22.悪役令嬢は古城を仰ぐ
司祭の悲痛な訴えに、クラウディアは答えられない。
――ああ。
自由には、なれなかった。
クラウディアが願った幸せな未来は、青年に、クリスティアンには訪れなかった。
楽しそうに恋人との馴れ初めを語る、美しい青年の姿が脳裏に蘇る。
劇場で出会った、名も知らない青年がクリスティアンと重なった。
春を届けるような笑顔を浮かべる人だった。
緩められた目尻が愛くるしい人だった。
だからクラウディアは願った。
人の良さそうな青年と身分違いの恋人に、よき道が示されることを。
この人となら生きていけると、心を救われた青年が報われるように。
けれど叶わなかったことを、今、知った。
とっくの昔に、彼は悲劇に見舞われていたのだ。
本来なら出会うはずもない人。
あり得ない話だけれど、司祭の語るクリスティアンが、劇場で会った青年その人に思えてならない。
ローブをたぐり寄せ、司祭が目元を拭う。
「クリスティアン様の死をきっかけに、私は修道者になりました。どこかに救いを求めなければ、私自身がダメになってしまいそうだったのです」
後日、クリスティアンの両親に不幸が訪れたのを知った。
一部の親戚も相次いで亡くなり、分家の事情を知る者は、クリスティアンに呪い殺されたのだと噂した。
「不幸が続いたのは、今でも単なる偶然だと私は思っています。どれだけ酷い目に遭っても、クリスティアン様は人を呪うような方ではありませんでしたから」
ただクリスティアンの無念を思うと、心苦しかった。
「城が壊されることが決まり、このまま忘れ去られてしまうのかと、なかったことにされるのかと思うと、いてもたってもいられなくなり……」
怪談で評判だったミラージュの元を訪れた。
「どんな形であれ、少しでも残しておきたかったんです。まさか本当に姿を現されることになるとは、思いも寄りませんでした」
「わたくしが目撃した人影は、司祭の細工ではなかったのですか?」
ミラージュから客の身元を聞き、施工主を探していないことが判明してから、ずっとそう考えていた。
司祭が幽霊話に信憑性を与えるため、人影を用意したのだと。
「いいえ、きまぐれな神に誓って、私は何もしておりません」
クラウディアとヘレン、そしてその護衛騎士からもたらされた髪の長い霊の目撃情報には、司祭も困惑しているという。
安らかに眠ってほしいのも本意だと。
「では、あれは……?」
「クリスティアン様が何か訴えたいのかと思っております」
だが司祭には皆目見当が付かなかった。
「お祈りをしてみてもダメでした。望みがわかれば良いのですが」
目撃した人影は、本当にクリスティアンの霊だったのか。
でも、それなら、クラウディアにはわかる気がした。
彼の望みが。
「クリスティアン様のお相手は、わたくしのような黒髪でしたか?」
「どうしてそれを? おっしゃる通り、艶のある黒髪をお持ちの方でした」
ならば、間違いない。
クラウディアは劇場であった美しい青年の話を司祭に語る。
話が進むにつれ、司祭の目はどんどん見開いていった。
「なんと……なんと……」
「ごめんなさい、詳しい顔立ちは覚えてなくて」
「いいえ、お話を聞く限り、クリスティアン様でお間違いないでしょう」
振り返ったときには姿を消していた青年。
彼から最後に告げられた言葉を、司祭へ届ける。
「『過去に囚われないでください』」
最初は自分へ向けられた言葉だと思っていた。
けれど話を聞いて、クリスティアンが届けたかった相手は、司祭だと考えるようになった。
もう忘れていいのだと、伝えたかったのではないか。
無念を残す必要はないのだと。
「そうですか……ああ、私はなんて身勝手なことを……っ」
言葉を咀嚼した司祭は、施工主を探すことを請け負った。
「ずっと足を向けられていなかったクリスティアン様のお墓にも、ちゃんと取り壊しのご報告をしたいと思います」
クリスティアンの墓は、先祖代々ある分家の墓地にあった。
修道院からほど近い林にあるのだが、どうしても悲惨な現場が頭を過って、司祭はクリスティアンの墓にだけは近付けなかったという。
修道院の利用を一部に留め続けているのも、司祭がトラウマから、かつてのクリスティアンの私室に近付けないからだった。
(無理もないわね)
大人でも現場を見れば心の傷になる。
司祭はそれを胸に抱えたまま、何十年と生きてきたのだ。
「今回のお話は、この場限りのものにいたしましょう」
「お気遣い、ありがとうございます。クラウディア様には、感謝してもしきれません」
「司祭様の心が少しでも軽くなれば幸いですわ」
床に頭を付けそうな勢いの司祭を宥める。
見送りの際も、今一度、司祭は深く頭を下げた。
クラウディアは馬車へ乗り込む前に修道院を振り返り、改めて願う。
(どうか、安らかに)
かつてクリスティアンが暮らした、居城を見上げて。
今度こそ祈りが届きますように、と。




