第16話 狼はいないよね?
「交換して走るか?」
そんな彼の言葉に、少しばかり私の気持ちは揺れたが、
「いえ、悪いですし、倒してしまいそうだから…」
本当は、喉から手が出るくらいほしいくらいだ。
「そうだね、オレもまだ乗りたいしね」
彼は笑いながらあっさりと言った。
そう、本気ではなかったのだろう。
時計を見るともう3時を回っていた。
この時間までには、次の宿を見つけないと大変なことになる。
いつも、そう思って過ごしてきた。
少し今日は、はしゃぎ過ぎて時間を忘れていてしまったようだ。
「ごめんね、やだ、もうこんな時間!」
「今夜泊まるところ探さないといけないから終わりにするね」
ガイドブックを慌てて開いて食い入るように見ていると、
「宗谷岬まで行かないの?」
そう彼が聞いた。
「もう少しですけど、暗くなるので今日はこの辺で泊まることにします」
「はー?野宿?」
「いいえ、キャンプ場探してます」
「あっ!ほら、ありました!」
― さるふつ公園キャンプ場 ―
ガイドブックの地図を指差してその彼に見せた。
「えーっ!このキャンプ場?」
彼が見るなり驚いた。
「行ったことあるんですか?」
「ないよ。」
あっさりとした答えに、
「じゃあ何でそんなに驚くんですか?」
何か気になる彼の返答に疑問を持ちながらも、
暗くなる前にとの焦りから先を急いだ。
「いや、俺も一緒に行ってもいい?」
「いいですけど、あなたも泊まり?」
「見てから決めるわ…」
私の速度に合わせながら、彼は後ろをついて来てくれた。
国道238号線沿いにしばらくすると立派な建物が見えてきた。
看板によると"道の駅「さるふつ公園」"となっている。
何もない中にこんな建物がと少し驚いたが、
大好きな温泉もあるようだ。
宿泊のことなど忘れ道の駅の駐車場へ入った。
「おい、おい?キャンプ場は向こうだぞ」
「いいの、いいの」
「ここのホタテは有名なんだから、食べなくっちゃね。」
お腹が空いていたので、一目散に建物の中へ入っていった。
「ライダーはこんな店はいらねーぞ」
「やれやれ、やっぱり女の子だ」
彼は半ば呆れ顔だったが、
「別に付き合ってくれなくてもいいのに」
そう言い返した。
「なんだよ!」
「こんなキャンプ場で、女の子一人じゃ危ないと思って、心配して付いてきて
やったんだろ」
「別に頼んでませんから…」
私は口を尖らせた。
ホントは少しばかり心強かったことも確かだ。
「何だよ、素直じゃねーな」
彼は文句を言いながらも、私と同じものを注文した。
「ね?美味しいでしょ?」
私がそう言うと、
「ホントだ、うまい!」
「しかし、高い!」
「ホント、高いよね。」
二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
お腹がいっぱいになって建物の外へ出ると私は愕然とした。
(キャンプ場じゃない・・・)
ただ広いだけのスペースで、どこにサイトがあるのかさえ分からない。
こんなだだっ広いところでテントを張ってなんてできないと思った。
「だからさっき言っただろ」
「食う前に、見とけば良かったんだよ」
もうあたりは薄暗く、移動には向かない時刻になっていた。
「もういい!決めた!」
「バンガローにする!」
数個見えるバンガローが目に入った。
「今から取れるわけないじゃない?」
そう彼は言ったが、
「行ってみなくちゃわかんないでしょ!」
管理棟へ行っては見たものの、見事に玉砕。
満室だった。
管理棟から出てくるなり怒鳴ってしまった。
「こんなところに誰がテントで泊まるのよ!」
怒りながら出てきた私に向かって外で待ってた彼は、
「だから言っただろ、そうそう空いてるわけないじゃないってさ」
「少し、頭冷やせよ。」
「どうせ今からだったらテント張って寝るだけだろ?」
「温泉行こうぜ!」
すっかり忘れてた。
お腹と泊まる事にお腹と頭がいっぱいだった。
「賛成ーー!!」
「いこ、いこ!」
さっきまでの気持ちが180度変わっていた。
暗闇の中、
彼の後を追うように歩いていた。
温泉のほうに歩いていると思っていた。
機嫌が直った私に
「実はさ、オレ…」
彼がポケットから一つの鍵を出して私に見せた。
「あのバンガロー予約してあるんだよね」
近くにあった建物を指差した。
「えーっ?」
「なんで?」
「私に着いて来てくれただけじゃなかったの?」
「最初から知ってたんだ…」
「そうなんだ、実はここオレの今日の宿泊地」
「でも、よかったら、使っていいよ」
「…」
しばらく黙っていたが、
「いいよ、悪いし」
「私のテントはワンタッチだし、大丈夫だよ」
「ありがとう」
「そうか、いいのか?」
彼は残念そうだった。
「それより、温泉入ろうよ!」
「温泉、温泉!」
私は少し彼の言葉に驚いていた。
建物に近づくと
目の前の大きな温泉にワクワクした。
カムイワッカ以来、ゆっくりと温泉につかる事がなかったので
いきなり肩からお腹の辺りまで温泉を纏った。
お肌に良さそうな、
ツルツルというよりヌルヌルの湯船につかりながら、
さっきの彼のことを考えていた。
(道内に入って、男性はみんな私に優しい)
(下心があるかといえば、そんな素振りも見えない)
都会での生活は人を疑ったり、警戒しながら生活をしていたせいか
ここでの人との係わり合いが心地よい。
それ故、私は人を信じすぎてしまうのかもしれない。
でも、一人ぼっちの広大なキャンプ場でのテントはあまりに危険すぎる。
彼に賭けてみよう。
そう決めて、湯船から出た。
髪をタオルで拭きながらロビーへ出ると
もうそこには彼が待っていた。
「姫、ずいぶん御ゆっくりでしたね」
そういって彼は笑う。
私は少しからかおうと思った。
「待たせたね、執事」
「おい、オレは執事かよ〜」
「せめて…」
「じゃあ、王子さま」
「お城へ連れて行ってくださいな」
「えっ!?使ってっくれる気になったの?」
彼はことのほか喜んだ。
「ホント?じゃあこれ鍵」
彼はさっきの鍵を差し出した。
「いいの」
そういって私は、
手にある鍵と一緒に彼の手を握り、そのまま引っ張った。
「でも…」
彼は私のほうを見て、
「メットのときも可愛く見えたけど」
「そのタオルも可愛いなぁ」
乾かすために巻いた頭のタオルを指差した。
「そう?」
「言われたことないよ」
「私、男の子に見えるでしょ?」
「いや、可愛い」
「オレ、目が悪いのかもしれない…」
「なにそれー」
荷物をまとめながら、顔を火照らせた。
部屋に入ると、
お互い自分の寝袋に包まった。
「王子様…」
背中を向けて寝ていた私は振り返って、彼のほうを見た。
「狼はいないよね?」
突然の言葉に、
「北海道だからね…キタキツネは…」
彼は言葉の意味を理解した。
「…そういうことか…いないと思う…」
「北海道に狼っているのかな?」
「中にはいると思うけど、キミみたいな子の前には出ないかもな」
「魅力的じゃないから?」
「そんな事ないよ…」
「さっきも言っただろ? 可愛いって…」
「ありがとう…」
バンガローの中は、
言葉を交わさないと耳が痛くなるほどの静けさになった。
寂しくなった私は
「そっちいっていい?」
と小声で言った。
「…狼出るぞ…」彼が言う。
「大丈夫、みのむしは狼になれないから」
笑いながら彼は、
「それも、そうだな」
― ゴロゴロ ―
私は、彼の寝ているほうへ寝袋のまま転がっていった。
「参ったなぁ。それじゃ狼が逃げる訳だ…」
ハハハ。
「ん、もうっ!」