06.悪役令嬢は兄を手玉に取る
クラウディアの返答に、ヴァージルは軽く眉根を寄せる。
母親の教えでは、使用人と親しくする必要はないとされるからだ。
主人として適切な距離を保てという考えはわかるけれど、同時に信頼関係を築くのも大事だとクラウディアは思う。
娼館では、使用人たちからも細かく客の情報を集めていた。
ときには彼らのアイディアに助けられたこともある。
クラウディアはやり直しの人生の中で、母親の教えを自分なりに昇華させることにした。
何より、公爵家で働く侍女たちは下級貴族の令嬢であることが多い。
特に若い子たちは行儀見習いとして奉公し、公爵家の推薦状を携えて就職や婚活をするからだ。
ヘレンの情報を集めるのに、彼女たちを活用しない手はなかった。
「マーサはあまりいい顔をしません。けれどわたくしと一番長く一緒にいるのは、彼女たちなのです」
言外にヴァージルがいないときは、侍女たちが寂しさを埋めてくれていると言えば、彼は強く出られない。
十六歳になったヴァージルは今年から学園に通い、帰宅するのは夕方だった。
傍にいると約束しておきながら、共に過ごす時間は大して増えていない。
罪悪感が刺激されたヴァージルは、クラウディアの予想通り、彼女の行動を否定できなかった。
けれど大切なのは、そこじゃない。
(考えればわかることだけど、マーサと公爵家古参の侍女たちは関係が微妙なのよね)
マーサは母親の実家から連れてこられて、公爵家の侍女長になった。
古くから公爵家に仕えている者からすれば、新参者が上司になったのだ。面白いわけがない。
父親の一存でクビにされたとばかり思っていたけれど、背景には他の使用人から突き上げがあったのかもしれなかった。
(マーサが上手く立ち回ってくれたらいいのだけど、そういうの得意じゃなさそうだし)
母親同様、厳格なだけのマーサには溜息をつきたくなる。
結果、そうと気付かれないように、クラウディアが助け船を出すしかなかった。
屋敷の雰囲気が変わってきているのも、クラウディアが使用人たちの不満を解消しようと動いているところが大きい。
(次期公爵であるお兄様に、自分たちの働きが認められていれば、彼女たちの溜飲も下がるでしょう)
だからクラウディアは、直接本人にではなく、本人の前でヴァージルに感謝していることを伝えた。
そのあとヴァージルの気分を持ち上げるのも忘れない。
「おかげでわたくしも色々と考える余裕ができましたの。新しく刺繍を習いたくなったのも、彼女たちに刺激を受けたからなのです。そうだわ、ハンカチに刺繍をしたら、お兄様は貰ってくださる?」
実のところは刺繍も娼館で嗜み、腕に覚えがあったから習うことにしたのだが。
「俺に? もちろん喜んで貰うぞ」
「やったっ、わたくし頑張りますね! ハンカチが手元にあったら、学園でもわたくしのことを思いだしてくださるでしょう?」
「ハンカチがなくても、いつも思っているさ。でも楽しみにしておく。お返しに俺もディーに何か贈ろう」
欲しいものを訊かれ、お兄様が選んでくれたものなら何でもいいと答えつつも、普段使いできるものなら嬉しいとヒントを出しておく。
妹のほうから繋がりを求められ、すっかり機嫌の良くなったヴァージルとお茶を楽しんでいると、珍しく慌てた様子の執事が顔を出した。
「どうした?」
「旦那様がお帰りになられます」
屋敷において「旦那様」と呼ばれる人物は一人しかいない。
(いつも屋敷のことは執事からの報告書だけで済ます人が、何の用かしら?)
母親の葬儀が終わってからも、父親の足は遠のいたままだった。
突然の帰宅に、クラウディアとヴァージルは顔を見合わせる。
「とりあえず、お出迎えしましょう」
「そうだな。あとどれくらいで着く?」
ヴァージルと執事のやり取りを聞きつつ、首を傾げる。
(まだ喪が明けていないから、愛人と妹を連れてきたわけではないでしょうし……)
ヴァージルにも思い当たる理由はないようで、二人は答えを出せないまま席を立った。