06.悪役令嬢は助けられる
元よりリンジー公爵家が黙っていない。
周囲に秘匿した上での護送。
(けど、わたくしの不在が発覚すればバレてしまうわ。護送前は困るけれど、護送後であればいいってこと……?)
ナイジェルに観察されながら、クラウディアは必死に考える。
前後で何が変わるのか。
頭を過ったのは、聖女となったフェルミナだった。
(もし……もし、聖女様が民衆の前で、わたくしの護送を公表したら)
おあつらえ向きに、聖女祭のために舞台は整えられている。
護送前なら、教会ではなく王家やリンジー公爵家が護送しようと介入する。
護送後であれば、教会に任せようと民心は動く。既に教会の手の内にあるのだ。何も心配はないし、あとは異端審問で結果が出る。
そこで、婚約者であるシルヴェスターや、リンジー公爵家が護送を止めようとすれば、どうして邪魔するのかと不信感を招くだろう。嫌疑が晴れても、権力によって覆されたと疑われ続けるのではないか。
民衆を味方につけるため、周知されるのは護送後である必要があった。
こうなれば事前に根回しされなかったギーク枢機卿も、表立って非難できない。
まだ望みはあると思った矢先の厳しい現実に、クラウディアは天を仰ぎたくなる。
(よく練られているわ)
簡単には覆せない状況だった。
ナイジェルの余裕も頷ける。
無情にも馬車は進み続け、振動の大きさから王都の中心部を出たのがわかった。
石畳から土の路面へ移ったのだ。
(もう郊外へ出たというの)
あっという間に時間が過ぎていく。
同時に移動距離も長くなり、落ち着こうと思っても焦りが募った。
(このまま教会本部へ行くしかないのかしら)
だが到着すれば、すぐに異端審問が開かれ、魔女の汚名を着せられるだろう。最悪、極刑となれば、身の安全はない。
(異端審問も、ナイジェルの独壇場でしょうし)
ハーランド国内であれば、王家やリンジー公爵家も口出しできる。
だが教会本部は、他国扱いだ。
内部で動くためには協力者が必要だった。
何の準備もなくナイジェルの本拠地ともいえる場所へ行けば、助かる手段はないに等しい。
(どうにかして時間を稼ぐ必要があるわ)
表立って動けなくとも、シルヴェスターやヴァージルが静観しているはずがない。
目を閉じ、愛しい顔を思い浮かべる。
今朝、話をしたのが嘘のようだった。
彼らが対策を練るためには、時間が必要だ。
さすがに休みなく移動を続けるには無理がある。人以上に、馬が疲れてしまうからだ。
馬車が停まったタイミングを見計らって行動を起こす。
ナイジェルも予想しているだろうし、策は全くないけれど、じっとしているという選択だけは奈落へ通じていた。
(……何かしら?)
覚悟を決めたときだった。
馬車の外が騒がしくなった気がして、窓へ視線を向ける。
相変わらずカーテンは閉められたままだったが、ナイジェルも同様に顔を動かしていた。
第三者の声は聞こえないので、襲撃があったわけではなさそうだ。
更に様子を探ろうと聞こえる音に集中する。
――ガッ!
という音と共に、視界が揺れた。
「きゃあ!?」
体が大きく跳ね、馬が嘶く。
重心が傾き、振り回されるようにしてクラウディアは壁へ体を押し付けた。
その拍子に肩や背中を強く打つ。
視界の端で、ナイジェルも揺さぶられていた。
道の悪さが原因でないことだけは明らかだ。
衝撃が過ぎ去るのを、ただただ耐える。
馬車が静止し、外から声がかけられる。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、何があった?」
状況を確認するため、ナイジェルがドアを開く。
人影が見えた瞬間――。
ぐっ、と声を漏らして、ナイジェルが体勢を崩した。
そのまま動かなくなる。
何事かと、身構えるクラウディアの瞳に映ったのは、逆光で輝く長い金髪だった。
「ルキ……?」
「よう、姉御! 無事か?」
犯罪ギルド「ローズガーデン」の構成員であるルキが、ニッと笑みを見せる。
端整な顔に浮かぶイタズラっ子の表情に、目頭が熱くなった。
咄嗟に奥歯を噛みしめて耐える。
まだ安心するのは早い。
すぐ傍で倒れているナイジェルの姿が、気を引き締めさせた。
(聖女様に断罪されたのは事実だもの)
馬車から脱出しながら、ことの顛末を聞く。
「なんか教会がお祭り騒ぎなのが、気に入らなくてよ。ちょっとイタズラしてやろうと思って、裏で潜んでたんだ。そしたら聖女様は来るわ、姉御と一悶着は起きるわで驚いたのなんのって」
元は、一番豪華な教会の馬車に細工する予定だったという。
様子がおかしいと察したルキは、急ぎベゼルに連絡を入れ、聖女がクラウディアを断罪している隙に、標的を護送用の馬車に変えた。
「いやぁ、上手い具合に人目のないところで車輪が外れたな。自分の腕の良さにびっくりだぜ」
「随行していた騎士がいたはずだけど」
少人数ながらも馬車を守っていた。
騎士たちはどうしたのかと辺りを見回す。
まず、乗り手のいない二頭の馬が目に入った。馬が頭を下げている先で、倒れている騎士を発見する。御者も昏倒し、体を傾けていた。
(これを全部一人でやったの?)
視線に気付いたルキが応える。
「殺してはねぇよ。事故死ならともかく、殺人だと、あとがダルそうだからな」
護送中の馬車であったのを鑑みてくれたようだ。
両手を縛っていた縄をナイフで手際良く切られる。
「さて、これからどうする?」
「ナイジェルを含めて、倒れた人たちを近くの教会施設へ届けたいわ」
「は? そんなもん放置でいいだろ。つーか、よ」
低い声が聞こえた次の瞬間には、ルキがナイジェルの喉にナイフをあてがっていた。
彼はナイジェルの変装を看破していたのだ。
「むしろ、ここで息の根を止めるべきじゃね?」
空気がヒリつき、グレーの瞳から光が消えるのを見たクラウディアは息を詰める。
ローズガーデンに名前を変える前の組織時代、ルキはナイジェルに辛酸をなめさせられた。亡くなった構成員もいると聞く。
仇を討ちたいのは当然だ。
それでもルキは、すんでのところで留まってくれていた。
話を聞いてくれる姿勢に望みをかける。
「わたくしも、この判断が正しいのか自信はないわ」
シルヴェスターなら、別の答えを出したかもしれない。
だがクラウディアは、倒れたナイジェルを見て、ここで死ぬのではなく、生きてほしいと思う。
「単に心が弱くて、『死』というものから目を背けたいだけかもしれない。それでも、やっぱりナイジェルは裁かれた上で、罪を償うべきではないかしら」
社会の法に照らし合わせて、断罪する。
私刑ではなく、法に則る。
長い間、人はそうして社会を守り、信仰の土台を築いてきた。
(それを最も理解しているのがナイジェルのはずなのに、何故彼は堂々と人の道から逸れられるの)
ルキに響く言葉を選んで説得する。
「簡単に殺すのではなく、生かして苦痛を味わわせるのはどう? 異端審問にかけられるべきはナイジェルのほうよ。枢機卿にまで上り詰めた彼が、修道者であることを否定される。これほど屈辱的なことはないのではなくて?」
「……やられそうになってることを、そのままやり返すのか」
何とか理解しようと、ルキは苦々しい表情を浮かべながら答える。
彼にとっては殺すほうが簡単だし、ナイジェルがいなくなるだけで気が楽だ。
(酷なことを言っているわね)
あくまでクラウディアの事情を押し付けているに過ぎない。
しばらく眉根を寄せていたルキは、一つ頷くとナイフを離してくれた。
「なら、必ず裁くって約束してくれ」
「今回の件がなくても、元よりそのつもりよ」
「おう。あとの難しい話はそっちに任せるぜ」
ガシガシと頭を掻きながら、フード付きのマントを手渡される。
深緑色の厚手の生地は、年季が入り汚れていた。
「とりあえずこれを着とけば、旅行者に見えるだろ」
「ありがとう、助かるわ」
いつもの軽薄な表情が見られて、ほっと息をつく。
早速受け取ったマントを身に着け、フードを被った。
その様子をじっと観察されて、首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや、抵抗なく着るなぁって。普通、嫌だろ、そんな汚いやつ」
「わたくしのことを考えて渡してくれたのでしょう? くたびれてはいるけど、生理的に着られないほどではないわ」
糞尿で汚れていたり、虫が湧いていれば、さすがに戸惑った。
汚れは、長く愛用しているが故のシミがほとんどで、肌に触れる裏面は清潔に保たれている。
「姉御のそういうところ、面倒がなくて助かるぜ。んじゃ、近くの町まで引き返すか」
「ここって、どの辺りなの?」
「王都南東の郊外だな」
教会本部までの最短距離を進んでいたらしい。
話しながら、ルキは馬車に騎士と御者を詰め込んでいく。
あとは馬車に標準装備されている器具を使い、細工した車輪を直せば、出発だ。
御者台にルキが座り、クラウディアは余った馬に乗って付いていく。
「町に着いたら、国外追放中のナイジェルがいることを喧伝して頂戴」
「任された!」
ノリス司祭ではなく、ナイジェルとして扱われれば、意識を取り戻したあとも自由には動けないだろう。
(このまま時間を稼ぎたいところだわ)
驚きの連続だが、今は勢いに任せた。
「こいつらを預けたあとはどうする?」
「大回りで、港町にあるローズガーデンの拠点を目指すわ」
「屋敷に戻らないのか?」
「戻りたい気持ちはあるけれど……状況がわからないもの」
クラウディアの予想どおり、フェルミナが高らかに魔女裁判や護送を公表していれば、どういう扱いになるか読めない。
家が匿ってくれた結果、リンジー公爵家の地位が脅かされる可能性だってある。
大衆の意思は、それだけ強い。
(フェルミナはどこまで理解しているのかしら)
前から聖女の言葉には、煽動の兆しがあった。
民心を利用できる立場にあっても、生まれたうねりを制御しきれるとは限らないというのに。
だから誰もが統治に頭を悩ませる。
ちゃんと悪い面も理解した上で言葉を発しているのか疑問だ。
「信仰ってのは厄介だな」
ルキがしみじみと言葉を漏らす。
分け隔てなく人々の心に根付いているからこそ救いになるのだが、悪用されれば、一つの塊として扱いやすくもあった。
(わたくしが魔女だと、もう植え付けられているかしら)
シルヴェスターにヴァージル、ヘレンと顔が次々に浮かぶ。
クラウディアが魔女でないことはわかってくれるだろうが、信仰心から一瞬でも不快感を覚えるかもしれない。
一度穢れを感じてしまうと、どれだけ消そうとしても消えないものだ。
心がどう動くかは、本人にも予測できない。
そう考えると、顔を合わせるのに一抹の不安がよぎる。
町に着いたあとはルキに任せ、クラウディアは離れた場所で待機していた。
迷いに迷いながら、一仕事終えたルキに、クラウディアは告げた。
「先に言ったとおり、ローズガーデンの拠点を目指すわ」
屋敷へ戻り、下手に身動きが取れなくなるよりも、自由に行動できるほうを選んだのだ。