28.悪役令嬢は探索を続ける
両手を広げても足りないくらいの澄んだ水が、水底に転がる小石や水草の存在を教えてくれる。
木漏れ日が光のカーテンとなり、水面だけでなく苔むした岩や地面を撫で、それに応えるかのようにふんだんに水を含んだ苔が生命の輝きを見せていた。
自然の美しさに包まれ、ほう、と息を吐く。
「綺麗ね」
「ぼく、ここまで透き通った水を見るのははじめてかもしれない」
一時、訪れた理由を忘れて見入った。
「水で汚れを洗い流そうと思ったけど、気が引けるね」
「桶があるから、少し離れた場所で洗いましょう」
水汲み用だろう。
折角なので使わせてもらう。
鳥のフンがついた髪の一房をよけ、水を流す。
「タオルをもらってくれば良かったわ」
「これぐらいだったら、撫で付けておけば乾くよ」
言うなり、キールは手ぐしで濡れた髪と乾いた髪を交ぜる。
「この泉の水が薬の製造にも使われてるんだろうね。綺麗な水が欠かせないらしいから」
他の村だと近くに清流があったらしい。
林を出たあとは厩舎を覗いた。
馬の他にもヤギがいて、男性と女性とで世話をしている。
厩舎だけ、他より人口密度が高い。
世話をしている女性の一人に注意される。
「馬には触れないでね。ケガするといけないから。足で蹴り飛ばされると大変なのよ」
「はーい」
素直にキールが返事する。
しかし接近はしないものの、馬の様子はしっかり見ていた。
幌馬車は二頭の馬で引かれていたが、厩舎には一頭しかいない。
もう一頭はどこかで使われているようだ。
「厩舎にいた馬は、まだ昨日の疲れが残ってそうだったよ。今日一日休んだら癒えると思うけど、いないもう一頭のほうが心配だな」
馬にも休養が必要だ。
こまめに休ませないと疲れて動けなくなってしまう。
最悪、死に至ることもあった。
「あまり無理をさせられてないと良いわね」
「うん」
それでも脱出となれば必要になるかもしれない。
背に腹は代えられなかった。
いざというときのために厩舎の間取りを頭に入れる。
「この人の多さを考えると、日中はどうにもならなそうだわ」
「言うまでもなく、見張りも兼ねてるよね。夜はどうかな?」
「キールは夜、馬に乗って走れそう?」
「月明かりがある夜だったら……幌馬車が通ってきた道を逆に辿れたら良いんだけど」
馬車に比べて馬単独のほうが操りやすいとはいえ、夜の乗馬は危険が伴う。
開けた場所ならいいが、林の中となるとスピードは出せない。
暗がりで木の枝を判別するのはまず無理だからだ。
速度を落として注意しながら進むしかなく、下手すると歩いたほうが速い。
「道を知っていない限り、夜に馬を走らせようとは思わないね。ただそれが村人の常識だったら、夜のほうが見張りは少ないかも」
「連れて来られるのは土地勘のない人ばかりでしょうからね」
「まぁ、どっちにしろ夜に逃げる場合は自分の足のほうがいいだろうね」
厩舎を出たところで、お昼だと声をかけられた。
天気の良い日は外で集まって食べるのが基本のようで、また広場へ集まるよう言われる。
そこで襲撃を受けた。
キールと二人、頭から枯れ葉を盛大に被る。
何事かと振り返ったときには、きゃーきゃーと子どもたちが走り去っていた。
キールと視線を交差させ、頷く。
食事の前に、運動する必要がありそうだ。
悪い子は誰だー! と追いかける二人の様子を、大人たちも微笑ましく眺めた。
子どもたちは無邪気で、村はのどかだった。
だからこそ異質さを感じずにはいられない。
あえてクラウディアたちが村に調子を合わせているといっても、人が攫われてきているのだ。
なのに村人には罪の意識が全くなかった。
(アイラだけ反応が違ったのよね)
子どもを追いかけながら、アイラが大人たちと昼食の準備をしているのを見る。
キールと同世代の彼女だけが、クラウディアたちと同じ感覚を持っているのだろうか。
もしそうなら。
(アイラにとってこの村の生活はどういったものなのかしら)
おかしいと胸に違和感を抱きながら暮らすのは。
昼食のあとは、キールと村はずれにある石造りの建物へ向かう。
民家と比べると高さがあり、堅牢な造りなのが興味を引いた。
用途を村人に訊いたら早いが、散策がてら自分で調べてみる。
「キールは何だと思う?」
「今度こそ集会所とか? 教会だったら食事に修道者も参加するよね」
この村の規模は大きくない。
地域に根付く教会の特性を考えれば、村人の集まりには必ず参加するだろう。
厩舎とは違い、付近に大人は見当たらなかった。
唯一、目に入った人影は、建物にほど近い林で枯れ葉を集めている子どもたちだった。
理由は建物に近付くにつれ判明する。
「崖上になってるんだね」
村から半円状に迫り出した地面の上に、件の建物はあった。
目的地まではなだらかな坂になっている。
「こちら側は袋小路だ」
坂を上った先は切り立った崖で、林とは逆の立地であるがために逃げ場がなかった。
落ちたらひとたまりもない。
監視の目がないことに納得する。
立っていると爽やかな風に吹かれた。
崖下には平野が広がっていて眺めは悪くない。
「良い景色だわ」
背の低い草がこのあたりの植生のようだった。
足元は鮮やかな緑色の絨毯で覆われ、深呼吸すると澄んだ空気が肺に満ちる。
風通しが良いからか、林の中で感じたような土臭さとは無縁だ。
景色を堪能してから建物へ向かう。
建物は長方形の上に三角屋根が載っているだけの素朴な造りで、外観に特徴的な装飾はない。
入り口は木造の両開きドアだが、片側は固定されていた。
施錠はされておらず、取っ手を押せばキィーという音と共に簡単に開く。
入ってすぐに建物の正体がわかった。
「礼拝堂だったのね」
長椅子が並べられている先に祭壇を見つける。
縦長の窓から入る自然光のおかげで中は明るかった。
二階がない代わりに天井が高い。
「修道者がいないなら、この礼拝堂は教会のものではないのかしら」
「それか村長が兼ねているのかも。小さい村だと兼任するって聞いたことがあるよ」
食事の際、村長が祈りを口にしていた姿が頭に浮かぶ。
ただ教会との関連は薄い気がした。
第一、教会の教えに則っているなら人を攫ったりしないはずだ。
外が毒にまみれているとも言わない。
独自の思想が強すぎて、関連性を見いだせなかった。
(ナイジェル枢機卿の動きは、最早教会と切り離して考えるべきでしょうし)
修道者さえ切り捨てる男である。
彼は教会に所属する自分の立場を利用しているにすぎない。
奥にある祭壇へ辿り着くと、左側の床に地下へ続く階段があった。




