最終章 第三十八話 前座
地上界。
静かに更新する死者の軍勢。
死者を先導するのは、その王たらんとするような一人の魔術師、デモニルス。
一つの目的に集い、飢えの果てに盲目となった者らの前では、知恵という目を持つ者が――如何なる異形であれど王となる。
崇高なる光輝に祝福されていたかのような思いを――腐り果てた意思に変え、汚濁の行いに包んだ行進。
その眼は、厳しく。
デモニルスが、死者の前で片手をあげると――巨大かつ、複雑怪奇な模様の魔法陣が現れる。
魔法陣は、直径20mに渡り、丁度死者の軍団がすっぽりと入る程の大きさだった。
「さぁ、天界へ往くぞ者達よ。天使の羽を捥ぎ、その天より高いその上で寝そべり、その駄肉を貪ろうではないか――」
デモニルスが指を鳴らし、魔法陣が輝き出した瞬間――。
どこからともなく、一筋の閃光が、魔法陣の中心に向かって放たれた。
何事か、と言う代わりにゆっくりと後ろを向き、軍団をかき分けデモニルスがそこに向かうと、それは――デモニルスにとって見覚えのあるものが刺さっていた。
白銀大振りの短剣。
それは僅かに魔力を帯びており、刺さっている地面を通して魔法陣の光を少しずつ奪っているようだった。
「こんな芸当、あの王しか考えられません!」
死者の兵士が言う。
「いや、あの王は確かに冥界で――」
軍団の中の一人が言った刹那、その頭部は何かに貫かれる。
その様子を目撃していた武士が、腰の刀を持ち出し警戒するが、その刀ごと腰を両断された。
音もなく、何者かの攻撃を受け、混乱する亡者達。
軍団の中の、デモニルスの隣に居た魔術師達が両手を広げ、魔術の結界を貼るが――その首に残らず短剣が突き刺さって行く。
「ええい、何者だ!? こんなことをしでかす輩は……もしやあのグリード・タタルカではあるまいな!?」
周りを見渡し、デモニルスは警戒する。
すると、どこからともなく――太陽の光を伴うように、空の上で十字を描きそれは姿を現した。
「私は……祓魔師。ただの祓魔師、死者を弔う主の僕、その一端。あなたが誰なのかは知らない、が。魔術を封じさせてもらった……この短剣で」
その者――愛魅は見せつけるように、地上に降り立つ。
祈りを組むように一本の短剣を持つと、陽の光に照らされた刃が輝きだしていく。
それを見ると、デモニルスは忌々し気に顔を歪ませる。
「レクス王の宝剣……! あやつめ余計なものを遺しおって! 下がれ亡者共!」
「知っている、という事は古代人? まぁいい、二度死ぬが良い」
指輪に念じ、走りながら白装束から姿を変化させる。
念じたのは、雷のアンバー。
稲妻の如く地面を駆け、デモニルスの視認を赦さぬように上下左右、縦横無尽に飛び跳ね、あるいは走り攪乱する。
その中で、雷をまとった宝剣を投擲し、デモニルスに攻撃を何度も何度も放っていく。
さながら、隙間なく伸びていく、有刺鉄線の網に囲まれたかのような有様。
しかし、その悉くを回避するデモニルス。
全く、無傷だった。
「早く、くたばれ!」
いよいよ愛魅は全力で周囲を回り、身に纏う電撃をさらに強める。
水のカイヤナイトに念じ、指先から水しぶきを放ち、デモニルスの視界を奪いながら――周囲を濡らしていく。
愛魅はデモニルスが水滴を前に目を瞑ったのを――好機とばかりに突撃した。
「所詮は人間! その首もら――」
突撃した矢先、目の前が、停止する。
周囲の水滴はどこへやら、完全に乾燥しきっていた。
「へ……?」
愛魅が下を見つめる。
腹部の痛みに、進まない足。
変わらぬ視界に佇み、ほくそ笑んでいる黄衣の魔術師。
ありえない光景が、広がっていた。
愛魅の下には、槍のように鋭利に飛び出たコンクリートの塊が、腹を貫いていた。
ゆっくりと滴り落ちる、血液。
段々と、認識していく痛みに――顔を蒼白に染めていく。
「ぎゃああああああ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃ!! 助けて……助けて!」
「所詮は祓魔師、昇格できんのも頷けるな。道具頼り、大方味方に頼っている中で自分は特別だとでも思い上がっていたのだろうな」
「ちがう……ちがう……」
ゆっくりと、近づいていくデモニルス。
それと共に激痛が更に増していくような気を感じながら、愛魅は血を吐き出す。
「お前はまだ若い、どうだ? 我の軍団に入るというのなら――助けてやろう」
デモニルスが愉悦に弧を描く。
今まで感じた事の無い、凄惨な痛み。
極限状態に等しい中――愛魅は。
デモニルスに、額をぶつけた。
デモニルスの額に、血が迸ったのを見て愛魅は叫ぶ。
「誰がお前のようなじいさんに肩入れするか!! てめぇなんぞ、地獄にすら居場所は無ぇよ!」
「貴様……よほど苦しめられたいらしいな」
デモニルスが愛魅の頭に手をやろうとしたのと同時だった。
デモニルスの手を、愛魅は嚙み千切り、両手足をばたつかせる。
でたらめに、真っ二つに千切れた手を見て、デモニルスは驚愕した。
もはや、言葉すらなく。
目の前の少女に、空いた手で全力で殴ろうとした時。
「はは……じゃあ、地獄で待ってるよ、ロー……」
掠れた声を上げ終わる頃には既に――少女はやすらかな表情を浮かべ、全身を脱力させていた。
デモニルスが一息ついた頃。
空気が、一変する。
雨が、降り始め、やがてそれは嵐となって。
豪雨に伴って、雷は落ち、海が荒れ狂う。
空には雲は一つもなく、太陽が日照り。
雨粒と共に氷柱のような雹が、死者の頭上に降り注ぐ。
矛盾したあらゆる天候が、空に一度に現れた後。
“虹”が、空間の淀みと共に顕現する。
神と呼ぶには、荘厳。
人と呼ぶには、あまりに異様。
魔と呼ぶには、清らかで。
死とは、正反対の雰囲気をまとう。
――連想させる単語は、一つだけ。
デモニルスが後ろを見ると、死者の軍勢は苦痛に悶えている様子だった。
対して、目の前の少女の死体はどこかへと消え去っている。
デモニルスは、固唾を飲みながら、その者を仰ぎ見た。
「お前は……!」




