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30 ダンディーの魔法

 (これが魔法か)

 ミランダ戦での最後の面を思い出してアーロンは思った。

 自然にミランダの剣を受け止め、そしてその剣を流しながら面を決めていた。

 今朝教えて貰ったばかりの形が、教わった通りに決まっていた。

 何も考えておらず、ただ体が反応して動いただけだった。

 これがダンディーの言った魔法なんだな、と思った。


 あとは決勝が残るのみ。

 やっとここまでたどり着いたのだ。

 ダニエルに勝ちさえすれば、憧れのアイネを手に入れる資格の入り口に手が届くのだ。


 あと十数分で決勝戦が始まる。

 アーロンのための休憩時間だ。


 (あと一試合)

 そう思うと、自分の休憩時間なんて要らない。

 決勝が待ち遠しいアーロンであった。



★★★



「やばいよ、お兄ちゃん圧勝しちゃったよ」

 (ダフネ)

「どうしよう、格好良いけど本当に騎士になっちゃったらどうしよう」

 (モニカ)

 二人は、圧勝したアーロンを見ておろおろし始めた。

 二人とも、アーロンが優勝する可能性(こと)を全く考えていなかった。

 準決勝を圧勝したことで、優勝する可能性があることに気が付いてしまった。


「どうしよう。お兄ちゃん勝っちゃったら、色んな(おんな)に狙われちゃうかも」

「可能性高いよね。うちのお姉ちゃんがOK出さない限り」

「でもアイネさん、お兄ちゃんにイラついているんでしょ」

「そうだから困るのよ。この間エリオドロをやっちゃったときに、お姉ちゃんのお誘いを断っちゃったのよね。断ったというよりも、DT丸出しで将来の約束を交わしたって感じ。お姉ちゃんがそんなお(とぎ)話理解できる訳ないでしょ。もう自分の魅力が届かなかったって、怒りモードよ。多分、しばらくの間お兄ちゃん(仮)に話しかけもしないでしょ」

モニカが落ち込んだ様子で話す。


「だよね。アイネさんが他の(おんな)からの防波堤になっていた感じもあるよね。しかも優勝して騎士候補の可能性が高くなったところでアイネさんに振られたら、他の女が放っとかないよね」

「デボラあたりが喰っちゃうかもね」

 モニカが一番怖い可能性を口にする。


「そんなこと許さないよ。でもそれが一番怖いわよ。アイネさんに振られて傷心のお兄ちゃんを優しくするだけで簡単に喰っちゃうなんて。お兄ちゃんが好きなら女なら百歩譲って許すけど、お兄ちゃんを好きなだけの女なら三百歩くらい譲らないと。しかも年下の男が好きなだけのデボラなら千歩譲ってもあり得ない」

「だよね。だったら私がお兄ちゃんと結婚するよ」

 しれっとダフネに認知してもらおうとするモニカ。


「それはそれで駄目。モニカをお姉ちゃんと呼ぶ気にはなれないし」

「なに言ってるのよ。デボラと私ならどっちが良いのよ」

 比較させるモニカ。

 性癖だけの女としっかり愛せる自分を比べてみろ、と暗に言っている。


「そういう基準じゃないし。お兄ちゃんはお兄ちゃんのままが良いのよ。『デボラに喰われた』とか『モニカの彼氏』とかいうお兄ちゃんにはなって欲しくないのよ」

「何たるわがまま。アイネお姉ちゃんはお兄ちゃんのことはもう嫌いになってるから無理だよ」


「それはそれで嬉しいけど、お兄ちゃんがこんなに目立つことは想像していなかったな」

「それは私もだよ。そもそもあの時、エリオドロに勝つなんて思っていなかったし、お姉ちゃんのキスを断るとも思っていなかったし」


「そもそもアイネさんがビッチじゃなきゃ少しは私も応援できたのよ。モニカの方が百倍マシだけど、モニカは友達だし、お姉ちゃんと呼びたくないし」

「ビッチなんてひどいわよ。お姉ちゃんはああ見えて、いいお姉ちゃんなんだよ。まあダフネからするとお兄ちゃんを取られちゃいそうな女は敵なんだろうけど」


「いや私だって、良い(ひと)なら別に良いんだけど、なんかアイネさんは違う感じがするのよね」

「私だって、お姉ちゃんとお兄ちゃん(仮)が合うとは思えないのよね。でも本当のお兄ちゃんになって欲しいと思うから、お兄ちゃんのこと応援するのよね」


「そんなことより、お兄ちゃん優勝しちゃったらどうしよう」

「負けるように頼んでみたら? ダフネのお願いなら、ワンチャン聞いてくれるかもしれないわよ」


「そんなこと頼んだらお兄ちゃんに一生嫌われるわよ。一生口きいてくれないのなら、どうでも良い女とくっついて、普通に一生話してくれた方がマシだわよ」

「そうよね。でもお兄ちゃん(仮)、ここで優勝したらどうなるんだろうね」


「それが困るのよ。お兄ちゃん有名になったら、モテると思わない? 」

「モテルデショーネー。妹のひいき目あるにしてもね」

 ブラコン発言に呆れてきたモニカ。


「私ひいきしてなんかないけど。客観的に見てそう思わない」

「まあ、お兄ちゃん(仮)は可愛い顔してるから、有名になったらモテるのは間違いないんじゃないの」

「それが困るのよ。お兄ちゃんは普通ぐらいが一番いいのよ。モテ始めるときっとロクなことないのよ。身長も見た目も普通くらいで、ちょっとだけモテるくらいで良いのよ。頭が良いのはあんまりモテに関係ないからどうでも良いんだけど」

「モテる人はみんなにモテるよ。そんなの当たり前でしょ」

 ちょっとだけ冷たくモニカは言い放つ。


 ダフネがブラコンなのは知っていたが、ここまでこじらせているとは思わなかったダフネ。

 モテる男は誰にでもモテる。

 自分(おんな)が見ていい男は他人(おんな)が見てもいい男と相場は決まっている。

 その中で、自分だけに優しいか、他人にも優しいかが違うだけだ。


 モニカはアーロンに振りむいて欲しいと思わない。

 ただ近くで見ていることができればいいと思っている。

 そして時々話ができれば。それ以上は望まない。

 それ以上は興味がない。

 ただ、他の女にうつつを抜かすようになったら、近くにすらいられない。

 妹なら一番良かった。

 妹じゃないのなら、友達が良い。

 でも何の共通点もない。

 アーロンの得意な勉強もそれほど得意じゃない。

 剣術なんてあまり好きじゃないし、アーロン以外の試合なんて正直興味がない。

 アーロンが出なくて、ダフネが居なかったら、今日、ここで剣術の試合なんて見ていない。

 そう考えると、アーロンと一緒の趣味なんて持っていない。


 じゃあ何が良くてアーロンが好きなのか、と自問自答すれば、可愛いお顔と優しい態度と回答が出る。

 もし、こんな人と一緒に暮らせたら一生楽しく暮らせそうという気持ちだけ。

 でも結婚したいとは思っていない。

 姉の夫あたりが丁度いい距離間。

 誰にも理解されないかもしれないけど。



★★★



「これより決勝戦を行います。ダニエル選手、アーロン選手」

 観客が盛り上がる。


 誰も(アーロン)が勝つとは思っていないだろう。

 それでもいい。

 それがいい。

 俺は自分でさえ、一か月前には信じていなかったことを成そうとしているのだ。


 本当に一か月前は、自分でさえダニエルに勝つのは夢物語だと思っていた。

 一年前、必死の思いで立った決勝の舞台で、何もできずに敗れたのだ。

 しかもそのダニエルは、州大会に出なかったのだ。

 せっかく州大会のチケットを手に入れたのにも関わらず。


 俺が必死に求めているものを手にしたのにも関わらず捨てたダニエル。

 一年前は全てを呪った。

 俺に勝ったダニエルを。

 俺が必要だったチケットを捨てたダニエルを。

 そしてダニエルに負けた自分を。


 一か月前は、ダニエルに勝てる想像ができずに、ただただ焦っていた。

 そして今、ほぼ万全の体調で試合に臨んでいる。

 万全とは言っても、遅刻ギリギリまでしていた稽古と遅刻しないように走ってきたおかげで結構疲労しているが。


 それでも一か月前では想像もできない。

 今日ならダニエルに勝てるかもしれない、ではなく、勝てるだろう、という気持ちが強い。

 しかもダンディーに魔法までかけて貰ったのだ。


 開始線に立つ。

 反対の開始線にはダニエルが立っている。

 一年前は、技術がない、体が大きくない、パワーがない、そしてスタミナも尽きてこの場に立っていた。


 今日はダニエルに勝って、州大会へのチケットを奪い取る。

 待ってろ、ダニエル。

 今日は俺が勝つ。



★★★



「試合開始、始め」


 ダニエルは中段に構えて様子を見る。

 昨年は拍子抜けするほどあっさり勝った。

 そもそも、普段の稽古からしてアーロンに負けた記憶がない。

 最後の稽古がいつだか覚えていないが。


 ただ今日のアーロンは調子が良いようで、全ての対戦者を秒殺している。

 よっぽど対戦相手に恵まれたのだとは思うが、それでも全て秒殺というのは異常だ。

 準決勝が女だったということを差し引いても。


 決勝を昨年と同じように、(ダニエル)が秒殺で決めたら、俺を尊敬する奴が増えるだろうか。

 村長の仕事を引き継ぐのに、尊敬は必要だ。

 そもそも秒殺じゃなくても二連覇するだけで、尊敬してくれるとは思う。

 ただ、強くないアーロンに勝って優勝しても、インパクトは小さい。

 できれば、ウンベルトの方が決勝の相手には相応しかったか。

 ダニエルは、アーロンを目の前に、そんなことを考えていた。



 試合が始まるとすぐにアーロンが動いた。

 ダニエルは、アーロンが動いたことをコンマ数秒後に認知する。


 バン!

「一本」

 ダニエルに対する面が決まると同時に、審判が予想していたかのように、アーロンの剣を有効だとみなした。


 ドン! バン!

 続いて、ダニエルに体当たりをして胴を薙ぐアーロン。

 面から続いての一連動作だ。


 ドタッ。

 ダニエルが吹き飛ばされ、地面に倒れた。


「待て」

 審判であるロベルトが試合を止めて、ダニエルの様子を見る。


「ダニエル、どうだ。試合はできるか」


 ダニエルは何が起こったか理解できなかった。

 気が付いたら何回かの衝撃とともに、倒れてしまっていたのだ。


「で、できます」

 視点が定まらない様子のダニエルが、ただ反応するように試合の続行を口にする。


「救護班! 」

 ロベルトが救護班を呼ぶ。

 救護班が駆けつけてダニエルを診察する。

 防具を外し、ダニエルの様子を観察する。

 いくつかの質問、いくつかの検査。

 数分後、大丈夫との判断が下される。



「両者開始線。アーロンの一本を取り消し、反則でダニエルに一本」

 会場がざわめく。


「アーロン選手は、有効打の後に体当たりをするなどの反則をしたことによる一本です。一本の宣告後は、続く連携技など必要最低限の打突以外、無理な攻撃はしないように」

 言い訳がましい理由を話すロベルト。



 そもそもアーロンが強すぎるのが悪いのだ。

 (ロベルト)がこの村で試合に携わってから、このような選手が現れたことがなかった。

 これじゃ、まともな試合にならない。

 どうやったら、この村でここまで強くなれるんだ。

 バランスブレイカーとでも言うのだろうか。


 ダニエルでもこの村では十分強いのに、ダニエルを一蹴できるほどの強さなんてこの村には要らない。要らないどころかこの村には毒だ。

 ここまでダニエルとアーロンに大きな実力差があることを知られてはいけない。

 アーロンが反則すれすれことをするからダニエルが負ける、という構図に持っていかないと、この村の秩序が壊れる。

 そのために、ロベルトは無理やり決勝だけ審判を代わった。



「二本目、始め」

 審判(ロベルト)が二本目の開始を宣言する。



 アーロンは不思議な気持ちになっていた。

 (ダニエルが弱すぎる)

 あまりにもダニエルが弱すぎる。

 目標としていた、そして越えようとしていたダニエルが弱く感じる。

 あまりにも弱い。


 去年はダニエルが強すぎて話にならなかったのに、今日は弱すぎると思ってしまう。

 ダンディーの魔法のせいか?

 それとも本当にダニエルが弱いのか。

 それとも、そう思えるくらい(アーロン)が強くなってしまったのか。


 取られた反則のことも気にならない。

 普通、連続技であれば、初撃で有効打になったとしても残りの攻撃で反則を取られることはないのだ。体当たりも含めて。


 そんなことよりも、ダニエルの弱さが気になっていた。

 そもそも負ける気がしない。

 これから残り一本をダニエルが自分から取れるとは思えない。

 自分が本気で打った剣をダニエルが止められるとは思えない。

 とりあえず、これが本当のことなのか、警戒しながら探っていこう。



「やあ! 」

 アーロンは、防御のことを念頭に置きながら剣を振り下ろす。

 ダニエルは一生懸命その剣を捌く。余裕なく真後ろに下がりながら。


「場外、待て。ダニエル反則一。始め」

 ロベルトがダニエルの場外反則を取る。


 (もう少し速くしても反応できるのかな)

 さっきは、絶対に返し技を返せる程度に余裕を持って攻撃してみた。

 ダニエルの反応を見るに、結構ギリギリだったようだ。

 これじゃ、本当に弱いんだろう。


 今まで、自分よりかなり強かったダニエルが、ここまで弱い。

 アーロンの心に、憐憫の情が出てきた。

 (普通に攻撃しちゃ可哀想だけど、攻撃しないと勝てないし)


 アーロンは、剣速を早くするか遅くするか迷った挙句、さっきよりも遅く剣を振ってみた。

 ダニエルに反撃されても余裕で返せる程度に。


★★


 ダニエルはアーロンの剣を必死に防御しながら後ろに下がる。

 場外を割りそうなところまで下がるが、ぎりぎり耐える。

 さっきのような場外反則を取られると、ポイントで追いつかれる。


 突然アーロンの追撃がやんだ。

 これはチャンスだ。

 アーロンの攻撃が途切れた瞬間を狙って、前に出て剣を振り下ろす。

「やあ! 」


 ダニエルの剣は、あっさりと受け止め防御される。

 それどころか、剣をあっさり払いのけられ、体勢を崩す。

 (まずい! )

 大きな隙ができてしまった。

 こんな隙を見逃すことはないだろう。

 ダニエルは打たれる覚悟をして目を閉じた。


 しかし、予想していた衝撃は来ない。

 アーロンを見ると、中段に構えているだけだ。


 (こんな隙を見逃すのか? 何なんだ? )

 理由は分からないが、とにかく助かった。

 今のうちにしっかりと構え直す。


 ダニエルは呼吸を整える。

 そしてアーロンを見る。

 隙があるようでなさそうだ。

 アーロンが強いか弱いか分からなくなってきた。

 ただ言えることは、ポイントでは勝っているが非常に追い込まれている状況だということだ。

 去年までのアーロンは、どうやっても俺に勝てないくらい弱かった。貧弱だった。

 たった一年でここまで力が付くものなのか。

 力が付くなんてものじゃない。

 貧弱だった、あのアーロンに勝つ道筋が見えない。

 対峙していると、なんで俺がポイントで勝っているのか分からない。


★★


 反則で一本取られているが、全く意味が分からない。

 あれが反則だとか反則じゃない、ということではない。

 単純に負けているということが理解できない。

 目の前の選手(ダニエル)相手に。

 

 負けている? 全くそう思えない。

 いつでも勝てる、としか思えない。

 そう思う相手が、今目の前に立っているダニエル。


 なんでこんなにダニエルは弱いんだろう。

 昨年まではあんなに強かったのに。

 少なくとも先月訓練場で見た時はもっと強いと思っていたのに。

 なぜ今目の前にいるダニエルはこんなに弱いのだろう。


 ダニエルの動きが観える。

 挙動が大きすぎて簡単に予測できる。


 ダニエルの剣速が遅い。

 予測しなくても遅くて見えすぎる。

 どこを狙ってどこまで動かそうとしているのか丸分かりだ。


 足の動きが雑だ。

 体の動きに無駄があり過ぎる。

 隙なんていくらでも観える。


 これで負けろ、と言う方が難しい。

 これもダンディーの魔法なのか?


 普段ダンディーと訓練をしているせいか、僅かな動きや違和感で行動を予測するしかない。

 ダニエルが相手だと、今からここを打ちますよ、と教えてくれるようにしか感じない。


 また驚くほどにパワーがない。

 打ち合ったりするときに、圧力を一切感じない。

 軽く圧力を掛けるとただ後ろに下がるだけのダニエル。

 全く脅威を感じない。



★★



「お兄ちゃん頑張って! 」

 ダフネがアーロンを応援する。

 周りの応援はダニエル一色だ。

 しかもダニエルが劣勢になっているせいか必死になってダニエルを応援している。

 誰もアーロンの応援をしていない。


「お兄ちゃん(仮)頑張れー! 」

 ダフネに続いてモニカも応援する。

 ダニエルの応援一色に違う色を投げる二人。

 黄色い声がアーロンまで届くと信じて応援する。

 優勝するのは困ると言っていたものの、二人ともお兄ちゃんのことが好きなのだ。

 どうせ決勝(ここ)まで来たのだ。

 人気が出ようが出まいが、元々お兄ちゃんの応援に来ているのだから応援しない訳にはいかない。

 結果はどうあれ、応援した分だけ、しっかり頑張ってもらおう。



★★



 アーロンが前に出る。

 後ろに下がるだけのダニエルは、アーロンの圧力に負けて場外を割った。


「待て。ダニエル反則一、併せて一本、開始線に戻って」

 悲鳴やため息が聞こえる。

 ポイント差がなくなった。

「始め」


 観客もダニエルの劣勢は薄々感じている。

 なぜアーロン相手に苦戦しているのか分からない。

 ダニエルの調子が悪いのだとは思っている。アーロンがダニエルより強いとは思いたくない。


 アーロンが半歩前に出る。

 ダニエルが一歩下がる。


「ダニエル前に出ろ」

「先に仕掛けろ」

「あと一本だ」

 ダニエルを応援する声が聞こえるが、ダニエルまで応援は届いていない。

 アーロンの圧力に負けており、応援の声に耳を傾ける余裕もないのだ。



 (俺より小さくて非力なアーロンになんで負けているんだ)

 ダニエルがアーロンの圧力で下がりながら考える。

 何をしても、どう動いても勝てる気がしない。


 玉砕覚悟で突っ込んでいくか?

 機会を窺ってチャンスを待つか?

 全てが悪手に感じる。


 負けても良いから早く終わりたい。

 でもアーロンに負けたくない。

 相反する気持ちが交差する。


 (打たれたくない)

 負けたくないから動けない。

 (打ち込みたい)

 勝ちたいから動けない。


 アーロンが更に半歩歩を進める。

 ダニエルは一歩後退する。

 木剣が触れ合わない距離だ。

 アーロンは間合いを詰めたい。

 ダニエルは間合いを詰められたくない。


 真後ろに下がると場外反則を取られる。

 右に動こうとする。アーロンが体の向きを変えつま先をダニエルに向ける。僅かにダニエルとの距離が縮まる。

 危険を察知したダニエルは真後ろに下がる。

 場外ラインが近づいてきたことを周囲の風景から感じるダニエル。

 僅かばかり左に動くダニエル。

 そのダニエルの動きに合わせてアーロンの左足がたわむ。


 (やばい)

 咄嗟に剣を頭上に掲げて防御するダニエル。

 強い衝撃で木剣が弾き飛ばされた。だけで終わる。

 更に体全体に衝撃が走ることを予想して腹に力を入れる。


 追撃はない。

 予想していた体当たりもない。


「待て。ダニエル場外反則一、開始線に戻って」


 気が付くとダニエルは場外ラインを割っていた。


「再開、始め」

 審判(ロベルト)の声が響く。


 もう後がない。

 場外にも逃げられない。

 前に進むしかない。

 だが、アーロンの圧力に負けて前に出られない。

 絶望しかない。



 バシッ!

「一本、それまで」


 ダニエルは木剣を落としそうになっていることに、一瞬早く気が付いた。

 強い痛みが左手首に走る。

 しかし木剣を落としたら恥だ。

 落とす一瞬前に気が付いて良かった。


 痛みを我慢して、痛くない右手で木剣を強く握る。

 開始線に戻る。

 左手首が痛い。

 礼法のため我慢して木剣を痛みのある左手に持ち替える。


 開始線でアーロンが勝ち名乗りを受けるのを見る。


 左手首が痛い。

 痛みがだんだんと引いてくるので、決して折れてはいない。


 やっと絶望の時間が終わった。

 これからはアーロンより弱いダニエルとしての長い時間が始まる。


 (負けた。目標の優勝は出来なかったけど、もう剣の練習はいいや)

 アーロンの姿を見ながら、ダニエルは予定通りこの大会で剣を置くことを決めた。

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