26.公爵家令息は前向きになれない
グラスターにある老舗のホテルが、広間を社交場として開放していた。
外観は、グレーの石造りで些か無骨だ。
けれど中に入った途端、鮮やかな赤絨毯に迎えられて印象が変わる。
内装には年代物の木材が重用され、暗褐色の落ち着いた雰囲気が場を引き締めていた。それでいて、さり気なく用意されているソファーが、老若男女共にほっと息をつける安らぎをもたらしている。
シルヴェスターが声をかけたのだが、リーグ戦の賑わいにあやかろうとホテル側のほうが乗り気だった。
利用は貴族に制限され、紹介があれば他国の貴族も参加できる。
とはいえ、フットボールのリーグ戦自体が国内向けなのもあり、わざわざ足を延ばして来る者は限られた。
その時々で寄りたい者が寄り、出入りが自由な分、気軽さがあった。
トリスタンは、ルイーゼを。
ヴァージルは、ヘレンをエスコートして、広間に入る。
ちらちらとした視線を感じながら、ヴァージルはヘレンにダンスを申し込んだ。
ダンスフロアで、手を取り合う。
「挨拶回りは、俺の知人からでいいか?」
「はい、よろしくお願いいたします」
今夜の目的は、ヘレンを紹介することだ。
社交界に美しい花が一輪、戻ってきたと。
広間へ視線を巡らせた先には、トーマス伯爵の姿もあった。伯爵家と付き合いが古い家の面々も揃っている。
どちらかと言えば、トーマス伯爵はフットボールに否定的な印象だったが、社交場の交流には余念がないようだ。
リンジー公爵家との対立関係を考えると紹介は躊躇われるものの、立場上、無視するわけにもいかなかった。
嫌みは聞き流すようヘレンに言い含めようと視線を戻したところで、動きの軽やかさに気付く。
「ダンスが上手いな。体の軸もブレない」
「ありがとうございます。クラウディア様と練習させていただきました」
勘も良いのだろう。
ヴァージルにとって、これほどスムーズにダンスできるのは、クラウディア以来だった。
「ダンスの相手が、ずっと君だったらいいのに」
「き、恐縮です」
本心だった。
決まったパートナーがいないため、パーティーに参加すると一定数は令嬢とダンスをしなければならない。
高確率で足を踏まれるので、重荷だった。
「皆、慣れているのに、何故か俺だけ足を踏まれる。怖がられているのだろう」
「多分、違うと思います」
「『氷の』と呼ばれるくらいだ。強面の自覚はある」
「『氷の貴公子』です。皆様、ヴァージル様に見蕩れて実力を発揮できていないんです」
きっぱりと断言されて面食らう。
ヘレンの目は真剣だ。
「そのように考えたことはなかった」
「この機会に、自覚をお持ちくださいませ」
ダンスが終わり、晴れやかな笑顔を向けられる。
眩しく感じるのは、彼女が着飾っているからだろうか。
見知った顔がいたので、ヘレンを紹介していく。
一段落したところで、ヘレンにダンスの申し込みがあった。
良く通る声を持つ、茶髪の青年が許可を求める。
「ブライアン、君も来ていたのか」
「はい、こまめに顔を出すようにはしているんですが、ヴァージル様とお会いするのは、はじめてですね」
ヘレンに否はなかったため、送り出す。
二人がダンスフロアに移動するのを眺めていると、先ほど挨拶したタリスが近寄ってきた。リーグ戦の運営メンバーであり、親友の一人だ。
「あんな綺麗な子、隠しておかなくて良かったのか?」
「それが彼女のためになるのか?」
クラウディアと色んな場所へ赴き、感情豊かに過ごしているのを知っている。
ヴァージルが答えると、タリスは溜息をついた。
「お前はそういう奴だよな。けど、さっきから顔が険しいぞ」
「不埒な輩を牽制しているだけだ」
ヘレンは際立つ曲線美を持っている。
今も鼻の下を伸ばして胸やお尻に視線を送っている輩がいて、睨み付けた。
「だから隠しておけと言ったんだ」
「お前こそ、美しい女性の存在が罪だと言うのか? この場合、社交の場で性欲を抑えられない男のほうを隠すべきだろう」
表に出せば、女性を不安にさせるだけだ。
「正論を突き返すなよ……こっちは、やっとお前に春が来たと思って揶揄ってるのに」
「相手が悪かったな」
「実際どうなんだ? 婚約者候補ではあるだろ?」
「考えたこともない」
「嘘だろ?」
自分のパートナーになるということは、公爵家に入るということだ。
(母上のような苦労を強いるわけにはいかない)
父親の所業あってのことでも、公爵夫人という立場には重責があった。
継母のリリスも四苦八苦している。
好感を持っている相手だからこそ、息のしやすい場所にいてほしいと思う。
(いや、違うな)
願っているのは事実だが、結局のところ自信がないのだ。
クラウディアのように器用な質ではない。
仕事に追われ、家庭を蔑ろにしないと言い切れなかった。
パートナーを不幸にするくらいなら、つくらないほうがいい。
末弟のアンジェロが生まれて、ヴァージルは肩の荷が少し軽くなったのを感じた。
自分が子どもを残さなくても、家は途絶えない。
独り身でも許された気がしたのだ。
断言したにもかかわらず、タリスが食い下がってくる。
「じゃあ何か? ヘレン嬢がダンスの相手と子どもをつくっても、お前は祝福できるのか?」
「当たり前だろう」
答えながら、眉間にシワが寄る。
ヘレンが誰かと家庭を築く光景を、想像したことがなかった。
「心臓の弱い奴がいたら、発作を起こす顔をしてるぞ」
「現実感がない」
「バカ、これが現実だ。余裕ぶってると、掻っ攫われるからな」
そう言われても、どうすればいいのか。
(ブライアン以外なら? いや、もっとないな)
どれだけ思案していたのか。
気付いたら、目の前にヘレンがいた。
眉尻を下げ、心配そうにこちらを見上げている。
「ヴァージル様、お加減が優れませんか?」
「いや、解決の糸口が見えない問題に直面しただけだ」
タリスは呆れた表情を隠さなかった。
「どうも俺の友人は頭が固いらしい。ヘレン嬢、悪いが気長に待ってやってくれ」
「はい……?」
急に話を振られても困るだろうに。
余計なことをするなと睨むと、バーカと吐き捨てられた。
「すまない、あいつの言ったことは気にしないでくれ」
「はい。ですが、待つことがあるなら、待ちますよ?」
「大丈夫だ。この場で出せる答えじゃない」
ヘレンを安心させるためにも、眉間を揉み、肩から力を抜く。
「ブライアンとは、もういいのか?」
「話す機会は、いくらでもありますから」
今、この時間に限る必要はないという。
改めて、ヘレンを見る。
ダンスのあとだからか、来たときより血色が良くなっていた。
淡く色付く頬に、潤う唇。
彼女の色んな表情を知っているのに、最近はどれも新鮮に感じる。
ヴァージルにとって、ヘレンは頼りになる女性だった。
クラウディアの傍にいてくれるだけで、心強い。
(それ以上を望む権利が、俺にあるのだろうか)
こんな不器用な自分に。
(俺は、ヘレンを――)
守りたい。
その気持ちだけは、揺るがなかった。




