第二章 最終話 生の意味
拳についた、水滴の冷たさ。
弾けとぶ、軟体の欠片。
空中に浮かぶ、足の感覚。
目の前の敵を穿つための感触を、快は鈍く、五感に納めていた。
何度も、何度も拳を突き出し、引き抜き、殴る。
正拳での連打、殴打の五月雨に次ぐ鉄槌打ち。
人型となっていた、その液体が――だんだんと打ち砕かれていくと、更に拳を加速させた。
殴る度に、飛び落ちていく水滴の遅さを、しっかり捉えながら。
自分の拳の感触と、ポグロムアの微動だにしない体に快はふと我に返る。
上を見上げると、空に入り、開いていた亀裂が止まっており、プエルラの放っていた大剣は、砕ける寸前の状態で止まっていた。
足元を見てみれば、全く落ちる素振りもなく、宙に足が浮かんでいる。
頭に疑問符を浮かべていると、快は自分の両腕を見た。
黒い手足は、仄かに銀色に光り輝いており、関節部分の赤黒い結晶体はわずかな電流のようなものを纏っていた。
突然起こった現象に、快は確信する。
(成功したのか……神の力を使うのに!)
結晶体を見つめると、脳内に名前が浮かび上がった。
それは、あの――ダーカーズ・デビルノコンの宝石を、これまで出会ってきた怪異に向ける時のように。
そして、イザナミとイザナギの剣を手にした時に浮かび上がったものと、同じく。
(聖神、時間神、久遠神、深淵時空……?)
聞きなれない単語に、困惑するはずが――同時に情報が流れ込んでくる。
快は、指輪の鎧を纏った時と同様に、受け止め、理解した様子で拳を握りしめた。
(……そう、か。どれも“時間を司る神”、その神の魔術を、各々の魔力量で同時に発現させ、空間の時を止め、自分の体の動きだけを加速させ、自分の体の細胞を止められたということか)
快が強く念じると、空間は動き出す。
止められた時間が動き出すと、快とポグロムアは重力のままに落下していった。
ポグロムアは憎々し気に、液状の体から覗く目で快を見据え、叫ぶ。
「快……!! お前ッ……!」
ポグロムアが魔術によって、重力に反して宙を舞うと、快に飛び込んでいく。
次に、ポグロムアが快の頬を力強く殴ると、快の体は線を描いて飛んでいった。
が、それ自体がポグロムアにとって異常に感じられた。
異常に感じられた事は、それだけに留まらず。
(……何故、何故だ!?)
ポグロムアが上を見上げると、空に開いた筈の裂け目は、閉じられている。
(僕は破壊したはず! あの快も殴る瞬間! 空も! 全部壊したはず!)
動揺し、頭を片手に置いた直後――。
その頭を、殴り飛ばされた。
殴り飛ばしたのは、他でもない少年の、黒い拳だった。
「何故ッ……だァ!!」
殴打の威力は、以前交戦したものと比較にならないもの。
ポグロムアの体は、殴打された方向――山々の先にある、広い住宅街の地面へと叩きつけられた。
地面に叩きつけられると、すぐにポグロムアの目の前に快が現れる。
快の、様々な魔力が、放たれているオーラによって可視化され、それが漏れ出ている様は――ポグロムアの焦りをより強くさせた。
「何故、お前は破壊されてない!? 何故! 全部直ってるんだァ!? なんで……!!」
「まず、お前が殴ったのは僕じゃない、幻覚だ。幻覚魔術、っていうんだろう? それに長けた神の魔力を引き出して使った。……次に、空が治っている理由。あれは天界神、天照と雷霆神の魔術で修復した……少し、苦労したけど」
「苦労した、だと……?」
めり込んだ地面から、自分を起こそうとすると――ポグロムアは気づく。
自分の四肢が、動かなくなっていることに。
「どうやら、この力は地上界、魔界、冥界、天界の全ての神々の魔術を扱えるらしい……今使ったのは、メデューサ、ガタノトアの石化魔術だ」
「……なんだとォ!?」
ポグロムアは、石化した四肢を動かそうとする――が、全く動かなかった。
感覚はあれど、機能しない四肢に、ポグロムアは激怒し念じる。
(破壊さえさせられれば……!)
「無駄」
ポグロムアの脳内を、覗き見たように、冷酷に快は言い放つ。
「発動さえできなければいいんだろう? お前は“破壊”の力を使った後少しの隙があった。その隙に僕が拳で触れた時点で、お前の体の時間は停止している。つまり、どうあがいても、きっと能力は発動しない……ゲームオーバーだ、破壊者」
快の言葉は、実質的な死刑宣告に等しかった。
ポグロムアが、歯を食いしばり噛みつこうとする。
すると、瞬間――言いようのない嫌悪感と、形容しがたい感覚に襲われ、噛みく事無く項垂れた。
「もうよそう、これで僕とも戦う理由が無くなった。これでいいじゃないか」
快のかけた言葉は、更なる憎悪を湧き起こさせる。
次に出た行動は――笑いだけだった。
「ハハハハ……」
「何を、笑っている?」
「もうどーでもいい、ぜーんぶ。やっと見つけた事も、取り上げられるんだ」
ポグロムアの声は、これまで発していたものとは違う、力ないもの。
詰まっていた絶望を吐露した、抜け殻のようだった。
やがて、ポグロムアの透明な顔に、涙のような液が滴ると、快は拳を握る。
「そうか」
快は、しゃがみこみポグロムアに触れた。
すると、ポグロムアの四肢は脈動を始める。
手足の機能が、回復したに違いなかった。
ポグロムアは、手足を動かし、めり込んだ地面から脱すると、快の前で立ちあがる。
「何故、僕を助けた?」
「破壊することができないのなら、僕に触れる事すらできないならもう戦う必要はない。傷つけあう必要はないだろう」
「お前ッ……!」
快の言葉に、ポグロムアの顔には粒粒が流れ出す。
「何故だ!? 殺せよ! 破壊しろよ!! お前の大事なもの全ッ部壊したんだぞ!? 赦せないなら僕を殺せよ!!」
「お前の事は赦せない、だけど殺したところで何になる?」
後光を纏った、快の姿。
冷ややかで、正しさを認めなければならないだろう言葉に――ポグロムアは脱力する。
この世の何よりも、神聖な姿だとさえ思いながら――脱力を振り切り――ポグロムアは、行動に出た。
「……馬鹿がよォ!!」
叫びながら、近づく度に起こる頭痛を無視し、躍りかかり快の首を絞める。
持ちうる限りの、全力だった。
突然首を絞められ、快は一瞬怯むがポグロムアの顔を殴ると、ポグロムアの手が緩み、脱出した。
「何が殺したところで何になる だよ?! 大事なものが、泣き叫ぶぜ?! 『壊された原因に、執着することがないぐらい大事にされてなかったんだ』って!!」
「大事に思ってなかったからそうするんじゃない、そうしなきゃ、きっと悲しむと思うからだ……ジェネルズの時だって、こんな力があったならって、今思うよ」
平然と答える快に、ポグロムアは自身の頭を引っ掻き――歩みを進める。
「黙れ黙れ黙れほざけほざけほざけうるさいうるさい偽善者畜生ォォ!!!」
叫びながら、猛進し殴りかかる。
快の腹部に与えられた一撃は、重く、素早かった。
衝撃によって海老反りになると、今度は額を殴る。
額からは、血が迸り、快の意識が途切れかかっていた。
殴りあげられ、そのまま五メートル程浮かび上がると、今度はポグロムアは飛び上がり、何度も腕を打ち付ける。
与えられた一撃一撃で、肋骨は粉々に砕かれ、快の骨格は地面に着くころには人の形とは言い難い程に歪んでいた。
それでも、尚快はポグロムアの隙を伺う。
最後の一撃と言わんばかりに、ポグロムアが大ぶりに腕を大きく振りかぶると、快はポグロムアの体を両足で蹴った。
蹴った瞬間、透明な体から煙が噴き上げられ――その様子から痛みが、通っているように感じられた。
「わかった、そこまで言うなら付き合ってやる……破壊されるのも、するのもお望み……なんだろ!?」
倒れた体を引きずるように起き上がらせ、三十センチほど正面に離れたポグロムアを睨む。
舌を回す口は、半ば呂律が回っておらず、血反吐を吐き散らしていた。
快の体からは、オーラは既に消えており、頼りになるであろうものはただ一つ。
自分の身、一つだけだった。
「もう能力は無いぞ、お互いに……痛い戦いをしようか?」
「ガアア!!!」
ポグロムアが大きく足を横へ振りかぶる。
快はそれを飛び越え、ポグロムアに体当たりを仕掛けた。
体当たりによってポグロムアが倒れると、顔を重点的に殴りだす。
三発、殴った所でポグロムアと快は転がり、互いの優位な体制になる隙を探る。
ポグロムアが蹴り、快はポグロムアの肩を握り、離れず頭突きと殴打を繰り返す。
殴られる度に、段々と殴られた個所が再生することなく抉れている事にポグロムアは焦りを見せていた。
その時、快の後ろ――遠方から車が接近している事に気付く。
快の目を、引っ掻き、胸を蹴った勢いで――道路から離れ、住宅の屋根へ飛ぶとポグロムアは嗤った。
「グッバイ、もう二度と会う事はないだろう」
快は、ポグロムアに気を取られ――乗用車にひかれかける寸前。
剣が、乗用車と快の間に突き刺さり、車に当たる。
剣は車に当たっても、全く微動だにしていなかった。
「ひ、なんだなんだ!?」
車の運転手は、突然の事に驚き車を置き去りにして逃げていく。
快が後ろを向くと、その剣はプエルラのものに違いなかった。
(プエルラ……まさかここから見ていたのか)
突き刺さった剣が、地面に命中して尚、消滅していなかったことから快は、剣を引き抜き察した。
(これで、倒せ――と)
銀色の剣は、長さ九十センチほどで、不思議と羽根のように軽く、鈍く光り輝いていた。
剣を持って、屋根の上で佇むポグロムアを睨み。
――構える。
「これで終わりだ!!」
快は地面を蹴り、屋根以上の高さまで飛び剣を振りかぶると、ポグロムアは快の来るであろう方向から避ける。
快が剣を振り下ろすその瞬間、ポグロムアが横から殴りかかった。
快は、それを目で捉え、ポグロムアの胴体を――剣で薙いだ。
分断されていく、自身の体にポグロムアは目を丸くする。
せざるを、得なかった。
力なく、屋根から道路へポグロムアの下半身と上半身が転げ落ちていくと、快は落ちていった方向へと下りて行った。
上半身と下半身の様子から、まだ、生きているようだった。
しかしその断面から、煙を吹き上げ徐々に小さくなっている。
勝負がついたことは、明確だった。
「……兄さんの力……禁忌権を一部継いだ、のか……」
「消滅の力、だっけ。あいつの場合は、裂け目として使う事も出来るみたいだったけど」
快が上半身の前で、しゃがみ込み、剣を離して耳を貸す。
遺言になるであろう、言葉達に。
「……なんでなんだよぉ」
再び、ポグロムアの目からは涙が溢れ出ていた。
「何故、あんな意味のない破壊行動に?」
か細い声で、まるで子供のように――ポグロムアは答える。
「意味のない事? それは、なんもかもだろ……? この世の全部、まるで意味がない。金も愛情も、ぜーんぶが嫌だったし、嫌いだった。ジェネルズにぃが、この世界に価値を与えようとするのも馬鹿らしくて。グリード兄さんが、この世界に価値を見出そうのも許せなくて。生まれた意味、生きる意味って何?」
片腕で、ポグロムアは目を覆いながら、語り続ける。
「ジェネルズ兄ぃの考えにも昔は興味があった、けど……グリード兄さんに邪魔されて結局何度も達成できず仕舞い、達成できない目的、強制的な種族の統一と進化に価値はあるのかっての。かといってグリード兄さんの言ってる、今ある命の尊さだとか、楽しい事っていうのもまるで分からない。なんで大事なんだよ、糞が。全部糞喰らえだった」
「じゃあ、何故……兄弟? 達の事を攻撃したりしなかったんだ?」
ポグロムアは、一間黙った後、叫んだ。
「嫌だったからだよ! 無くなるのが! 自分に価値があるんだって思える存在が、居なくなっちまうのが! そんな存在が、無価値なものに興味をひかれてる! 壊さなきゃ、自分が置いてかれて、ほっとかれて、自分を見てくれなくなる……嫌だよそんなの……」
「ずっと、寂しかったから、ってこと?」
快の言葉は、優しい声色で、寄り添う。
「嫌だ……もう自分の価値がわからない。もう自分がわからない……まぁ、もうどうだっていいんだけどね、どうせもう助からない」
快は、問う。
「冥界、だっけ。あそこに行くんじゃないのかお前は」
「僕は、固形化された魂の塊だ……だから色んなものに憑りつけたし、無茶な事も色々できた。けど、兄さんの力で消滅させられちゃ、再生もできやしない。冥界に逝く事無く消えてしまうんだ、あぁ、もう指先の感覚が無くなってきた」
ポグロムアの事実に、やがて快の目にも、雫が滴っていた。
「生きる意味って、なんだろうな……あーあ、無駄だった。馬鹿みたい、兄さんたちに執着した自分も、意味の無い事に意味を勝手に見出して、やってる事は所詮馬鹿な兄さんたちと一緒か」
快は、答える。
「……違うよ、きっとそうやって執着した事にこそ、価値があった。お前は、価値のあるものを守るべきだったんだ。せめて、価値のあるものに……壊すんじゃなくて、もう見つかった事の為に何かするべきだったんだと思う」
「お前は、残酷だな。これから何も思う事なく、消えたかったっていうのに。……じゃ、せめてこういっとくか……快? ちょっと耳、貸せ」
ポグロムアの上半身は、いよいよ首しか残っていなかった。
快は、ポグロムアの口に耳を近づけ、静かな声を聞いた。
ポグロムアが跡形もなく消えていったとき、快は膝から崩れ落ち、泣き崩れる。
遺された言の葉に、どうしようもない、感情に襲われざるを得なかったのだ。
朝焼けは、静かに闇夜を照らし。
消えた闇夜は、明るい太陽の裏に、音もなく隠れていく。
置き土産を、照らされていく者達へ残して。
クライマックス、暗いMAXです。
次回から第三章です。
乞う、ご期待。




