03.悪役令嬢は逆行する
「やっぱり神様なんていないのよ」
「クラウディア様、心痛お察ししますが、公爵令嬢ともあろう方が不信心なことを言ってはなりません」
(うるさいわねっ、どうせ「元」公爵令嬢よ!)
昔の話を持ち出され、声のしたほうをキッと睨みつける。
そこに懐かしい顔を見たクラウディアは、愕然とした。
「どうして……あなたがいるの」
「明日は朝が早いというのに、クラウディア様が寝付いてくれないとお付きの侍女から泣きつかれたのです」
灰色の髪をきっちりまとめた侍女長は、最後に見たときより若返ってすらいる。
(え、どこの商会の化粧品? って、そうじゃなくて)
「あなた、お父様が愛人を連れてきたときに、クビにされたじゃない」
窓辺に立つクラウディアを、能面顔でベッドへ促していた侍女長は、そこではじめて表情を険しくした。
「誰からお聞きになったのか存じませんが、そのような事実はありません。それに連れ合いを亡くしたあと、一年は喪に服すのが貴族の慣習です」
(そう、だからお父様は、お母様の葬儀からきっちり一年後に、愛人とフェルミナを屋敷に連れてくるのよ)
当時は、愛人だけじゃなく、同い年の妹を作っていた父親を心底軽蔑した。
こともあろうに父親は、クラウディアや兄のヴァージルには向けなかった愛情を、愛人とフェルミナには惜しげもなく注いでいたのだ。
思いだしただけでも腹が立つ。
「さぁ、明日は弔問客がたくさんおいでになります。お辛いでしょうが、クラウディア様もヴァージル様と一緒に出迎えねばなりませんよ」
そこでようやく、クラウディアは自分が侍女長を見上げていることに気付いた。
彼女が屋敷を辞するときには、背が追いついていたはずなのに。
信じられない気持ちを抱え、言われるままにクラウディアはベッドに入る。
「ねぇ、マーサ……わたくし、何歳だったかしら?」
訝しげな表情を作りながらも、侍女長のマーサは断言する。
「十四歳でございます」
「……お母様は亡くなったのね」
「流行病でございました。ホットミルクをお持ちしますか?」
「いいえ、一人にしてちょうだい。明日は、ちゃんと起きるから」
頭を下げ、部屋を出るマーサを見送る。
ベッドの上から見える景色は、間違いなく公爵家にある自室のものだ。
(どういうこと? わたくしはヘレンのお葬式に出て――)
雨の中、墓石にすがりついて泣いた。
(それから体調を崩して……あぁ、そうだわ)
ちょうど体が弱っているときに、病にかかった。
いわゆる娼婦がかかるものではなかったけれど、接客業であるため、流行り病には晒されやすい。
(わたくし、お母様と同じ死因で死んだのね)
最期は誰にも看取られず一人だった。
病がうつることを危惧したクラウディアが、人を寄せ付けなかったからだ。
十四歳の頃亡くなった母親と同じように。
(お母様も一人で旅立たれたのだわ。どれほど心細かったことかしら)
少なくともクラウディアはとても寂しかった。
高級な家具も煌びやかな宝石も、彼女の心を一切慰めてはくれなかったから。
(……きまぐれな神様はいたっていうこと?)
何故死んで、十四歳に戻っているのか。
(どうせならお母様が生きてる頃に戻して欲しかったわ。前のわたくしは、お母様のことが大嫌いだったけど)
母親はとにかく厳しくクラウディアを躾けた。
侍女長のマーサも同様で、幼いクラウディアは二人から嫌われているのだと信じて疑わなかった。
実際は逆だったのだと、今ならわかる。
愛の反対は無関心。
本当に嫌われていたら、教育も家庭教師に丸投げして関わらなかったはずだ。
母親はクラウディアが他の令嬢から侮られないよう、完璧を求めただけだった。
父親の愛人と妹の存在に、足を引っ張られないように。
(マーサの反応を見る限り、きっとお母様も愛人のことは知っていたのね)
男性貴族が愛人を持つことは珍しくない。
女性が一人で生きていくには厳しい社会で、余裕のある者が愛人という形で後見人になるのはステータスでもあるからだ。この場合、相手は夫を亡くして生活に困っている未亡人が多い。
クラウディアの父親は、単に恋愛に耽った結果なので、これに当てはまらないが。
マナーや教養は女の武器になる。
母親とマーサは、それを教えようとしていただけだった。
ヘレンをはじめとした先輩娼婦たちのように。
(お母様、今度こそわたくしは間違えません。お母様の愛に応え、やり直してみせます)
目を閉じ、胸の上で手を組む。
未だ病床で、都合の良い夢を見ているだけかもしれないと思いながらも、決意を固めた。
(この年、まだヘレンは娼館で働いていないはず。何としてでも、娼館行きは阻止するのよ。そしてフェルミナ……彼女のいいようにはさせないわ)
無知で愚かだった幼いクラウディアはもういない。
ここにいるのは、娼館で人生を積んだ大人のクラウディアだ。
しかし体と精神は別で、癇癪を起こしていた子どものクラウディアは、気持ちが落ち着くなりすぐに寝入った。