最終章 第八話 それは蹂躙する
蠅の王。
それは、横に立ち並んでいたビルの残骸よりも巨大な、せわしなく羽をはためかせる怪物。
飛翔し立ち向かうは、自身よりもはるかに大きな、怪獣へと成り果てたもの。
名は、ダゴン。
快はその後ろで、服を引っ張られ、反転させられハエの大群を尻に敷いていたのから地面に降りる。
快の足が、大群の上を歩いて溶岩のついていない、亀裂の先、建物の際に着くと、ハエの大群は、蠅の王の体内へと飛び去り取り込まれていく。
巨大怪獣同士の絶叫をしばらく聞いている内、快の脳内でノイズが走りはじめ、やがて、認識できる言語――を発する声へと変わって行った。
「しばらくぶりだな……牙をへし折られた去勢済みの駄犬が」
低く、唸るような声の主は、ダゴン。
「あれは……一体何なんだ?」
快が見上げ、ダゴンを見ようとした時。
瞬時に、服の裾を何かに捕まれた。
「見るな……意識を持ってかれるぞ」
グリードだった。
「はえ?」
快の視点が、定まらぬ内に、グリードは倒壊していく建物と建物の間を飛び越え、先へ進んでいく。
途中、快を空中へ放り投げ、腰を捻らせ反転する。
腕を伸ばし、空間に五本指で掻くような動作をすると倒壊したビル、亀裂からあふれ出した溶岩は跡形もなく、消滅していった。
重力に身を任せ、落下していく快を受け止めると、グリードはやがて左方向にある建物の壁を利用し、飛びあがり屋根を突っ切る。
「よし、これで大丈夫だ。あとは、あいつらが片をつけてくれる。棕と落ち合うぞ」
「え、あれは……あのままでいいの?」
「ベルゼブブ……ヤツは、はっきり言って、実力が見えないし、俺も知らない」
街を抜け、住宅地の屋根まで飛ぶと、快を抱えながら、遠くのダゴンとベルゼブブを見つめて問うた。
「……ダゴンって、知ってるか」
快は、首を傾げて考える。
が、どこの記憶にも、そんな名前の魔神は無かった。
「それもそのはず。ダゴンもかつては魔神――だった。魔族だった者だ。ペリシテ人にとっての豊穣神であり、バアル神の父」
グリードの言った、一部の単語に快はある者を想起させる。
「バアル……? バエル……うん?」
グリードは頷き、語り続けた。
「そうだ、名前が似ているお前の倒したバエル、もといバアルは古代人にとっての神だったわけだ。尤も、バエルと言われてる方は横暴な性格で――あるもう片方のバアルの評判を落としていた。それが“バアル・ゼブブ”……蠅の王であり、もうバアルの名を持つ一柱」
「つまり、あのダゴンとベルゼブブ、バエルといい、関節的に内輪揉めに……巻き込まれてるってこと? なんで?」
快が言うと、グリードは遠くのダゴン達を見つめ、返す。
「……理由は解らん、争っている理由も。それこそ親子喧嘩の慣れ果てとしか言えないちっぽけなものかもしれない。だが、互いに嫌っている理由はわかる。……一つは、父親であるダゴンよりも、兄弟であるバエルよりもベルゼブブが強すぎた事、なのに昔力を行使するようなことも無かった。もう一つは、ダゴン側……魔界の魔族でありながら、地上界に存在する者に魂を捧げた事だ」
グリードが、見つめてから体感、一分後。
蠅の王から浴びせられる、雷を纏ったハエをダゴンの肉体隅々まで放射させられ、内側に入って行く。
ダゴンの体は、内側から肉という肉の隙間を、食い破られ、自壊していくように、内側から崩れ去る。
呆気なく、勝負は決した――。
一方、荒廃しきった、街の残骸。
嵐と、地割れ、溜まり切った雨粒によって地面は覆われ、人間の足元が埋まるほどになっていた。
その上にあるのは、ヘドロのように溶け腐敗した、死体の山。
人間か、魚類か、はたまた全く別の生物の集まったものだったかさえ分からない、悪臭物体の上を、無数のハエが飛び交っている。
蛆を、まき散らしながら。
「食え、喰らえコバエ共――頼むから、もう顔を見せないでくれ。僕の前から消えてくれ」
蠅の王は、ハエの塊から元の、人を模した姿へと変化させ呟く。
「……この、過去の亡霊が……糞親父が」
糸を引く、肉の塊を何度も踏む。
憎々し気に、口許を歪ませて。
何度も踏んでいる内、ベルゼブブは深呼吸し、踏むことを止めて肉に背中を向ける。
「……お前は、また蘇るんだろうね。こうして、何度も何度も」
自分の体を、分解させ、どこかへと飛んでいく。
飛んでいった先は、ある方向だった――。
到着した先は、グリードと快の二人の居る黒い屋根。
人型に体を再構築させると、グリードは口笛を吹き、抱えていた快を下ろす。
快は、いきなり顔を近づけるベルゼブブに腰を抜かし、屋根に後頭部をぶつける。
その様子を見たベルゼブブは笑って、手を伸ばした。
「初めまして、だねぇ……“キミ”は。薄々気づいていたけど」
「あ、ども……って、え? 初めましてってどういうこと?」
伸ばされた手を握り、快が立ち上がるとベルゼブブは語る。
「君さ、おかしいと思う事はなかった?」
「おかしいと思う事……おかしい事だらけですよ、特にここ最近は」
その言葉を聞き、ベルゼブブは語った。
「まず、なぜ君が神の力を使えるのか……知ってるかい?」
「何故? やんわりと、グリード……あ、この黒いのの事です。こいつの力と近い要領かな……って思いますが」
グリードを指さし、快が言うとグリードはため息をつき、首を揺らして歯を見せて笑った。
やれやれとでも言わんばかりに。
快の指さした方を向くと、ベルゼブブは身を一瞬震わせる。
すぐに、見無かったかのように、快の方へ向き直すと語り続けた。
「かつて、自分の命と引き換えに、全ての神々に祈りを捧げた者が地上界に居た。彼は、歴史に名を残す偉大な魔術師だった……もっとも、第一世界においては実際に彼の名前が歴史の名前だったわけだけど」
ベルゼブブが指を鳴らすと、一気に空が晴れ渡り、先程までの雨模様が嘘のように消え去る。
「彼は魔術の天才で、元は魔界と天界のものだった脅威度という概念を、古文書の翻訳で持ち込んだだけでなく、原初の魔導書、魔術書を作成し、魔術を広めた。それに彼の魔力量は、“竜”……A3をも超える、全力を出せば一分で惑星一つの破壊が可能な程の魔力量だった。そんな彼……二十五歳で死んでしまった。何故かわかるかい?」
快は、固唾を飲んで返した。
「天才過ぎて自分が、つまらなくなったから? もしくは、世界を滅ぼした影響?」
「とんでもない。未来視の魔術で未来を視たんだ。とてつもない魔力量を使っての未来視は、はるか遠くの未来を見つめてしまったのさ……世界を滅ぼしかねない“禁忌”の存在を、しっかりと捉えて」
「“禁忌”……」
ベルゼブブは頷く。
「そうさ、まずそいつも、あのジェネルズも、ポグロムアも。そこにはきっと、魔王プエルラも含まれていただろう……竜をも超越した、制御不能な存在を前に自分の命をかけて願い、魔法陣と呪文まで使って契約魔術をしかけた……内容はこうだ」
語られた言葉は、衝撃的な言葉だった。
「“全ての神々よ、我が命を供物とし、冥界の神々の奴隷とならんことをここに誓約し、世界を守護し給え”。詠唱が終わった後、彼は命を絶った。そして、後に世界は何度も滅んだ。原因は他でもない――」
ベルゼブブは、指を射して言う。
その額には、汗が流れていた。
「こいつだ……こいつが、原因の一体だ。そして、また世界が崩壊する一因を作り続けているんだ」
快が俯き、言い返す。
「だったら、今度は僕が居る。昔がそうであっても、僕が誤った道を行くなら正してやると言ったんだ。そうなった時、絶対に、絶対にこの力でこいつを止めてやる!」
「あっちゃあ、有名人外だからせめて名前だけは偽名を使ってたんだけどなぁ」
グリードが笑って頭を掻きながら言うと、快は腹を軽く殴る。
「お前、そこは黙って! 今息の根ごと止められたいかこのっ」
ベルゼブブは、そんな快の様子に――どこか胸を撫でおろした様子で言った。
「……願いは届いたようで」
「え?」
「僕のハエは、止まったものの脚から、対象の脅威度とその性格、どんな性格であるかが伝わる。そして、僕自身記憶力がいいものでね……いいか」
快が振り向くと、ベルゼブブは答える。
――それは、快の力の源泉。
それは、正体。
「朝空 快……君は、その魔術師の契約魔術が宿った存在。いわば先延ばしにされた置き土産なんだよ」
正体を告げられた時、快の後ろで風が吹く。
生ぬるくも、冷ややかで。
快の身に、吹いた。
超常的な未知の存在へ、完全になり始めている事への改めての認識と、ならざるを得ぬ状況。
重々しく、胸を打ち。
納得よりも、浮かぶのは更なる疑問。
快は、自らの手を見て、呟く。
「……僕は、何者なんだ」
黒い手が、赤黒い筋を脈動させる。
嘲笑うように、関節の結晶体は鈍く光るのも手伝って。
己が身と使命とは――。
衝撃展開が続きます。
乞うご期待。




