第2話:AMF-75Aは無人機じゃない!
航空士官学校の第2滑走路に着陸したフレミングは、滑走路東側に設置されているD誘導路からエプロンを経由して格納庫群最北端にあるD-12格納庫に機体を誘導する。格納庫手前でエンジンを切ると牽引車両がバックで愛機を格納庫に入庫させてくれた。機体が停止したところでフレミングは、各種手順確認の後キャノピーをはねあげ、降ろしたタラップを使って地上に下りる。機体を一周しながら飛行後の外観目視チェックを行っていると、背中から野太い声が響いてきた。
「お嬢、全くなんて無茶な機動をしやがんだ。機体を壊すつもりか?」
振り返ると、口調の激しさとは別に口元をわずかに綻ばせたおやっさん、チャンドール整備准尉の顔が見えた。チャンドール准尉は機付長、すなわちフレミングの愛機を整備するチームのリーダーである。電子制御系を専門とするエンジニアで、軍上層部からは天才的なエンジニアとして認知されているらしい。実際、若干38歳で機付長に就任しているのだからエンジニアとしては出世頭でもあり、過去には将校への昇級試験を受けて技術本部へ転属するよう勧められもしたらしいが、現場の整備士を志望して現職にあるとは本人の弁であった。
「そりゃ悪かったとは思うけど、どう、おやっさん? ちゃんとコブラしてたでしょ!?」
「いや、まぁそりゃ……」
フレミング達の乗る機体AMF-75Aは、バーラタ共和国の最新鋭ジェット戦闘機である。推力偏向ノズルを持つ2機の大推力エンジンにカナード付き前進翼の組合せとなれば、その本来の性能がじゃじゃ馬であろうことは子供にだって分かる。そんな『ピーキー』とも評されるAMF-75Aをまがりなりにもひよっこの候補学生が操縦できるのは、機動制限装置のお陰である。この装置がセットされている間は機体の姿勢制御コンピュータがパイロットの入力からその意思を読み取り、エルロンやフラップ、ラダー、推力等を適宜適切に調整することで安定的な飛行を可能にしてくれる。無論、制限装置が働いていれば、コブラのような不安定な姿勢にもならなければ、そもそも過大なGがかかることもない。
「でしょ!?」
確かに、フレミングの操縦の腕にはおやっさんも一目置いている。今日フレミングの見せた魅惚れるほどのコブラなど、ベテランパイロットにだってそう易々と実施できるような演目ではなかろう。ましてや曲芸飛行チームのお披露目飛行ではなく、演習とは言え戦闘機動中のことなのである。よくあのタイミングで決意し、実行に移し、成功させ、あまつさえ追撃に移行して撃墜判定まで得たものである。
「だがな、そもそも機体が失速領域にあって、お嬢は怖くはなかったのか?」
怖くなかった、と言えば嘘になることをフレミングは知っている。ともすれば機体がロールして制御不能に陥りそうなところを、両手両足を小刻みに動かしながら重力と揚力、効力と推力のバランス調整を何とかやり繰りしていに過ぎない。頭で考えている暇などなかった。全身から伝わる感触を頼りに、ただ感覚だけで操作する。あの時フレミングは確かに恐怖を感じていることを自覚していたが、同時にその恐怖を興奮と勘違いできる者だけが本当に空を翔ぶことができるのだ、とも感じていた。そんな感覚をふわりと想い出しながらフレミングは、ただ口に出してはこうとだけ答えた。
「だって、翔ぶのって楽しいでしょ!」
一瞬の沈黙はおやっさんの同意の現れであろうか。しばらくしておやっさんが口を開いた。
「まぁ、そうかもしれんがな、お嬢……だが、今の時代に格闘戦なんざぁ想定されてねぇんだから、まぁ……」
バーラタ共和国航空宇宙軍は、「操縦士指向分隊編成」、通称「ヒメシステム」と呼ぶ独自の編成を行っている。通常パイロットと整備士はそれぞれ飛行群司令や整備群司令の隷下に所属するが、ヒメシステムではパイロットが分隊長となり、機付長以下整備士はその隷下に所属することになる。この一見変わった編成はバーラタ共和国の地理上の特性から策定された基本戦略に基づいていた。そもそもバーラタ共和国はオリエント大陸最南端に存在する半島国家-半島国家と言っても東西約2,000km、南北約1,800kmの半島は亜大陸とも呼ばれる-であり、その東・南・西の三方は海で囲まれている一方、北方は標高8,000m級の山々が連なる山脈が事実上の防壁となっている。つまり仮想敵の侵攻経路は東部国境付近の低湿地帯と西部国境付近の砂漠地帯を除けば、ほぼ海上となることが想定されているのである。従って航空宇宙軍の主敵は海上から侵攻する敵の航空機並びに水上艦・潜水艦と設定されており、これらが国土上空に飛来あるいは海岸線に上陸しない前に補足殲滅することが航空宇宙軍の任務である。よってバーラタの戦闘機に求められる要求性能では格闘戦で有利とされる速度や旋回性、ステルス性能より、ミサイルの搭載数量と航続距離が重視されていた。バーラタ共和国では戦闘機同士の格闘戦などは想定していないばかりか、「戦闘機が格闘戦を行う状況は既に戦略的に敗北している」と認識されている。 このような基本的思考から導き出される結論は「パイロットは飾り」であり、「戦闘機はミサイル輸送機」であった。
「じゃぁおやっさんは、AMF-75Aが輸送機だって言うの!?」
今度はフレミングの方が詰問する口調になる。自分は少なくとも戦闘機パイロットとしての誇りと矜持を持っているつもりだが、おやっさんは違うのか。戦闘機整備士ではないのか。
「いや、オレだってAMF-75Aは史上最高の戦闘機だって思ってるさ。でなきゃお嬢に合わせて特別ピーキーな設定なんかにする訳ねぇだろ!」
結局のところ、設計が同じ機体であっても整備士の整備と調整の具合によって駿馬にも駄馬にもなるのが戦闘機である。例えばスティックを左右に傾けた場合、エルロンがどのように動作するかを設定するのは整備チームの調整次第なのである。リニアに調整することも遊びを設けることも、制限を課すことすら姿勢制御コンピュータのパラメータを変更すれば自在である。ある意味でこれは操縦士指向分隊編成の利点でもあった。常にパイロットと整備チームが一体となっていれば、機体は各々のパイロットの特性やクセに合わせた最適な状態を維持されることが保証される。
「だったら分かるでしょ。私はパイロットで、AMF-75Aは無人機じゃない! 誰でもない、私が飛ばしているの! 自動機動でもなければ、機動制限装置だって要らない!」
操縦士指向分隊編成には他のメリットもある。パイロットとしての現役稼働年数と機体の設計飛行時間、更には戦闘機の新規設計間隔が概ね20年程度で一致するのであれば、それはエンジニアの成長サイクルにも合致するであろう。ひよっこパイロット隷下に配属されたひよっこ整備士はエンジニアとして円熟味を増し、20年後には機付長やその他のリーダーとして今度は新たなひよっこパイロットを導く役割を期待されるようになるのだ。丁度、極東の島国グレートエイトアイルズにある、2000年もの間20年毎に神殿を造り替え続けているという教会の宮大工がそうであるように。つまり今のチャンドール准尉には、この跳ねっ返りの赤髪の少女を導くことが期待されているのである。
「機械の面倒は見れても人間の面倒までは……」
無論そんなことは口に出せる訳もなく、おやっさんは人生の苦悩を噛み潰したような少し渋みのある落ち着いた口調でフレミングにこう問いかける。
「そう、お嬢の言う通りだ。AMF-75Aにはお嬢が乗っていて、お嬢がAMF-75Aを操縦している」
「うん……」
「で、だ。これまたお嬢の言う通り、AMF-75Aに自動機動を搭載することもできるし、その気になれば無人機にだってすることができる。少なくとも、既にコンピュータは乗ってんだ」
「……」
「で、お嬢に聞くが、それじゃぁ何でわざわざAMF-75Aはお嬢を乗せてんだ?」
何故AMF-75Aは私を乗せているのか?それはこれまでフレミングが考えたことも無い問いかけであった。フレミングはいつも「私がAMF-75Aに乗っている」とだけ考えていた。しかし主客を転倒させただけの質問なのに、その答は全く別物になるのであろう。少なくとも「私が乗りたいから」が答でないことだけは良く分かる。自分はそこまで傲慢ではない、つもりのフレミングである。
自問する少女を今度は労わるような視線でしばしの間見つめた後、おもむろにチャンドール准尉は神妙な口調で解を与える。
「それはな、お嬢。戦争ってのは人間がするもんだからさ」
先ほどまでの興奮が静まったかのようなフレミングに、少し明るい口調に戻ったおやっさんが告げる。
「まぁ、ゆっくり考えることだな。それよりも、お嬢。校長閣下に呼び出し喰らってんじゃねぇのか?」
「いけない、そうだった。おやっさん……今の命題、もう少し考えてみるね。ありがと!」
「ヒメさん、うちのお嬢が申し訳ねぇ。まぁ、よろしく頼む!」
おやっさんが気軽な口調で、同じ格納庫で機付長と話し込んでいる別の女性パイロットに声をかける。黄金で染め上げたような美しく輝くゆるふわロングが、格納庫の向こう側で縦に揺れた。