22.修道者は聖女になる
季節は本格的な寒さに突入しようとしていたが、今日はぽかぽかとした陽気に包まれていた。
手をかざして日差しを遮りながら、雲一つない青空を見上げる。
「炊き出し日和ね」
「うん、本当に! まるでシスターを祝福してるみたい」
「さすがに言い過ぎよ」
キラキラと目を輝かせるのは炊き出し好きの赤毛のシスターだ。最近ではほとんどの時間を一緒に過ごしていた。浮浪者の少年を助けてから、より一層、懐かれた気がする。
炊き出しの仕込みが終わる頃には、体が汗ばんでいた。
大勢の食事を用意するのは、相変わらず重労働だ。
修道院の門が開かれ、シスターたちが姿を見せると歓声が上がる。
「な、何事?」
はじめての経験だった。
あちらこちらで「聖女」という単語が聞こえる。
赤毛のシスターが耳打ちした。
「皆、シスターを見てるよ」
集中する視線にたじろぐものの、町へ出たときの忌避感はなかった。
面白半分で向けられたものではなかったからだ。
だがいかんせん、いつにも増して人が多い。
「炊き出しをおこなうので、必要な人は整列してください!」
中には身なりの良い者もいてどうすればいいのか迷う。
炊き出しは、できるだけ食に困っている人へ届けたかった。
「とりあえず、あなたは食事を提供することに専念なさい」
「はい」
動揺を見透かされたのか、先輩シスターから指示が飛ぶ。
少年を庇った一件では、修道院へ帰ってから厳しく注意されたものの、彼女の態度も幾分軟化していた。
(少しは認められたってことよね)
嬉しくて、ついニヤけそうになる。
ずっと変わらない陰鬱とした日々が続くと思っていた。修道院は牢獄でしかないと。
けれど自分の行動で、これだけの変化が起きるのだ。
集まった人々の笑顔が証拠だった。
(わたし、難しく考え過ぎていたんだわ)
凝り固まった思考を解せば、案外答えは簡単だった。
偏った知識から、遠回りをしていた。すぐ目の前にある答えに気付けていなかった。
人は万能ではない。
むしろ、とても弱い生きものだ。
だからこそ、手を取り、助け合って生きていかなければならない。
できないことを乗り越えていくのも大事だけれど、まずはできることから。
何も考えず動かした体で、一人の少年が救えた。結果、周囲の人も賛同してくれた。
あの体験は、複雑に絡みつく茨から抜け出し、自分の世界を広げるきっかけになった。
自由には代償が伴い、制約は守護にもなる。
そして限られた中でも、できることがある。手の届く範囲で良い。無理に手を伸ばす必要はないのだと知れた。
「聖女様、今日もありがとうございます」
老人に手を握られても、不快さはなかった。
大きく心が変化したことに自分でも驚く。
(考え方一つで、ここまで違うものなのね)
笑顔を返し、次の人へ食事を提供する。
いつもは時間をかける老人も、人の多さからか長居はしなかった。
「聖女様、あなたが心の励みです」
赤毛のシスターが言っていた通り、皆、自分に会いに来ていた。
聖女という呼び名は慣れないけれど、すっかり浸透してしまっていた。
照れくささに頬が紅潮する。
考え方に間違いはないと、答えを貰っているようだった。
自分こそ、人々の言葉に励まされる。
賞賛は、炊き出しが終わるまで続いた。
◆◆◆◆◆◆
今日も疲れる一日だった。
しかし疲労感と共に、充足感が体を満たしていた。
(やり甲斐って、こういうことを言うのね)
憩いの場として使われている広間で、んー、と伸びをしていると、赤毛のシスターが肩を揉んでくれる。
「お疲れ様」
「そんなことしなくていいのに」
「わたしがしたいからいいの。今日は人が多くて大変だったでしょ?」
「あなたも一緒に対応してたじゃない」
「わたしは補佐をしていただけだもの」
聖女に一目会いたいと、炊き出しに関係なく集まっている人も多く、結局途中から挨拶専用の列が設けられた。
バタバタと段取りが悪かったのは大目に見てもらいたい。何せ、修道院としてもはじめてのことだったのだ。
「寄付もたくさん集まって司祭様が喜んでたよ」
「何よりだわ」
先輩シスターが身近過ぎて存在が薄いけれど、この修道院にも司祭はいる。
財務状況が芳しくない当院にとって、今日の混雑は嬉しい悲鳴だったようだ。
「でも、この広間のそわそわ感は、炊き出しと関係ないわよね」
「そりゃあ皆、このときを待ちわびているからね!」
定期便が届く予定があった。
いつもより到着が遅れているのもあって、船便――家族からの手紙――を待っている者は特に落ち着かなくなっている。
先輩シスターの目があるので、表面上は取り繕っているものの、広間に満ちる雰囲気は肌で感じ取れた。
「何かあったのかな? 事故じゃないといいけど」
「ないのを祈るしかないわ」
そっと手を組み、目を閉じる。
マッサージしてくれていたシスターもそれに倣い、祈りは静かに伝播していった。
(ここまで皆がわたしに賛同してくれるなんて)
自分の影響力に内心驚くと同時に、心が満たされていくのを感じる。
ふふっと笑いが漏れそうだった。
ほどなくして船便の到着が報せられると、広間は歓喜に湧いた。
「静かに!」
いつも視界にいる先輩シスターが、キッと目尻を吊り上げる。
しかし、それも船場で待機していたシスターが戻って来るまでだった。
珍しく狼狽えた表情を見せたことで、誰もが首を傾げる。
シスターは、すぐに先輩シスターと相談する。
様子を窺っていると、こほん、と居住まいを正した先輩シスターと目が合った。
「あなた、それとあなた……他にも何人か必要ね。二人でペアになって付いてきなさい」
何事だろうかと、隣にいた赤毛のシスターと顔を見合わす。
遅れると叱責が飛んで来るため、疑問は一旦横に置いて、先輩シスターのあとに続いた。
◆◆◆◆◆◆
広間を出て、向かった先は応接室だった。
他の子たちは荷物を運ぶため、先輩シスターへ付いていく。どうやらいつも以上に、支援物が多いらしい。赤毛のシスターもそちらへ加わる。
なぜ一人残されたのだろうと訝しみながら、先輩シスターと二人で応接室へ入った。
中には、身なりの良い男性がいた。
短い黒髪には清潔感がある。三十代後半ぐらいだろうか。見たことのない顔だった。
いつも定期便で手紙や物資を持って来てくれるのは、船乗りの肌が焼けたおじさんだ。
修道者であることは、服装から察せられる。
地位が高いらしく、先輩シスターが深くお辞儀するのに倣う。
着席を促され、テーブルを挟んで対面した。
「急に悪いね、船の到着を遅らせてしまった」
「無事に到着されて、何よりです」
船が遅れたのは、男性と追加の物資があったからのようだ。
先輩シスターの表情は固い。彼女にとって男性の来訪は喜ばしくないらしい。
支援物資が増えるのは良いことよね? と内心、首を傾げる。
理由はすぐに知れた。
「うむ、彼女が噂のシスターかな?」
「さようです」
男性がにこりとこちらを見る。
「君の噂が本土まで届いていてね。ぜひ会ってみたいと思ったんだ」
いつの間に、という気持ちでいっぱいだった。
でも考えてみれば、少年を助けてから既に何回か船便は届いている。どこかで話が伝わっていてもおかしくはない。
「少年を助けたこと、またそのときの訴えにも心響くものがあった。島民たちが絶賛するわけだね」
「恐縮です……」
「ああ、いきなり知らない人間が来て驚かせてしまったかな。これでも君にとって良い報せを持って来たんだよ」
男性はちらりと先輩シスターへ視線を送ったあと、聖女祭なるものが開催されることを話した。
教会では候補者が上げられ、誰を聖女に認定するか選考中だと。
「私は君を推薦したいと思っているんだ」
「わたしですか?」
「そうだ、君は既に島民から聖女と呼ばれている。この機会に、教会が認める正真正銘の聖女になってみないかい?」
突然の申し出に上手く頭が回らない。
聖女祭という祭りも初耳だった。
「わたしなんかが、恐れ多いです」
「もっと多くの人に君の考えを伝えたいとは思わないかな?」
「それは……」
少年を助けたときのことを思いだす。
最初は面白がっていた野次馬が、意識を改めてくれたことを。
人々の言葉に、自分も励まされたことを。
「私も罪は貧しい環境にこそあると考えている。君さえよければ活動を共にしたい」
島内でできることは限られる。
もし、本土の人たちにも貧しい人たちの現状を知ってもらえたら。
もっと多くの人が自分の言葉に耳を傾けてくれたら、とその光景を想像する。
心動かされないといえば、嘘だった。
一度深呼吸をし、答えを決める。
「わたしは、まだこの島で学ぶべきことがあります」
背筋を伸ばして断ると、隣で座っていた先輩シスターの肩から力が抜けた。
急な引き抜きに、柄にもなく緊張していたらしい。
彼女にしてみれば、自分が手元から離れると困るのだろう。
いつも視界に先輩シスターがいるのには理由がある。そのくらい、長年生活を共にしていればわかることだった。
(まるで問題児扱いよね)
最近では先輩シスターの手を煩わせることもなくなっているというのに。町で少年を庇った件では指示に抗ったものの、長らくなかったことだ。
男性は頷きながらも、しぶとさを見せる。それでいて溌剌とした笑顔が印象的だった。
「今晩はこちらでお世話になる予定だ。気が変わったら、いつでも言ってくれ」
「はい、ご配慮ありがとうございます」
話が終わり、先輩シスターを残して辞す。
その足で、荷物運びを手伝うべく船着き場へ向かった。




