第4話:私は送りオオカミではありませんことよ!
ホッブス教官の受け持つ戦史・戦術理論とハイエッカー教官の戦術演習の科目は、互いに連動している。戦史・戦術理論では、恐らくはどの国の士官養成課程においても行われている通り、古今東西の戦争・戦闘を題材に取り各状況における指揮官の意図や決断と、それに伴う各集団の運動とその効果及び結果等について学ぶ。この科目における戦闘状況の推移に関する教官の解説には、各集団を表すシンボルが時系列に沿って運動を繰り返す3DCGマップモデルが用いられている。このマップモデルでは土地の高低や障害物の状況等までが正確にモデリングされているため、例えば高所に構えた防御陣への攻撃や、隘路における防御、地形による運動制約等の状況が、紙面によるそれよりも格段にかつ直感的に理解しやすくなっている。また各シンボルは、例えば歩兵部隊の場合には兵1人を1m四方に相当する1ドットとしてマップレイヤの上に用意された布陣レイヤにプロットされている。つまり、例えば1,000人の歩兵集団が2列縦隊を構成している場合、地図上では幅2m、長さ500mの範囲が塗り重ねられていることになる。これはまるで、あたかもかつての名将達が現実に見た光景と同様の景色-敵味方の具体的な兵力配置と運動-を候補学生に3DCGとして見せることに成功していた。
ここまで直感的な理解を促されると、自然と候補学生の間にも各種の疑問が湧いてくることになる。「あの曲面でこのような運動をしていたら結果はどうであったか」とか、あるいは「この時点で主攻をこのポイントに変更していればより効果が望めたのではないか」等々……ホッブス教官の解説の後には教官を交えた学生同士の活発な討論が繰り返されるが、各候補学生は手元の端末で任意に3DCGを操作して各状況におけるモデルの、例えば地図の向きを回転させたり縮尺を変更したりしながら意見を交わしていく。その都度ホッブス教官は様々な知見や戦史、参考事例等を披露し、時としてソンムーやクラウゼーリッヒの遺した格言を候補学生達に再確認させることとなる。そして、それぞれの候補学生の考えるいわばIF戦史を、自身の技量を用いて実現し証明する機会こそが、ハイエッカー教官の戦術演習であった。
ハイエッカー教官の戦術演習は、これも多くの士官養成課程で行わている科目の一種である図上演習と呼ばれるものと同類である。各候補学生は一軍を率いる指揮官となり、所与の条件の元で自軍を率いて適時的確な判断を行い戦闘の勝利を目指す。両軍を率いる候補学生がそれぞれ別の部屋で演習に参加する-相手の行動が分からない-点はかつての図上演習と同様であり、違いと言えばその成否判定を司るのが、古典的なサイコロやルーレットではなくコンピュータが生成する乱数であるところであろう。そう、これはいわばプロ向け若しくはプロ養成用ウォーシミュレーションゲームである。舞台にはホッブス教官の戦史・戦術理論で学んだ史実の戦場-ヴァッサーローやコリンティアコス沖等-が選ばれ、ブオナパルテ皇帝やドンファン司令に替わって候補学生がこれを指揮する。演習は原則として1人対1人で行われ、対戦相手は演習毎に入れ替わるよう適宜選定される。一回の演習は2セット、すなわち攻守ところを変えて両軍の指揮をそれぞれの学生が経験し、知見を深めることになっている。尚、各戦毎に勝利判定が行われるが判定は両者の得点合計を100点満点とした配分方式となっており、例えば判定が50対50であればそれは引き分けを意味する。
演習終了後にはハイエッカー教官から特徴的ないくつかの演習曲面についての講評があり、学生同士でこれを共有する。時としては演習実施者に対する意図や目的等の質問があった後で学生同士の討論が交わされるが、この討論にはハイエッカー教官の他にホッブス教官も参加し様々な局面で他の戦史等も交えながら議論を深め合うこととなっている。いずれにせよ、理論で学んだことを実践し実践結果をもとに理論の再構築を図るという学習と経験のスパイラルは、候補学生にとって戦術を単なる暗記科目に矮小化させない航空士官学校ならではの教育課程であると言えよう。バーラタ航空宇宙軍に受験秀才は不要なのだ。ホッブス教官の戦史・戦術理論とハイエッカー教官の戦術演習が連動していると言われる所以である。また、知見を候補学生全体で共有するため、この科目だけはクラス別には行われず、学年全体で行われている。
航空士官学校42期首席のイッセキは、戦術演習においてこれまでのところ全勝の成績を誇っている。これは、演習は一回2セットである以上、実際の戦場にあっては負けている戦況のシミュレーションであってもイッセキは常に勝利してきたことを意味している。例えば、攻撃側が絶対有利と言われた「ダイヤモンドガルフ奇襲」作戦において席次3位のボルタ相手に行った作戦指導は今や伝説とまで言われている。史実においては極東の島国グレートエイトアイルズが、エスターオリエンタルオーシャンに浮かぶリベラリオンのダイヤモンドガルフ軍港に対して航空機による宣戦布告と同時の奇襲攻撃を行い、リベラリオンの戦艦6隻撃沈をはじめとする多大な戦果を挙げた戦闘であるが、イッセキは42年の航空士官学校の歴史において、リベラリオン初の勝利判定をもぎ取ったのである。
イッセキはまず、敵奇襲開始時にはできるだけ身を潜めて攻撃をやり過ごす-ここで過去の多くの演習参加者はできるだけ早く迎撃機を上げる選択をし、結果として自軍を更なる混乱に陥れていた-態度に出た。当然のように軍港内の被害は拡大するがイッセキは時を待っていたのである。この軍港は水深が比較的浅いため、史実においても実際は座礁艦の多くがその後戦列に復帰している。それはすなわち、ここでの自軍艦船撃沈は勝利判定においてそれほど高いポイントにはならないことを意味していた。やがてタイミングを見計らっていたイッセキは
「今!」
と言うや否や戦闘機群を基地から発進させるが、この時のイッセキは戦闘機のみによる追撃作戦を敢行した。
多くの候補学生はここで追撃作戦に爆撃機や攻撃機を編成しがちだが、イッセキがそれを選ばなかったのには3つの理由があった。ひとつに、重量級の爆撃機や攻撃機を発進させるためには、攻撃を受けた滑走路の修復が必要であったこと。戦闘機だけの編成であれば離陸距離も短く、即時発進が可能であったのだ。二つ目には、戦爆連合編隊を上空で組む間に追うべき敵機との間が離れてしまうこと。これでは追撃作戦は実施不可能である。ここでイッセキは上空での編隊集合を待たず、離陸した機から順次追走するよう指示した。三つ目には、往復分の燃料を腹いっぱい積んで爆装した鈍重な攻撃機・爆撃機では、余分なウェイトを全てダイヤモンドガルフに放擲して身軽になった敵機に追いつけないこと。何しろ、敵航空母艦群の所在位置すら掴めていない以上、敵機の尻に喰らいついて離れないより他に有効な反撃の手段が無いのである。イッセキの放った戦闘機群は面としての編隊を組まず、単機の連続した線として敵部隊を追撃した。
同期生のみならずホッブス教官ですら、ハイエッカー教官がここまでの戦闘推移を紹介する経過において、爆撃機や攻撃機が無い状態のイッセキがどのように勝利判定をもぎ取ったのか訝しんだ。中には
「教官!これはコンピュータの故障が原因ですか?」
等と発言するものもあったが、同席した多くの同期生の笑声は、その質問への同意の表れであったろう。
「コンピュータの故障では無いとだけ言っておく。とにかく、イッセキは『送りオオカミ作戦』を選択した訳だが、誰か他にイッセキが勝利した理由を思いつく者は?」
ハイエッカー教官の質問に同期生達は目を見合わせる。ただ一人、自分が実施した作戦経過とここまでは同じであると看て取ったファーレンハイトは、「またイッセキに絡まれるのは面倒だし」と内心ではぼやきながらも挙手する。
「うちもここまでは同じなんですけどぉ~」
席次72位すなわち学年最下位のファーレンハイトが首席のイッセキと同じ作戦を選択していた……驚きの声やらつぶやきで教室内がざわつく中、ハイエッカー教官がファーレンハイトの発言を継ぐ。
「ファーレンハイト、確かに貴官の立てた作戦は、ここまではイッセキと同じ経過だったな。結果的に判定も50対50と、圧倒的不利な状況にあるリベラリオンとしてはよくやったと言える。何しろ、これまで引き分け判定に持ち込んだ候補学生は過去3人しかいないのだからな」
ファーレンハイトが引き分け判定、すなわち歴代2位タイの成績であると聞いて更にざわつく室内を鎮めるように、ハイエッカー教官はファーレンハイトに質問を重ねる。
「さてファーレンハイト。貴官がこの後どのような作戦を企図したのか、みなに共有してもらいたい。その上で、イッセキの挙げた結果と貴官の結果の差はどこにあったか、貴官の考えを聞きたい」
「いや、うちの作戦は……とりま戦闘機を偵察機替わりにして追っかけてって、後続の味方機には順次無線で報せていけば、その内爆撃機も追いつくっしょ、ってなとこなんすけどぉ~」
「で、その結果はどうだった?」
「で~、ま当然敵のお迎えも上がってきて空中戦になるんすけどぉ、やっぱ味方の爆撃機は少ないわ、護衛機ないわ、対空砲火は激しいわって、やられるばっかであんま爆撃の効果が出せなくてぇ~」
「結果、空母撃沈1、大破1ってとこした。で、うちが思うに、判定の乱数かな? って。やっぱ。勝負は時の運って言うしぃ……」
あのファーレンハイトが空母撃沈、という事実にしかし、今や驚きの声は挙がらなかった。みな何かを考え込んでいる様子であるのを見渡した後、ハイエッカー教官が続ける。
「そう、確かに惜しかったな、ファーレンハイト。乱数の出目によっては貴官は歴代単独2位の戦功を誇れたかもしれないが……だが実は、イッセキのスコアは63対37だった。これは乱数の揺らぎの範囲を超えているよな?」
結果を知っている2人、イッセキと対戦相手のボルタ以外は改めて、この勝利判定の凄みを知る。それは空母撃沈1大破1以上の戦果を挙げたということを意味しているのだ。あの「ダイヤモンドガルフ」の「リベラリオン」が? もしこの作戦を当時のリベラリオンが採っていたなら人類史上最大の戦争はあっけなく終了し、歴史は大きく変わっていたかもしれない。そんなIF歴史に想いを馳せる者もいる中、ハイエッカー教官は「では、続けるぞ」と言って講評を進める。
ホッブス教官を含めその場の全員が、その後の戦闘経過に固唾を呑む。送りオオカミはどうやって敵空母をしとめるのか。するとハイエッカー教官が「ここからだ」と言って候補学生の注意を喚起する。敵の戦闘機-恐らくは無線連絡により予め上空待機していたのであろう-が敵艦隊上空に待ち受けている。
しかしイッセキの戦闘機隊は敵の迎撃戦闘機には目もくれず、帰投する敵攻撃隊の後尾に喰らいついたままの位置を離れなかった。当然敵迎撃機はその後背に位置しようと機動するが、味方後続機がそのまた後背に迫り敵味方相入り乱れる状況に陥る。
「あれ、対空砲火は?」
先のファーレンハイトの状況を聞いていた学生の中から、当然の疑問の声が挙がり、一方からは
「そんなの無理に決まってるわ。味方機もいるのに、下手したら同士討ちじゃない」
等と声も挙がる。混乱した状況のまま燃料を失ったボルタの第一次攻撃隊が着艦姿勢を見せるや否やイッセキ隊はその後背から照準動作に入る。着艦直前はほぼ直線飛行であり、狙いやすい。無論、自機も狙われやすい状況ではあるのだが、ここまで近づけば敵も手の出しようがないのだ。敵機着艦のタイミングを見計い、送りオオカミ達はついに機銃攻撃を開始した。第二次攻撃に備えて発艦準備をしつつ第一次攻撃隊の着艦作業を同時に行うというボルタの決断は、火だるまになって甲板上に着艦-墜落-した自機による甲板上の航空機や燃料・弾薬庫への誘爆という最悪の結果を招いた。要するにイッセキは、自前の爆撃機に替わって敵機を自らの対艦兵装としてしまったのである。
「以上がイッセキの立てた『送りオオカミ作戦』の全容だ」
無論、ボルタの迎撃がもっと徹底していればイッセキはここまでの戦果を挙げられなかったことも事実であろう。しかしこの時ボルタは、敵爆撃機の来襲に備えて迎撃機を上空に残してしまっていた。つまりイッセキの戦闘機隊がボルタの第一次攻撃隊の帰投に伴って降下していく際に、そちらに多くの迎撃機を振り向けなかったのである。それ故イッセキ隊は、ボルタ隊の迎撃網をすり抜けるようにして攻撃態勢に入ることができた。無論、ボルタにはそうしただけの理由がある。一度海面高度付近まで降下した戦闘機が敵爆撃機-恐らくは高高度から侵入してくるであろう-を迎撃するために再上昇するには時間がかかる。すなわち、イッセキの戦闘機隊を追撃していては、後続の敵主力本体を迎撃できなくなってしまうのだ。
艦隊攻撃には爆撃機や攻撃機が必要である、との常識はこの場にいる全ての参加者-無論、ホッブス教官も含めて-に共通していた。このボルタの判断は、これも同じ大戦で今度は攻守ところを替えて行われた「ミドルロードの海戦」の戦史を知ればなおさら当然のことであったろう。あの時グレートエイトアイルズは、海面すれすれを飛来する敵雷撃機を迎撃するため上空警戒の戦闘機隊が海面高度まで降下してしまい、後に高高度から飛来する爆撃機に対応できなかったために損害を拡大させたと評価されていたのである。
また別の観点から見れば、この時ボルタが第二次攻撃隊の発艦停止と着艦優先を断固として決断していれば、これだけの被害には至らなかったとも考えられる。しかし史実のダイヤモンドガルフは、波状攻撃の甘さが戦果の拡大を妨げたとして非難されている作戦でもあった。席次3位のボルタとしては、本来は圧倒的有利なはずの「ダイヤモンドガルフ」の「グレートエイトアイルズ」であるからこそ、首席のイッセキに対して完勝を期すべく焦っていた側面があったのかもしれない。結果としてイッセキは、空母撃沈3、空母中破1、重巡撃沈2の戦果を挙げ、ボルタの決断は裏目に出た。
「みなさんがどのようにお考えなのかは存じませんが、小官はファーレンハイトさんのことを大変買ってますのよ。何しろ彼女のお母様は首席パイロットでいらしたし、ファーレンハイトさんはその薫陶を受けていらっしゃるのでから。小官と同じ『送りオオカミ?』なる作戦を企図されたのも、ファーレンハイトさんならではのこと。ですが、これからも小官はファーレンハイトさんには負けませんわよ」
また面倒くさいのが始まった、と内心で思ったファーレンハイトは、しかしながら今や自分の作戦ミスを完全に悟った体で、ボリュームのある華やかな桜色の二つ結びを揺らした。
「まぁ確かに~、送りオオカミが別のオオカミを待ってるなんて、まじシャレにならんってことっしょ。送ったなら最後までヤレ、って……」
ファーレンハイトの砕けた物言いに場が和む中、『送りオオカミ』という言葉の意味を良く分かっていない様子のイッセキが、自分にも知らないことがあるということを告白することを多少なりとも恥じる様子で質問した。
「ところでハイエッカー教官殿、『送りオオカミ?』とはどういう意味でいらっしゃるのかしら? 何か、そのような戦史に基づく格言でもございまして?」
室内が明るい笑声に満たされる中、常であればイッセキに対して言葉の意味を教えるなど絶対にあり得ないであろうファーレンハイトが、今回は敢えて解説役を買って出る。
「つまりぃ~、イッセキに『家まで送るよ』って言われたら逃げろっ、つーことっしょ」
本日最大のどよめきが室内に響き渡る。ただ1人だけ意味の分かっていないイッセキは「子供の頃にはよくファーレンハイトさんをお送りしたのに」などと思い返しつつ、隣に座っている僚機のブラウンホーファーに、今度はこっそり小声で訊ねる。今や『送りオオカミ』の意味を正しく知ったイッセキは顔を真っ赤にして、恐らくは彼女の人生史上最大のはにかみを見せながらファーレンハイトに抗議した。普段は自分のことを「小官」と称する彼女にはあり得ない慌てようだった、とはその場にいた全員が共有した感想であったという。
「ファーレンハイトさん! 私は送りオオカミではありませんことよ!」