第二章 第二十四話 魔王と召喚者 -Erlkönig-
二者の目の前にある、灰塊。
木々を灰燼に帰し、大地を抉り飛ばす、嵐と形容するにも荒々しすぎる質量の籠ったオーラ。
グリードは、眼前に出現した塊を魔王と呼ぶ。
が、快はそんな――既存の言葉では、到底言い表せないような気がした。
しかし、そう呼ぶしかなく。
それ以上の言葉が、見当たらなかった。
快の額には、自然と汗が滴り落ちる。
打ち払ってきた幾多の敵を思い出すが、魔王の放つ圧倒的な風格の前には、稚児同然。
震える体を、一生懸命に動かそうとするが、動かせずにいる。
唯一動く瞳で、自分の右側で平然としている様子のグリードを見るが――彼の様子が、本能で無礼に当たるのだろうと警鐘を鳴らし続けていた。
再び、目は魔王の姿に奪われると、魔王は、一点だけ紅い光を放つ。
「この姿が、お前達にとっては親しみやすいか?」
そう言うと灰色の塊の姿は――人型へと変化していく。
その変化の様は、粘土を捏ねて、形を成していくのを彷彿とさせた。
完全な人型になると――なおの事、その威厳は明確に現れる。
まさしく――――神話に語られるような、魔王の降臨の図だった。
魔王の身の丈は、グリードと比較するに約二メートル程。
宝石の様に丸く透き通った、紅の目、麗しい顔の上に添えられた、銀髪は芸術品の様に美しく。
畏怖と、身の毛もよだつような美貌、どこか甘さを感じる愛らしさの同居した姿に、快は目を奪われ続けて居た。
「快、とか言ったか? 人間」
魔王は、快を見下ろし呼びかける。
あまりにも突然の事。
唖然として数舜間を置き、我に返って快は声を出す。
「はっ……はい!」
背筋を伸ばし、身を引き締めて答えると、魔王は訊ねた。
「ジェネルズを倒し、ユンガが世話になり、キマイラを助けたというのはお前か? 聞けばバエルも倒したそうではないか」
「え……でも、あれは、皆の力で倒せた事です。特に、グリードには世話になりっぱなしで……」
快は、焦った様子でグリードに目線をやる。
助けを求めるような視線だったが、グリードは我関せずといわんばかりに欠伸をしていた。
「でも、この際はっきりと言おう。神の力を宿らせたのは俺は全く関係ないし、あの指輪、鎧の扱い、魔術の扱いが中々に上手だったのも俺は知らないぜ」
グリードから出たのは、快にとって衝撃の一言に尽きるもの。
(これまで、グリードの何らかのバックアップがあってこそじゃないのか?! あの指輪、あの頭の中に入ってくる、魔術の使い方をそのまま発現させるのも……!)
「あと、お前――あの赤黒い宝石だけは使うなって言った筈だろう? なのに、一回使った。その鎧を纏って街を破壊して以降は、何の気兼ねなく使えてた理由も俺は知らない。普通の人間なら、もう自我が崩壊しててもおかしくないってのに」
「……え?」
自然と、出た行動だった。
そう言いかけるが、自分でも、その後に来るであろう質問に、答えられる気がしなかった。
快は、ただただ、不可思議を前に黙る。
「不思議な相方との会話はそれで決着がついたか? では本題に入ろうか」
「……はい」
決着がついたか、で言えば――実際の所は、会話ではなくただの疑問を植えつけられただけに過ぎず。
悶々とした、自らの謎を一旦飲み込むように、快は顔をしかめ、魔王の顔を見上げ、言葉に耳を傾ける事とした。
「お前――魔界の守護者になってはくれまいか?」
「……へ?」
「待遇、給与については思いのまま、領土もある程度くれてやろう。欲しい爵位地位があれば、余に直接申せ」
耳を疑うような、言葉が連続して襲い掛かる。
快は、反射的に――断りの言葉で返した。
「すみません、僕には、そんな力もないので……お断りします」
「ほぉ、“そんな力もない”……? クックックック」
魔王は、顔に手を当て返答に笑う。
その表情から、快の発言はまるで謙遜しているかのように受け取られているに違いなかった。
「馬鹿を言え、お前には魔界の守護者が務まる程の実績もあろうに。不安がる事はない、魔族だという風にも擬態魔術をかけてやろう――そこな相方は解らんが、余の目は誤魔化せんぞ?」
魔王が、指を鳴らす。
その刹那。
快の頭上を、高速の剣の雨が襲った。
快の体はまるで――予知していたかのように、剣と剣の間をすり抜け、回避する。
僅かな、腕の一本程しかないであろう隙間へと飛び込み、あるいは転げ、四肢を自在に操る姿。
側にいたグリードは、無表情でそれを腕を組みながら見つめていた。
軽々と回避しながら、的確に自分の入れる空間を探り当てていく様子は、魔王の口を弧に描かせる。
時間にして、十秒間続けていると、魔王が腕を上げた。
すると、剣の雨は音もなく止む。
快は、地面に手をついて息を整えていたところで、我に返ると魔王に問う。
「何故、いきなりこんな事を!?」
「何故も何も、試しただけだ。余の召喚魔術に対応できるだけの力があるのかを。……そして、見事対応できたという訳だ」
快は、ふと自分の体を見つめた。
そこには不思議と――切り傷の一つさえなく。
無意識下で、対応していたのだということをようやっと認識できた。
魔王は、口許をしかめると、快に語りだす。
「ジェネルズといった得体のしれない輩が、また魔界に攻めてくるやもしれんでな。しかも奴が暴れてくれたおかげで、魔界の戦力の殆どが壊滅状態だ」
「戦力……? えっと……ユンガとか?」
魔王は頷く。
「ユンガもそうだが、あやつはまだまし。キマイラも。だが、ジェネルズに取り込まれていた連中が悲惨だ。ルシファー、ベリアル、ベレス、アマイモンは奴に喰われ、魂だけが奴から解放されても、魔界で後遺症に苦しめられている。回復には、恐らく五十年程必要だろう……しかも。それだけじゃあない」
魔王が、憎々し気に語る。
「……神性を秘めた奴が、原因不明の一時的な弱体化と体調不良を訴えておる」
「神性……?」
それは、以前聞いていた、神と呼ばれる者が持つ因子の語に他ならなかった。
快は、質問を続ける。
「じゃあ、それ以外の魔族って……?」
「ましな奴がそうだというのであって、酷い奴は魂まで喰われかけ、復帰不可能に等しい。所謂魔王の器、有名な地上で名の知れた魔族は軒並み体調不良も相まって壊滅状態だ。そんな中で、兵をいくら集めようと賢しく陣形を揃えたところで犠牲が増えるだけとは思わんか?」
魔王の発言は、至極真っ当に思われた。
が、快は、それでも出す反応を渋る。
自身の内に、宿った力――否、“元からあった”かもしれない力の発覚に、戸惑いを隠せずにいた。
緊迫した空気感が、あふれ出していた時。
歌声が、聞こえてきた。
「私はお前が必要だ 、 魅せられてしまったよ さぁ大変 ついてこなけりゃ無理矢理だぞさぁ一緒に来い ……」
(シューベルトの、魔王……? こんな時に何を呑気に)
快が思いを、言葉にする間もなく、魔王にグリードが言う。
「この歌は、有名な曲でね。病に臥せった少年が、目の付けられた魔王にさらわれてしまうという曲だ……シューベルトもびっくりだろうな、今の状況は」
「何が、言いたい?」
魔王が鋭く睨むと、グリードは語った。
「いや、この歌のオチは、魔王にさらわれた少年は息を引き取る……ってこった。気にしなさんな。……もし、お前が望む答えをここで快が返さなかったとしても……」
グリードは、魔王の瞳に対し、喰い殺すかのような視線を送る。
「……オチの通りに、するつもりでなけりゃな」
グリードの低い声に、快は身を凍り付かせる。
毎度のことと理解していながら、それはこの世の何よりも恐ろしく感じてならず。
魔王の視線と、ほぼ同じものに感じられた。
「何、昔から余は型破りと言われておる。そういう“型”が既にあるのなら、そんな真似はせんよ……そうだ、お前も一緒に来ないか?」
魔王の返答は、その場にいる全員にとって意外なもの。
魔王が安定した空気感と、重苦しい空気感を自在に作り出し、それを悉くグリードは破壊し、問答に持ち込んでいく様に快は息を飲まずにはいられなかった。
「快の力に関しては、本当に俺は何も知らない。快自身もそうだと思うぜ。俺は隠し事が多いタイプだが、こればっかりは本当だ。だが、魔王様? ……一つ大事な事を伝えておく」
「……大事な、事……そうか!」
快は、思い立ったように魔王に言い寄る。
グリードを遮って。
「魔王様、もう魔界の事は重々解りました。けれど、今はここに居るべきじゃないかと」
「どういう、事だ?」
「ジェネルズに加えて、ポグロムアという魔人が……!」
快は、これまでの経緯を一言一句、間違える事無く正確に伝える。
今まで倒した敵、使った力……辛い、過去にしておきたかった出来事も。
全てを聞き終えた魔王は、深く深呼吸する。
「なるほど、状況は解った。辛かったろうに。ましてやかような子供が……なんてことをしよるのだろうか。ジェネルズ、ポグロムア……」
魔王は、優し気な声で呟くと――しゃがみこみ、快の頭を撫でる。
「なんと愛い事か、不条理に抗った者というのは……」
快の顔に、近づいた魔王の顔。
頬に触れた、魔王の長い爪を生やした手。
手は、恐ろしく冷たく。
吐きだされる息は、灼熱の様に熱くも、高級な香水を彷彿とさせる匂いがほのかに香る。
恐ろしい気配に隠れた、美貌にはどこか、残酷な過去があるであろうということを想像させられる灰色に鈍く光る、傷が覆う。
「だが、それだけに余は悲しい……凄く、悲しい」
「……悲しい、というのは?」
ため息をつくと、魔王は――答えた。
「……他の魔王の器達が、体調不良……不定期の弱体化を訴えだしたのはほんの二日前……ジェネルズを、お前が倒したあたりだ。ジェネルズに取り込まれていた影響だろうと今まで考えておったが……どうもおかしいと思ったのだ、ジェネルズの被害に遭っていない者まで、魔力が上手に扱えない状態となっていた」
「どういう、こと?」
「そして、お前が使っていた力の正体、余はたった今理解した」
魔王が立ちあがり、告げる。
白き月光だけが支配していた夜空の下。
告げられたのは――受け入れなければならないであろう宿命と禁忌だった。
次回、怒涛の展開へ。




