第3話:落ちこぼれ小隊
航空士官学校はパイロットを養成するバーラタ共和国の士官学校である。3か年制の学校であり、学生は候補学生と呼ばれて准尉待遇として扱われる。尤も、バーラタ共和国で准尉は下士官相当であるため、『候補学生』は『士官任官前のひよっこ』とはいわば同義である。1期112人が定員であり、その所在地の地名からこの学校は通称ベンガヴァルと呼ばれる。2学年次後期課程より、その志望や適性、成績に応じて3つの専攻に別れ、輸送機や空中給油機等の大型機を扱う大型機課程と偵察機や早期警戒管制機を扱う電子戦課程は、2学年次後期課程よりコーラルに移る。一方、フレミング達戦闘機パイロットを養成する戦闘機課程は引き続きベンガヴァルでの養成課程を続けることになる。
戦闘機課程の定員は1期72人。2学年次前期課程の修了試験により席次が決定され、この席次は生涯変更されることはない。ベンガヴァルではこの席次に従い4人1組で小隊を編成し、全18小隊が3クラスに別れて養成を受けることになる。フレミング達ベンガヴァル42期の首席はベンガヴァル史上初の筆記試験満点合格者であり実技成績もA+の才媛と名高いイッセキであった。彼女の率いる第1小隊は別名トップ小隊とも呼ばれるが、これは各小隊に属する候補学生の席次の値を合計した場合、第1小隊の数値が最小になることから呼ばれる慣習である。ちなみにトップ小隊の偏差値を各小隊の席次合計値を元に計算すると70となるところ、フレミング達第18小隊の偏差値は30であるところからも、いかに第1小隊と第18小隊の間に成績差が存在するかが一目瞭然であろう。
第1小隊がトップ小隊と呼ばれる一方で、第18小隊のことを
「落ちこぼれ小隊」
と呼ぶのもまた航空士官学校の慣習であった。尤も、そう呼んでいる側も呼ばれている側も、一体何が予定されているのかは判然としておらず、口さがない連中の中には
「退学が予定されている」
等と揶揄する向きもある。無論、候補学生には卒業と任官こそが予定されているべきであり少なくとも本人達にはそのつもりしかないのであるが、ベンガヴァルには留年という制度が無いため成績未達即退学であることも事実であり、少なくとも落ちこぼれ小隊にとっては、任官よりも退学の方がより予定しやすい存在であることは、現時点では否定できない事実でもある。
航空士官学校42期第18小隊の小隊長は席次18位のキルヒホッフである。小隊は2人1組による編隊の2個編隊で構成され、キルヒホッフは編隊長の役割も務める。一方のフレミングは席次39位で、小隊内ではキルヒホッフの僚機を務めている。第18小隊のもう1人の編隊長を務めるのは、澄み切った清流のような透明感のある水色のロングヘアーを両サイドで編み込みに結っているケプラーで、席次36位。何でも無難にこなし何でもできるが何も秀でることもない、とは周囲の評価でありまた自己評価でもある。実はケプラーが学年一位のあるものを持っていることをフレミングに指摘されてはいるのだが、本人は「恥ずかしいので」言えないらしい。そのケプラーの僚機を務めるのが席次72位のファーレンハイト。華やかでボリュームのある桜色のロングヘアーを襟元で二つ結びにしている彼女は、実は42期首席のイッセキとは母同士を通じた知り合いでもある。幼い頃から何かにつけて張り合ってくるイッセキを疎ましく思っているファーレンハイトは、目立たぬよう落第せぬよう、ギリギリのところでこれまでの考査を通ってきていた。
第18小隊の4人はパルティル航空士官学校校長から校長室への出頭を命じられていた。無論、実機による戦闘演習時のフレミングの無茶な機動がその原因であることは明白である。ケプラーが力なく項垂れ、ファーレンハイトがフレミングに恨みがましい視線を送る中、小隊を代表してキルヒホッフが校長室のドアをノックする。
「キルヒホッフ候補学生以下第18小隊4名、ただいま出頭いたしました」
「入れ」
室内から冷厳な響きを持つ女性の声が返ってくるのを確認した後、キルヒホッフがドアを開けて入室し、後にフレミング、ケプラー、ファーレンハイトの3名が続く。4名は横一列に並ぶと右手の指を揃えて真っすぐに伸ばし、掌を正面に向ける形で指先を額につける。パルティル校長が自席から立ち上り答礼を返すのを待って4人の候補学生も右手をおろす。彼女ら第18小隊4名にこれからどのような処罰が下されるのか。フレミングですら緊張した面持ちで直立不動している。
「貴官らは何故ここに呼ばれたか、承知しているな?」
航空士官学校校長は中将を以ってその任に充てることとなっている。バーラタ共和国航空宇宙軍にあって平時の最高位は中将であるため、校長はいわば軍首脳の1人である。こんな状況でもなければ准尉待遇のひよっこなんぞが謁することなど敵わない相手ではあるのだが、無論、今は感激できるような状況ではない。パルティル中将は候補学生のフレミングが相手でも「貴官」という言葉を使ってくれるが、これは彼女らを「ひよっこ」ではなく「一人前」として扱ってくれていることの裏返しでもあり、それはつまり、自分達の行動に対する責任を問われることをも意味している。なにしろ、航空士官学校は学校とは言えども軍隊であるのだから。パルティル校長の冷厳な声音がそのことを雄弁に物語っていた。
「自分が機動制限装置を外し、無茶な失速後機動を行ったからであります、校長閣下」
フレミングはパルティル校長の目を真っすぐに見据えながら、胸を張り、できるだけ大きな声で返答した。少なくともこの場で俯き加減に言い訳がましい小さな声で返答したり、あるいは小隊長たるキルヒホッフに返答を代弁させるくらいであれば、初めからあのような行為などしなければよいのだ、とフレミングは思う。「校長先生」ではなく「校長閣下」と付け加えたのも、自分は一人前のパイロットであるとの矜持の現れであったかもしれない。そんなフレミングの内面を理解したのか、パルティル校長は口元を少し和らげながら質問を継いだ。
「フレミング候補学生。それでは聞くが、貴官の行動のどこが出頭命令に当たる、と貴官は考える?」
想定外の質問に、フレミングは戸惑った。正直に言えば、フレミングは何も悪いことをしたとは考えていなかった。演習とは言え格闘戦中のことである。敵機からのロックを外すためにできる限りの戦闘機動を行うのは当然であろう。教本には「コブラをしてはならない」とは書いていない以上、実はあの機動の実施を以って処罰される謂れはないはずである、とフレミングは思う。それならば機動制限装置を解除したことであろうか。確かにむやみやたらと解除してはいけないとは教えられているが、それは演習時の安全確保が目的であって、仮に戦闘ともなれば解除せざるを得ない局面もあろうし、その事前に体験しておくことこそが演習の本来の眼目であろう。何より、現にフレミングは操縦することができたのだし、もし仮にそうでないなら、演習中はパイロットの任意で解除できない設定にでもしておけばよいではないか。
フレミングはおやっさんとの会話も思い出しつつ自問を続ける。整備チームに余計な負担をかけるから? その通りではあるしそのことは一見正しいが、それが彼らの仕事であると言えば所詮それまでのことであろう。あるいは、おやっさんを始めとする整備チームのみんなに心配をかけるから? 確かにおやっさんとは以前「私は絶対に死なないから」と約束はしたが……戦闘機がミサイル輸送機に過ぎないのであれば、いっそ無人機にしてしまえば良い。なまじパイロットを乗せるからそのような心配が起こる余地を残す訳で、自動機動でも何でも導入すれば良いであろう。しかし現に操縦士指向分隊編成はパイロットを必要とし、パイロットが搭乗する以上、パイロットの判断で機動制限装置を解除することだって宥されるはずだ。自問自答の末明確な回答を得られなかったフレミングは、せめてもとばかりに、先よりも更に大きい声で端的に返答した。
「申し訳ありません、校長閣下。自分には判り兼ねます」
フレミングの正直な返答に第18小隊の残る3人は思わず目をまるくしてフレミングに視線を移す。校長閣下からの詰問中に姿勢を乱すことなぞ本来はこれも処罰の対象になるところであろうが、パルティル校長の大きく柔らかな笑声は彼女らの態度を不問に付した。
「はっはっはっ、分からないか、フレミング。それならば、貴官らはどうか?」
突然の振りにケプラーが俯き、ファーレンハイトが視線を泳がせる中、キルヒホッフだけは整然とパルティル校長の目を見つめ返して返答した。
「申し訳ありません、校長閣下。小官にも判り兼ねます」
「そうか、キルヒホッフ小隊長にも分らぬか。それならば仕方あるまい」
パルティル校長の口調が柔和だったのもここまでだった。
「貴官らには罰として16/34滑走路の往復ダッシュを命ずる。少し走って頭を冷やしてこい。ダッシュ終了後の再出頭は不要。以降は原隊復帰を命ずる。以上」
「はっ、了解致しました」
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「で、何でうちらこんなに走らされてるのよ? まじ訳わかんないし」
ファーレンハイトが息を揚げながらぼやく。そもそも校長閣下から罰を与えられるような原因を作ったのはフレミングであって、ファーレンハイトには一切関係が無いのである。小隊連帯責任の原則は彼女も無論承知してはいるが、ファーレンハイトとしては、何故もっと上手く切り抜けられなかったのか、とフレミングを責めているのである。叱られるにしても、上手い叱られ様というのは確かにあるはずなのだから。
「そんなこと言ったって、この前はファーレンハイトちゃんのせいでみんなで走ったじゃない! それこそお互い様よ」
ケプラーが言う通り前回の滑走路ダッシュはファーレンハイトがその原因を作った。何でもファーレンハイトはいきなり「認識票が可愛くない」と言ったかと思うと、認識票にマニキュアやグロスを重ね塗りしてデコレーションしてしまったのである。本人はその認識票を「アクセみたいっしょ?」等と言って誇らしげに首から掛けていたようであるが、すぐに教官にみつかり叱責を受けるはめになった。曰く「官給品を勝手に改造するなど以ての外」。ファーレンハイトは「改造じゃないです、デコっただけです」等と言い訳したそうではあるが、その後ファーレンハイトは「今うち、まじダウナー」等と言って、しばらくの間は普段からのやる気のなさに拍車がかかっていたようであった。
「いやだって、あん時はうち何も悪いことしてないし~」
「まだ言うか?」
流石に今回は自分のせいであることを自覚しているからか、フレミングは声には出さず心の中で呟いた。
尤も、ファーレンハイトがぼやくのにも理由がある。この航空士官学校には滑走路が2本ある。ほぼ東西の方向に走っている第1滑走路とほぼ南北の方向に走っている第2滑走路がそれであり、第1滑走路はその方角から08/26滑走路とも別称される。これは北を0度として時計回りに1周を36等分した時、第1滑走路は東北東08の方位と西南西26の方位を結ぶ方向に沿って設置されているので08/26滑走路と呼ばれるのである。これとはまた別に、この滑走路に東北東から西南西に向けて進入して離着陸する場合にはこの滑走路を26滑走路と呼び、逆に西南西から進入して東北東に離着陸する場合を08滑走路と呼称して、使用する滑走路と進入方位を特定するのが通例である。同様に第2滑走路はその方角から16/34滑走路とも呼称されている。つまり落ちこぼれ小隊の4人が命ぜられたのはこの第2滑走路の往復ダッシュということであるが、航空士官学校の2本の滑走路は共に、大型機の離着陸にも備えて-と同時に、ひよっこ達の下手くそな離着陸にも備えて-国内では最も長い3,500m級の滑走路なのである。つまり16/34滑走路の往復ダッシュの実態は7kmの長距離ダッシュであって、「校庭一周!」とは訳が違うのである。無論7kmもの距離を全力疾走するのでもないが、ランニング程度の速さで抜いて走れば追加の処罰があってもおかしくはないことは、候補学生であれば誰でも知っていよう。そしてダッシュの様子なぞ、これだけの距離があれば誰かが敢えて監視などせずとも戻ってくる時刻でおおよそ分かろうというものであるから、ランニングよろしくのんびりと走るわけにはいかないことも自明である。
ところで、校長室は第1滑走路ほぼ中央の南側に位置しており、第2滑走路は第1滑走路の北側にある2列の格納庫群を超えた先に設置されている。また、往復ダッシュの後原隊復帰とはすなわち校舎に戻れの意味であるが、その校舎は第1滑走路と第2滑走路に挟まれた地域にある。要するに、今回の処罰は一定時間以内に校長室から第2滑走路を往復して校舎までの距離10km以上のダッシュをせよ、との含意であるのだ。ファーレンハイトでなくともぼやきたくもなろう。
ようやく16/34滑走路の北端にたどり着いた落ちこぼれ小隊の4人は、みな息を揚げながら復路のダッシュにとりかかる。既にバテ気味のファーレンハイトがケプラーに向かって声をかける。
「うちなんかもうバテバテのヤバめなのに、ケプラーはそんな重いもんつけて走るなんて、まじリスペクトするわ~」
「ホント、ケプラーのって、凄いよね~」
こちらもバテバテのフレミングが同意するのにケプラーが抗議する。
「もぅ、フレミングちゃんまで、やめてよね~そんな凄くなんてないんだから」
ケプラーの顔が真っ赤なのは、ダッシュのせいだけではあるまい。見かねたキルヒホッフが3人を窘める。
「3人とも、そんなこと言っているといつまで経ってもダッシュが終わりませんことよ」
「つっても、まじだりぃっしょ、こんなん」
ファーレンハイトの言葉に同意する3人ではあるが、とは言え走る以外の選択肢を持ち合わせず
「ねぇねぇ、今日の晩御飯は何かなぁ?」
というフレミングの呑気な問いかけに、「こういう時は楽しいことを考えた方がまだ気が楽だ」と各自各様の想像をしながら、ただひたすら足を動かす4人であった。
そんな彼女らのぼやきを知ってか、パルティル校長は校長室の北側にある窓から滑走路群を見下ろす。
「あんな機動を行うには、まだまだ貴女達には基礎体力が足りない。もっと力をつけて戦闘機は単なる輸送機では無い、と自分達の力で証明してみせなさい。少なくとも、貴女達の機体には、それに応えるだけの力があるわ。後は貴女達次第……」
航空士官学校8期首席のパルティルは目を細めながら、30年以上も昔、未だ自分も候補学生と呼ばれていた時期のことを思い出す。操縦士指向分隊編成のパイロットとして自身が搭乗したAMF-35Aに比べれば、フレミング達の操るAMF-75Aは搭載するミサイルの質・量、機動性の高さ、エンジン推力、戦術コンピュータの処理能力のいずれにおいても目覚ましい進化を遂げているのである。願わくば自分ももう一度、などとは流石に思わない年齢にあることを自覚しつつ、若者達だけに許される無限の可能性に少しく嫉妬を覚える。一方で、ひよっこ達の成長を見守る親鳥にしか分からないであろう喜びも感じているパルティル校長は、誰1人脱落することなくみなが無事にここを卒業できるように導くことこそが自身の責任である、と充分に理解していた。