最終章 第十六話 立つものこそが
空を覆う、黒。
それは、無数の雲ではない。
単なる夜空であれば、どれほど良かったろうかと、一人に思わせる。
それは軍勢。
猛々しき悪魔によって統べられる、悪魔属の軍団である。
地面に降りていく悪魔属の姿は、この世ならざる姿をしており、地上界という場所においてどれも異質だった。
軍団の一匹一匹は、角の生えた頭、翼の伸びた体に鋭い爪という特徴を除けばバラバラの姿形をしていた。
「話を聞くのは、後か」
快が呟くと、悪魔が四足歩行で襲い掛かる。
涎を垂らしながら、わにに似た口を開き、快の腕に食らいつくと、今度は手のひらを一杯に開いて胸を鷲掴みにした。
「がはっ!?」
悪魔が掴みかかった瞬間、快の肋骨が破裂する。
肋骨が破裂し、腕に込められる力が入らなくなったところで、快の腕は雑草を引き抜くように喰い千切られた。
快に頭痛がした後、悪魔の笑い声と共に言葉が理解できるようになる。
「ハハハ! 所詮は小僧だなァ、もう腕も生えないしちっこい体もその内、内臓がイカれて息も出来なくなっちまうんだろうなァ!」
悪魔達の、嘲笑――合唱が響く。
が、その中心に、最も笑うべきであろう主はただ快と、組み合った悪魔を見つめ立って佇むばかり。
六枚の翼をしまい込み、笑う事は無かった。
「あ、あの……ベリアルのアニキ?」
ベリアルの側に居た、一つ目のペリカンのような嘴を持った悪魔が機嫌を伺うかのように呼ぶ。
刹那、ベリアルは足に紫電をまとい地面を踏む。
轟音と共に、地面が割れると悪魔達の嘲笑の雨は止んでいった。
「立てェ! 立てよ人間! 俺の元へ立ち向かってみせろ! つまらん、興醒めだ。折角こうして来てやったってのに……」
ベリアルの声で、快の中で何かがふつふつと湧き立つのを感じた。
嘲笑に対する――怒りの感情を。
悪魔が快の頭の前で、口を開き始めた時。
「クソ喰らえだ」
「は……うわぁぁ!」
快の体に、一瞬ベリアルの姿が浮かび上がると、先天鏡は金色と黒に輝き、全身から――稲妻を放つ。
稲妻は広がり、ガレキを焦がし、二メートル先の悪魔達の足元に伝わる程の範囲となっていた。
その爆心地、稲妻の発生源である快の体に踊りかかっていた悪魔の体は、体を内側から貫かれ、炭となって消えゆく。
信じられない光景に、悪魔達は驚き一歩下がる。
悪魔達の中で、ベリアルは微かに笑んでいた。
「力試しだ、お前ら、やれ」
腕を組み、首で合図すると、悪魔達は怒号をあげて躍りかかる。
ガレキの山を飛び越え、折れた電柱の上で跳ね、鉄骨を振り回す者も居た。
隊列が無い、されど死角の無い襲撃。
数十体の悪魔属を前に、快は立ち上がる。
失った筈の右腕を、再生させて。
「ほぉ、面白いじゃねぇか。まぁ死ぬけどな!」
悪魔が呟き、鉄骨が振り下ろされると――快は服を破き、悪魔の顔面へ投げる。
そして、足元の血溜まりを蹴り悪魔の顔面にかかると地面を殴った。
「水は、電気を良く通すそうじゃないか。試してやる」
快の言葉は、魔術を行使するという宣言に等しく。
悪魔達の体は、一瞬で電撃に包まれ、全てが灰燼に帰される。
「お前の力で、抵抗させてもらったよ……ベリアル。こうしなきゃ、話しを聞かないつもりなんだろう?」
紫色に、全身を輝かせ、先天鏡を撫でしっかりと地面を踏みしめ歩く。
向かう先は、ベリアル。
「上等じゃねぇか……そうこなくちゃ面白くない。手前ェら、よくやった……」
ベリアルもまた、快にゆっくりと――堂々として歩んでいく。
とうとう、互いが面すると、快は言った。
「僕は、この力を使って止めなきゃならない存在が居るんだ。その時が来るまで、あなたの力を……借りなければいけない。借りれなければ、僕はそれはそれでいい」
ベリアルが瞳を輝かせた後、放った一言は意外なものだった。
「あぁ、お前の力の使い道は十分わかった。こんなご時世だしな。いいぜ、俺は貸さない。だからこの話はこれで終わりだ」
「ありがとう、ベリア――」
ベリアルが放った一言に、快はベルゼブブの言葉を思い出す。
(彼は、人間に対して嘘つきだ)
快がそれを思い出した直後、巨木のような足が快の体に襲い掛かる。
快は、地面を跳ねてそれを回避した後、降り下ろされる爪に左腕を裂かれた。
快がベリアルの頭上へ飛び上がったままに、歯を食いしばり、左腕に力を込めると左腕が回復する。
「なんて言うとでも思ったか阿保。この力は俺様の生涯の結晶だ。だが、貴様が使えるのに使わないというのも気に喰わん。なら、俺様に力を示せ。俺様が納得するまでな!」
空中へ飛び上がった快についていくようにベリアルが飛び上がると、快は念じて力を使う。
すると、ベリアルの体に触手が纏わりつく。
触手に締め付けられているのを、ベリアルがもがくと、すぐに触手ははち切れ、快の頭を掴んだ。
頭を掴まれた刹那、快は何度も腕を殴るが全く動かず、一直線上に重力をまとわせる。
快とベリアルの落ちる先は、地面。
(まずい! この勢いのまま叩きつけられたら即死する!)
「ハハハハ! 俺が思うよりタフじゃねぇか!」
笑うべリアルに、快は今度はベリアルの太い手首を両手で握る。
魔術によって、世界の時間を停止させ、自分の体内の活動を停止させ――肉体の動きだけを進めた。
ベリアルの後ろへ回り込むと、快は魔術を解除する。
「何!?」
ベリアルが一転し、背を地面にやり拳を連打した。
拳の全てを、躱して的確に快は懐へ迫り――拳を打つ。
「ぐはぁっ! それも神の力ってやつか!」
憎々し気に、言うベリアル。
(あらゆる時空神の魔術、空間の時を止め、自分の体内の時を停止させ、自分の動きだけを進める……少し、面倒だけど)
地面へ落下する寸前、快は時を止め、ベリアルの体を段差にして下りる。
時が進み、地面に背中が付く前に、ベリアルは背後へ腕を回し、反転し快を睨む。
「いいだろう、お前がそうするのなら、最近覚えた技を試してやる」
両拳を握り、地面を踏みしめると、漆黒の宝石の様な物体が生成されていく。
「“我が呻き、汝の歌。我が嘆き、汝の喜び。我が地に伏した時、汝は天を見る。罰は無く、赦しも無く、律することも無く」
ベリアルが何かを唱え始めると、割れていた地面が更に開き、ガレキが浮かび、空が暗雲に閉ざされ始める。
どこからか立ち込めた暗雲は、赤い稲光を伴って。
(な、なんだ?! まるで雰囲気が違う。今の内に時を止め――)
快が時を止めようとした直後、快の口から血が噴き出る。
(時間を停止させすぎたか? それに……さっきの肋骨を折られたのが響いてるのか)
吹き出し、地面に滴った血に一瞬目をやり、構えた。
「我は天を知り、天を塗り替える者。地獄の亡者の王であるが故――”」
二節目の詠唱が終わると、拳についているものと同様の漆黒の塊は、ベリアルの六枚の翼の背後に漂い始め、赤黒い光を放つ。
「“無限地獄顕現ノ狼煙”」
詠唱が終わった瞬間、漆黒の塊の、角ばった部位から光線が放たれていく。
その光線は、べリアルの体へと注ぎ込まれ――ベリアルの体に燃えるようにまとわりついた。
そして、ベリアルが手を広げると、二人の口を開け、苦悶の表情を浮かべる天使を模した彫刻が、鎖に絞められたようなデザインの、車輪が燃える戦車が現れる。
前の席には、巨大な槍のようなトゲが備わっており、それを軽々と持ち上げ――ベリアルは投げ飛ばした。
「ありったけをくれてやる! こいつに耐えられたら認めてやろう!」
迫りくる戦車。
その後に時間差で燃えるオーラをまとい、突進するベリアル。
(時間を停止させるにも……か)
快が後ろを見ると、そこには住宅街が広がっている。
――ベリアルは、試しているかのようだった。
自身を取るか、自分の居る街を守るか。を。
「わかった、やってやるよ!」
快が叫び、全力で立ち向かう。
快は両腕を突き、強く――強く念じる。
そして、最大の一撃を――放った。
「こうやるのか! “無限地獄顕現ノ狼煙”!!」
放ったものは、ベリアルと全く同じ魔術。
一直線上に、快にオーラが宿ると、快は地面を蹴り、戦車へ、突撃する。
突進した、快の伸ばした拳は――空中を大砲の様に飛ぶ戦車の動きを止まらせた。
「ぐっ……!」
止める事には成功したものの、快の腕は曲がり、拳からは血が滴っていた。
が、それでも――痛みはもはや問題では無かった。
「うおおおおおおおああああ!!!!」
快は、叫ぶ。
全身に力を込めると、戦車を真っ二つに割り――ベリアルの額にまで達した。
ベリアルの額に触れるまで、ようやく辿り着いたところで快は、力なく倒れてしまう。
それを見たベリアルは、快の足を掴みあげ、反転させ地面に降りる。
(呼吸が、できない……全身に、血が通っているのを感じるので精一杯だ)
荒くか細い呼吸、痙攣する体は快に活動の限界を知らせていた。
揺らぎ、霞がかった視界も同様。
快の体が、地面に――緩やかに、落とされていった。
「上出来じゃねぇか」
「え?」
「まさか俺様の戦車を割るなんてな。そんな奴見た事なかったよ、根性もありゃ、頑丈だし……現代のガキだと思ってりゃ蓋を開けてみるとこの大当たり。気に入ったぜ」
ベリアルの口に語られるのは、快にとって意外なもの。
素直な、称賛の言葉だった。




