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25.悪役令嬢は打って出る

 クラウディアが単にやられるだけでないのはお茶会でも示したはずだが、修道院に出た幽霊の件で、精神的に追い込まれていると考えているかもしれない。

 入居日に幽霊を見たことは、当然、夫人にも伝わっている。

 けれど、その背景にあった悲恋までは知らず、解決を見せたことまでは把握できていない。司祭が語ったことは、あの場限りの話だった。


 何にせよ、パトリック夫人とクラウディアの考えは大きく変わらないだろう。

 一つ、起点となる楔を打ち込むために刺繍の会は開催され、クラウディアはそれを逆手に取ろうと参加したのだから。

 アンセル男爵夫人をそろりと見上げる。

 悲しみに耐える空気を作ったおかげで、場の主導権はまだクラウディアにあった。


「アンセル男爵夫人も紅茶を台無しにされて、さぞお心を痛めておられると存知ます」


 指摘に、男爵夫人はハッと表情を替えた。

 クラウディアが言っているのは、自分が飲む紅茶がなくなったことを指しているのではないと気付いたのだ。空になったカップはいつでも補充できる。

 普通の人は、他者へ危害を加えることに慣れていない。

 仲間がいればハードルは下がるとしても、自分が手を汚すとなると少なからず躊躇する。

 クラウディアが事前に情報を集めた限り、アンセル男爵夫人は普通の人だった。

 男爵家に嫁いで十年。

 女主人としての役割に慣れ、社交界の勝手もわかり、行動的になる頃合いだ。

 歳も三十代とまだ若い。意欲は十分にある。

 使用人からの評判も良く、周囲に対し攻撃的な人柄ではなかった。

 加えて。

 男爵家が持つ小さな領地での唯一の特産品が、紅茶だった。


(もしかしたら紅茶をかけることが、踏み絵なのかもしれないわね)


 アンセル男爵夫人は、まだパトリック夫人の取り巻きに過ぎない。

 信頼を得て、侯爵家と商談の機会を持つために汚れ役を引き受けた可能性は大いにある。

 刺繍の会で出された紅茶が男爵家のものかまでは、クラウディアとてわからないけれど。


(男爵夫人は「紅茶」が台無しにされるのを見たわ)


 しかも自分の手で。

 今回の紅茶が男爵家のものでなかったとしても、いつか丹精込めて育てた茶葉が、同じように扱われるかもしれないと、彼女は知った。

 パトリック夫人も承知の上で、彼女に男爵家の立場をわからせている。


(パトリック夫人にとっては、使い捨ての駒に過ぎないということ)


 これでアンセル男爵夫人が離れても、痛くもかゆくもないのだ。

 既に行動は起こされた。

 汚れ仕事をしたアンセル男爵夫人は、何が何でも見返りを得ようとするだろう。

 そこにつけ込む。


「わたくしの侍女を呼んでいただけますか?」


 クラウディアの言葉に、すぐさまパトリック夫人が反応する。

 望む流れがきたと判断したのだろう。


「あら、お帰りになるのかしら。折角の刺繍が台無しになって、わたしも残念だわ」


 誰でもない、パトリック夫人が台無しにしたことは全員がわかっていた。

 大人しく引き下がったクラウディアに、眉尻を落としながらもパトリック夫人は、内心満足しているだろうことも。


「わたしにできることがあれば、何でも相談してちょうだいね」


 ヘレンが姿を現したことで、見送る態勢に入る。

 けれどパトリック夫人の予想に反して、クラウディアは腰を浮かさなかった。


「ヘレン、すぐにシミ抜きをお願いするわ」

「かしこまりました」

「パトリック夫人、洗濯場をお借りできるでしょうか?」

「え? ええ、ご案内してあげて」


 嫌だとは言えず、たどたどしくパトリック夫人は使用人へ告げる。

 戸惑いを隠せない夫人に、クラウディアは明るい笑顔を向けた。


「ありがとうございます、紅茶のシミは水溶性なので、対処が早ければ早いほどシミ抜きしやすいらしいのです」


 刺繍に使われたリネン生地も、毛糸も洗濯には不向きだ。

 けれどリネン生地は水に強く汚れにくいため、紅茶も大して染み込んでいなかった。

 問題は毛糸部分だが、ヘレンには洗濯ではなくシミ抜きをお願いした。彼女なら上手くやってくれると信じている。


(仮にシミが残っても、がっかりするのはわたくしではなく、毛糸を卸した人でしょう)


 これで何の問題もありませんわ、と声を弾ませる。


「アンセル男爵夫人もお気になさらないでください。パトリック夫人に見ていただいたあとで良かったですわ」


 技量を示し、期待にも応えた。

 その事実は変わらないことを明らかにする。

 自分は無能ではなく、トラブルが起きても、前を向ける強さがあることを。

 続けて、しっかり周りに聞こえるよう独白する。


「とはいえ、サンプルには向かなくなったかしら? 美しい刺繍糸をご用意いただいたので、ちょうど良いと思ったのですけれど」

「サンプルですか?」


 反応したのは、刺繍糸をはじめウール製品を特産にしているローレンス伯爵家の夫人だ。

 彼女は友人枠の末席に座っていた。

 刺繍の会の用品を彼女が手配したなら、アンセル男爵夫人と同じく良い気分ではないだろう。

 クラウディアを追い込むためとはいえ、領地の特産品をダメにされたのだから。

 アンセル男爵夫人にしろ、ローレンス伯爵夫人にしろ、パトリック夫人の中で優先度が低いのは自明の理だった。


「ええ、皆様もご存じの通り、わたくしはアラカネル連合王国に商館を持っているのですけれど、最近品薄が続いておりまして」


 クラウディアが管理している商館であるため、もちろん売っている品はリンジー公爵家の特産品だ。

 しかし教会との件で評判になった結果、連合王国全土から注文が殺到し、現実問題として品薄になっていた。


「このままでは商機を逃してしまうと、対策を考えておりましたの。そこで我が領地の特産品だけでなく、ハーランド王国の名品も取り扱うのもどうかと検討しているところなのです」


 品薄になったおかげで、リンジー公爵家の特産品はプレミアがついている。

 今なら他領の特産品を扱っても差別化が図れた。


「刺繍の会で用意された品を見て、これだと思ったのです。出していただいた紅茶といい、さすがパトリック夫人が取り扱われる品々は格が違いますわ」


 もし上手く話がまとまれば、夫人に紹介を頼む予定だったことも告げる。

 考えれば考えるほど、残念だと。


「でもシミが綺麗に抜けたら、それも商品の強みになるかしら?」

「ええ、おっしゃる通り、強みになりますわ! シミ抜き後、わたしにも確認させていただけますかしら?」


 すかさずローレンス伯爵夫人は食い付いてくる。言葉を聞く限り、刺繍の会で使用されたのは、彼女の家のもので間違いなかった。

 アンセル男爵夫人も話に入れないかと落ち着きをなくす。

 二人だけじゃない。

 クラウディアの商館の評判が伝わっているのだろう、アラカネル連合王国と近い北部に領地を持つ夫人たちも、会話の糸口を掴もうと目配せをはじめていた。


(王族派は、領地持ちが多いものね)


 王妃の生家であるサンセット侯爵家は言わずもがな王族派だ。

 パトリック夫人の周囲にいる貴族も領地をもち、それぞれ特産品を有していた。

 そして夫人自身も友好を示すために買い付け、お茶会や刺繍の会などといったイベントで使っている。

 お茶会のようにパトリック夫人の友人しかいない場なら、誰も話に乗らなかっただろう。

 けれど、刺繍の会には友人や取り巻き以外の日和見勢がいた。

 これは条件さえ揃えば、クラウディアに限らず第三者も主導権を握れることを意味する。

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