32.憂う少女たちは女神を見つける
「アイラ、あまり問題を起こさないでね」
「問題なんて起こしてないわ」
「外の考えに縛られているでしょう? あなたはまだ浄化されていないとはいえ、毒を周りに広げてはダメよ」
「毒なんてないもん! あったらこんな元気でいられるわけないじゃない!」
「はぁ、また声を荒げて……これも毒の影響ね」
「違うったら! 母さん、どうしてちゃんと話を聞いてくれないの?」
「話ならしてるでしょう?」
まただ。
母親と話がかみ合わなくなる。
アイラがどれだけ必死に訴えても、母親は全て毒のせいにした。
(昔は、こんなんじゃなかったのに)
アイラはトーマス伯爵領南部の領地境にある村で産まれ育った。
生活は貧しく、食べるものにも困る有様だった。
ある日、一人の男が村を訪れた。
土地勘がない男に、アイラたち家族が周辺のことを教えた。
だからだろうか、男に招かれたのは。
これは秘密だけれど、近くに裕福な村があると教えられた。
秘密なのは、人が殺到してしまうのを防ぐためだ。
親切にしてくれたお返しに、もしよければアイラの家族だけ村へ招きたいと申し出られる。
他の人たちを置いて自分たちだけが引っ越すのを両親は渋った。
どうにか全員で移住できないかと男に迫ったが、裕福でも小さな村だから、全員は受け入れられないと首を横に振られた。
一日、両親は考えた。
アイラも希望を聞かれた。
(こんなことになるなら反対すれば良かった!)
当時のアイラは空腹に負けて、村を出たいと言った。
それが両親の背中を押したのは想像に容易い。
あの頃は、ちゃんと自分の意見を聞いてくれたのに。
儀式というものをしてから、両親はどこか人が変わってしまった。
明確にこれ、と言うのは難しいけれど、時折、知らない人のように感じるのだ。
(どうなっちゃったの?)
不気味だった。
唯一頼れる存在を失ったようで、怖かった。
移住した村では、男の言う通り衣食住に困ることはなかった。
のどかな雰囲気に包まれ、村人たちにも心の余裕が見て取れる。
それは産まれ育った村にはなかったものだ。
最初はお腹いっぱいごはんが食べられることに家族全員が喜んだ。
迎えてくれた村人も皆、親切だった。
先に違和感を覚えたのはアイラではなく両親だった。
村の外に出るのを許されなかったからだ。
隙を見て出ようとしても、常に村人たちの目があって無理だった。
そうこうしているうちに、両親の儀式への参加が決まり、二人の様子が変わってしまった。
アイラはアイラで、親元を離れ、寮で他の子どもたちと一緒に暮らすように言われた。
疑問に思ったけれど、村から出るわけではなく、寝床を替えるぐらいの変化だったので受け入れられた。
同世代の子たちと過ごすのは楽しかった。
友だちはすぐにできた。
なんと自分と同じように他の村から来た子たちがいたのだ。
他の子も同じ境遇で村に来ており、親友として打ち解けるのに時間はかからなかった。
寮では着替えのたびに、世話役が下着を確認するのだけが嫌だった。
ある日、一人の女の子が泣きながら泥だらけになって帰ってきた。
林で男性の一人に痛いことをされたという。
次の日から、その男性の姿を見なくなった。
「大人でもして良いことと悪いことがあるのよ。あの人はそれがわからなくて村長に処分されたの。アイラも困ったことがあったら村長にすぐ相談しなさい。きっと守ってくださるわ」
でも言い付けを守らないと、処分されるのはアイラになるわよ、と母親に脅される。
処分、という響きが、アイラにはとても怖いもののように感じられた。
それからも村から人がいなくなることがあった。
「また処分されたの?」
「ああ、違うわよ。猟師をしていた人でしょ? あの人は別の村へ配属されたの」
「はいぞく?」
「引っ越したってことよ。この村には親戚のような村が他にもあるの。別の村で人手が足りなくなったみたい」
「アイラたちもいつかは出ていくの?」
「そうかもしれないわね。でも暮らしは変わらないわよ。どこへ行っても、もうお腹を空かすことはないわ」
優しい微笑みを浮かべる母親に、なぜかアイラは無性に泣きたくなった。
(皆といつまで一緒にいられるのかな)
ベッドの中でアイラは丸くなる。
折角仲良くなった友だちとも、いつかは別れないといけないのだろうか。
不安に駆られ、アイラはベッドだけではなく、寮からも抜け出した。
村長に相談しようと思ったのだ。
アイラにとって友だちとの別離は困ったことだった。
村長の家は、窓枠が赤い。
けれど夜だと色の判別はつかなかった。
それでも村の出入り口から一番近い家だと知っていたので、民家が並ぶ通りを抜けて村長宅を目指す。
軒先に立つと、中から奇妙な声が聞こえてきた。
運動をしたあとの激しい息づかいに併せて。
「ああ……っ!」
普段聞かない声音に、後ずさる。
足が勝手にじりじり後退していた。
パンパンと肉がぶつかるような音が耳に届いたときには、体の向きを変えて走り出していた。
(怖い、怖い……っ)
自然と寮ではなく、両親が眠る家へ向かった。
「母さんっ、父さん!」
起きて! と呼びかけながら寝室に入る。
けれどベッドには誰もいなかった。
「母さん? 父さん?」
家の中をくまなく捜しても、両親の姿はない。
そこで信じたくない事実に気付く。
村長の家で、聞いた声。
聞き慣れない声だったけれど、あれは両親のものではなかったのか。
目の前が真っ暗になった。
両親は村長の家で何をしているのか。
耳に残る粘つく声を消したくて、頭を振った。
(嫌、嫌よ! なんなの、母さんも父さんも、村長さんと何をしているの!?)
怖かった。
恐ろしかった。
助けを求めたくても、誰もいない現実に絶望した。
村に対し、違和感はずっとあった。
産まれ育った村とは環境も考え方も違ったから。
けれど食べ物に困らないのは有り難くて、友だちと過ごす時間は楽しくて目を瞑っていた。
儀式のあとからは両親にも違和感を覚えるようになったけれど、全く会話ができないわけでもなく、生活をする上では普通だった。
だから深く考えていなかった。
その違和感が突如として巨大化し、アイラを押し潰そうとする。
(おかしい、この村はおかしいわ! 絶対に変よ!)
村の異常性をはっきり認識したことで、アイラの心に反抗心と同時に闇が生まれた。
反抗心に突き動かされ、村の粗探しをしているときはいい。
問題はふとした瞬間、心の闇に呑まれそうになることだった。
おかしいのは自分のほうなのではないか。
村長をはじめ大人たちが正しいのであり、子どもである自分が間違っているのでは?
このまま村での暮らしを受け入れればいい。
どうせアイラが一人で抗ったところで、何にもならない。
村長の怒りを買えば、処分される可能性だってある。
時を経て、問題を起こした村人が、礼拝堂の地下へ連れて行かれるのを偶然目撃したことがあった。
村長と村人が地下へ続く階段を下りていったのだ。
それが、その村人を見た最後だった。
もうやめてしまおう? と闇が囁く。
どう足掻いても無駄だと説得される。
でもアイラは諦めなかった。
子どもたちの中でも特別仲の良い二人の親友が、アイラの考えに賛同してくれたからだ。
打ち明けたのはダメ元だった。
そこで彼女たちの両親も、夜に村長宅へ招かれていることが判明した。
(うちだけじゃなかったんだ)
悩んでいるのが自分だけじゃないことに勇気付けられ、アイラは村を探るべく情報を集めた。
それとなく儀式について聞く。
儀式は村の大人たちが集まって月一で開催される。
子どもが大人になったときは、お祝いのため月一の儀式とは別に機会を設けられることがわかった。
他にも、儀式ではお香がたかれるという。
気分が安らかになるから、何も怖くないと教えてくれた人は語った。
そして親友の母親の妊娠がわかった。
「父親がわからないって、お母さんが言ったの?」
「うん、儀式で授かった子だからわからないって」
自分の父親の子ではないかもしれないことに、親友は大いに戸惑った。
アイラが同じ立場なら、母親を問いただしていたかもしれない。
(どうしたら、そんなことになるの?)
わからない。
わからないけれど、村長の家で奇妙な声を発していた両親のことが頭を過る。
涙を浮かべる親友と一緒に、アイラの目にも涙が浮かんだ。
そして恐れていた事態が発生する。
もう一人の親友が初潮を迎えたのだ。
この頃には世話役が子どもたちの下着を確認する理由に見当が付いていた。
「わたし、儀式なんて嫌よ」
「あたしだって嫌。どうにかして逃げられないかな」
村を脱出して、外の人に助けを求める。
儀式から逃れる方法は、それしかなかった。
村長が日取りを決めるまでに脱出方法を探る。
夜になると三人で寮を抜け出すのが日課になった。
日中は言い渡された仕事をこなしつつ、人目につきにくい逃げ道や身を隠せる場所を確認して回る。
かがり火が焚かれるのは周囲が暗くなってからで、場所は厩舎と村の出入り口の二か所。
厩舎では夜になる前ぐらいから男性二人が常駐し、馬を見張っている。
自分たちが夜に抜け出せているのもあって、やはり脱出は夜のほうが良さそうだった。
「あたしが出入り口のかがり火を消すわ」
「そんなことをしたらアイラはどうなるの?」
「怒られるわね……」
「処分されるかもしれないよ!」
「でも他に案がある?」
「……」
八方塞がりだった。
誰かが犠牲にならないと親友を助けられないなら、自分がその犠牲になる。
アイラの意思は固かった。
ただ、まだ儀式の日取りは決まっていない。
どうやら村を探っている外の人がいて、それが関係しているようだった。
(その人に助けを求められたら!)
そう思うものの、アイラたちが外の人と会うことはなかった。
後に別の村で接触があったとわかり落胆する。
接触があった村は遠く離れていて、とても会いに行ける距離ではなかったからだ。
希望に見えた光が断たれ、また心の闇が訴えかけてくる。
アイラは疲れを覚えはじめていた。
もうどうにもならないのかもしれない。
親友も、自分も、儀式を受けるしか――。
(嫌よ、絶対に嫌!)
両親のようにおかしくなりたくない! 心の中の叫びは、誰にも届かなかった。
村に新たな人が増えたと聞いたときは諦めが勝り、何も思わなかった。
増えた分はどうせ出て行く。
しかしディーとキールの姿を見て、考えが変わった。
今まで出会った人たちと明らかに違ったから。
どう見ても二人は貧しいところからやって来たようには思えなかった。
(それに今なら考え方もまともなはず)
もう村にいる大人たちは全員、村長の言いなりだった。
アイラの両親でさえも。
子どもたちと追いかけっこをするディーの姿を見て、アイラは心を決める。
ディーの人柄が良いことは、朝食を一緒に食べたときからわかっていた。
(聞き入れてもらえなかったら、諦めるしかないけど)
村の誰よりも、村長よりも綺麗だと思えるディーを、大人たちの餌食にしたくなかった。
ちゃんとした町から来たなら、助けを求める相手に心当たりがあるかもしれない。
ディー自身、所作が整っていた。
(貴族ってああいう感じなのかな)
噂でしか知らない存在。
でも不思議と、ディーと貴族という言葉が頭の中ですんなり繋がった。
日が暮れてから、親友二人と意見を交わす。
「うん、わたしたちが助けを呼ぶより、ディーさんにお願いしたほうが良いと思う」
「それに騒ぎが起きれば、儀式が延期されるかもしれないわ」
親友を助けたい気持ちも変わらずあった。
アイラは自分がかがり火を消すことを譲らない。
夜、世話役が寝静まったのを確認し、寮を出る。
家の角でディーと遭遇したときは、口から心臓が飛び出るかと思った。
念には念を入れて、人目のつかない林の入り口へ移動し、全てを打ち明ける。
月明かりを背に立ち上がったディーは、物語に出てくる月の女神のようだった。
背中に広がる緩やかなクセのある黒髪が、月光を宿して輝きを散らす。
「あなたたちのことは、わたくしが必ず救い出してみせるわ」
誰よりもディーのほうが現状、差し迫っているはずなのに。
微笑みは力強くて、以前の、村に来るまでの母親を見ているようだった。
胸が熱くなって、自然と涙がこみ上げてくる。
そんな自分を、ディーは大丈夫だと励ましながら抱きしめてくれて、温もりに嗚咽が漏れた。
しゃっくりが出て恥ずかしいけれど、泣いているのは自分だけじゃなく友人たちも同じだった。
手を伸ばして皆で抱きしめ合う。
村では間違っているとされる自分たちの考えも、ディーは認めてくれた。
正しいと言ってくれた。
許されたことで、心の奥にあった恐怖も薄れていく。
今夜のことを決して忘れないと胸に刻む。
もし自分が罰せられるようなことになっても、この思い出がきっと助けてくれる。
ディーの青い瞳を忘れない。
力強い言葉も、優しい微笑みも。
「わたくし、これでも村長より力があるのよ」
不敵に笑う姿はぞっとするほど美しかった。
この村に来る前から知っている神に、アイラは祈る。
今まではずっと誰かが助けてくれることを願っていた。
けれど。
(どうか、きまぐれな神様)
あたしに友人を助ける力をください。
ディーをこの村からお救いください。
一歩前へ、踏み出す勇気をもらえたんです。
だから、どうか。
あたしの手で、この悪夢を終わらせられますように。




