なぜ異世界テンプレは書きやすいのか ~読者都合の物語は作品の寿命を縮める~
私が小説家になろうに出会ったのは十年近く前のことになる。
あの頃はまだ、今のように異世界アニメが流行る前で、世間はそれほどなろうに注目していなかったかと思う。
初めはなんとなく、小説が読めるサイトと言うことで覗いてみただけ。当時、トップページには累計ランキングが記載されており、その一番上にある作品を読んでみることにした。
どの作品かあえて言わないが、なろうに詳しい人ならすぐに分かるだろう。最近アニメ化されて話題にもなったあの作品である。
私はその作品に夢中になった。こんなに面白い作品がタダで読めるなんてすごい! 感動しながら読み進めていると、自分にも書けそうなんて思ってしまった。
誤解のないように言っておきたいが、私はその作品を馬鹿にするつもりはない。私は何を読んでも、自分にも書けそうと思ってしまう人なので、その作品のクオリティが低いと言いたいのではないのだ。単純に私が思い上がりも甚だしいクソガキだったと言うだけのことだ。
その作品に出合った私は、いわゆる異世界テンプレにはまった。読者ではなく、作者として。
私は好き勝手に異世界テンプレを書いた。いや……書けたのだ。
すらすらと筆が進み、何万文字もの物語を延々と書き続けることができた。これは私にとって驚くべき変化でもあった。
今までに長編小説を書ききったことがない。10万文字を超える大作など、到底私には書くことができず、小説を書ける人は本当にすごいと尊敬していた。
そんな私が小説を書けているという事実に、ただただ感動し、今まで感じたことのない高揚感を味わった。
それからしばらくして……あるコピペ(コピー&ペースト)を発見する。
なろうを揶揄する内容だった。
曰く、なろう読者は非常にわがままであり、特定の展開を嫌う。
主人公が負けるのは絶対にNG、苦戦するのもダメ。
ヒロインが他の男と話したり、仲良くしたらアウト。手をつなぐなんてもってのほか。
チート、ハーレム、奴隷は必須。無いと読んでもらえない。
レベル、ステータス、スキルなど、ゲーム要素を盛りだくさんにすること。
などなど。
なろう作品を書くにあたっての鉄則が盛り込まれた、地獄の地獄のような内容だった。
私はそのコピペの内容と、自分の作品とを照らし合わせた。私の書いた作品は、そのコピペにあるとおりの内容だった。途端に恥ずかしくなって、書くのを止めた。作品もPCのフォルダーにしまったまま放置。PCを破棄すると同時に、作品も失われた。
私はなぜ書くのを止めてしまったのか。いや、その前に、そもそもどうして書くことができたのか。
異世界テンプレには禁則事項が沢山ある。上にあげた以外にも、細かい決まりごとが山のようにあり、その全てを遵守しなければならない。そうしないと読者から目を向けてもらえず、他の作品に埋もれて誰も読んでくれない。……と、ネット界隈では言われている。
こういった細かい禁則事項の数々はストーリーの方向性を限定する。ルールを守って作られた物語は画一的なありふれたものになってしまう。しかし、逆を言えば、何を書けばいいのか明確に定められており、悩まず、考えず、頭を働かせず、延々と書き続けることができる。
異世界テンプレの禁則事項は言わばプロットのようなものであり、本来作家が悩みながら作らなければならないものが、ネットの海にフリー素材として転がっていたのである。
もともと小説を書いたことがない全くの素人でも、異世界テンプレのルールさえ守っていれば、少なくとも人目にはつく。運が良ければ出版化もあり得る。
ウェブ小説界を席巻した異世界テンプレは、実は供給する側と要求する側、つまりは作者と読者双方に都合がよく、非常に優れたシステムでもあったと言える。
私はこのフリー素材を利用して、異世界テンプレ作品を書いた。しかしそれは、自らの力で生み出したものではなく、他人の力によって書かされていたものであり、自分の作品とは到底言い難い。私が長編を書き続けられたのも、すべては他人の力によるものなのだ。
そのことに気づいた私は筆を止め、作品を放棄し、すべてを忘れることにした。
だが……その数年後。飽きもせずにまた別の作品を書き始めた。
理由は自分でもよく分からない。本当にただ何となくだった。
今度はあえてテンプレを外した。男キャラも出すようにして、主人公を苦戦させ、能力も力を限定し、ゲーム要素を可能な限り排除する。
こんな作品を上げたところで、誰が読んでくれるか分からない。しかし、それでも筆は止まらない。私は思うがままに作品を書き続けた。
その作品を友人に見せたところ酷評される。ヒロインのふるまいがあまりに酷く、ヒロインとはとても思えないというのだ。
私は恥ずかしくなった。こんなゴミみたいな小説を読ませてしまい、申し訳ないと思った。それと同時に、私の創作意欲はさらに燃え上がった。今度はきちんとした作品を読んでもらおうと思い、その作品を一から書き直すことにした。
やはり筆は止まらなかった。気づいたら文字数が100万、200万と越え、とんでもない大作が出来上がってしまっていた。その小説は設定崩れを起こし、矛盾だらけになってしまったので、今のところ公開する予定はない。しかし、私は執筆を始めてから数年が経った今でも小説を書き続けている。
私をここまで創作に駆り立てるものは何か。それは、私自身の中にある、私自身の価値観を表現したいという思いだ。
私が今までに体験した出来事や触れてきた作品。様々な人から受け継いだ思想や感情。こういったものが一つにまとまって、一つの作品へと姿を変える。そのプロセスそのものが一種のエンターテイメントであり、私自身の楽しみとなっている。
もし、私があのままテンプレートに則った作品を書き続けていたら、こんな風に創作活動を楽しいと思えたか疑問である。他人の価値観で、他人に書かされた作品は、己自身にとっての楽しみとなり得るのだろうか?
もちろん、書籍化を成し遂げたなろう作家の方々を悪く言うつもりはない。彼らは結果を出すために努力し、実績を積み重ねた素晴らしい人たちだ。私にとって雲の上のような存在である。正直、羨ましいし、嫉妬もする。あんな風に皆に読んでもらえる作品が書けたらなぁと、常々思っている。
しかしそれでもテンプレ通りに書こうとは思わない。
私には私の書きたい作品がある。これは決して譲れないし、方針を変えようとも思わない。ブームがとっくに廃れた今でも異世界転生物語を書き続けている。
それは頑なに流行から背を向けているからではなく、私自身が自分の創作意欲を満たしたいがために、ただひたすら目の前にある物語を小説として書き続けているだけのことなのだ。
創作活動。その行為自体が目的であり、書籍化は目的ではない。このスタイルを貫く限り、私は書くのを止めないだろう。
でもまぁ、正直言えばブクマ欲しいし、ポイントも欲しいし、書籍化したいし、金も欲しい。他の作者が沢山ポイントを稼いでいるのを見ると、心が揺らいでしまうのも事実だ。
しかし、読者に合わせた作品を書いて、ブクマやポイントが付かなくなったら、書き続けることはできないだろう。せっかく書籍化にこぎつけたとしても、一巻で打ち切りになってしまったらそれまで。創作意欲を失いエタる(続きが書けなくなる)ことになる。
だからこそ、今のスタイルを貫く必要があるのだ。私が書いた作品に、私自身が満足していれば、それでいいではないか。少なくともPVがゼロにならない限りは、続きを書けると思う。
私が小説を書き続けられるのは、間違いなく異世界テンプレなる宝物を作り出してくれた先人たちのおかげだ。テンプレが無ければ私は長編小説を書けなかった。
あの作品の作者様にも感謝したい。なろうで初めてあの作品に触れたからこそ、異世界テンプレの魅力に気づけたのだ。
世間から馬鹿にされることの多い異世界テンプレ作品群ではあるが、私はこの価値観を生み出してくれた人々にとても感謝している。
彼らの生み出した作品があるからこそ、今の私の作品があるのだ。
皆様、本当にありがとうございます。