最終章 第二十一話 人間とは――?
魚渡区の洋服店、そこを歩道沿いに北へ5㎞先。
快とローは、その先にある喫茶店へ足を運んでいた。
喫茶店の内装、外装共に洋風の雰囲気をまといながらも着飾らず質素そのもので、赤茶色の床に、入り口を彩る木製ののれんが二人を出迎える。
のれんをくぐれば、小さな受付とモダンな、縦選模様の美しい窓際のテーブル席が見えた。
ローは真っ先にテーブル席に座り、隣で立ち尽くす快に手の平を見せるような動作をすると、快はローの向かい際に座る。
静かで、狭く、窓から照らされる街灯と仄かな黄色い店内の灯りが、こじんまりとした、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
ローがベルを鳴らしてしばらくすると、若い女性店員が水を配り、注文票を持って受付の奥から現れる。
「すみません、ブラックを。それと、この子にはオレンジジュース。それと、このハンバーガーとイタリアン風ドリア、ナポリタンを」
「かしこまりました」
快が何も言わず、ぼうっとしている内にローはメニューを閉じ、注文を終えた。
無言で、ただ互いは見つめあう。
片や、好奇心に満ちているであろう眼差しで――片や、気まずく、罪悪感に満ちた隻眼で。
「色々注文してしまったけど、いいかな」
笑顔で、ローが言うと、快は肩を竦めながら頷く。
その様子に、眉をひそめながら返した。
「まだ気にしているのか。言ったろう、私は慣れてるって。そんな事よりも、だ。仲良くなりたいというのもあるが、何より伝えなくちゃいけないことがあってね。特に、君のような特殊な人間には、ね」
「はぁ……」
快が俯きつつ、視線だけを合わせながら一言零す。
快は、ふと上着のポケットから全ての印章封印札を取り出すと、それを眺める。
光に反射する、銀色のカードに映った自分の顔を、じっと――鏡の様に見つめて。
「さて、話したい事はまず一つ……Fencerについてだ。Fencerは、ある理由で壊滅したし、解体された」
「え……?!」
快は目を大きく開く。
快にとって、それはあり得るはずがないと――思っていた事態であったからに外ならず。
あまりの衝撃に快は、瞬時にローの顔を見合わせると、ローは妖しく笑みをたたえて語りだした。
「理由は単純、リーダーが殺された。柱や土台が壊されると、如何に見立てが立派な建物でも、倒れる時は連鎖的かつ、一瞬なもので、Fencerだって例外ではなかったらしい」
ローが微笑んでいると、店員が割って入り、ブラックコーヒーとオレンジジュース、ハンバーガーがテーブルに置かれる。
コーヒーを手に取り、ローは顎を前に一瞬出してオレンジジュースを快の方に寄せると、快はそれを受け取り、会釈して一口飲む。
「そもそもあそこは、政府直属と言っておきながら、本拠地は地図に無い天護県。妙だと思わないか? そんな大事な組織ならもっと広い範囲で活動してても良いし、現実的に考えてあんな装備と隊員を揃えるのにどれくらいの期間と予算を費やすと思う? 私は一度耳にしたことがあるのだけど、軍事ヘリ1機あたり60億以上かかるそうだよ? それがあんな武装まで施されて、巨大な施設まで……自衛隊と何が違う? むしろ潤沢すぎる財布事情とは思わないか?」
「えっと……わかりません」
オレンジジュースのストローをよけて、両手で啜るように飲み、言葉を返すと、ローは笑う。
「わからないか。要するに、お金の出所は――リーダーの麓・ハガードにあったってことだ。そして、政府直属を名乗れていたのは政府非公認の組織という事に辻褄を合わせる為のでっちあげに過ぎなかったというわけだ」
「え……?! じゃあ、資金原は一体どうやって……というか、何故それを?」
ローにハンバーガーを差し出され、快はちらちらと見つつ、またもや会釈して一口齧り、手を進めて行く。
それを見て、空になったカップを置き、一息つくとローが続ける。
「麓は、どうやら華族の血統――つまり貴族のご令嬢だったみたいでね。家が相当な金持ちな上、結婚した相手もまた、金持ちの米国人。しかも階級の高い軍人だった。だから私物のいくつかを引き渡してもらい、後は自分で現地から武器を購入、密輸していたらしい。しかも、地図に無い場所だという事をいい事に」
ローは胸の服ポケットから、三枚の写真を取り出し、テーブルに置く。
セピア色に染まった写真のいくつかは、戦前のものと思しき険しい表情をした身なりの整った大人が映っていた。
その中心に居るのは、全て一人の少女。
麓であるに違いなかった。
「麓さん……そういえば、あの街で殉職したって警察が言ってたっけ……待って、Fencerはこれからどうなるの?」
「さぁ? ただ、一言言えるのは……Fencerはもう機能しないし、もう立ちあがる事も無い。これからここは、もっと混沌とした場所になるだろう。魔王に従わない奴らの魔界第二市部になるか、神々の奴隷共の天界第二市部になるか、それとも死者の国になるか……はたまた、地上界でかつて信仰されていた地上界の人外の領土になるか」
料理が運ばれていく中、漂う不穏な空気に、快は固唾を飲む。
妖しく、瞳を輝かせる悪魔を前に――。
一方、同時刻。
グリードは口笛を吹き、ゆっくりと基地内を歩いていた。
べっとりと染み付き、ゼリー状になった血痕が染み付いた床の上を進む。
床にはいくつかの弾痕と、刃物が擦れたような形跡が遺されていた。
(戦闘があったのは確か。だが、あれだけ居た隊員、Fencerが壊滅したって言う情報も確かに聞いた……が、たかが一名殉職した程度で統率が取れなくなるか?)
グリードが考察と共に歩み続けていると、何かを踏み潰す。
足元を見てみると、それはFencer隊員の持っていた拳銃、ベレッタであった。
粉々になったベレッタをじっと見据えていた時。
「もうどうにでもなれぇぇ!」
背後から男の叫び声が聞こえてくる。
叫び声に気付いた瞬間振り向くと、グリードは見えた人影の背中を軽く押し、地面に滑り込ませる。
自重によって、血溜まりの中に飛び込んだ人影は、すぐに立ち直ろうとするが――滑ってただもがくしかできずにいた。
それはグリードにとってまるで、水の上で、両手足をばたつかせる羽虫の様な印象を与える。
「どうせ終いだ全部! 全部だ!」
男は暴れながら、叫ぶ。
その手には、先程の衝撃――地面に叩きつけられ、刃先から根元まで折れた若干30㎝のナイフが握られていた。
グリードは男の襟を猫のうなじを持つようにつまみ、暴れる男に問う。
「落ち着け、俺は別に攻撃しに来たわけじゃない。何があったんだ」
「落ち着けだぁ!? 部外者が何を言う! 唯一のリーダーは殺されて! どこもかしこも化け物のハロウィンパーティーだ! マニュアルのコピーは全部燃やされて! おまけに、あの寛大聖教のお嬢さん……あいつぁなんなんだよ畜生!」
「寛大聖教のお嬢ちゃん? マニュアルのコピーが焼失? どういう事だよ」
グリードは問うと、指を鳴らす。
すると、周囲の風景が透明な膜が覆うように――もやのかかった漠然としたものになっていった。
暴れる男を持ち上げ、担ぎ込み背中をそっと撫でて床に座らせ、グリードはしゃがみ込むと男の目をじっと見据える。
座りこむと、落ち着いた様子で体勢を整え、男は喋り出した。
「つい二日ほど前の昼だったかな、魚渡区へ派遣された時の事だ……俺達はいつものように、上司の報告で“魔物が教会に居る”っていう報せを受けて来たんだ。装備も整ってたし、手榴弾も確か……俺は6つ程度持ってて、相方なんか弾丸入り弾倉を確かその日は余分に持ってたんだ。普段5個防弾チョッキの中に仕込んでおくところを、7個にしてた」
「ほぉ、それで?」
「教会は、寛大聖教のものだったし、あそこは武装した祓魔師が多い。なんなら魔族や出来損ないの天使を呼び寄せてるかもしれないと思っていたら――中に居るのはちょっと不思議なガキと、シスターさんと来た。隊長の合図が響いたら、皆一斉にステンドグラスから狙撃して何も見えなくなったら隊長が煙草を吸い始めて……仕事が終わったと誰しもが思った時、次に何が起こったと思う? 変な装飾の短剣数本での虐殺だ! 相方はヘルメットをかち割り頭に刺さって、隣の道人なんかは目玉ごと貫通してた!」
男は大声をあげて、真っ赤に顔を腫らして泣きだす。
グリードはただ、無表情で相槌を打ちながら男の頭を撫でて応える事しかできずにいた。
「あぁもう、何を間違えたんだってんだよ! 手榴弾は効かなかったし、俺は増援の為に逃げ出そうとしたけどあの……どでかい悪魔属……考えただけでも吐きそうな醜悪な怪物が入口近くに現れて、気絶して居たら教会は真夜中! 帰ってきたら基地は燃えていたし、なんなんだよ畜生……!」
「さぞ辛かったろうな。訳の分からない事だらけで。でも、それに対処するのがお前らの仕事なんじゃないのか?」
冷淡に言い放つと、男はしゃがんでいるグリードの服を掴みあげ、唾を飛ばして激昂する。
「手前ェに何がわかんだよぼけ!」
「何もわからないね。ただ、何も知らない奴の胸元を、こうしてお前のような奴が掴み上げる辺り世も末だなって事以外は」
微笑しつつ、皮肉を込めた様子でグリードが言うと、男は手をすぐ離し、うずくまった。
闇の中で、グリードと隊員は静かに――時を過ごす。
夜明けは、もうすぐ――。




