一話 幼馴染の家にて
時刻は19時00分。
俺は夕食を食べるため、琴葉の家に向かっている。そう、前話で述べた通り琴葉と俺の家はお隣さんだ。
これこそが真の幼馴染であり運命の人である証だと思うんだ。家が近いというのは、すなわち交流機会が多い事へも繋がる。
だから俺達の家が隣り合っているこの状況は、まさしく神様からの祝福・応援といっても過言ではないと思う。
そうやって幼馴染への愛を心で奏でていると、いつの間にか琴葉の家に到着していた。といっても数メートル程しか離れていないので、数十秒歩いてれば勝手に着く。
俺は白雪家のインターホンを押す。
「あら、綴ちゃん?ちょっと待ってね~」
今、俺のインターホンに応えたのは琴葉の母、白雪琴音だ。俺にとっての未来のお義母様とでも言っておこうか。
しばらくして扉が開く。
「は~い、よく来たわね!うちの琴葉ちゃん、ずっと綴ちゃんのこと待ってたわよ!髪整えたり、身だしなみ何回も確認しちゃって、この子素直じゃないけど」
いつもの琴音さんトークが始まるかと思いきや、それを遮る大声が。
「あー!ちょっとお母さん!余計なこと言わないでよ!」
琴葉がかなり焦った様子で出てきた。…けど、琴音さんの言ったことを否定してないってことは、本当に俺が来ることを待ち焦がれていたのでは?
「琴葉、琴音さん、こんばんは」
膨らんできた幼馴染への想いを押さえ込み、ひとまず二人に挨拶する。
「……こんばんは」
「はい、こんばんは!さ、早く上がって」
琴音さんに急かされるまま、俺は白雪家に足を踏み入れた。
時は進み19時30分。
俺と琴葉は雑談に華を咲かせていた。"琴葉の部屋"でだ。
琴音さんと、琴葉の父、三郎さんは"二人はイチャついててもいいよ"と言って、いくら夕食の準備を手伝うといっても聞いてくれなかった。
実の両親として、思春期男子と娘が二人きりとか心配じゃないんですかと質問してみれば、"綴ちゃんなら大丈夫でしょ"と平気な顔で言われてしまった。俺だって年頃の男なんだから、大丈夫なんてことはない気がするが。
そういうことで、お言葉に甘えて琴葉の部屋に上がらせてもらっている。最初、琴葉は顔を真っ赤にして喚いていたが。
「そういえば綴君、今日ご両親は来ないのですか?」
今はこの通り琴葉も落ち着いて、普通に話しているわけだけど。
「今日は仕事が忙しいって。だからこっちで食べることになったんだ」
俺は別に、白雪家で毎日夕食を食べているわけではない。親が仕事の都合でいないときや、何か祝い事があったときに食べに来るくらいだ。
……ところでせっかく二人きりになったわけだし、俺達の距離を縮める為にもここで一回仕掛けても良いのでは?
俺はそのための作戦を一つだけ考えていた。琴葉のことをひたすら褒める。たったこれだけ。
日頃から彼女のことを褒めている俺であるが。琴葉の部屋で二人きり、しかもこの甘い雰囲気で褒めちぎったらキュンとくるんじゃないだろうか。
大体将来結婚したいとも思っているし、一々褒められたくらいで顔を真っ赤にされちゃ流石に大変だ。
単純ではあるが、そこそこの効果が期待できるこの作戦。早速実行するべく、俺は口を開いた。
「琴葉、君は綺麗だ」
「ふぇっ!?」
琴葉は顔を真っ赤にして硬直した。
「ど、どうした?」
予想していた何倍もの良い反応が返ってきて戸惑う。俺が聞いてから数十秒後、琴葉の硬直はようやく解けた。相変わらず顔は真っ赤なままだが。
「き、急に何を言っているんですか?褒めるなら褒めると言ってからにしてください!」
「ご、ごめん、つい可愛すぎてさ。じゃあこれからは褒める前に…ってあれ?」
「ど、どうしたんですか?」
そこで俺は、ある違和感を抱く。違う、何かが違うのだ。急に喋ることを放棄した俺を、彼女は不思議そうな顔をして見つめてくる。
俺は、そんな彼女に全身を近づけ――――
"彼女の髪"の匂いを嗅いだ。
「なっ!?」
彼女は先程とは比べ物にならないくらいに赤面していた。そんな彼女の反応を無視して、俺は質問する。
「琴葉、もしかしてシャンプー変えた?」
彼女から返ってきたのは言葉でもデレでもなく、
「きゃあああ!!」
容赦のない強烈なビンタだった。
「た、確かに変えましたけど!そういうのはセ、セクハラに値するかと!」
痛みに顔をしかめながら、俺は答えてみせる。
「世界一可愛い幼馴染がシャンプーを変えた、俺にとっては何としても口にしておきたい大ニュースだ!」
堂々と宣言すれば、琴葉は魂が抜けたようにその場にへたり込んでしまった。
その後の夕食といったら、それはもう微妙な空気だった。
俺と琴葉の間には非常に気まずい空気が流れ、その様子を白雪夫婦が微笑ましそうに眺めている、という構図が出来上がっていた。ていうか、これはもう琴葉の両親公認なのでは?
夕食を食べた後、俺は帰宅した。彼女の反応を見る限り、嫌がっている様子は全くなかった。
あのビンタはきっと照れ隠しであろうと思う。それに、綺麗と褒めたときも、匂いを嗅いだときも、嫌がるどころかむしろ満更でもなさそうな表情をしていた。
まだ確証などないが、やっぱり彼女は俺に好意を抱いているのではないだろうか。
しかし、そう考えてもやっぱり告白するというまでの勇気は中々起きない。もし、彼女が俺に好意を抱いていなかったら……。
きっと、今までの関係には戻れないし、彼女との距離が出来てしまうだろう。
それに、俺は臆病だ。これには、俺のとある中学時代にあった出来事が関係している。それについては思い出したくもないし、考えたくもない。ただ言えることは、それに苛まされ続けた結果がこれなのだ。
中学校三年間、自分の悪いところを次々改善していった。けれど、臆病な自分はついに治すことができなかったのである。こんな自分のまま、琴葉に告白することが許されるのか。
どうしたものか、俺は複雑な感情を振り払うため、勢いよくベッドに飛び込んだ。