第614話 ユグドラシルさんの抜け毛や切った爪を集めて、じっと眺める日々
「む、アレクよ」
「え? あ、ユグドラシルさん、どうしました?」
カークおじさん宅での滞在も一週間が経過。今日も今日とて、のんびりとした一日を送っていたところ、ユグドラシルさんから話し掛けられた。
「それは、わしの枝か?」
「あぁはい、そうですね。世界樹の枝です」
世界樹の枝を眺めながら、ぼんやりと考え事をしていたのだ。
そうしたところ、そんな僕の姿がユグドラシルさんの目に止まったようで――
……これってユグドラシルさんからすると、だいぶ猟奇的なシーンに見えたりするのだろうか。
この枝って、元々は世界樹の一部だったわけでしょ? つまりはユグドラシルさんの一部だったわけで……ユグドラシルさん的には、抜け毛とか切った爪みたいな感覚だったりするのかもしれない。
だとすると、僕はユグドラシルさんの抜け毛や切った爪を、ただただ黙ってじっくり眺める人ってことに……?
「違いますよ?」
「……何がじゃ」
「あのですね、僕は決して――」
「いや、いい。やっぱり言わんでいい。どうせろくでもないことを考えていたのじゃろう?」
その通りである。
「さておき、その枝じゃ。わしがこの前渡した物か?」
「ああ、それとは別の物ですね。あれは通算で九本目の枝になるわけですが、これは七本目の枝です」
世界旅行出発の翌日――つまりは僕の二十歳の誕生日に、ユグドラシルさんから誕生日プレゼントとして世界樹の枝をいただいた。
あれが九本目に貰った枝で、今見ているのは七本目の枝。この枝は確か、世界旅行の記録更新で貰った枝だったかな?
「今はスカーレットさん待ちで暇を持て余している状況ですし、じっくり木工でもしようと思いまして、そんなときにピッタリなのが――世界樹の枝です」
「そうなのか?」
「抜群の強度を誇る世界樹の枝ですが、それゆえ加工には時間が掛かります。それに貴重な枝ですからね、それだけ作業も慎重になります」
なんだかんだ世界旅行中は暇な時間も多い。暇つぶしって言っちゃうと言葉は悪いかもだけど、世界旅行と世界樹シリーズの制作は相性が良い。じっくり腰を据えて作業ができるので、僕も世界旅行には毎回世界樹の枝を持っていくことに決めている。
「というわけで、何を作ろうか考えながら枝を眺めていたわけです」
「ふむ」
「真面目に真摯に真剣に考えながら眺めていただけなのです」
「ふむ……?」
いたって真面目な作業の最中だったのです。己の内に潜む、抑えきれない変態的な欲望から枝を眺めていたわけではないことを、どうかご理解いただきたい。
「それで、何を作るのじゃ?」
「んー、そこなんですよね。僕的に作りたい物はあるんですけど……」
「ほう。作りたい物とな?」
「実はですね――世界樹の樽を作りたいのですよ」
「樽? それは前に作ったはずじゃが?」
「そうですね。なので二つ目――二樽目になりますか」
いろいろと検討してみた結果、その必要性を感じている。
貴重な世界樹の枝を使って樽を作ることに関して――貴重な九本のうちの二本が樽になってしまうことに関して僕も思うところはあるけれど、それでももう一樽くらいあった方がいいのかなって気がしているのだ。
「そもそもの話として、世界樹の樽は世界樹の酒を造るための道具でした」
「そうじゃな。わしもぶどうを踏む作業を強要されたな」
「ええまぁ……」
強要って言い方はちょっとあれだけど……とりあえずお願いして、ワイン造りに協力してもらったね。
「今も一樽目でワインの醸造だか熟成だかをしているはずなのですが――でも一樽なんですよね。一樽しかないんですよ」
「ふむ? 一樽ではいかんのか?」
「僕個人としてはそれで十分なのですが……とはいえ、ワイン造りは大々的に村のイベントとして開催しましたし、そうなると村のみんなも完成したワインを実際に飲んでみたいと思うはずです。そして僕も、せっかくならみんなに振る舞いたいと考えています。そこまでして、ようやくイベントとして完結すると思うのですよ」
ワイン造りのイベント――まぁユグドラシルさんがぶどうを踏むというイベントだが、ナナさんが主動して、村の広場でそんなイベントを開催したらしい。
そうして『ワイン造るよー』ってとこだけを見せて、実際には飲めないなんて、それはあまりにもみんなに申し訳ないじゃないか。
「そう考えると、さすがに一樽では足りないですよね。せめてもう一樽くらいは必要かなと」
「なるほどのう。村人のためか」
「そうです。メイユ村に住むみんなのためです」
すべてはメイユ村住民のため。そしてすべてはメイユ村住民からの支持率のため。
「しかし今から二樽目を作り始めても、一樽目を開くときには間に合わんじゃろ?」
「あー、確かにそうですね。結局二樽目のワインの仕込みは、一樽目の開封後ですか……。次のシーズンの話になりそうですね」
「次のシーズン?」
「はい、ワイン造りは毎年やろうかなと思っているので」
「毎年……。それは、えっと、わしがまた踏むのか?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
「そうか……」
結局今シーズンの世界樹の酒は一樽だけか。みんなに振る舞うにしても、ほんのちょっぴりだけの試飲会みたいになっちゃいそうだね。
まぁしょうがない。それだけ貴重な世界樹の酒だとみんなに納得してもらおう。
「……ふむ。どちらにせよ二樽目が必要になるのは一樽目の開封後。しかも今造っている一樽目のワインも、本当に美味いものが造れるかどうかわからん。すべては今のワインを試飲してからでよいのではないか?」
「なるほど……」
ユグドラシルさんの言う通りだ。今の内からなんやかんや予定を立ててしまっていたが、実際にはまだ一樽目のワインも完成していない。ちゃんと美味しいワインが造れるという確証を得られてから二樽目を作った方が無難か。
「ではそうしますか。美味しいワインが世界樹の樽で造れるということを、しっかり確認してから…………あれ?」
「うん?」
「よくよく考えると、それもわからなくないですか? ちゃんと美味しいワインが出来たとして、それが世界樹の樽の効果なのか、それともユグドラシルさんが素足で踏んだことによる効果なのかはわからないです」
「…………」
「あ、えっと、違いますよ?」
おぉう。何やら軽く引き気味で見られてしまった。どうやらまたしても『ユグドラシルさんが素足で踏んだぶどうを飲みたい願望を抱えている人』疑惑が再燃しかけている模様。
……いやでも、そこは結構重要なポイントじゃない? なんと言っても世界樹様だしさ、もしかしたらそういうことがあるかもしれないじゃない。そこら辺の検証は必要だと思うの。
世界樹の樽と、普通の樽と、世界樹様が踏んだぶどうと、普通の人が踏んだぶどう――それぞれ組み合わせて、完成したワインの飲み比べをしてみないことには結論が出ないのではなかろうか?
そしてひょっとすると、『世界樹様が踏んだぶどうなら、普通の樽でも美味しい』という結論にたどり着いてしまうかもしれなくて……。
しかしそうなると、もう本当に『ユグドラシルさんが素足で踏んだぶどうを飲みたい』という結論にたどり着いてしまうな……。
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