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24.公爵家令息は手の平に傷を作る


 錯乱するヘレンの姿は自分を見ているようだった。

 表面上は取り繕っているが、クラウディアが連れ去られた――当初は事故と考えられた――報告を受けてから、心はずっと恐慌状態だ。

 暴風雨が心臓をかき乱し、ともすれば豪雨が涙となって現れそうだった。

 何本、万年筆を折ったかわからない。

 進展のない報告を受けるたびに、短く揃えられている爪が手の平にうっ血を残す。


(愛しの妹はどこにいる?)


 これからはずっと傍にいると母の墓前で誓った。

 今でも昨日のことのように思いだせる。

 愚かだった自分に区切りを付け、新たな一歩を踏み出すと誓った日。

 結局、それからも傍で励まされていたのは自分のほうだった。

 はじめて紅茶を淹れてくれたときの幼い笑みが頭に浮かぶ。

 手に触れられそうなほど詳細に思いだせるのに、ここにクラウディアはいない。


(俺は、無力だ)


 思考の沼へ沈みそうになる。

 ヘレンへ向けた言葉は、自分に言い聞かせるものでもあった。

 たとえ無力でも、クラウディアが待っているなら、茨の道でも進む。

 再度、拳を握った。

 もう遅れは取らない。

 その場でヘレンからの報告を書面にまとめているところで来客が告げられた。

 シルヴェスターとトリスタンだ。

 出迎える間もなく、二人が応接間にやって来る。

 彼らも一分一秒が惜しいのだろう。


「ヘレンから情報はあったか」

「今まとめたところだ」


 まだインクが乾ききっていない報告書をシルヴェスターへ渡す。

 二人が目を通している間、眉間を揉んだ。

 昨日から一睡もできていない。

 体力には自信があるが、荒ぶる心を静めるのに精神力を要した。

 父親は何事もなかったように見せるため日常を演じている。

 捜査の指揮はヴァージルに一任された。


(普段と変わらないのが逆に怖いな)


 トリスタンには精神的な疲労が浮かんでいたが、シルヴェスターは平然としていた。

 書類を読む姿は、王城の執務室と変わらないように見える。


(いや、無に近いのか)


 真剣な表情をしているようでいて、感情が全く読み取れない。

 長い付き合いの中である程度、機嫌を察する自信はあるのに。

 感情を押し殺した先に何があるのかは考えないようにした。

 わざわざ虎の尾を踏む必要はない。

 ふむ、とシルヴェスターが頷く。


「北部か。話が繋がってきたようだな」

「場所に見当が付くのか 」

「おおよそは。間違いがないか確かめよう」

「確かめるって、どうやって……」

「ある男を競馬場で捕まえていてな。そいつは探偵の助手を名乗っている」

「キールという少年の助手か!」


 まだクラウディアがいなくなる前。

 競馬場で一人の男がシルヴェスターの手の者に連行されていた。

 不穏分子が集まる村を探っている探偵が、王都に来ていると掴んだのだ。

 しかし男は探偵でなく、あくまで助手だという。


「それ以上は口を割らず、困っていたところだ。探偵も連れ去られたとなれば、彼からも情報を聞き出せるだろう」


 男は村を捜査するための手がかりでしかなかった。

 けれど村にクラウディアが連れて行かれた可能性が高いとなれば話は変わってくる。

 村の閉鎖的な思想で、ナイジェル枢機卿以外に頼る相手がいないのは既にわかっていた。

 教会と結託しているわけではなく、修道者とも関わりがないとなれば、向かう先は自分たちの村しかなかった。

 村では以前から人を攫っている疑いもある。

 できるならヴァージルも直接、男に訊ねたい。


(ここは耐えるときだ)


 事情聴取をシルヴェスターに任せて、見送る。

 ヴァージルはクラウディア捜査の責任者だ。

 有益な報告が上がってくる可能性がある以上、屋敷を離れるわけにはいかなかった。

 書類仕事で焦燥をやり過ごす。

 荒れ狂う感情を制御しきれず新たに万年筆を折りかけたとき、トリスタンが一人でやって来た。


「シルは別途、指揮にあたっています」


 クラウディアの捜査はヴァージルと連携しておこなっているが、元々追っていた村の関与が明らかになったため、そちらの調査員も足並みを揃えるよう動いているという。


「僕は助手を名乗る男の調書を持って来ました。早く知りたかったでしょう?」

「ありがとう。心遣いに感謝する」

「どういたしまして。書面でわかりづらいところは僕が説明します」


 探偵――キールも連れ去られたと知った男は、すぐに口を割ったという。

 自分にできることは何でもするから助け出してくれと、涙ながらに語ったことも記録されていた。


(気持ちは同じか)


 シルヴェスターが睨んだ通り、キールは他の村の所在地も掴んでいた。

 その共通項から王都郊外の北部にも村があるとあたりを付けた。


「場所が判明したのならすぐに動けるのか」

「それが……ここへ来る前に父と相談したんですけど、少し根回しが必要そうで」

「なっ――!」


 トリスタンに怒鳴りかけて、言葉を呑み込む。

 彼が悪いわけじゃない。それどころか、先に騎士団長である彼の父の元へ赴き、部隊を動かせるよう対応してくれていた。


(この一刻を争うときに政治が足を引っ張るのか!)


 根回しが必要な理由は、少し考えればわかった。

 王都郊外の北部といえば、それは領地境を意味する。

 王都のある王家直轄領と北で面しているのはトーマス伯爵領だ。

 王族派であるものの、かの家はリンジー公爵家に対し良い感情を持っていない。

 昨年、当主が亡くなり、子息が伯爵家を継いでも家風は変わらずだった。

 今もまだ気が立っており、周囲の動向に敏感だ。先代の当主が殺害されたのだから事情は理解できる。

 そこへ根回しもなく部隊を動かせばどうなるか。

 リンジー公爵家の私兵を向かわせようものなら、烈火の如く怒りを露わにするだろう。


「話はつきそうか?」

「できるだけ早く終わらせます。村の規模が大きくないので、少ない部隊編成で隠密に動かす予定です。トーマス伯爵に気取られたら、必ず口出しをしてくるでしょうから」

「想像に容易いな。単に不穏分子を制圧するためだといっても、確認のため自分の私兵も同行させろと言うに決まっている」


 トーマス伯爵領に限らず、領地境というのは他勢力に対し敏感な土地だった。

 国内だから、というのは関係ない。平民レベルでも隣家の木の枝が越境しているなど、敷地に関する諍いが絶えないぐらいだ。

 悪感情を持っているとなると尚更である。

 声高に反対を訴えてはいないものの、婚約式に水を差すぐらい喜んでやる。


「報告してくれて助かった。一歩前進したのは確かだ」

「このまま一気に畳みかけましょう」

「もちろんだ」


 トリスタンの言葉に励まされる。


(いつもは頼りないクセに)


 男気を見せられた気がして、赤毛を乱暴にかき回した。


「うわっ、ちょっと!?」

「お前も成長してるんだな」

「褒めるなら丁寧に褒めてくださいよ!」


 ずっと臓腑が締め付けられているように痛い。

 でもようやく暗雲に一筋の光が見えてきた。

 すぐにでも助けに行きたい気持ちを、未来を考えることで堪える。

 自分の勝手な行動でクラウディアの今後に泥を塗るわけにはいかない。

 妹には、誰よりも幸せに婚約式を迎える権利があるのだから。


(必ず、助け出す)


 拳を握る。

 もう手の平の感覚は麻痺していた。

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