第零話 Who are you ?
誰もが寝静まった、都内の病室。
白いベッドで、ただ死を待つばかりの少年が一人点滴を受け、天井を見ていた。
少年の余命、それは夏の終わりと共に告げられるという。
医者の宣告では、二か月。
生まれつきの原因不明の病を患い、片目の光を失い、片腕の力も失い。
やがて、声が出せなくなり。
挙句、未来も失う。
少年は呆然と、細い体をベッドに委ねる他無かった。
そんな時。
「こんばんは」
どこからともなく声が聞こえてきた。
しかし、依然として少年は、ただ虚ろに天井を見つめている。
「生きてんのか、死んでんのかねぇ」
突然、白い顔が少年の視界に入ってきた。
「やっほ」
「っ!?」
突如として現れたのは、謎の青年だった。
銀髪に、文字通りの白い肌、瞳孔は猫の様に縦に開いており、目自体は人間のそれに近いが、緑色をしている。
身長は、約180㎝以上、190㎝未満――顔から察するに17歳といったところだろうか。
その身に羽織っているものは黒い、革ジャケットにしては、チャックに当たる部分には謎のトゲ――獣の牙を思わせる物が付いており、非常に珍しい造形をしている。
何よりの特徴に、その青年の耳は、尖っていた。
「あの…………どなた、ですか?」
「決まっているだろ、不法侵入者だ」
少年は、思わず布団に身をくるませ目の前の青年に怯えを見せる。
すると、豪快に笑って青年は言った。
「ンッハハハハハ! 何、取って食う訳じゃあねぇんだ。ほら、顔を良く見せろ」
青年は、少年の顎を撫でながら目を合わせた。
その少年の全身には、包帯が巻かれており、辛うじて茶色の眼を覗かせるだけで顔が識別できなかった。
「ふむ……ちょっと待て」
青年は少年の顔に手をかざす。
しばらくすると、青年は少年の顔の包帯をゆっくりと取っていった。
「ほら、これでどうだ。ちょっとは楽になったろ?」
少年が瞑っていた片目を開けると、視界が広くなっていた。
「嘘!? 医者は……治らないって言ってたのに」
「へっへっへ、調子よくなったみたいで何より。にしても、また妙な病気にかかってんな…………この時代にしては」
少年は襟元から出た首筋から頬にかけて、おぞましさを覚える緑色の、タコの触手のような痣が浮き出ていた。
「妙な病気って、知ってるんですか?」
「あぁ、ちょっと世界を昔っから旅してるんでね。言っても、“そういう”感じの病気しか見たことないけどな」
そう語る青年に、無口だった少年は問いをかける。
「あなたの事、なんと呼べばいいんでしょうか? 外国人………ですよね?」
「んん、あながち外国人っちゃあ違いない、が……まそういう事にしとくか」
青年は少年のベッドの隣の台に置かれた本にふと目を落とした。
「お、これは……」
本の題名は、英語で全て書かれていた。
「……あー、ソロム・アレフェイレス。なんてどうだ?」
青年は、少年のベッドに座り、思いついたようにそう言った。
「……まるで、名前を今作ったみたいな言い方しますね」
少年が返すと、また青年は笑う。
「まぁ、名前なんざどうでもいいじゃねぇか……そんなことより、だ」
ソロムと名乗る青年は、ベッドに横這いになり少年に顔を近づけた。
「な、なんですか」
困惑する少年をよそに、ソロムは語る。
「お前、その病の原因を潰したくないか?」
「………病の、原因?」
「そうさ。俺はな、人間じゃどうしようもない化け物退治をしてるんだ。鉄砲を弾き、鉄を砕き、自分の同属以外を虫けら同然に思うような連中のな」
素性を告げるソロムに少年は不思議と納得させられていた。
現代を生きる人々とは逸脱した――奇怪な容姿、音も無くその姿を現した者の正体と思えば、少年にとって全く不自然には感じられず。
状況を、飲み込まざるをえなかったのだ。
「お前の病気に近い症状の少年少女は、お前と近い歳の奴が多い。お前、年齢は?」
「12歳、ですね」
そう答えると、ソロムは指を鳴らす。
「ビンゴ。そう、丁度12~13歳の子供だ……子供たちに延命をしながら、元凶を探してるんでね。お前もその一人だったってわけ」
少年に目を合わせ、頬杖を着き足をプラプラと交互に揺らしながらソロムは言う。
「………元凶は、知る限りだと二つ存在してる。元凶を魔力で探知していると、たいていは子供に行きつくけどな」
「二つ……待って、延命って?」
少年は、延命という言葉に食いついた様子でソロムに顔を近づける。
「あぁ、俺の魔力を差し支えない程度に与えて、一時的に回復させてんのさ………まぁ、タイムリミットまで二か月って訳だが」
二か月。
それは、病が判明して告げられた、残された余命だった。
少年はさも当然知っている事かのように言う彼の、聞きなれぬ単語を無視し、問う。
「ソロムさん…………一つ、聞いてもいいですか」
少年は恐る恐る、声を絞り出絞り出した。
すると来訪者は愛想良く答える。
「おう、どうしたよ」
「………元凶を討伐することで、もしこの病が治るなら――僕が、その元凶討伐に協力してもいいですか」
少年の言葉に、ソロムはくすりと笑い――返した。
「おいおいおい、言ったじゃねぇか。俺の相手は全部、人間の手じゃどうにもできない文字通りの怪物どもだって……魔界の魔族、冥界の偉人に神々、天界の天使ども……たかが、ガキができるわけねぇだろうが。黙って拾った命を、無垢なままに謳歌していろ」
ソロムの緑色の瞳は、消灯された病室の中で蛍光灯よりも強く、外から射しこむ月光よりも妖しく光を放っていた。
「僕と同じ病に悩まされ、未来を奪われる不安を胸に収めたまま………ただ他者に委ねるのも嫌なんです」
少年は、緑色の、明らかな人外が放つ威圧に向かっていく。
「………元凶の候補には、妖怪どもやここから西に伝わる伝説上の怪物、中には大英雄も居る。そんな戦火に、飛び来む虫になるっていうのか? あんたは」
「妖怪や怪物、英雄の事なんて僕は知らない、けど…………戦わせてください。どうせ死ぬ命なら、身体動くならもがいて死ぬ方がよっぽどいい!」
少年の、決死の叫び。
それはソロムの体に一瞬怯みを与えた。
ソロムは、叫びを受け入れると微かに笑みをたたえる。
期待通りとでも、言わんばかりに。
やがてソロムは考え込んだ後、少年の頭を撫でた。
「解った、俺は俺で引き続き化け物退治の傍ら、手分けして元凶を探る。けど、お前もこれからこの事件を解決してくれ」
ソロムは、上着のポケットから小袋をとりだし少年の手に握らせる。
「これは、太古の魔力の籠った指輪とカードだ」
少年が小袋を開けると、二枚の銀のカードと宝石のついた指輪と、その指輪の先端に付いた宝石と同じ大きさの色とりどりの宝石が入っていた。
「そのカードは印章封印札。弱った状態の西洋の悪魔を封じて、使役するのに使うんだ………それと、その指輪は魔力の込められたものでな。宝石を取り換えて、念じて使うんだ。基本何があっても赤・水・緑・金・黄色・青だけ使え。赤黒いその石は、俺との通信だけに使えよ………人間が使うには、強大すぎる」
ソロムは、それだけ言い終えると、ベッドから下りた。
「通信の通知は、その石が震えて黒煙を上げた時だ………この戦いで生き残ることを、祈ってるぜ」
背を向けた瞬間、ふと、思い出したかの様に少年の方へ振り向いた。
「あ、そうそう…………お前、何て名前だ」
少年は、静かに答えた。
「…………快。朝空 快」
ソロムは、牙を見せて笑う。
「へぇ、東洋人の中でもいい名前してんな」
快が瞬きをするうちに、ソロムは音も無く姿を消していた。
それは、これまで見ていたものはあたかも一瞬ばかりの夢かと思わせる。
あまりにも現実離れした、虚構と認識してしまう方が腑に落ちる存在と体験。
しかし、色を取り戻した片目の感触と、健やかに脈動する心臓の鼓動が虚構と認めることを許さなかった。
手に握られているのは、先ほどのソロムの置き土産。
「………悪魔の契約って、こういうのを言うのかも」
快が外を見ると、摩天楼の隙間から太陽が昇り始めていた。
次なる夜は、死を待つための夜ではないのだ――。