
★★★
「今日から午前中に仕事を仕上げること。午後は大会に向けて剣術の稽古をする」
全剣は、引っ越しから戻ってきたアーロンに命令した。
「いや、デイエゴさんは今まで本大会には出場しなかったと聞いていたんですが」
アーロンは大会を欠席できると思っていた目論見が外れたことで慌てていた。
何とかして本大会を欠場できないだろうか、と考えるアーロン。
「ディエゴは弱いから無理に出場させなかった。更に言えば、別の騎士団で剣技が拙いことを理由に退団させられている。大会に出ても昔の仲間がいて、恥ずかしい思いをすることは目に見えている。そんな者を無理に出場させるほど私も鬼ではない」
納得せざるを得ない理由を告げられるアーロン。
「仕事する時間が足りなくなるんですが」
仕事のことを盾にする。
「仕事なら、君一人でやることじゃない。団の代表選手のために、団のみんなが君の仕事をカバーする。安心して稽古に励め。仕事は大会が終わってもできるが、稽古は大会前しかできない」
結論は出たとでも言わんばかりの言葉。
納得の理由ばかり並べられる。
アーロンは抗議を諦めた。
しかし、欠場を諦めるまでは心が折れていない。
何とかして欠場する。
暴風剣姫に出会ったら、と考えると恐ろしい。
欠場するには、いくつか手段の候補はある。
怪我をする。
ドタキャンする。
弱い振りをする。
などなど。
団のことを知ればもっと欠場する手段が見つかるだろう。
その中で一番自分に被害の少ない方法を選べばいいのだ。
そう考えていた自分がいかに甘かったか、午後には思い知った。
訓練場に居たのは全剣一人だった。
この数日、第十騎士団で働いて分かったことがある。
騎士団の業務を陰から支えている文官の集団である第十騎士団。
そのトップであるレオカディオは、ただの文官ではなかった。
天下の十剣、暴風剣姫と同列である全剣の二つ名を持っているのだ。
訓練場に居たのは、そんな剣士の頂点に名を連ねる男。
「アーロン、今日は君の剣技を全て見せて貰うつもりだ。当然軽めの練習になる」
気持ち嬉しそうな声に聞こえるのは勘違いか?
仕事が趣味と聞いていたが、本当は剣術の方が好きなのか?
根が文官側のアーロンは、レオカディオが後者であることを薄々感じていた。
村にも居た。
剣術が好きな奴が。
仕事よりも剣術の稽古をしたがる奴が。
ただ、それとは全く別のレベルであることは確かだが。
終業時刻を前に、全剣から訓練終了を言い渡されるアーロン。
一言で言うと、要求されるレベルが違う。
形の精度、剣の振り、仕草の一つ一つに指導が飛んだ。
ダンディーともレティシアとも違う訓練内容。
訓練の最後は地稽古で締められた。
打たれる、と言うよりも切られる、と言った方が正しい感じを受ける。
しかし、打たれる痛みは一緒だ。
立てなくなるほどの剣を受けて訓練が終わる。
威圧感のない立ち居振る舞いからは想像もできない程の切れ味鋭い剣戟。
訓練後に『まだ足りないか』とつぶやいた一言が、アーロンに更なるダメージを与えた。
急な休暇取得を命ぜられました。
今年、有給をほぼ取得していないことから上司が怒られたそうです。
そもそも週末も仕事入れられて、ただの代休としか思えないのですが。
69話は短いので、次もすぐ入れます。




