第二章 第二十話 冒涜を、乗り越えて。
突然現れた、触手。
それは、蛸のそれを彷彿とさせる。
しかし、蛸のそれと断定するには、あまりにも巨大。
そして――あまりにも、力強かった。
剛にして柔、ポグロムアの体を捕えた触手はやがてどんどんと力を加えていく。
必死にもがくが、全く触手は微動だにしなかった。
「……アァ? ……キシャア!!」
ポグロムアが強く念じると、触手は崩れていく。
しかし、崩れていった側から――より細く、多くの触手がポグロムアを捕える。
今度は四肢に加えて、首、胴体、大腿……あらゆる部位に絡まっていく。
その様に、ちはは快を抱きしめながら腰を抜かし、後ずさった。
「逃がすか!! お前さえいなくなれば――」
言葉を発する前に、ポグロムアの全身が砕ける。
小枝を、へし折るかのように容易く――。
悍ましい光景に、ちはが混乱していると、快が立ちあがった。
目の前に映っている全ては、ちはの混乱をより強くさせるもの。
快の失われていたはずの手足は、見事に黒と銀色に染まった手が生え、痛みきり、動けないと言っていた首には、黒い線が入っている。
その髪色は――薄い赤へと変わっていた。
「……お前さえいなくなれば、だと? もう一度、言ってみろ。なぜ、僕を恨む」
触手から解き放たれると、全身を地面に打ち、蠢かせポグロムアは語る。
「どいつもこいつも……ジェネルズ兄さんだってそうだ。誰も……誰も……ええい黙れ!!」
震えた声で、最後の抵抗と言わんばかりに噛みつこうとする。
すると、ポグロムアの体は赤く発光した。
「ッ……!? ギャアアアア!! 熱いッ! 熱い熱い熱いッ!!」
苦痛に悶える声が響くが、着ぐるみのように獣の体の表情は――全く動かなかった。
それを見つめていると、獣の口から、赤黒い液体が吐き出される。
赤黒い液体が吐き出されると、獣の体は痙攣しだした。
痙攣が終わると、光に包まれ、獣は何事もなかったかのように動き出し、住宅街の屋根を飛び越え、走り去っていった。
「……さて、もうお前の着るおべべは無いぞ、その醜い裸を晒せ」
快の低い声に、答えるように――赤黒い液体は、震えだす。
しばらくすると、赤黒い液体が、柱のように伸ばされていく。
柱は、やがて一つの形を成していった。
それはまるで、竜の尻尾の生えた、人のような半透明の姿。
体の節々を脈動させると、丸く表情の読めない頭は、人の毛髪のような部分を形成していく。
長い髪、少し膨らんだ胸部――その造形は、人間の少女を彷彿とさせるものだった。
「あーあ、こんな体嫌いだってのに……」
水の中から出したような声の主に、快は睨む。
「一つ、聞かせてくれ……どうして、こんなことをする? ラズルニーシェ・ポグロムア……醜悪な破壊者」
返ってきたのは、たった一つの答えだった――。
「……壊したかったんだよ、気に喰わないもの全部をよォ!!」
その言葉が放たれた時。
ポグロムアの足元は浮かび、浮かび上がった下の歩道が破壊されていく。
分厚いコンクリートで覆われているであろうそこは、容赦なく瓦解し、中にある水道管ごと露出した。
「教えてやるよくたばり損ない共……僕の禁忌権の一つはあらゆるものを“破壊”する………体の触れたもの全てだ!」
そうポグロムアが言うと、ポグロムアは全身を大きく広げ、再び液状になり――快とちはの前に躍りかかって行く。
「もうどうでもいい! くたばれ!!」
ポグロムアの液が、快とちはの身に降りかかると、快は拳を握りしめた――。
「ということは……触らなきゃいい話だな?」
快が拳を打つ素振りを見せると、拳から青い電撃と白い炎が同時に迸る。
青電と白炎は、ポグロムアの体に命中するとその液状の体に煙を吹かせていった。
「うぐあっ……!! こいつァァ!!!」
送られていく痛みに反し、ポグロムアは強引に電気と炎の中へと入って行く。
怯むことなく進んでいく様は、快にとって衝撃的なものだった。
「……馬鹿、逃げるか降参宣言でもしろ!!」
「黙れェ!! お前さえお前さえお前さえェ!!」
叫び散らしながら、猛進していく。
それは肉を前にした、飢えた獣の様に……滝を上る、鯉のように自らが傷つくことを気にも止めない。
いよいよ、快の腕が眼前にきたところで、ポグロムアは人型の姿になり――快の前で拳を突き出す。
「お前はいいよなァ!!」
殴りかかったポグロムアに対し、快は避ける事もせず、受け止める。
ポグロムアの拳を受け止めた黒い手は、ひび割れかけていた――が、しっかりと握っていた。
「お前の、何がお前をそこまでさせる?! 僕はただ、人並みの幸福を受けたいだけなんだ! だが、そこに直接、人が関わった以上――その人達を苦しめるものが、赦せないんだ!」
「人並みの、幸福だぁぁ……??」
快の言葉に、ポグロムアの拳が段々とより力が入りだす。
快が受け止めていた筈のそれは、やがて上へ上へと上がり、掌と手の甲に入っていたひびがより広がって行った。
“人並みの幸福”という言葉が、ポグロムアの感情を煽り立てていたに違いない。
「そ”ん”な”も”ん”あ”り”ゃ”し”な”い”ん”だ”ッ!!」
必死の叫び。
それは、ポグロムアの心から出たもののようだった。
叫びと共に繰り出された、拳の一撃は――快の頬に触れる。
触れた瞬間、快の頬は、砕かれかけの陶器の様にひびが入って行く――が、破壊されることなく、快もまた反撃に出た。
怒号と共に、一発の拳を。
頭部に、一発。
快の胸部への一撃を躱され、蹴りでの応酬をされて。
蹴りを二頭筋で受け流し、真空の刃を纏った正拳突きを腹へ送る。
ポグロムアに届いた、魔力の籠ったその攻撃は――ポグロムアの体を刻み抉ると同時に、快の手のひびをより増大させていった。
「ここで決着を、つけるぞポグロムア……破壊者!!」
突如として、顕現した能力。
快の身に、何が起こっているのか。
交わった破壊者と、召喚者の拳は、止まることなく。
ひたすらに、持てる手を打ち尽くすのみ。
目の前の、敵を滅ぼす為に――。




