06.夫人は前を見据える
庭園を見渡し、パトリック夫人は満足げに頷いた。
お茶会の会場としてセッティングされた長机と椅子には、全て高浮き彫りと呼ばれる立体的な彫刻で蔓の模様が装飾されている。意味は繁栄や長寿。
そんな調度品と一体化するように庭園にも蔓が伸び、秋の花々が豪華に会場を彩る。
風が花弁を揺らし、香りを席にまで届けてくれるところまで計算通りだった。
夫人は扇を広げ、一時、庭園の世界観に浸る。
見事、としか言い様のない出来映えだ。
(他のご令嬢を招くのだったら、勿体ないぐらいだわ)
けれど今日、夫人が迎えるのは王太子殿下の婚約者であり、公爵令嬢。
彼女にしてみれば、これが普通であり、主催者がサンセット侯爵家の者であれば、会場の質が高いのも当然だった。
ハーランド王国内において、完璧な淑女と謳われ、令嬢たちから絶大な支持を得ているクラウディア・リンジー公爵令嬢。
(さて、彼女はどれだけ自分の「仮面」を保てるかしら?)
社交界では本性を隠すため、全員が見えない仮面を被っている。そして自分は仮面を被ったまま、いかに相手の仮面を剥ぎ取るかを競い合う世界だった。
クラウディアは改めて、その洗礼を受けることが決まっている。
(実母が存命でないのが痛いところね)
さらには継母の存在が足を引っ張っていた。名家の出身ならまだしも、平民と変わらない一代男爵の娘とあっては、話にもならない。
なぜ公爵は、自ら品位を落とす相手を選んだのか、夫人は理解できなかった。
(遊び相手ではなく、籍にまで入れるなんて)
信じられない。
学生時代、公爵に惑わされなくて良かったとつくづく思う。
(当時は陛下に次いで人気だったもの)
かくいう夫人は、子どもの頃からずっと夫一筋だ。
母親の早逝、父親の不義理にも負けず、王太子の婚約者の座を勝ち取ったクラウディアには素直に賞賛を贈りたい。
だからといって手心を加える気は毛頭ないけれど。
(社交界の厳しさを教えてさしあげなくてはわね)
大人の世界を。
パンッと音を立てて、扇を閉じる。
何事も始めが肝心だ。
「本日はお招きいただきありがとうございます、パトリック夫人。わたくしも、お会いできるのを楽しみにしておりました」
クラウディアとは初対面ではない。
夜会などで挨拶する機会は幾度となくあった。
だというのに。
なぜか今回に限って、王妃であるアレステアとはじめて会ったときのことが思いだされる。
サンセット侯爵家を象徴する金髪と紫目を持つ、愛らしい少女アレステア。
大人たちはこぞって、きまぐれな神が遣わした天使だと褒め称えた。
いとこだと紹介されても、信じられなかったぐらいだ。
幼かった夫人――エリザベスは、無意識に鈍色の髪を握りしめるほど、コンプレックスを刺激された。
(どうして、わたくしの髪色はこんななの?)
黒になりきれない灰色。
銀にはほど遠い、ねずみ色。
幼心に不満を募らせ、両親をなじったことさえある。
古傷がうずくような感覚がし、夫人は意識を切り替えて目の前のことに集中する。
如才ない姿で佇む、艶やかな黒髪の麗人。
一歩間違えば下品に見えてしまうエッグシェルブルーを着こなし、背伸びすることなく令嬢としての品位を保っている。
頭の隅に追いやった記憶が呼び起こされたのは、気の強そうな青い瞳のせいだろうか。
天使と称され、持て囃されていたアレステアも、兄以上に強い意思を紫目に宿していた。
「お気持ち、有り難く存じます。至らない娘ではありますが、これからもお義母様と手を取り合い、邁進していく所存ですわ」
(可愛げのないこと)
凜としたクラウディアの答えに目を細める。
ここで擦り寄ってくれば話は早いのに。
それはそれで簡単に庇護を求める人間が、王太子の婚約者に相応しいとは思えないけれど。
(リンジー公爵家のご令嬢としては正答でしょうね)
継母とはいえ、今はリンジー公爵夫人である。
彼女を貶すことは、自ら公爵家を貶すのと同義だ。
(まだ序の口よ)
本番はこれから。
(しっかりと本性を見極めてさしあげるわ)
渋いお茶で相手の出方を見る嫌がらせは、夫人になれば誰もが経験するものだった。
姑が嫁の性格を確認する方法として用いるからだ。
大体の場合は、姑の頼みを聞いた友人が実行する。
今回は、より難易度が高く設定されていた。
(さすがのクラウディア嬢も、平静でいられないでしょう)
クラウディアがカップに口を付けるのを見守る。
「こちら、どうやら手違いがあったようですわ」
「まぁ! クラウディア嬢のために取り寄せたものだったのですが、お口に合わなかったようですわね」
すぐに反応するのは予想済みだった。
耐え忍ぶような性格でないことは周知の事実だ。
(前トーマス伯爵相手にも、面と向かって抗議したぐらいだもの)
自分の祖父と変わらない年齢差にも物怖じせず口を開く姿は、夫人たちの間でも話題になった。
だからこそ、手を緩める気はない。
パトリック夫人に続いて、招待客たちも口々にクラウディアを詰る。
この場に味方が一人もいないと知った心境はどんなものだろう。
同じ嫌がらせが用いられる場でも、そのあとの展開は様々だ。性格に難がないと認められれば、種明かしされ、和気藹々とお茶会が終わる場合もある。
パトリック夫人は、徹底的に責めるよう、友人たちに頼んでいた。
ちょっとしたことでは動じないと踏んだからだ。
(誰もが無条件でかしずくと思ったら大間違いよ)
身分だけでいえば、公爵令嬢であるクラウディアがこの場では一番高い。
しかし帰ってから父親に泣きついても、父親はどうすることもできなかった。
ここは女の園。
男性が、女性だけの場に介入するのは御法度とされる。
加えて抗議したくても、リンジー公爵がパトリック夫人を責めるのは悪手だ。
誰がどう見ても、夫人の後ろには王妃がいる。
実際、お茶会の様子は全て報告することになっていた。
まだ王妃が力を持っている時点で、王妃を敵に回すようなことはできない。
令嬢時代は身分だけを気にしていれば良かった。裏にある関係性を読み取れなくても、親がフォローしてくれるからだ。
けれど、それも親元にいる間だけ。
親元を離れたあとは、自分の力だけで上手く立ち回らなくてはならない。
時に社交界では、身分以上に関係性が重要になってくる。
誰と誰が、どの家が繋がっているのか理解できていなければ、呆気なく居場所を失ってしまう世界だった。
クラウディアは聡い令嬢だ。
だからこそ、自分の置かれた状況を正確に理解しているだろう。
ただただ一方的に責められ、逃げ場もないことを。
眉尻を落とすクラウディアの姿に、こんなものか、と思う。
完璧な淑女と評されていても、それは「令嬢」という枠組みに収まったもの。
簡単に仮面は外れてしまうのだ。
まだ導き手が必要な子どもであることに笑みが浮かぶ。
開いた扇を揺らせば、庭園で咲き誇る花々の香りが届いた。
(上下関係を教えてあげましょう)
王太子の婚約者になったことで舞い上がっている頭に冷や水を被せる。
所詮は王妃の「下」に過ぎないと。
この関係性は、彼女が王妃になっても不変である。シルヴェスターの母親は、アレステアに他ならないのだから。
(嫌みな子ね)
反射的に、そう思った。
悲しみを浮かべるクラウディアが、あまりにも可憐だったから。
長い睫毛が震え、潤む青い瞳に罪悪感を覚える。
頭に過った言葉も忘れて、白い頬を両手で包み、慰めたい衝動に駆られた。
いつの間にか、友人たちの口撃も止んでいる。
静かになった場で、クラウディアの声が明朗と響いた。
「パトリック夫人のお気遣いに感謝致します。きっと侍女が茶葉を蒸らす時間を勘違いしたのでしょう」
「我が屋敷の侍女が、低脳だとおっしゃりたいのかしら?」
「いいえ、どれだけ優秀な侍女でも間違うことはあります。どうかパトリック夫人の寛大なお心でお許しくださいませ」
許すも何も、侍女は間違っていない、と言い切るべきだろうか。
けれどお茶が渋いのは事実なのだ。
一瞬の迷いを、クラウディアは見逃さない。
先手を取られて閉口する。
「パトリック夫人のご厚意に感謝いたします。嬉しいですわ、王太子殿下との婚約をこのような形で祝っていただけて」
頬を染め、感激を伝えるクラウディア。
嬉しそうな表情は純粋無垢だった。
(なん、なの……?)
演技しているようには見えないクラウディアの反応に、背中が粟立つ。
いや、演技だとしても。
(その余裕は、どこから来るの?)
彼女の仮面を外したつもりでいた。
普通ならあそこで気落ちする。
身分に守られてきた令嬢なら尚更。この場にいる全員から非難されるなんて、はじめての経験だろう。
だというのに、クラウディアは全く動じていなかった。
(あり得るの? こんな……)
「パトリック夫人のお言葉、しかと胸に留めさせていただきます」
真摯な姿勢を保つクラウディアに薄ら寒さを覚える。
彼女に王妃アレステアが重なって見えた。
最初は整った容姿から王妃が想起されたのだと思っていた。
(違う、既に淑女として完成されていたからだわ)
大人による教育を、クラウディアは必要としていなかった。
(今年学園を卒業したばかりよね?)
夫人だけの集まりに顔を出したことはなかったはずだ。
だというのに、クラウディアの対応には隙がない。
理解の範疇を越えていた。
不可解さに戸惑う心を鎮めてくれたのは、友人だった。
「パートナーといえば、パトリック様の夫人への愛は、見ているこちらが照れそうになりますわ」
最近、態度を改めた夫の話題で我に返る。
パトリックの熱い視線を思いだすと、令嬢時代に戻った気がした。
ずっとコンプレックスだった鈍色の髪。
ねずみのようだと、一番に否定してきたのは他でもないパトリックだった。
サンセット侯爵家では血筋が重んじられ、基本的に親戚の中から婚姻が結ばれる。
侯爵家を象徴する金髪と紫目を持った兄パトリックと妹アレステア。
いとこにもかかわらず、そのどちらの色も持ち合わせていない自分。
劣等感が募る一方で、パトリックへの憧れも膨らんでいった。
パトリックは興味なさそうだったが、親戚の中で歳が近いのはエリザベスしかいなかったため、自然と婚姻の話はまとまった。
四年前、念願の嫡男を授かり、産まれてきた子が金髪に紫目とわかったときは心から安堵した。もし自分と同じ鈍色を継いでいたらと思うと、生きた心地がしない。
ただでさえ夫の態度は冷ややかだというのに。
それが、突然変わった。
以前は視界に入るのも嫌そうだった鈍色の髪を手に取り、口付けるようになったのだ。
「今までの非礼を詫びたい。私は真実が見えていなかった」
謝罪までされ、混乱は極みに達した。
最初は浮気を疑ったものの、そもそも浮気したところで釈明する人ではなかった。
きっかけが何だったのかはわからない。
訊きたくても、訊いたが最後、この夢が覚めてしまうのではないかと怖くてできずにいる。
(大丈夫、きっときまぐれな神様に願いが届いたのだわ)
大きく変わったのは自分への態度だけだった。
屋敷に帰って来ない日があるのは相変わらずだ。
その変化の少なさが、逆に安心材料になっていた。人が変わったようでも、パトリックの本質は変わっていないとわかるから。
加えて、この歳で毎晩求められてしまったら体がもたない。
(もっと君の子が欲しいだなんて、あの人ったら)
つい、夜のことまで考えてしまい、頬に熱が溜まる。
これではダメだと、カップに口を付ける。
クラウディアが評したように、春摘みの茶葉は爽やかな風味を届けてくれた。
(一言一句、残さずお伝えしなければね)
王妃なら違った見方や、あしらい方を思いつくかもしれない。
昔からアレステアは、何歩も自分の先にいた。
彼女の全てが羨ましかったのは、もう過去のこと。
殊勝な態度を崩さないクラウディアを見る。
(きっと隠れてレッスンを受けていたに違いないわ)
公爵家なら、人知れず教師を呼ぶことも可能だ。事前にいくつも対応を検討していたに違いない。
そうでなければ、希代の才女か悪女のどちらかだろう。
人を虜にする点では、どちらも差異がなかった。




