09.悪役令嬢はまた恋に落ちる
レステーアには良い目を持っていると褒められたけれど、シルヴェスターに比べたら自分なんてまだまだだ。
(失敗したわ……)
懐古に浸ってしまったことを後悔する。
もっと細心の注意を払うべきだった。
幸いシルヴェスターは、ラウルとの仲を疑っているわけじゃない。
焦りで手に汗が滲むものの、まだ救いはあると口を開く。
「バーリ王国の王族を前に、緊張していたのかもしれませんわ。思い返してみれば、壁を作り過ぎた気もします」
ラウルに対してはそれが正解だが、他人にはわからないことだ。
普段のクラウディアを知っているシルヴェスターだからこそ、なおさら壁があったことにも気付いているだろう。
そこに望みをかけた。
「君にしては珍しいが、そのようなときもあるか」
僅かに首を傾げながらも、頷いてくれたことに安堵する。
穏やかな表情から、心情は窺えないけれど。
(一方的に決め付けないのが、シルの良いところよね)
甘いところがあれば詰められるが、筋が通っていれば矛を収めてくれる。
難を逃れられたと信じ、今度はクラウディアから問いかけた。
「シルはラウル殿下と面識があるのよね?」
デビュタント前のクラウディアがラウルと会う機会はなかった。
しかし幼少期から公務に就いていたシルヴェスターは違う。
「はじめて会ったのは六年ほど前になるか……直轄領の港町でな。感情を表に出さないよう、徹底的に教育されたのもそのときだ」
当時のラウルは王位継承権第一位で、互いが次代の王と目されていた。
ハーランド王家としては、弱みを見せないよう心血を注いだという。
「ラウル殿下は気さくなお人柄だと聞いてますけど、その通りですの?」
「そうだな。こちらは無難な笑みを貼り付けているというのに、ラウルは構うことなくいつも陽気に話しかけてくる。表情を取り繕わない姿に自由だな、と思ったものだ」
今は、到底自由とは言えないが、とシルヴェスターは続ける。
「自然に懐へ入ってくる気質は、君と似ているかもしれない。快活に見せて、食えないと悟らせるところも含めてな」
語れたラウルの印象は、クラウディアが抱いているものと同じだった。
食えないと感じるのは、飄々としながらも目が理知的だからだろう。
人間性は変わっていないらしい。
「一つ忠告するなら、レステーア嬢との関係に気を配ったほうがいいだろう」
「どういうことですの?」
「君をダンスに誘ったときや、ダンス終わり、節々でラウルはレステーア嬢に視線をやっていた」
「反応を見ていたのかしら?」
それだけ聞くと、レステーアに気があるように思える。
嫉妬する素振りでも見せてくれたら、脈有りだ。
(だからルイーゼ様より、派手なわたくしが選ばれたの?)
女性が苦手なラウルにとって、レステーアほど付き合いやすい相手はいないだろう。
けれどシルヴェスターは首を横に振る。
「そのような雰囲気ではなかったな。小さな子どもを見守る親、とでも言えばいいか……例えるのが難しいが」
「わかりました、留意しておきます」
勘の鋭いシルヴェスターが気に留めるぐらいだ、何かあるのだろう。
試しに記憶を掘り起こしてみれば、娼婦時代、ラウルからレステーアの話を聞いたことがなかった。
(身近にあれだけ特徴的な人がいたら、普通は話題にのぼるわよね?)
レステーアには、男装の麗人という表現がぴったり当てはまる。
素性を知らないご令嬢なら、恋に落ちてしまうかもしれない。
(いえ、知っていても落ちそうね)
演劇の世界では、女性が男役を演じることもある。
そしてその俳優は、決まって女性客から支持された。
容姿が麗しいのもさることながら、女性の機微に聡いからだろうか。
(話されなかった理由が、失恋だったらいいのだけど)
ラウルには、良くなくても。
しかしシルヴェスターの反応を見る限り、そんな安穏とした理由ではなさそうだった。
窓から屋敷の外灯が見えたところで、クラウディアは大事なことを思いだす。
「シル、渡したいものがありますの……!」
今日は卒業パーティーということもあって、二人の時間が作れるかわからなかったけれど、念のために完成したハンカチを持ってきていた。
刺繍の図柄が見えるよう、リボンでラッピングされたハンカチを、シルヴェスターに手渡す。
「旅に出られると聞いて、用意しましたの。は、ハンカチなら何枚あっても困らないでしょう?」
ヘレンには太鼓判を押されたが、やっぱりまだ図柄に不安があった。
自信のなさが声音に出てしまう。
(どうしよう、直視できないわ……)
シルヴェスターなら、きっと喜んでくれる。
そう思いつつも、反応を見る勇気が出ない。
いったん下がった視線が上を向いたのは、シルヴェスターがお礼を言ってくれたからだった。
「ありがとう、大切にする」
「っ……」
見上げて、息が止まる。
心臓も止まったかもしれない。
微笑むシルヴェスターが、あまりにも可憐で、美しくて。
子どもがはじめて砂糖菓子を口にしたような、それでいて大人が芳醇なお酒を嗜むような、「好き」が溢れる表情に、束の間、目眩を覚える。
これほど純粋さと色香が合わさった喜びを、クラウディアは知らなかった。
ときめきで胸が苦しい。
「毎日欠かさず眺めよう」
言いながら、シルヴェスターは刺繍されたパンジーを撫でる。
その指使いは、髪を撫でる仕草を連想させた。
次いでハンカチを持ち上げて刺繍へ口付けられれば、クラウディアは全身が真っ赤になるのを自覚した。